太陽のクッキー
アーシェが研究棟を出て歩いていると、偶然食堂に向かう途中のキースに会えて、一緒に昼食をとることになった。
おかげで、フルヴィアに診てもらった結果や、マリーベルのことなどを相談することができた。
本当は偶然ではなかったかもしれない。キースはアーシェが今日研究棟へ行くことを知っていたのだから。心配して、様子を見に来てくれてそれで、気を遣わせないようにたまたま通りかかったと言ったのかも。
アーシェは勝手にそんな風に想像して、胸を温かくした。
「バチクの状況はあまり良くないな。ケルステンは今、ユルヴィル方面に大きく戦力を割いている。バチクに残っている部隊は少ないが、バチク側が抵抗運動に使える装備も補給もほとんどないというのが現状だ。秋の収穫が終わった後にまたなにか動きがあるだろうが、いい結果は産まないだろう」
「それ、騎士団の人から手紙で?」
「それもあるが、同じクラスの傭兵たちとの情報交換や……ヘルムート殿からの話もある」
キースは声を低くした。
「ヘルムート殿は自国の現状をよく思っていない。先月帰国したのも、主目的は軍の動きを探るためだったようだ」
「そ、そうだったの……!」
そういえばエルネスティーネのことを調べたのはついでだったと言っていた。よく手合わせをしているだけかと思っていたが、キースはヘルムートとは色々なことを話しているようだ。屋上にもたびたび行っているようだし。なんだかずるい。
「労りも励ましも、意味がない時はある。彼女の気持ちが落ち着くまでは、そっとしておくのがいいだろうな」
「……そうするわ。ありがとう」
同意したものの、なにかできることはないのかと、アーシェは考えてしまうのだった。
「あまり気に病むな……と言いたいところだが。自分のことで悩んでいるより、そうして人のために思いめぐらせている方が、今のおまえにはいいかもしれないな」
ため息をついたアーシェに、キースはそう言って小さく笑んだ。
「クラウディオのところには、不安なら同行しよう。明日の放課後なら空いている。俺が聞いてもいい話ならだが」
「そうね。兄さまが一緒なら……。明日でいいか連絡してみるわ」
胸のつかえがとれたようで、アーシェはデザートにフルーツの盛り合わせを追加注文して、キースと分けて食べた。
寮の部屋に戻ると、ルシアとティアナがいた。
「ちょーどいいところに! アーシェも参加する?」
「えっ。なんですか?」
「ルシア先輩がお菓子を作るそうなの。私は初心者で、お役に立てるかわからないんだけど……」
「調理室が借りられたからさ。手伝ってくれたら分けるよー。出来立てはまた一味違うよー」
「やります!」
アーシェは即答した。ルシアの手作りのお菓子はいつもとびきり美味しいのだ。
寮の一階の奥の方にある調理室に、アーシェははじめて入った。寮生たちがちょっとしたものを作れる場所で、早い者勝ち、有料の貸し出し制だ。隣には料理人たちが毎日の夕食を作るための大きな厨房があって、今の時間は掃除をしているようだった。
ルシアは物慣れた様子で厨房に声をかけ、小麦粉やバターなどを分けてもらい、代金を支払っていた。ティアナとアーシェは言われるままにエプロンをつけ、手を洗って身支度をした。
「今日はクッキーを作ろうと思ってて。アーシェがいるからチョコ入りも作っちゃう!」
「ありがとうございます!」
手伝うとは言ったものの、アーシェはティアナと同じく菓子を作った経験はなかった。粉を振るったりチョコレートを刻んだりするだけで二人して大騒ぎだ。ルシアがバターと砂糖をボウルで練り混ぜていく手つきはまるで魔術が行われているようだった。アーシェも少しやらせてもらったが、とてもルシアのようにはできず、手首を痛めてしまいそうだった。
ティアナは卵を割るのも生まれて初めてだと言った。
「マジで……。本物のお嬢さまだねぇ……」
ルシアは目を丸くしながらも、失敗しても大丈夫だからとティアナにやらせていた。
