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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第五章
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さかさまの部屋



「アーシェは残ってくれ。話したいことがある」

 それでは解散、となったところで、クラウディオに呼び止められた。

「研究棟を出る時間をヘルムートとずらした方がいいだろうしな」

「ああ。キースも別の方がいいか?」

 ヘルムートがそう言ったが、クラウディオは首を横に振った。

「いや、キースはもう君の友人と思われている。今さら一緒にいるところを見られたからといって何も変わらないだろう」

「まーそりゃそうか。イメルダはどうする?」

「フェランディス先生の研究室に寄って帰ります。最近腰痛に悩まされていると聞きましたから」

 そんな話をして、三人が部屋を出て行った。


 クラウディオはさっきまでイメルダが座っていたアーシェの隣に深く腰掛けた。

「ふう……。どうにも気疲れしたな」

 広い部屋に、ふたりきり。

 隠しきれなくなる前に早くこの気持ちを閉じ込めてしまわなければと思うのに、今日も胸は高鳴った。

「だ、大丈夫ですか? お茶のおかわりをいれましょうか?」

「いや、いい。ありがとう」

 気軽に見せてくれるようになった微笑みも、心臓に悪い。

「ええと、お話というのは?」

「ああ。そうだな、三つあって。まず、実習でのことなんだが」

 アーシェは姿勢を正した。

「な、なにか問題が……」



 浮遊魔術の実習を初日で合格したのは半数ほどだった。次回の授業でもまだ浮遊をやる予定だ。

 エルミニアやブレーズはまだ合格をもらっていない。ティアナは一人で練習している間は失敗を重ねていたものの、対魔術での実習に移ると「一度私に主導権を渡してみて」とペルラに手本を示され、その後はすぐに飲み込んだようだった。流れてきたペルラの魔術の構成がとてもわかりやすかったのだとか。

 ラトカは当然のように合格していた。「やばいこれすでに楽しい。ハマっちゃうのわかるわ。気をつけなきゃ……」と、また別の悩みを抱えたようだったが。


 アーシェもしっかり合格をもらっている。ヌンツィオからは安定していると褒められた。ただ、ディルクは「まあ、できてはいるな」と微妙なコメントを残したのみだったので、アーシェとしても気になっていたのだ。もちろん、ディルクのことだから、期待するような評価はもらえないだろうと思ってはいたが。



「浮遊魔術のことだ。ディルクは苦手だということにしてしまったから、あの場ではなにも言えなかったが」

「あ。やっぱり駄目でしたか」

「台の上に乗るイメージでやっていただろう。あれはやめたほうがいい」

「そうなのですか?」

 レオンがイメージの例として挙げていたし、ありだと思ったが。

「浮遊魔術単体としてみればそれでもいいし合格ももらえるが、発展として飛翔魔術につなげるのが難しいんだ。もっと高くあがるとなると階段でもイメージすることになるが、それでは高速移動ができない。高速で移動できないなら飛翔する意味がない――通常、飛翔は魔術を避けるために使うものだからな」

 ルシアも言っていた。攻撃魔術を受け止めるのは容易ではない。普通は避けるものだと。

「君は精神魔術に進むのだから浮遊だけでも充分かもしれないが、自分の身を守る手段を増やしたいと思うなら、いずれ飛翔も副科として学ぶべきだ。その時にイメージを再構成するのは面倒だろう。今のうちに直した方がいい」


「そうですね。私も、飛翔はできるようになりたいです。なるべく早く」

 自分の身を守ることについて、アーシェは今までよりさらに必要性を感じていたところだった。

 キースが執行隊に連行された件で、深く反省したのだ。キースがアーシェを守るために残ると決めてくれたことを、これでもっと長くそばにいられると喜んでさえいた自分の甘さが腹立たしかった。

