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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
断章
108/141

ユルヴィルの少年




 少年が十歳の時、兄が家を出た。ファルネーゼに入学するためだった。

 兄はその時十三で、本当ならそろそろ社交の勉強をはじめる頃だった。それが突然、ひとかどの魔術師になろうと思うなどと言い出すので驚いた。


 優秀な魔術師になるための素養は三つある。

 一つ目は、魔術師の血。これは魔術を扱う才能ではない。魔力容量が豊富であるという才能だ。代々魔術師だったということは、魔術を使うことを生業としながら、子をもうけて技術を伝える間なお健在だったということの証明である。魔術師の家系というのはつまり、魔術を扱うことを選んだ者たちの生き残りの集まり。これは遺伝する生まれつきの才能であり、後天的に磨くことはできない。

 二つ目は、頭脳。センスと語学力、計算力。ある程度は努力で補うこともできるが、素質と恵まれた環境とが必要になる。

 三つ目は、属性と波形。天属性であるか、あるいはすぐれた天属性との波形の合致。これも生まれつきではあるが、誰でも当てはまる可能性がある。


 ユルヴィルが国家をあげてすぐれた魔術師を増やそうと考えた時、二に当てはまるものの中から三を探そうとした。

 波形を判別するのは時間がかかるが、属性なら一日でわかる。頭のよさそうな貴族の子弟を集めて検査を行い、天属性を見つけてファルネーゼに入れようと考えたのだ。

 一度目の判定会には国中から何十人もの有望な若者が集められ、該当したのは一人だけだった。


 それが、アルベール・アロン。下級貴族の次男坊で、なんでもよくできると領地では評判の若者――少年の兄だった。

 優秀な息子が長じて官僚にでもなることを期待していた父親は渋い顔をしたが、アルベール自身が乗り気だった。兄は器用で飲み込みの早かった反面、飽きやすい性質でもあった。勉強でも趣味でも、打ち込むとすぐに人並み以上にできるようになってしまい、「退屈になった」とやめてしまう。少年は羨ましいとしか思わなかったが、兄は兄で鬱屈し、手ごたえのある何かを探していたらしい。


 ユルヴィルは優秀な騎馬隊をいくつも持つ大国だが、近年は手痛い敗北を喫することもあり、軍備の見直しが進められていた。魔術師を増やすというのもその一環だ。ユルヴィルでは軍の花形といえばもちろん騎士であり、魔術師は軽んじられてきた。そのためか少年の父親も「魔術師なんぞになるなんて」と文句を言い続けていたが、国から多額の支援金が出ると聞いてぴたりと止んだ。


「魔術をやるっていうのは面白そうだ。大陸中から才能のある連中が集まるってのもいい。どんなところなのか楽しみだ」

 兄は意気揚々と荒地に旅立った。


 これで兄と比べられずに済む、と、少年は胸をなでおろしていた。

 アルベールは弟を可愛がっていたが、少年の方では複雑だった。決して嫌いではないが、好きにもなれない。共感できない。そういう兄だった。

 魔術の属性とやらでも特別だなんて、嫌味なことだが、そのおかげで成人するより早くいなくなってくれた。

 これでのびのびとできる。


 はじめはそう思ったが、いつもいた兄がいなくなったのは、なにか少し、物足りなかった。




 アルベールは時折、少年に宛てて手紙を寄越した。


 手紙には、退屈しのぎに兄が「発明」していた暗号が含まれていることがあった。

 書き損じのようなぐしゃぐしゃした線があったらそこがはじまりの合図。その後に続く単語の頭文字を二つずつ組み合わせていく。aaならこれ、abならこれ、と、対応する単語が対応表に用意されていて、それをいちいち書き出していくのだ。対応表に用意されている単語は五百を超える。基本的な表現はほぼ可能だが、どうしてもそこにない単語を伝えたいときだけ、インクの滲みからはじまるその単語そのものが挟まる。


「ファルネーゼでは手紙を検閲するらしい。俺がそれをすり抜けてみせよう」

 そんなことを言って対応表を少年の手に残していったのだ。兄は対応表を持っていない。なんと全部頭に入っているのだ。しょうもないことに頭を使うものである。

 実際兄から来る暗号の内容はどれもくだらないものだった。少年ははじめのうちこそこの「暗号ごっこ」に付き合っていたが、そのうち面倒になって、解読をやめてしまった。


 手紙の兄はいつも楽しそうだった。ファルネーゼは彼を満足させる「手ごたえ」のある場所だったらしい。


 ――おまえも俺と兄弟なのだから天属性かもしれないぞ。検査を受けてみるといい


 兄はそんな風に書いてきた。閉ざされた魔術公国での研鑽。それは確かに少年の冒険心をくすぐるものではあったが、兄と同じ道を選ぶことだけは嫌だった。また比べられることになるからだ。

 少年は「興味がない」と返事をしたが、それからも兄は魔力を使うことの心地よさを繰り返し伝えてきた。

 別に、魔術師になりたいわけじゃない。ちょっと試すだけだから。誰にともなく言い訳しながら、兄の置いていった「初級本」をひそかに読みはじめた。体の中の魔力を動かす練習。手を使わずに魔力でものを動かすというそれに、何度か挑戦してみたが、紙切れ一枚動かせなかった。

 馬鹿馬鹿しい。

 少年はすぐに諦めた。兄はあっという間にペンを宙に舞わせて「できた、できた」と笑っていたことを思い出しながら。



 二年が経って、ある時、アルベールから長い手紙が届いた。

 話題があちこちに散らかって、まとまりのない文面だった。兄らしからぬ内容に首を傾げた。

 どうやら暗号が含まれている。いつもなら暗号もそれを隠した文章も、両方がきちんと意味の通るものになっていて、そんなパズルを完成させるために頭をひねることが好きな兄なのに。


 文末は「賢き弟、ブレーズ。おまえならできると信じている」と、意味深にくくられている。


 少年は久しぶりに対応表を引っ張り出し、暗号の解読をはじめた。



 ――友人が消えた 去年同室だったチリチリ髪のあいつだ 教師は嘘をついている 自主退学したというがそんなはずはない 探しているが見つからない 証拠が欲しい


 ――彼はジルカの片田舎 ザレニー川のほとりに住んでいると話していた 戻っているか確かめたい 彼の家族と連絡が取りたい 伯父貴あたりに頼めないか



 少年はその内容に唾を飲んだが、とにかくあの兄に頼られている、なんとかしなければと両親に打ち明け、過去の手紙から消えた生徒の名や年齢などの情報をすべて抜き出した上で、伯父のギャエルに会いに行った。兄はギャエルが商売で外国を行き来しているので適任と思ったのだろう。

 兄には「手配した、少し待ってほしい」と暗号入りの手紙を出した。だが伯父からの報告を待っている間に、ファルネーゼから魔術信が届いた。


 それは、兄が実習中に墜落死したという知らせだった。





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