虚勢
「あの、ヘルムート様から先輩の具合が悪いことを聞いてわざわざ来てくださったのですか? ありがとうございます」
アーシェが泣きまねをしている間に、ティアナがイメルダに礼を述べ、ここでの経緯を説明してくれた。
「アーシェさんの言う通り、前例もないのにもう罰が決まっているというのは少しおかしいですね。そもそも、教師同伴であれば、外出届を出す必要はないのですよ。今ここにいる彼女も、私が連れてきたので教務課には立ち寄っていませんし」
話を聞き終えたイメルダはカトリンを見ながら言った。カトリンの視線がそれた隙に、アーシェは取り出したハンカチを目にあてて拭う動作をした。なにしろ、一滴も涙が出てこないので。
「ヘルムート様が一緒だったのであればあなたたちも同様に、ヘルムート様の監督下ということになるはず。ですから今回の場合、責任を問われるならヘルムート様の方、ということになると思いますけれど」
「そ、そうなのですか……!」
ティアナが口元をおさえ、マリーベルは顔をしかめた。
「更に言うなら、ヘルムート様は第一種の特権をお持ちですから、私と違いここの検問は受ける必要もないはず。ですね?」
「あー、そうっすね。はい」
「ですから通用門を使わずに出たことも、ヘルムート様と一緒だったのであれば、それほど問題にはならないのでは。少なくとも反省室行きになるほどのこととは、私には思えませんね」
イメルダは首をかしげながら付け足した。
「散歩がてら飛竜で郊外に飛んで出るくらいのことは、普段からしていらっしゃいますし」
「――それは、ヘルムート様がケルステンの王族だからですか?」
マリーベルがぽつりと言った。
「ま。誰がそんなことを?」
「この人が。ティアナはお姫様でヘルムート様は身内だってさっき」
マリーベルは床に転がったロレッラに視線を投げた後、テーブルの上の書類を指した。
「まあ……生徒の個人情報をこんな風に持ち出してぺらぺらと……」
イメルダは書類をとりあげて眉をひそめた。
「他国の王族に第一種の特権など与えられませんよ。ここはファルネーゼです。――少し詳しいお話を聞く必要がありそうですね?」
イメルダがアーシェをちらりと見たので、アーシェは急いで小さくうなずいた。
「三人とも疲れているようですし、マリーベルさんの治療はやはり救護院でした方が。体調不良者ということで、この子たちは私が室長権限で預かりましょう。よろしい?」
「あ、はい。どーぞ」
アルミロの返事にうなずいて、イメルダはロレッラの肩にそっと手を置いた。
「ロレッラさん。後でやはり痛むところなどありましたら、救護院にいらしてください。お待ちしてますよ。それからこの書類は規則違反ですから、私が持ち帰ります」
こうして、アーシェたちはようやく通用門をくぐることができた。イメルダが少し話しただけで、門番はあっさりと三人を通した。
通用門は位置としては男子寮の裏あたりにあり、アーシェには見慣れた景色ではなかった。それでも彼女に「帰ってきた」と思わせたのは、門を出てすぐの場所に立っていた人物がいたからだ。
若草色の髪の、背の高い青年。
「まあ、兄さま! 来てくれたの?」
歩み寄ってきたキースに、アーシェは声をあげた。
そういえば、詰所にいると魔術信を送ったのだった。キースがイメルダに伝えてくれたのか。
顔を見ると気が緩んでしまったのか、くらりとした。アーシェはずっと張り詰めていたのを実感した。
(いけない。安心するのはまだ早いわ。なにも解決していない……)
アーシェは息を吸い、腹部に力を込めた。
「キースさんはここまで一緒に来たのですが、カトリンさんと違って外に出る理由がありませんからね。待っていてもらったのです」
「おかえり。大変だったようだな」
「そうなの。すごく、色々と……」
さっきはどんなに頑張ってみても出なかった涙がにじみそうになり、アーシェはぐっと我慢した。
「ずいぶんかかったが、マリーベルの治療は終わったのか? ヘルムート殿が心配していたぞ」
「それはまだです。さ、救護院に向かいますよ」
イメルダが話は後とばかりに歩き出したので、アーシェたちも付き従った。
「あの、先輩。ごめんなさい。私、今まで黙っていて……」
背後から聞こえたティアナの声が小さく震えている。アーシェは振り向きたくなるのをこらえた。
「それ、今話すこと?」
「す、すみません」
「……別に、言う必要もないでしょ。そういうルールなんだし」
マリーベルの言い方は素っ気なかった。ぽつぽつと交わされる会話はアーシェが集中してなんとか聞き取れるくらいのささやかな声で、さらに前を歩いているイメルダとカトリンには届いていないだろうと思われた。
「それとも何、謝らなきゃいけないようなことをあなたはしたの?」
「わ、私は……でも、ケルステンが」
「知ってたわよ、あなたがケルステン人だってことは。わたしだってね、アーシェがルシア先輩のことを同郷だってわかったみたいに、話してるうちに東部出身だなって、それくらい。それで同調してこないってことはレヴァールでもメルンでもなくて。ケルステンしかないでしょ、どう考えても」
アーシェは隣を歩いているキースをちらりと見上げたが、キースも後ろを気にしているようだった。
「まあ、さすがに王女様とは思わなかったけど。あとで詳しく聞かせてもらうか、ら」
「先輩!」
悲鳴のようなティアナの声に、アーシェは今度こそ振り返った。地面に手をついていたマリーベルが顔をあげる。
「だ、大丈夫。ちょっとつまづいただけ」
立ち上がろうとしたマリーベルがふらつき、ティアナが手を差し伸べた。
青い顔をしたマリーベルはためらった様子でそれを見、結局手を取らなかった。
「平気。一人で歩け――」
彼女が最後まで強がりを言えなかったのは、キースがその体を抱き上げたからだった。
「え! ああああの、おろして」
「気にするな、大した距離ではない」
慌てるマリーベルに構わず、キースは彼女を抱えたままさっさと歩き出した。ティアナは「まあ……」とこぼしてから、背中を見送っていたアーシェの肩をたたいた。
「やっぱり、キースさんは頼りになるわね」
少しほっとしたように、ティアナは微笑んだ。
「……そうね」
先を行くイメルダたちとの距離が開いてしまったが、キースはそれに追いつきかけ、アーシェの方を振り返った。早く来いと言いたげに。
「今、行くわ」