 なんて馬鹿で、能天気だったのだろう。

 狙われるかもしれないアーシェを守るということは、その危険にキースを巻き込むということに他ならなかったのに。

 もしもキースがアーシェをかばって傷ついたり囚われたりすることがあったら、アーシェは自分を許せないし、そんなことは決してあってはならないのだ。


「一応、はじめは浮かぶイメージでやってみたんです。でもうまくいかなくて。体を浮かばせる力をうまく描けないというか……小さいものを動かすのはできますけど、まだそんなに大きいものを持ち上げたことはないんです」

「ふむ。……僕の感覚を教えてもいいが。やってみるか?」

 クラウディオが手を差し出した。ペルラがティアナに指導したように、実践してみせてくれるということだ。

「はいっ!」

 アーシェはその手を取って立ち上がった。



「君は魔力を体の中に回すことだけ意識してくれればいい。いくぞ」

 クラウディオの魔力が流れ込んできたのを感じた瞬間、体が浮いた。まるでそれが自然な状態であるかのように、床から足が離れていた。

「え……!」

 そのまま、あっという間に壁にかけられた鏡の前まで進んだ。宙を歩いたのではなく浮いたまま。リューディアが話していた「私は滑るのが得意」という言葉をアーシェは思い出していた。そう、まさに滑るようにまっすぐ壁まで到達してしまったのだ。

「さすがに、部屋の中では少し狭いな」

 そう呟いて、クラウディオはターンして壁に背を向け、ソファの方向に滑り出してそのまま、浮き上がってぐるんと半回転した。つまり床を向いていたアーシェの靴底が壁を向き、次いで天井をとらえたのだ。アーシェは悲鳴を飲み込み、繋いでいない方の手でスカートの裾をおさえたが、それがめくれることはなかった。ただふわりと広がっただけだ。

 さかさまに見る研究室はまるで別の部屋のように感じた。天井から吊るされているランプをよけて進み、また視界がくるりと回って世界の上下が元に戻った。そのままふわりと着地した。手が離れる。


「これが、飛翔だ。どうだった?」

 クラウディオはどこか得意げにそう言った。アーシェの感想など彼には筒抜けだろう。だってまだ胸がドキドキしている。興奮はすべて手から彼に伝わっていたに違いない。

「す、すごい……! すごいですっ」

 それでもアーシェはそう答えずにはいられなかった。

 これは、飛翔に夢中になってしまう人間が続出するのもわかる。

 クラウディオが楽しそうに笑い、アーシェは頭がくらくらした。

「僕も飛翔をやったのは久しぶりだ。病みつきになりそうだろう」

「は、はい。いえ、だめですよ? でも……どうしたら」

 本当に体が軽かった。上も下もわからなくなるようなはじめての感覚で、まるで一枚の羽根になったかのようだった。


「そうだな。君は体が重いから持ち上がらないと考えているようだが、引っ張り上げなければいけないというその考え方をまずやめるべきだ。軽ければ有利というなら君はクラスの誰より浮遊しやすいということになるが、重さは関係ない」

 それはそうだ。赤ん坊だって小石だって勝手に宙に浮くことはない。

 軽いほうが浮かびやすい、というのは、水の中のイメージなのかもしれない。それなら水中をイメージして泳ぐように浮くというのはどうだろうか――アーシェはそういう自分を想像してみたが、滑稽な姿になりそうでやめた。

「要するに、発想の転換だな。万物を地に繋ぎ止めようとする力が働いている。だから人は浮かない。僕がやっているのはその力の干渉を切るイメージだ。子どもの頃あれこれとやってみたが、これが一番速度が出る。お勧めだぞ」

 アーシェは自分の足元を見た。

 アーシェが浮いていないのは、アーシェが重いからではない。

「地面に、引き付けられている……? そんな考え方が……」

「まあ、自分に合うイメージを構築できるならなんでもいい。うまくいかないなら呪文を考えてみるのも手だぞ。言語化はイメージを固定するのに役立つ。格好をつけているようでむずがゆいという者もいるが……昔からあるオーソドックスなやり方だからな。イメルダなんかはいくつも呪文を持ってる」

 クラウディオはソファに座り直しながら言った。

「わかりました。色々試してみます」




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