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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第一章
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ピカピカの金時計


 朝食には遅れたが、なんとか急いで食べて、アーシェは教室へと向かった。

 記念すべき一回目の授業がはじまった。

 アーシェの所属する実践科クラスBは四十人。担任の先生がすでに配慮をしてくれて、席は四方八方女子に囲まれている。左隣はなんとティアナだ。これは心強かった。

「アーシェさんは特殊な体質で、男性に近づけません。よって実習もつねに女子と組むようにしますので、気をつけて」

 担任は女性で――これも配慮の一環だろうか――赤いローブ。名はコズマといった。

「でははじめに金時計を配ります。これは今後一生外すことはできません。事前にサイズを申請してもらいましたが、これから馴染むので多少太ったりしてもサイズは勝手にぴったりに変化します、ご安心を。さあ仮登録の銀のベルトを外して」

 それぞれに配られた金時計にはすでに名が刻印されていた。

「右につけるも左につけるも自由です。皆さん考えてきましたか? 変更はできませんよ」

 ずっしりとした金時計を、アーシェは左手首に巻いた。パチリ、と音を立てて金具がはまり、チカチカと光った。

 とたん、背筋がぞくっとした。なにかの魔術が発動した証か。周囲でも幾人か顔をしかめている。

「まだ眺めている人、覚悟を決めて装着してください。なんのためにここまで来ましたか? 魔術師になるため、そうですね?」

 ティアナは慌てて金時計を左腕に巻き付けていた。


 コズマはそれぞれの席の間を歩き、教室をぐるりと一周しながら銀のベルトを回収した。

「はい、それではまず、蓋を開いて。もう開いているせっかちな人もいますね? その次、時計の表面を撫でてください」

 アーシェは右手で白い時計盤をこすった。冷たい。

「さあ、じっと眺めて。集中して。色が変わってきましたか? 何色でもよいです。水が回ってきたように見えますか?」

 ざわざわと生徒たちが声をあげる。零時からぐるりと時計の針の進む向きに色がついていく。

「なんとこれは数年前に導入された最新式の仕様です。皆さんは運がいいですよ。これは皆さんの魔力の残りを可視化したものとなります。たいていはまだ満タンのように見えると思いますが、魔術をすでにご両親から少し習って使っていた方など、いくらか減っていませんか?」

 アーシェは焦った。本格的な魔術を使ったことなどない。なのに、色が最後までつかない。九時のあたりで止まっている。


「生まれ持った魔力の多さとは関係なく、あくまであなたがた自身の魔力が生まれた時からみて今どれほどの割合残っているかを示しているということに気をつけてください。万一、六時より減っている方がいましたら手をあげて。生まれつき魔力容量が低すぎるなどの問題があるかもしれません。これから魔術を使っていくことで命にかかわりますので、その場合、調査の結果いかんで退学と金時計の廃棄を特別に認めます」

 手をあげる者はいない。どうしよう、さすがにそこまで減ってはいないが、これは異常なのでは? 申し出るべきか、それとも黙っていようか。

「こうして魔力量の残りが可視化されるようになったのは私たち魔術師にとって本当に素晴らしいことです。古来よりもっとも恐れられた魔力枯れから、ついに皆さんは自由となったといえるでしょう。星の魔術師に感謝を」

 星の魔術師。アーシェの頭の中にない言葉だった。

「皆さんはつねにこの残りを確認するよう心掛けてください。魔術師として長く仕事をしたければ、魔力量をできるだけ節約し、効率よく使うことが大事です。一時を切った時が引退の時と考えてください。それ以上減ると、頭髪が薄くなったり、歯が抜けたり、個人差はありますが異常が出はじめます。ついには精神に異常をきたします。ケガや病気の治療は救護院で行えますが魔力枯れは対処のしようがありません。皆さん、くれぐれも気を付けてください」

「あ、あの」

 アーシェは耐えられなくなり、おそるおそる手を挙げた。


「はい、アーシェさん」

「私は魔術を使ったことがないのですが、少し減っているようです。これは……」


 コズマはアーシェの席まで来て「ちょっと失礼」と金時計をのぞきこんだ。

「ううん、確かに四分の一減っていますね。これはまた……」

 ティアナが黙ったまま心配そうにアーシェを見つめている。


「大丈夫でしょうか?」

「そうですね、しっかり調べませんと、確かなことは言えませんが……授業のあとで私の部屋に、いえ救護院のほうがいいですね。必ず顔を出すように」

「はい」

 コズマは教壇に戻り、生徒全員を見回した。


「このお話はもう少し先にしようと思っていましたが、今にいたします。原初の魔法と呼ばれるものがあります。魔術になる前の、魔法のはじめの姿です。人は皆が魔力を持って生まれ、人々は昔から無意識にそれを使ってきました。寒くて凍えそうな時、魔力を使い体をあたためて命をつなぎました。あるいは崖から滑り落ちた時、魔法で体を守り軽傷にすむことがありました。このように生命の危機に強い意思の力や反射で発動する魔法は、今でも我々のそばにあります。ですが魔力効率がたいへん悪いため、よほどの時以外は頼らないのが無難です。これらの現象を、いかに効率よく体系化するか、同種の結果を生むパターンを編み出せるか、研究に研究を重ねられて生み出され受け継がれてきたのが現代の魔術です」

