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アーシェは、魂の固着とよばれる禁呪のあることからはじまって、幼い頃から習っていない知識を持っていたこと、過去の魂の持ち主を突き止め、術者を探すためにファルネーゼに来たこと、などを順番に話した。
かいつまんで説明したつもりでも長くなり、遠耳の鐘に付けられた魔石の光が消え、慌ててふたたび鳴らすということが二度あった。ティアナは真剣に耳を傾け、時々青くなったり「それで?」と身を乗り出したりした。
「じゃあ、あの夜部屋を出て行こうとしていたのが、そのエルネスティーネという人だったの?」
「たぶん……。夢の中ではいつもそうだから」
「じゃあアーシェは、自分自身の夢は見たことがないの?」
「どうなのかしら。少なくとも、記憶にはないわ」
夢は、アーシェの手元には残らないものだった。
最近では少しずつ、変わってきているけれど。
「私の思考がエルネスティーネの影響を受けはじめていること、これからフルヴィア先生に相談しに行こうと思ってるんだけど……。ティアナにも知っておいてほしかったの。これから、私は時々変なことをしたり言ったりするかもしれない。その時、あなたはアーシェでしょって叱ってほしいから」
「わ……、わかったわ。気をつけておく」
「お願いね」
近頃ようやく、いくらか覚えていられるようになった夢の中には、いつもヴェンツェルがいる。薬の効果で、時期が限定されているせいかもしれないけれど。
エルネスティーネは、ずっと彼を見つめている。
「それから……、答えたくなかったらいいのだけど。ティアナのお父さまって、どんな人?」
ティアナは首を横に振った。二本の三つ編みが小さく揺れた。
「私は……、あの方の娘といっても、大勢の中の一人でしかない。親しく言葉を交わすような立場じゃないの。もちろん抱きしめられた記憶もない。とても、怖い人……。いつも頭を下げて、目を合わせないようにしていたわ」
どうして今、ケルステンは各地で戦を起こしているのか。
ケルステンはユルヴィルのような大国とは違い、これまで大陸の東の果てでひっそりとやってきた。竜騎兵は強力だが、その性質上、軍馬のように多くは用意できない。飛竜もそれを乗りこなす兵も、何年もかけて育成されるものだ。機動力がずば抜けているために集団での運用よりむしろ単独で斥侯として使われることが多く、大陸各地で用心棒や傭兵として高値で雇われてきた。ケルステンの大事な収入源だ。
それがなぜ、近隣の国々に襲い掛かるようになったのか。九年前に領土を削り取られたレヴァール、五年前に滅ぼされたメルン、三年前に併合されたバチク。どれもケルステンの勝利に終わっているとはいえ、それがケルステンにもたらした利と生み出した憎悪は果たして釣り合っているのか。
王は、ヴェンツェルは一体何をしようとしているのか。
世の噂やヘルムートが語る姿と、夢の中の少年は重ならない。
人はいくつもの顔を持っているものだし、年月を経て変わってしまうことだってあるだろうけれど。
「誰にでもそういう感じなの? 意見できるような立場の人とか」
「父が激昂してどうにも止められない時は、ダリラ様が来てくださるの。鎮静の魔術のようなものが使えて……。あ、ダリラ様は、正妃でいらっしゃるの。ただ、あの方でも、普段の父に意見できるというほどでは。……父が何を考えているのか、私にはわからないわ。一度だってわかったことなんてないの」
ティアナは三つ編みのしっぽを指先で弄りながら言った。
「彼女には、エルネスティーネには、違ったの?」
「たぶん……強引ではあったけど、尊重してくれていた、と思うわ。まあ、あとで振られているんだけど……そのあたりは最近の夢にも出てきていないし、よくわからないの。まあそもそも、あの夢が本当に過去にあった出来事なのかもはっきりしないけれど」
単純にエルネスティーネの夢想なのかもしれないし。
「想像が難しいわ……。あの父とアーシェが、いえ、アーシェではないけれど……」
ティアナが自身の両の頬を手のひらでおさえた。エルネスティーネがヴェンツェルの婚約者だったという件は、伏せておこうかとも思ったが、それを抜きに話の整合性をとるのが難しく、説明を考えるのが面倒になってしまったのだ。もう秘密は無しにしたいし、悩むのにも疲れている。
「ごめんなさい。ティアナには複雑よね……」
「そんな、アーシェのせいじゃないわ。でも、そうね。そんな人がいたなんて、本当に聞いたことがなかったから」
「ヘルムート様も調査するまで知らなかったって言っていたわ。王宮では彼女の名は禁句だって。夢の中で見る、あの場所で、ティアナも育ったのよね」
ティアナは第三側妃の子。ヴェンツェルも前王と同じく多くの妃を迎え、ティアナはたくさんの姉妹たちと過ごしたのだろう。
ジゼラはティアナの同腹の姉で、二人はとても仲が良かった、とヘルムートが教えてくれた。
「ねえ、ティアナ。金時計を見せてもらってもいい? あなたの今の魔力量を」
首を傾げたティアナが、ああ、と金時計を開いた。
ティアナの白く細い指が、時計盤を撫でる。盤面が桃色に染まっていく。
五十七分。
実習が始まってから一か月。ティアナは、対魔術での発動がほとんどで、他の生徒たちより消耗は少ないはずである。
けれど、もう三目盛り。アーシェは、入学してからまだ一目盛りも動いていないというのに。
「だ、大丈夫なの? もうこんなに」
アーシェは思わずティアナの手首をつかんだ。
魔術師の血を持たない、対もいないマリーベルでさえ、一年間で五目盛りだったことを考えると、相当な消耗速度である。
「アーシェの方が減っているじゃない」
「それは。でも、私はずっと使っていたから」
「そんなに心配しないで。最近は、魔力の絞り方もわかってきたし」
「本当に? それなら……いいけど」
ヘルムートにも気をつけてやってくれと言われていたが、これはたびたび確認しておく必要がありそうだ。
「本来なら、私の魔力は、ケルステンの――祭壇のために使うべきだった」
ティアナは金時計の蓋をパチンと閉じた。
「でも私は、別の道を探したかった。いつ自分がおかしくなるか、怯えながら従うより……。軍を支えるための救護師になるという名目なら出てこられるって思ったの。私がやりたいと言ったら父は反対しなかった。私に興味がなかっただけかもしれないけれど……、父に自分の意見を言えたのはあの時だけ。こうしてここに来たことが、よかったかどうかはまだわからないけど」
「そうね。まだ始まったばかりだものね。でも……、話してくれてありがとう、ティアナ」
「そんな……。わ、私の方こそ」
また泣きそうなティアナに笑いかけて、アーシェは立ち上がった。
「じゃあ、お互い様ね。雨の降り出す前に帰りましょうか」
さすがにそろそろ椅子の固いのが響いてきている。
「あっ、そうね。そろそろね……!」
ティアナが空を見上げて言った。二人とも、傘を持ってきていないのだ。




