高い塀
「先輩、気分はどうですか?」
気遣わしげなティアナに、こめかみをおさえたマリーベルが答えた。
「うん。ちょっとうとうとしたから、平気」
馬車を降りたアーシェたちは、通用門へと近づいた。門の前には門番が二人並んで立っている。
商業街と工房街、居住区、魔術学院。行政区を中心に広がる四つのエリアは、ドーナツ状に連なっており、ドーナツの外周は石造りの塀でぐるりと囲まれていた。
それぞれのエリアにひとつずつ通用門があり、中へ入るにはここで改めて身分証明をする必要があるのだ。
アーシェは高い塀を見上げながら、疑問を持った。この塀はなんのためにあるのだろう、と。
入寮の日、キースと初めてこの門をくぐった時は「厳重だな」と思った程度だったが。
ここは結界に守られた、外敵のいないはずの街だ。それなのにどうして郊外と市街地をこんな風に分ける必要があるのだろう。
「確か……」
なにかが頭にひらめき、同時にアーシェはぞくりと身震いした。
――忘れて。だめよ、アーシェ。
大切な誰かが、強く肩をつかんだような、そんな気がした。
(あら? 今、なにを考えていたのだっけ……)
アーシェがぼんやりしていると、門番のうちの一人が近づいてきて、アーシェたちの金時計をあらためようとした。赤いローブの、気のよさそうな若い男だった。
「あのっ、すみません、彼女には触れないでください。男性に近づかれると具合を悪くするのです。できれば少し距離をおいていただくか、女性にお願いできませんか?」
ティアナがアーシェの前に立ち、門番に話しかけた。初めの頃はクラスメイトの男子にすらびくびくしていたティアナだが、この数か月でずいぶん変わった。
「えぇ? ホントに?」
門番の男は訝しそうにしつつも、ティアナの金時計に魔術具を近づけた。指揮棒のような細いステッキで、金時計の蓋をカツンと叩くと棒に取り付けられた十数個のリングがくるくると回って識別番号を示すのだ。その仕組みは大賢者の使っていたという光魔杖に少し似ていた。
門番は数値を読んでそれを手帳に書き記した。
「外出記録がないみたいだけど、君たち、なんの用事で外に出てたの? 届けは?」
「あ、それが、出しそびれていて」
「それでどうやって外に? あー飛翔で塀を越えたんだ。謹慎ものだよ」
同様にマリーベルの数値を確認した門番は、アーシェを見て首をひとひねりした。
「これでどう?」
彼は魔術具のぎりぎりの端をつかんで腕を真っ直ぐに伸ばしてきた。アーシェも手首を突き出し、意味があるかはわからないが息を止めた。ちょんと棒の先で金時計の蓋がつつかれる。
アーシェはくらくらしながら座り込んだ。ティアナが背中をさすってくる。「オーバーだなぁ」と門番が呟いた。
「――飛竜のことは話していいと思う?」
耳元に囁かれ、アーシェははっとティアナを見た。
「君だいじょうぶ? あー……とりあえず先生に報告しないと。こっちにおいで」
男は手帳を閉じ、門とは別の方向に歩き出した。その先には塀のわきに立っている小屋がある。
ティアナに支えられて立ち上がりながら、アーシェは言った。
「そうね。手段はどうあれ、無断で外に出たのは同じだし……少し様子を見ましょうか」
「なに?」
マリーベルの疑問に、アーシェは考えつつ答えた。
「ヘルムート様を校則違反に巻き込んだことになるので、どう話そうかと」
「ああ……。でもいざとなったら正直に話すしかなくない? わたしたち三人とも、飛翔なんて使えないんだし」
マリーベルは塀を見上げながら言った。アーシェもつられて顎をあげる。
古い石造りの塀は、寮の三階くらいの高さはあるだろうか。とてもよじ登れるようなものではない。
「無理を言ってお願いしたのはこっちだからあの人が罰を受けたりは……しないわよね?」
「ど、どうでしょう。私たちは謹慎、になるのですか? 何日くらいでしょうか」