たぶん、ルシアはティアナとアーシェが悩みを抱えているのに気づいていて、こうして誘ってくれたのだろうとアーシェは思った。
楽しいことや甘いものは、気分を和らげてくれるから。
「丸めて焼いてもいいけど、せっかくだから型抜きする? 確かこのへんに」
そう言ってルシアが棚から引っ張り出した箱の中には、たくさんのクッキー型が入っていた。
アーシェはティアナと一緒になって、どの型を使うかを吟味した。ルシアはどれでもいいよ、決まったら洗っておいでと言いながら生地をのばしていた。
「たくさんできそうですね。どなたに差し上げるんですか?」
広がった生地を見ながらティアナが訊いた。
「ほら、この前お世話になったから、ヘルムート様とお兄さんに……。あと、星の魔術師様にも。こんなのお礼になるかわかんないけど」
「ああ、なるほど」
では星型も使いましょう、とティアナは型を取り出した。
「これは? ずいぶん大きな円ですけど」
アーシェは他よりひとまわり大きな、円のまわりに小さなギザギザのついた型を見つけて手に取った。
「ああ、それは太陽クッキー用」
「太陽クッキー?」
アーシェはティアナと顔を見合わせた。知らない名前だ。
「一回生はまだ聞いてないか。ファルネーゼ伝統の、白の祭典で売られるクッキーだよ。真ん中でうまくパキっと割ってさ、それをパートナーと分けて食べるわけ。そうすると二人はずっと一緒にいられるっていう言い伝えがあるの」
「まあ……!」
ティアナは同じものを箱の中から見つけてまじまじと眺めている。どうやら複数入っているようだ。
「あたしも去年いっぱい焼いたわ。よく売れるんだよね」
太陽は、世界を守り安定をもたらすシンボルとして国を問わず親しまれている。
(でもクラウディオ様はこういうの、馬鹿らしいって嫌がりそう。食べてくれないだろうな)
一瞬そう思ってしまい、アーシェは虚しくなった。
知識だけではなく、エルネスティーネ自身の意識のようなものが、アーシェの中に残っていると知ったら。クラウディオはどんな顔をするのだろうか。
見たくない。知られたくない。考えたくない。
アーシェは心に浮かんだものを無理矢理追い出して、ウサギの顔の形の型を取り出した。
「かわいい。私はこれを使います」
「あっ。本当ね。アーシェはウサギが好きよね」
「ええ、子どもの頃から」
じゅうぶんに温まったオーブンにかわいらしくくり抜かれたクッキーたちを入れてから、ルシアは「ここだけの話」と二人に頭を寄せさせて囁いた。
「実は……太陽クッキーの効果は、うちのおばあちゃんが学生の時に広めたらしいんだ。最初はただの円いクッキーだったの。売れなくて、余っちゃって。テキトーな話を作って売りさばいたって」
「ええっ!」
思わずといった大声を出したティアナは、自分の口を慌てておさえた。
「父さんの時代にも続いてたって知って慌てたらしいわ。だから、伝統とかいって、たかだか四十年くらいなんだよね。笑っちゃうでしょ」
「そ、それは。でも、すごいです。つまり付加価値を生み出したということでしょう」
アーシェが言うと、ティアナも同意してくれた。
「そうですね。商才がありますよね……!」
「あはは、物は言いよう。騙してるだけだけど」
「いえ。お話自体はでたらめかもしれませんが、そういう謂れのあるクッキーをわざわざ買って半分を相手に渡すことで、ずっと一緒にいたいという気持ちが伝えられるわけですから……素敵だと思います」
ティアナは優しい目でそう言った。
クッキーを分け合った二人は、互いの気持ちを確認でき、そうなれるよう努力するだろうし、実際にいくつものカップルが太陽クッキーを食べて卒業して、その子どもたちが入学してくるのだから。実効性のあるジンクスとして認識されたのもうなずける。
「おばあちゃんはもう死んじゃったし、この秘密を知ってるのはたぶんファルネーゼでは一人だけ。あたしだけじゃなくなってよかった」
クッキーの甘い香りが漂ってきていた。とっておきの秘密を共有してくれたルシアは、いたずらっぽく笑ってみせた。




