入学式
第一講堂に大陸中から集まった魔術師志望の三百余名が整列していた。
前方に教師陣も並んでいて、そこにヴィエーロの姿がないかとアーシェは目をこらしてみたが、いるのかいないのかよくわからなかった。ヴィエーロの薬は今のところまだ効いている。十日分のレポートがまとまったら、提出ついでに感謝を伝えなければ。
それにしても教師はみんな魔術師の証であるローブを着ていて、おそろいなので、実に見分けにくい。赤のローブがほとんどだが、青のローブもちらほら混ざっている。
卒業と同時に授与されるのが、魔術師のローブ。
赤は地の魔術師、青は天の魔術師の色だ。両者が単体でできることにこれといった違いはない。ただ、生まれ持った魔力の方向性が、天か地か、というだけの区別である。
昔は魔力にこのような方向性があることは知られていなかった。大魔術師ロージャー・ロアリングによって発見されたこの二つの属性は、相反するものであり、互いの魔力を重ねることで、通常の何十倍もの力を引き出せるという性質をもっていた。
たとえば地と地の魔術師が力をあわせると、和の力を出せるが、これを天と地で行うと積の力を出せる。
現実の数値にはもっと複雑な要素が組み合わさるが、簡単に言えば百と百の力を合わせる時、地と地では二百にしかならないが、天と地では一万である。
この発見とそれに続く魔術研究の加速度的な発展のことを指して、魔術革命という。
魔術革命によって、それ以降の魔術の在り方は激変した。大きすぎる力を扱うことで、当初は事故が多かったが、それでも競って研究が進められた。
「天と地」というのは、誤解されやすいが属性の特徴ではなく、ただ対になっているというだけの形式的な呼び名だ。はじめのうちは金と銀とか、春と秋とか、右と左とか、青と赤とか、円と角とか、森と湖とか、研究者や地方によってばらばらな名前を使っていたらしいが、いい加減統一しようということで、天と地に落ち着いた。
その名残が青と赤のローブの色ということだ。
長くこの属性の差異が発見されなかった理由は、諸説あるが、当時は専門的な魔術師の数が今よりずっと少なく、複数が力を合わせて魔術を発動する機会があまりなかったこと。そして、そもそも天の力を持って生まれるものは百人に一人くらいしかいなかったことが大きな要因だったろう。
今ではすぐれた魔術師といえば相性のよい天地の二人で組まれた対を指すことがほとんどだ。
(あら? ということはもしかして、魂の固着を行ったのは一人とは限らない……むしろ対を組んだ天地の二人だった可能性が高いのでは? それなら、必要になる膨大な魔力もそれほどかからずにすむ)
アーシェがそんなことを考えていると、ついに入学式がはじまった。開会の宣言があり、まずは大公様からのお話です、となった。
大公といえばファルネーゼを治める最高権力者だ。アーシェは伸びをし、せっかくなので少し見てみようとしたが、周囲より抜きんでて背が低いためちらりとしかのぞけない。しかも遠目なので、やはりローブ姿の誰かが壇上にいるというくらいしかわからなかった。青いローブだ。さすが、天の魔術師なのか。
――というのが、アーシェの入学式での最後の記憶だった。
目を開けるとベッドの上だった。寮の部屋ではない。
頭がズキズキしていた。なにごと? ひょっとして誰か男の人にぶつかったとか? 確かに近くに何人もいたけれど、両隣は女性だった。不意に接触するような状況でもなし、それに、今までのパターンなら触れたところまでは記憶にあるのに。
「うう……」
アーシェが痛む頭をおさえていると、優しい声がかかった。
「あら! やっと気がつきましたのね。具合は……まあ! まだ横になってらして!」
声の主は、ショートカットのすらりとした美人だった。ローブではないところを見ると、先輩だろうか。
「ここは……入学式は……」
寝かされて、額を撫でられて、まるで子どもをあやすようにされた。というか、子どもだと思われているのだろう。
