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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第六章
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調査開始



 研究棟を出たアーシェは、再びティアナと手をつないで寮へと向かった。

 普段なら研究棟からそのまま食堂へ行くのだが、今日はいつもより時間が早いし、マリーベルを一人にするのは心配なので、いったん戻ることにしたのだ。

 昨日のマリーベルはちゃんと食べていたのか疑わしい。今朝は必ず一緒に食堂に行って、彼女がしっかり栄養をとるところを見届けなければ――と、ティアナとも意見が一致している。



「私、とても驚いてしまったわ。あの方がディルクさんと同じだなんて、知っていてもなかなか思えなくて……、ただ立っているだけで威圧感があるというか……直に見てはいけないものを見ているような、そんな気になったわ。アーシェは平気だったの?」

「そうね……、私は、初めて会った頃は顔を隠されていたし。こう……フードを目深にかぶってね。徐々に慣れていったから、あまり感じなかったのかも」

 ティアナの囁きに、アーシェは少し考えてからそう返した。


「あのね。今日あの人に会うの、実は少し不安だったんだけど……、ティアナがいてくれたおかげで大丈夫だったわ」

 怖くなかったし、思ったよりずっと落ち着いていられた。

「まあ、考えることがいっぱいあって余裕がなかったっていうのもあるかもしれないけど――」


 あ。と、アーシェは立ち止まった。不意に霧が晴れたような心地だった。

 行き道に考えていたことの自分なりの答えが、ようやく見えたのだ。


 アーシェはつないでいた手を離し、遠耳の鐘を鞄の中で鳴らした。

「ねえ、ティアナ。私、やっぱりマリーベル先輩には、ルシア先輩のことを打ち明けたいと思うの」


 ティアナはきょろきょろとあたりを見回してから、アーシェに顔を近づけた。

「ど、どうして?」

「理由がいくつかあって。ひとつめは、今話していたようなこと。キース兄さまにも言われたのだけど、私が人のことで悩んでいる間、自分の心配を忘れていられるのがいいって。それと同じで、マリーベル先輩がルシア先輩のことを考えている間、故郷のことを思わずにすむなら、それは今の先輩にとっては悪いことじゃないというか……」

 アーシェはティアナの手を引き、再び歩き出しながら話した。


「ふたつめは、この先のこと。私たちがルシア先輩の手がかりを見つけて、連れ戻すなりなんなりできたとして――後で事実を知ったら、先輩は仲間外れにされたように感じるんじゃないかしら。実は……、ティアナの身分のことだけど、先輩はゆうべ私にこっそり言ったの。アーシェは知っていたのね、驚いてないものね、って。それが少し、怒っているというか、拗ねている感じだったから」

 え、とティアナが目を丸くしたので、アーシェは小さく笑った。

「秘密は少ないほうがいいかなって。まあ、さすがにクラウディオ様のこととか、そこまでは話せないとしても、ルシア先輩のことはマリーベル先輩だって知りたいはず。あんなに心配していたのだし」

 学年はルシアの方が上だが、年齢はマリーベルが少し上。魔術のことではルシアが教える側だったが、生活面ではマリーベルが寝坊するルシアを起こしたり、ボサボサ頭のまま出かけようとする彼女の髪をとかしたりと世話を焼いていた。二人はルームメイトとして良い関係を築いている。少なくともアーシェにはそう見えていた。


「みっつめは……これはルシア先輩が教えてくれたことなの。昨日話したでしょう、私の波形異常がわかったあの夜に、先輩が励ましてくれた時のことよ」

 アーシェはしんみりと言った。あの夜の会話は、できるだけ詳しく思い出そうとして、昨日から幾度も頭に浮かべている。

「マリーベルは頼られると張り切る。だからどんどん頼ってあげてね、って。どう?」

「……確かに。先輩は私たちより顔が広いし、クラウディオ様が言っていたような目撃情報を集めるには、向いているのかも……」

「それ! 先輩はうわさ話にも敏感だものね。きっと力になってくれるわ」

 アーシェの言葉に、ティアナはうなずいてくれた。


「そうと決まれば、早く部屋に戻りましょう。急いで内緒話をしなくては」

 二人は煉瓦道を駆けだした。





 アーシェとティアナが帰っていくのを五階の窓のカーテンの隙間から観察し、不審な動きをしている人間が彼女らの周囲にいないことを確認してから、ヘルムートはクラウディオと実験棟の屋上に向かった。


