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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第六章
129/140

かき消された音



 できることなら人気ひとけのない場所には行くな。

 キースからはそう注意されていたが、教室でできるような話でもない。


 いくつか思い浮かんだ中で呼び出しの場所に第一講堂の裏手を選んだのは、次の授業が行われる広場に移動しやすいという利点があるからだった。つい一昨日、秘密の話をしたベンチ代わりの平たい岩の手前に立って、アーシェとティアナはあたりを慎重に見回した。

 南側には第一講堂。高い場所にいくつか窓があるが、そこからの視線を確認するのは角度上難しい。北側は、そびえ立つ石造りの塀だ。この高い遮蔽物二つに挟まれた狭い通路の先――東側には、男子寮の裏庭と通用門がある。


 予想通り、ブレーズは広場のある西側から現れた。食堂から直接向かうとなれば、東側より西側からの方が近い。アーシェたちもいつもそちらから出入りしていた。

 栗色の髪の少年は後ろを振り返りつつ、アーシェに向かって歩いてくる。建物の陰には、おそらく友人たちがいるのだろう。ちらちらといくつかの頭が見え隠れしていた。想定内だ。彼らはきっと、それほど重要な話とは思っていない。からかいと興味の気持ちでついてきて、様子をうかがっている。ちゃんと隠れて待ってくれているのはむしろありがたい。人目が増え、西側への警戒を緩めることができるのだから。

 ブレーズはアーシェから三歩離れたところで立ち止まった。アーシェが実験のためにわざと接近し、意識を失ったあの日以来、ブレーズはアーシェにこれ以上踏み込んできたことは一度もなかった。


「で? なんだよ、話って」


 アーシェと向かい合い、ブレーズは不機嫌そうに言った。

 ティアナは手筈通りにアーシェから離れ、少しブレーズに近づいて塀を背にした。彼女の肩掛けの鞄の中にはアーシェが託した遠耳の鐘がある。

 ブレーズがいつも通りの距離を取ってアーシェと話すと、アーシェが鐘を持った場合その効果範囲ギリギリとなってしまい、ブレーズに魔術具が働いていることを気づかれてしまう可能性が高い。互いに少し動いただけで声が聞こえたり聞こえなかったりという大変不便な状況となってしまうわけなので。

 ティアナが鐘を持ち二人の中間に立ってくれれば、この問題は解決する。二人を横から見る位置につくことで、アーシェの死角になってしまう東方面の警戒もできる。遠耳の鐘には周囲の物音が届かなくなるという欠点があるため、近づいてくる者がいないかは目で確かめる他ないのだ。


「もちろん、ルシア先輩のことです。なにか知っているのでしょう?」

 アーシェはまっすぐに疑問をぶつけた。回りくどい駆け引きをするような時間の余裕はない。

「……知らねーし。そんなやつ」

 にべもない答えだった。

「それならどうして、今朝、先輩のことを聞いてきたのですか」

 ティアナの言葉に、アーシェも続ける。

「心当たりがあるんですよね? どんな些細なことでもいいんです。教えてください」


 ブレーズはため息を吐き捨てた。

「逆に聞くけど、オマエらはなにを知りたいわけ? どういう答えを期待してんだよ」

「それは……」

 ブレーズはアーシェとティアナを探しに来た。彼女たちに危険が迫っていることを予期しているかのように慌てて。

 出国前のルシアに会えたのかとわざわざ確認したのも変だ。まるで、

「あなたは、ルシア先輩が退学したわけではないと……思っているような」


「退学してないならなんなんだ?」

 ブレーズは試すように言った。ティアナはせわしなく周囲に目を走らせている。


(ブレーズさんは内部生じゃない。私と同じ、初心者で。だけど、友人には魔術師の子も、内部生もいる……)


 どこまで話していいのかわからない。けれど、それを測っているのは彼も同じではないか。

 話してほしいと頼みながらこちらの手札を伏せるのは誠実ではないだろう。なにより、今はとにかく情報が欲しい。

 アーシェは顔をあげた。

「私はブレーズさんを信じます」

「は?」

「私たち、そんなに話したことがあるわけではないですが、ブレーズさんは気配りのできる真面目な方です。それは知っています。だから今は信じます。話します」

 ブレーズが一歩さがったのを見て、ティアナもさりげなく横に移動した。


「私たちが入国管理局に着いた時、係官は確かに、そういう生徒は今日は来ていないと言ったんです。だから私たちはしばらく先輩が来るのを待ちました。先輩を追い越してしまったと思って」

 アーシェは、遠のいた一歩を詰めた。

「でも、急いでやってきたローブの男の人が管理局に入っていった後、係官の言い分が変わりました。彼女はもう出国しているから帰りなさいと。記録を見落としていただけだと」

 ブレーズは黙っていた。表情も、硬いまま変わらない。

「私は、ルシア先輩はまだファルネーゼの中にいると考えています。先輩が辞める理由はなく、辞めない理由ならいくらでもあります。誰かが芝居を打って先輩を隠したんです。早く見つけないと――」