「救護院の搬送室。気にすることはなくってよ。入学式って緊張するでしょう? それに大公様のお話はいつも長いんですもの。あのお話の間、座らせてくれればよろしいのにね! 倒れた人、別にあなたが初めてじゃありませんわ」
貧血でも起こしたのだろうか。情けない。最近はよく眠れていたというのに。
「安心なさって。大公様は入学式と卒業式くらいしかお出でになりませんし。もうすぐ先生がいらっしゃるから、そうしたら診てもらいましょう」
「でも、戻らないと」
「とんでもない! あなた、ひどい顔色よ。入学式なんて授業ほど役には立ちませんから、もう一度眠ればいいんです。ほら、目をつむって」
ここはやさしい先輩ばかりだ、とアーシェは思った。それとも、自分のめぐりあわせがよいのだろうか。
「あの、お名前を教えていただいても? 私はアーシェです」
言われたとおりに目を閉じて、アーシェは言った。
「カトリンよ。ほら、本来ここはイメルダ先生の担当ですけど、今日は先生も式に出てらっしゃるでしょう? それでわたくしが留守を預かってるんですの」
カトリン。凛とした彼女によく似合う。
されるがままに頭を撫でられていると、やがて歌が聞こえてきた。やさしくささやくようなアルトだった。
ああ、私はこれを知っているわ。懐かしい。
そう思うと泣きたいような気持ちになった。
それはケルステンの子守唄だった。
入学式の翌日からは、ついに授業が開始される。
しかしその初授業の前に、アーシェはふたたびマリーベルに連れられて研究棟へ向かうことになってしまった。悪夢が再びはじまったのだ。それもかなりひどく。
目覚めればティアナはおろおろしていたし、珍しくルシアまで起きていて「だいじょぶ?」と声をかけてきた。まったく記憶にないが、なんと真夜中に大騒ぎして部屋を出ていこうとして三人総出で止められ、ルシアが鎮静の救護術をかけてくれてようやく落ち着いたのだとか。本当に申し訳ない。
怪我の功名というか、ああだったこうだったと口々に話しているティアナとマリーベルが、ともに困難を乗り越えたことですっかり距離の縮まっている様子で、アーシェは自分の頭の痛いのを忘れて場違いにも「よかった」と思っていた。
「これが今日までのレポートです! まだ十日経ってないけど、どうにかしてください!」
ヴィエーロは「はあ」と答えてマリーベルの渡したレポートに目を通した。まだ眠そうだ。
「あなた……、アーシェさん。昨日の入学式倒れたんですって? なにか無理してません?」
「いいえ。いつも通りで……むしろ、よく眠れていて、調子はよかったです」
「イメルダ先生に怒られたんですよ。ぼくが怪しげな薬を飲ませてるせいで倒れたって」
「そんな。ヴィエーロ先生の薬はてきめんによく効いていました。本当です」
昨日、入学式から戻ったイメルダに、なにか内服していませんかと聞かれて、夢の薬のことを話したのがよくなかったのだろう。
「十年も前の薬は捨てろって言われました。まだ使えるのになぁ……二十年もたつと熟成してもっと効くようになることもあるのに。捨てるのはもうこれはヤバいなってなってからでいいと思いません? 材料も高いんだし、もったいない」
「そのあたりのことは……ちょっと私にはまだよく……」
初心者に同意を求められても困る。
「でもそうかぁ。夢はまったく見なかった、それで今日また悪夢。実はね、当時の記録を調べたらあの薬、六十歳のじいさんに合わせて作ってて、五十五年前の夢を見るように仕掛けてあったんですよ。なるほど、生まれる前の夢はなし、と。これはいい臨床結果だ」
ヴィエーロはレポートを撫でて言った。
「それで、まだ別の薬を飲むつもりあります?」
「あるわよね?」
「あります」
実験体でもなんでも、同室の皆さんにかける迷惑は少ないほうがいいし、心地よい眠りは他に代えがたい。
「それはよかった。この薬はゆうべのできたてフレッシュ。イメルダ先生に言われて薬の成分を見直して、それで新しくちゃんと作ったんです。誰でも子どもの頃を見るように。どうです?」
「ありがとうございます!」
こうしてアーシェはふたたび魔法の薬を手に入れた。