 そういうわけで、とコズマがアーシェを見る。

「アーシェさんは発育不全や睡眠障害、さまざまな問題を抱えていらっしゃる。病弱な人の中には、体を守ろうとして、自覚せず原初の魔法を使い魔力をすり減らす人がたまにあるのです。そういうことではないかと私は推測しています。ファルネーゼにいらしたのはよかったですよ。この調子で魔力を減らしていたら、長生きはできなかったかもしれません。大丈夫、方法を考えましょう」

 力強く言われ、アーシェはこくりとうなずいた。


「今皆さんが学んでいる魔術も、現代の基本であるだけで、最良のものというわけではありません。自分ならもっとうまくやれる、新しい方法を思いついた、そういう方はぜひ研究科へ顔を出してください。大魔術師ロアリングのようにそれまでの体系を覆すようなひらめきを持った方がこの中にいることを期待したいですね」

 そんな風にコズマは最初の授業をしめくくった。





 危ないところだった。自分の体が勝手に魔力を無駄遣いしていたとは。父とアントニーに感謝である。

 その日の放課後、アーシェは救護院の検査室でコズマとイメルダにあれこれ質問され診察された。

「あなたの検査はいずれじっくりやらなければと思っていましたが、その猶予もなかったわねぇ」

 イメルダはおっとりと言った。ヴィエーロの新しい薬もチェックされ「これなら結構」と戻された。

 アーシェは、精密に検査されることでなにか異常が発見されるのではないかと――つまり、魂の固着のことがバレるのではないかと心配したが、魔力がなくなることのほうが怖いのでおとなしくしていた。

「一番恐れていたのは魔力が自然に漏れ出て死に至る病でしたが、その懸念は払拭されました。やはり原因は原初の魔法に違いありません」

 コズマは検査結果を眺めてそう結論づけた。

 魂のことはなにも言われなかった。魔力を調べただけでは、痕跡は出ないものなのか。

「この症状なら、ちょうどいいアイテムがあります。準備しますから、明日、朝食の前に取りに来なさい。早い方がいいですからね。今晩は……とりあえず、制限の術をかけておきましょう」





 夜になって寮の部屋に戻ると、ティアナから話が伝わっていて、みんな心配して待ってくれていた。

「魔力残量ねー。あたしは今十時。なんだかんだ、実習で大がかりな魔術もやるから、そこそこ使ったかな。ま、家に帰れば親がいるし、まあまあ波長も近いから節約できると思うけど」

「九時ならまだなんとかなるわよ、大丈夫。これから気をつけなさい。相性のいい子と組めればいいわね。……わたしは十一時。あと三年あるのに」

「元の量がどのくらいかにもよるよねー。まあ相手が見つかるか次第だね」

 先輩方の実感のこもった言葉。魔力の相性というものはひたすらに大事なようだ。アントニーが言葉を濁していた「多少の運」というのがこのことなのだろう。

「ゆうべとても辛そうでしたものね。あの苦しみようなら、魔力を使ってしまうというのは、わかる気がします……」

 まだ満タンのティアナが眉をひそめている。

「まあね。めちゃくちゃ叫んでたもんね、昨日は」

「叫んで……あの、どんな風に」

 アーシェは小さくなりながら確認した。

「やめて、触らないで、許して……そんな感じよね」

「痛い、と……本当に痛そうな声で……」

「ごめん、よくおぼえてないかもー」

 ひょっとしたらヒントが隠されているかもしれない。

「な、名前とかは」

「名前? どうかしら、なんか謎の言葉も混ざってたけど」

「ちゃんと聞き取れていなくて、ごめんなさい」

「あ、いえいえ! 大丈夫。少し気になっただけです」

 誰かに暴力を振るわれている、そんな内容なのだろうか。ぞっとする。

(あなたは誰かに殺されたの? それを私に伝えたいの?)

 暗い気持ちで、アーシェはヴィエーロの新しい薬をコップの中のミルクに垂らした。

 どうか眠れますように。




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