「やめとけよ」

 ようやくブレーズが口を開いた。

「そんな理由で騒いで誰が信じるんだ。バカらしい。出国したって言うならそうなんだろ」

「それだけではありません。他にも色々」

「ダメだ。変な噂流してるのはオマエらだな? 目をつけられるようなことすんじゃねーよ。さっさと忘れろ」

 そう言ってブレーズは踵を返したが、その腕に、ティアナが飛びつくようにすがった。

「待ってください!」

 ティアナが男子の腕を掴むなんて。アーシェは目を疑った。

 同時に、講堂の陰から少女が一人まろび出るのを目撃した。エルミニアだ。ブレーズの友人たちにわたわたと引っ張られてすぐにまた隠れてしまったが。なにをやっているのだか。


「あなたは私たちを心配してくれているのですよね? それなら、どうして危険だと思うのか、そのわけを聞かせてください。何も知らなければ、そんな風に思うはずがありません。そうでしょう?」

「は、離せって」

 必死で言い募るティアナの潤んだ瞳とぶつかって、ブレーズは視線を泳がせた。

「私たちにだって、危ない橋を渡っている自覚はあります。出国記録を偽装できるような相手ですから。それでも、引き返すわけにはいきません。絶対に、ルシア先輩を助けたいんです。お願いします!」

 ブレーズは赤くなったり青くなったりした後、栗色の髪をぐしゃぐしゃと片手でかき回した。

「わーった、話すから、手ぇどけろ!」

「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」

 なるほど、泣き落としの方が有効だったのか、と思いつつ、アーシェはティアナにハンカチを差し出した。


「オレは……、ルシアのことはわからない。ただ知ってるだけだ。四年前――同じように男子寮からいなくなった生徒がいた」

 ブレーズは慎重に辺りを見回した後、声を低くして話しはじめた。

「オマエらみたいに、そいつのことを捜そうとした同級生は、死んだ。飛翔に失敗して。ただの事故かもしれねーけど」

 ティアナがハンカチを地面に取り落とした。

「それだけじゃない。行方不明の生徒の両親が、死んだやつからの情報でファルネーゼに向かった。退学したはずが帰ってこない息子を迎えに。だが、戻らなかった。二人ともローブ持ちで、すんなり入国したが、あとのことはわからない」


 震えるティアナの隣で、アーシェは思い出していた。あの夜のルシアの言葉を。

 カチリと音を立てて、ピースがはまるのを感じていた。


「オレだって……他人事じゃない。だけど、調べるならもっとうまくやれ。相手は手段を選ばな――」

「ち、ちょっと待ってください」

 アーシェがブレーズを止めたのは、近づいてくるエルミニアの姿が見えたからだった。なにか言っているようだが、当然聞こえない。

 ティアナも気付いて、鞄に手を突っ込んだ。魔術具の効果を切るためだ。


「――んびりしてんの? もう二回目の鐘が鳴ってるのに~」

 昼休みの終わりを告げる鐘楼の音が真上で鳴り響いていたというのに、気付いていなかったようだ。時計も見ておくべきだった。アーシェは慌てて取り繕った。

「ごめんなさい、話に夢中で……」

「とにかく気をつけろよ」

 小さくそう言って、ブレーズはアーシェたちから離れた。


「で、で、なに? なに話してたの?」

 興味津々といった様子でエルミニアが訊ねてくる。ティアナはハンカチを拾い上げながら、下手な言い訳をつっかえながら喋っていた。


(ルシア先輩が連れ去られたのは、彼女にしかない何かがあったからだと思っていたけど、逆だわ)

 アーシェは遠ざかるブレーズの背中を見ながら確信していた。

()()だったから。それが理由なんだ)





 ファルネーゼの生徒たちはそのほとんどが育ち盛りだ。

 当然、服のサイズなどは四年間で幾度も合わなくなる。自分で縫って調節する者、着られなくなった服を後輩に与える者など、やり方は様々だったが、あまり裕福ではない生徒の多くは古着屋を利用することが多かった。手放すにも、新たに手に入れるにもだ。

 商業街にはそういう生徒たちの利用する古着屋が点在している。ヘルムートはそれらをひとつひとつ訪ねて歩いた。

「そろそろアーシェに連絡をしておきたい。実習に間に合いそうにないからな」

 クラウディオにそう耳打ちされるまで、ヘルムートは空腹を忘れていた。ちょうど大きめの店舗へ足を踏み入れたところだった。

「お、もうそんな時間か。ここが済んだら軽く食おうぜ」

「わかった」

 クラウディオは今が売れ頃のコートが積まれた棚と棚の隙間に入っていった。ヘルムートが調査をしている間に魔術信を使おうというのだろう。

 ヘルムートはカウンターの店員に声をかけ、昨日古着をまとめて持ち込んだ人間がいなかったかと訊ねた。店員は、自分は昨日立っていなかったので、と言いながら帳簿をめくって確認してくれた。


「大口の買取はないですね。どれも二、三着で」

「ふーん……」

 ここまでそれらしい当たりはなかった。服は売り払っていないのか、数着ずつ処分したのか――そんな面倒なことをするだろうか?

(いっそまとめて燃やした方が早いよな)

 そんなことを考えながら店の外に出る。先に出ているかと思ったクラウディオの姿がない。

 ヘルムートは店内に戻り、商品の合間の狭い通路を歩いた。

「クラ」

 呼びかけて、思いとどまる。ディルクと呼んだ方がいいだろうか? いや。


「おーい、終わったぞー」


 考えて、とりあえず声をあげる。

 どこからも返事はなかった。




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