 クラウディオはさっそくルシアの置いていった中継機を分解して作業を始めた。ヘルムートは屋上への扉を開けられるのが自分しかいないので一緒に来ただけであり、これといって手伝えることはない。プレヒトの機嫌を取った後、手すりをたどってぐるりと歩きながら実験棟付近の様子をうかがい、クラウディオの側に戻る。


「あの子らの前じゃ言えなかったけどよ。ルシアは生きてると思うか?」

 問いかけに、クラウディオは間を置かず答えた。

「殺す気ならわざわざ退学させる必要はない。寮監や教務課の職員を抱き込んだ分、犯行を知る者が増えるんだぞ。ただの失踪でも問題ないと僕なら思う。目的にもよるだろうが」

「ああ……。まあ、言われてみればそうだな」

 とすると、わざわざ退学を演出してみせた理由はなんなのだろう。


「しかし、入国管理局にすんなり言うことを聞かせられるほどというのは……。どうなんだ? 君は先日係官から情報を引き出すのにいくら使った?」

 クラウディオは工具を使う手を休めることなく話した。

「オレが自由に使える額なんざ大したもんじゃねーさ。せいぜいしばらくうまい酒が飲めるくらいの……、まあ、相手は選んだし、オレの頼みってのもあって融通利かせてくれたとは思うが。ただ、保管庫から重要書類を探し出すのとその日の出国記録をひとつ書き足すのとじゃ労力も違うし、なんとも言えねーな」

「労力は大したことがなくとも、過去の記録を持ち出すのと現在の自分の仕事に不正を潜り込ませるのとではずいぶんな違いじゃないか? 出入国の管理は重要な仕事だし採用の基準も厳しい。給料もそれに見合った額が出ているはずだ」

 優秀な者、待遇のよい者なら犯罪に手を染める可能性は低いだろう――という考えは彼らしい甘さに満ちていたが、あえて今指摘してやるほどのことでもない。

 それより、クラウディオは気づいているだろうか。言葉の裏にある、自身のファルネーゼへの思い入れに。

 組織が正しく機能していないことへの苛立ちはどこから来ているのか。どの立場から物事を見ているのか。一言言ってやろうかと思ったが、ヘルムートは結局別の方向に舵を切った。


「ま、書類の偽造はこちらもやっていることだしな? ディルクの卒業証明書や成績表も、教務課に提出して問題なく通ったんだろ」

「……そうだな。チェック体制が元々緩いんだ。いちいち過去の記録と照らし合わせるようなことをやってない。そんな不正をする者はいないという仮定で回しているということだ。大前提として、害意のある者は入れないようにできているからな。ファルネーゼの機構は外部から侵入しようとする敵には神経質だが、内部には甘い。大賢者が想定していた敵というのがそもそも……いや、今はいい。不正を見過ごしやすいシステムになっていることに、これまでは助けられてきたが――終わったぞ」

 クラウディオが中継機の蓋を閉めた。


「はえーよ」

「元がよくできているんだ。僕も驚いたんだが、うまく組んである。丁寧な仕事で、設計以上の性能スペックを引き出してる。さすがはルシアだな」

「いや、なんもわかんねーけど、とにかく終わったんならいいや。それで?」

 クラウディオは立ち上がった。

「工房街に反応があった。この地図のあたりだ。君も来るか?」

「行くに決まってるだろ。おまえ一人じゃ危なっかしすぎる」

「子どもじゃないんだがな」

 クラウディオは片眉を上げながら言った。似たようなもんだろ、という返事をヘルムートは胸にしまった。



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