絵葉書
アーシェの隣に座っていたイメルダが立ち上がり、せかせかと歩いて扉近くにまで移動した。
「私も拝見しても?」
クラウディオがイメルダに葉書を渡した。
ソファに残されたアーシェも少しそわそわしながらその様子を見守った。
「なぜ僕がラズハットを探していると?」
「アーシェさんから聞いたんですよ」
クラウディオに視線を向けられて、アーシェは背筋をのばした。
「……いつの間に」
「す、すみません! 勝手に」
「いや、いい」
クラウディオが微笑んだように見えてアーシェは目を瞬いたが、彼はすぐにヴィエーロの方を向いてしまったので、確信は持てなかった。少なくとも怒ってはいないようだ。
「確かにラズハット様の字のようですね。大変流麗な……」
「というより読みにくいよな。もうちょっと何か書いとけよ。情報少なすぎだろ」
「すいませんねぇ。持ってくるかぼくも迷ったんですけど、まあ一応と思って」
葉書を囲んだ四人はあれこれと話している。
「この絵は? 少し滲んでいますけど」
「だいぶ痛んでるよな。なんつーかヨレてるし」
「届いた時からそうだったんですよ。ぼくの保管状態が悪かったせいじゃありませんからね」
「……おまえも見てきたらどうだ」
キースが言った。どんな絵なのか、気になっているのを見抜かれていたようだ。
「えっ。でも私は、ラズハット様と面識がないから、何も言えることがないし」
と、その会話を聞かれていたようで、ヘルムートがウインクしてアーシェを手招いた。
アーシェは立ち上がり、ありがたく輪に入れてもらって葉書を手にした。
その絵葉書は、確かにくたびれていた。長い距離を運ばれたのだろう。宛先はあるが差出人の名はなく、見慣れぬ収納印もぼやけている。裏返すと、美しい風景画の上に癖のある崩した字体で「友よ、また会おう」とだけ記されていた。
「友……。ヴィエーロ先生はラズハット様とお友だちなのですね」
前大公の対という話だったので、勝手に年配の男性をイメージしていたアーシェだったが、そういえばそんなことは言われていなかったなと思い直す。イメルダとカトリンのように年の離れた対もいるのだし、ラズハットは「最後の対」とのことだった。何度か代替わりしたのだろう。アーシェは思い描いていたラズハットの姿をヴィエーロと同じくらいの年齢に修正した。
「いえまあ……友だちかなぁ……」
ヴィエーロはなぜか曖昧に濁した。
アーシェはふたたび葉書に目を落とした。滲んでいるせいもあってか、現実離れした光景に見える。枯れた岩山を背景に、水たまりに落ちた雨だれのような円がいくつも重ねられている。
「なんというか、幻想的ですね。色とりどりの湖が広がって……一体どこなのでしょう」
「湖か? にしちゃあ派手な……オレは花畑かと」
ヘルムートが首をひねる。
「水……そうか、これはザルストラスの熱泉かな。収納印もザルストラスと読めなくもない。……だとすれば北大陸ということになるが」
「北ァ?! なんだってそんなとこに」
クラウディオの推測に、ヘルムートが声をあげる。
北大陸にはこんな景色の見られる場所があるのか。アーシェは初めて知るその地名を頭の中にしまった。
「届くまでも相当時間がかかっていそうですね。これでは今どこにいらっしゃるかの手掛かりにはなりません」
イメルダがため息交じりに言った。
「いや、まあ……。少なくとも戻ってくる気はあるようだ。それがわかっただけでも良しとしよう」
クラウディオはそう結論づけて、絵葉書をヴィエーロの手に戻した。
「で、なんで今頃あの人を探してるんです?」
「前大公について少し尋ねたいことがあってな。もしまたなにか連絡があれば教えてくれ」
「はぁ。構いませんが、あまり期待しないでくださいよ」
ヴィエーロはそう言って帰っていった。
「自分が来られないからって葉書を持ってこさせるとは……さすがラズハットだな。もっと悪口を言ってやれば来週には帰ってくるかもしんねーぞ」
ヘルムートは肩をすくめた。
「いや、今のはどう考えてもただの偶然だろう。そうやってありもしない妄想を肯定して面白がる態度が真実の探求というものを妨げるんだ。やめておけ」
クラウディオは冷ややかな視線をヘルムートに向けた。アーシェはキースの隣に戻ってソファに腰掛ける。
そういうの、あのひともきらいだったわ。
「まあまあ。ともかくラズハット様については待つしかありませんね。それから……私にわかることはほとんど話したと思いますが、他になにか?」
イメルダもアーシェの横に腰を下ろした。
「いや、今日はこのくらいかな」
ヘルムートが話を終わらせかけたところで、キースが指摘した。
「ヘルムート殿の母御の話も後日、と言っていなかったか」
「あー……」
ヘルムートは大皿に伸ばしかけていた手を引っ込めて嫌そうに頭をかいた。
「イヴェッタ様のお話、ですか?」
イメルダが首をかしげる。
「まあうん、なんで前王が女の子を欲しがってたかって話な。どっから説明すればいいか――」
「象徴として立たせられるほど力の強い巫女を王室から出すため……、ですよね」
アーシェは思い切って口を開いた。ヘルムートはまじまじとアーシェを見た。アーシェはその視線を正面から受け止めて、ごくりと唾を飲み込んだ。
「イヴェッタ様を妃にと望んだのも、大賢者の血による強い魔力を期待して。国宝と引き換えにしてファルネーゼから来ていただいた。そういうことでしたよね」
「……そうなのですか?」
イメルダが緊張した声で言った。
「合ってる。アーシェちゃん、それは」
「思い出した……というより、浮かんできて。先週お話を聞いた時にはまだ……でも、少しずつ……夢の中のことが、断片的に残ったりして。私……」
覚えていた、というのとは違う。不意に見えるようになっただけだ。
「エルネスティーネの記憶、ってことだよな? 確かに彼女なら知ってたはずだ」
ヘルムートはちらりと隣のクラウディオの方を見、またアーシェに視線を戻して試すように訊いた。
「その国宝は?」
「……ファルネーゼが以前から研究したいと言ってきていた、巫女の笛。初代の巫女が竜を封じたとされている秘宝で、祭壇から持ち出すことは禁じられていたけれど……」
「うん。それケルステンの機密だからな。ティアナでもまだそこまでは知らないはずだ。そのくらいにしとこうぜ」
「はいっ。すみません」
ひとつ浮かぶとまたその次が。
そんな風にして、暗がりにあったものが見えてくる。手がかりひとつで、ささやかだった明かりが力を増していくような。
話を聞かされてすぐのうちは、とても信じられないような気持ちだったが、アーシェはじわじわと受け入れつつあった。確かに彼女はエルネスティーネだったのだろう、と。
それは母から聞かされた話だったり、夢のかけらだったり。
それから、男性に見えたティアナのことを、やたら魅力的に感じてしまった思い出だったり。
つなぎ合わせて、確信を深めていった。自分はようやくたどり着いたのだと。
「いややっぱ間違いないな。アーシェちゃんはエルネスティーネだろ」
「だろうな」
クラウディオが同意した。
「お。素直じゃん……」
「それよりその笛の話は僕も初耳だが、今どこにあるんだ」
「知るかよ。ちょっと貸すだけの約束だったらしいけどあんなことになって簡単に返してもらえるわけねーだろ。祭壇にはレプリカが飾ってあるんだよ――これはマジで極秘だからな」




