コーネリアンチェリーの色づく頃
工房街の路地裏、中古の部品を扱うジャンク屋の店先で、クラウディオは立ち止まった。表通りの修理店と繋がっているようだが、そちらの整った店構えとは違い、商品の入った箱が雑然と積み上げられている。
「データではこのあたりだ」
「捨てずに売ったってところだな」
「分解されてしまえば――少なくとも魔石を外されれば反応は出なくなるはずだが」
「じゃあ、まだバラされてないってことか」
ヘルムートは店内に足を踏み入れ、店番に話しかけた。
「昨日、知り合いが間違ってここに出したって聞いたんだけど。黒い板みたいな形の魔術具を知らないか? 買い戻したいんだ。大きさはこのくらいで」
店番は若い男だった。手振りで説明するヘルムートにうなずく。
「ええ。確かに昨日引き取ったやつの中にそういう感じのが……ちょっと待っててください」
いったん店の奥に行って戻ってきた店番が、木箱を抱えて戻ってきた。
「確か、この中に」
ヘルムートの後ろで黙って立っていたクラウディオが進み出て中を覗き込んだ。
彼は今、派手なオレンジの髪をつばの広い帽子で隠し、地味な黒縁の眼鏡をかけていた。人目を引く青ローブも脱ぎ、かわりに薄手のモスグリーンのジャケットを羽織っている。ディルクに見えないが、いつでもディルクに戻れる。そういう格好だった。
「この箱ごと買ったのか」
「ああ、そうです。昨日ちょうど取り込んでいて。バラさなきゃ査定できないし時間がかかるからちょっと待ってほしいって伝えたんですけど、そんなに待てない、低く見積もってくれればいいって、そう言われたんで」
「何時くらいのことだ?」
箱の中にはちょこっと魔術信の他にも色々なものが詰まっていた。よく手入れされた工具、使いかけの潤滑剤の瓶、丁寧に仕分けられた細かな部品の詰まったケース、それらをひとつひとつ確かめながらクラウディオは訊いた。
「昼前だったかと。伝票ありますけど」
「見せてくれ。持ってきたのはどういうヤツだった?」
「……本当に知り合いですか?」
ヘルムートの言葉に、店員が疑惑の目を向ける。
「実は、これの持ち主の方と知り合いなんだ。よくあるちょっとした嫌がらせでね。大事な道具を持ち去られたから探してほしいと」
クラウディオは魔術信の表面を親指で撫でながらすらすらと嘘を吐いた。
「それじゃ窃盗じゃないですか。執行隊に連絡しないと」
「いや、大ごとにはしたくないと本人が言ってる。取り戻せるならそれでいいという話で。ただ……相手の出方によってはもちろん訴えることになる。伝票はしばらく厳重に保管しておいてくれ」
「――そういうややこしい話はちょっと、自分の判断では。親方を呼んできますんで」
店番はそう言ってもう一度奥へ引っ込んでいった。
昼休みになり、食堂に向かう前に、アーシェはティアナと二人、街路樹のそばで立ち止まった。先週までは黄色かった実がもう赤く色づいていて、季節の移ろいを感じる。
いつもなら着信の確認はもっと隠れた場所でするのだが、人目につかない場所へ行くのはためらわれた。そこで、内緒話をするようにお互いの身を寄せて木の幹に向かい、こそこそと覗き見ることにしたのである。
「一号機が見つかった。中古店に引き取られていた。古着屋もあたってみる……ですって」
「午後の実習には間に合いそうなの?」
「どうかしら。一時間くらい前のメッセージだけど」
「それなら今頃は商業街かしらね。古着屋さん、いくつかあるわよね」
「ティアナさん! ここにいたのね。探していたのよ」
アーシェは息を呑んで魔術信を胸に抱えた。ティアナはびくりと動きを止めた後、ぱっと体の向きを変え、声をかけてきた対の少女に微笑みかけた。
「こ、こんにちはペルラさん」