「勉強が遅れるし、そんなに休ませないと思うけど……。あんまりそういう子の話、聞かないかも」
相談していると、門番の呼ぶ声がして、三人はあわてて歩き出した。
門番たちの詰所なのだろう。小屋の中は雑然としていた。テーブルの上には菓子やサイコロ、ペンなどが転がっており、空いている椅子の上にはジャケットやなにかの袋が無造作に置かれている。顎髭をのばした眼鏡の男がひとり、奥の椅子に深く腰掛けて足を組み本を読んでいた。
「適当にそのへん座って。テオ、ちょっとこの子たちを見ててよ。おれ教務課の先生を呼んでくるからさ」
「へーい」
本を閉じて髭の男が返事をした。
「あと、このちっさい子には近づかないでって。男性恐怖症らしいよ」
「えー?」
テオと呼ばれた男がじろじろとアーシェを見ているうちに、ひとり目の男はさっさと外に出て行った。
「で、キミたちはなにしたの?」
テオはテーブルの周辺を片付けながら、三人を椅子に座らせた。
「届け出を忘れていて……申し訳ありません」
「ふーん。あ、お茶いれよっか? 飲む?」
「あ、いえそんな」
首を横に振りかけて、アーシェは思いとどまった。
言われてみれば、喉は相当乾いている。
目を合わせると、ティアナも同じ気持ちだったようで、控えめに口を開いた。
「……いただきましょうか?」
「せっかくなので……」
「ありがとうございます」
マリーベルも頭をさげた。
「うんうん、まあそんないいお茶じゃないけど。お客さんなんて珍しいしね」
テオは棚の上に備えられた加熱器にケトルを乗せてのんびりと言った。
アーシェはふと、鞄の中から漏れる光に気づいた。
「あの、ついでにお手洗いをお借りしても?」
「ああ、どーぞ。そっち」
テオが指し示してくれた扉の中へ入って、ちょこっと魔術信を取り出す。キースからの連絡だった。
――ヘルムート殿から話は聞いた。まだ着かないか?
(やっぱり、まだ使えるんだ……!)
アーシェは希望を感じて魔術信から取り外したペンを握りしめた。退学すると心に決めたなら、テスト中の魔術具をそのままにしていくなんてことはいかにも彼女らしくない。
――今、通用門の前に着いたところ。門番さんたちの詰所で待たせてもらっているわ
「たまにさ、友達同士で腕試しみたいな感じでさ、塀を飛び越える子がいるわけ。でも普通は飛んで戻るから……見逃してあげることもあるけど。正面から戻ってくるなんて変わってるねー」
部屋に戻ると、テオが沸いた湯をティーポットに注ぎながら話していた。
なんというか、ここの門番たちは、アーシェのもっているイメージよりずいぶんくだけている。
しかしファルネーゼの内部では特に危険もなさそうなので、門番の仕事も平穏なものなのかもしれない。
(そうだ。そういえばさっき、どうしてこんな立派な塀があるんだろうって考えていたんだっけ。生徒を逃がさないため……さすがにそんなわけがないし)
アーシェが思案しはじめた時、背後で扉が開く音がした。
「はっや」
テオが言った。
「いや、ぐーぜん。そこで会っちゃって」
門番の男が帰ってきたのだ。アーシェが振り向くと、彼ともう一人、ふくよかな女性がいた。
「あなた方ですね? 脱走を試みたというのは。んまあ、こんな子どもまで……」
外見と同じく柔らかい声だったが、視線は非難の色を帯びていた。見覚えはないが、どうやら呼ばれてきた先生のようだ。
「アルミロさんでしたね? 番号を控えさせてください」
「あ、はいはい」
門番の男――アルミロというらしい――が手帳を開き、女性は彼に示された部分を手にした紙に写していく。
「ええ、確かに」
「あの、先生。私たちは脱走しようとしたわけではありません。急いでいて、手続きを怠ってしまいましたが、すぐに戻るつもりでした」
マリーベルが立ち上がって弁明した。
「お黙りなさい。言い訳は後でゆっくり聞かせてもらいます。あなたがたは反省室行きですからね」