「あら、驚かせちゃった? ごめんね。アーシェさんも、こんにちは」
「こんにちは……」
アーシェは頭を下げ、そっと魔術信を鞄にしまった。普段なら、じゃあ先に行っているわねとペルラから距離を取るところなのだが、今日はそうもいかない。
「なにかありましたか? 午後の実習、都合が悪くなったとか」
「そうじゃないのよ。あのね、急な話なんだけど……、今晩、私の家に来てほしいの」
「ええっ?」
ティアナは声をあげた。
「父があなたに会いたいって言うのよ。対になってもらったのに挨拶がまだだって、突然。母もご馳走を作るって張り切っているの。本当にごめんなさいね、私はせめて明日にしたらって言ったんだけど、強引で。いつもそうなのよ。こうと決めたら突き進んじゃうんだから。心配いらないわ、夜間外出届もうちの名前を書いたらすぐに許可してもらえるから。あっ、もちろんデザートが終わったら寮までうちの馬車で送るから夜道も安心よ」
「え、あ、あの、あの……」
どんどん進んでいくペルラの話に、ティアナはあたふたしている。
ペルラの父は、大公派だ。
このタイミングでティアナを呼び出すのが、ただの偶然とは思えない。アーシェは黙って二人のやりとりを見守っていた。
止めるべきか。行かせた方が自然だろうか。
「父は忙しい人で、誰かをもてなしたいだなんて珍しいのよ。だけどお客様なんて久々だから、妹がはしゃいじゃって」
「でも、そんな、私はその」
「気にしないで! そのままの格好でいいのよ。まあ、色々支度したいこともあるかと思ったから、早めに伝えたくて」
ティアナがそうっと振り返り、助けを求めるようにアーシェを見た。
「――先輩。ティアナも困っていると思います。少し考えさせてくださいませんか?」
アーシェが言うと、ペルラは首をかしげるようにした。
「……やっぱり急すぎるわよね? 私もそうは思うんだけど……。門限の後になにか用事が? 寮って、当番とかがあるのかしら」
「あの、用はないのですが、その……ペルラさんのお父様というのは……」
ティアナは俯きがちに答えた。これはなにかの罠なのかも、と、彼女も疑っているのだろう。
「あっ、もちろんあなたは男の人が苦手って、伝えてあるわ! 席はテーブルの一番端と端! 話をするだけだから。そうね、お酒が入るとちょっとの冗談でも笑い転げてしまうけれど、普段は落ち着いているし滅多なことで声を荒げたりしないわ。うちは娘ばかりだから男は父だけでね、ふふ、優しいのよ」
ペルラの様子にやましさは感じ取れない。口調からは家族への愛情と信頼がにじみ出ている。
「私に対が見つかったこと、みんなとても喜んでいるんだから。大歓迎なのよ。姉も今日は早く帰ってこようかなって言っていたくらい。だからね、遠慮なんてなにもいらないの」
アーシェは小さく震えているティアナの手を握った。
「私はその、よそのお宅にお邪魔するなんて、経験がなくて」
ティアナはアーシェの手を握り返しながら、やっとそう言った。
「ああ……」
ペルラは二人の様子を見つめ、瞬きして、それからにこりと笑った。
「そうだ! アーシェさんもご招待するわ!」
「え」
「親しいお友だちが一緒なら安心できるわよね? 大丈夫、一人くらい増えたって平気よ。どう?」
「わ、私がですか? ええと……」
ティアナが一人で不安なのだろうと慮ってくれたのだ。ペルラの提案には裏などあろうはずもなかった。
けれど、大公派の議員の自宅、そんなところに行って大丈夫だろうか。ティアナからなにか聞き出そうとしているに違いないペルラの父は、アーシェの名も耳に入れているだろう。アーシェは背中がぞわりと寒くなるのを感じた。
ティアナがもう一度、アーシェの手を強く握った。
「それは、さすがにご迷惑でしょう? 構いません。私、一人で行きます」