ささやかな歓迎会
よく眠れる魔術、というのは、噂を聞くたびに両親が魔術師を連れてきて試してくれた。まとまって眠れることもあったが、多くは症状が改善するわけではなく、術をかけられたその夜だけ寝た、とかそういう効果で、そうでないものはそもそも効かなかった。
そして、効いたものも、二晩三晩と重ねるたびに、効果は薄れ、また悪夢がはじまるのだった。
今回のは少し違う。夢の方向性を決定するという新しいものだ。しかも魔術学院の現役の教師が調合した薬だ。十年前のものだが。
少し期待していたのは、今よりだいぶ若い両親が出てきて、五つの頃に亡くなってしまったおじいさまに会えたりして、キース兄さまも一緒で――そういう夢が見られることだった。
アーシェは指示通り二滴を寝る前のミルクにたらして、時間を確認してベッドにもぐった。
目が覚めると朝だった。
「すごいじゃない! わたしは一度も目覚めなかった。まあ昨日眠れてないせいもあると思うけど、静かだったんじゃない。どう? どんな夢だったの?」
マリーベルは興味津々といった感じでたずねてきたが、アーシェは首を横に振った。
「夢……なにも覚えていない……」
意外だった。本当に何年かぶりにぐっすり眠った。
「じゃあ悪い夢ではなかったってことね。よかった。ヴィエーロ先生の薬はよく効くでしょ? あのね、せっかくここにいるんだから、どんどん活用しなさい。先生なんて頼らなきゃ損よ!」
眠って頭がすっきりしたせいだろうか、これから色々うまくいくような気がした。
「ありがとうございます、マリーベル先輩。心配してくださって」
アーシェは感激してマリーベルの手を取った。
「はあ? 心配なんてしてないわよ! 迷惑だったって言ってるでしょ」
「はい。ご迷惑をおかけしたのに、色々教えてくださって、親切にしていただいて」
「教えてって……そりゃ、わたしが先輩なんだから当たり前じゃない。あなたはなにも知らないんだもの。あー、なに? どうして泣くの? え? わたしなの? ごめんね!」
「いえ、悪いのは私です。たぶん、不安で、昨日はいつもより眠れなくて。先輩はとても優しいです。優しい先輩ができて嬉しくて」
嬉しいのに、涙があふれてしまう。
「やめてよ! えっと、ハンカチ、ほら! もう、せっかく眠れたのにどうしてメソメソするの?」
騒いだせいかごそごそと二段ベッドの上が動いた。
「おはよぉー。はやいねー。おやすみー」
「ルシア先輩! なんで寝るんですか。もうすぐ朝食の時間ですよ!」
マリーベルはまるで姉のようにルシアを叱った。ルシアの方が先輩だが、年齢では少しマリーベルが上なのだ。
「あとちょっとぉー」
「ダメです!」
二人はなんとかルシアに準備をさせて食堂へと引っ張り出すことに成功した。ちなみに昨日の彼女はあのまま寝過ごしたそうだ。
魔術学院の学生用食堂はとても広い。テラス席もあって、気候のよい時期はたいへん人気が高く早い者勝ちになるらしい。
朝食は、好きなおかずを選んでトレイに載せ、長テーブルの席に座り、そこにあらかじめ並べられた様々なパンの入った籠から自由に取って一緒にいただく、という風になっていた。
ライトノア家の朝食に比べれば簡素なものであったが、平民の食卓と比べればやや豪華、といったメニューである。
「きょろきょろしてどうしたの?」
「あの、知り合いがいないかと思って」
昨日は朝も昼も夜も、探したのだが、キースに会えていない。
一昨日の昼、学院の入り口で受付して銀のベルトをもらい、そこで別れて以来だ。男子寮の話とか、色々聞かせてもらえると思っていたのに。予想より学院全体が広くて、これは偶然の出会いを期待しない方がいいのかも、と気落ちする。
連絡の手段があるわけでもないし。別に、困ったことがあったわけでもないのでいいのだが。でもせっかく友人ができたのだから、自慢したい。
「ああ。従兄だっけ? 属性付与コースって食事の時間ズレてるわよ」
マリーベルがスープをすくいながら言った。
「そうなのですか!」
道理で会わないはずだ。そんな罠があったとは。
「残念です。お友達を紹介したかったのに……」
「もう友達ができたの? よかったじゃない」
「えっ」
アーシェは今まで友人といえるような友人を持たなかったので、よくわかっていなかった。
「え、もしかして、先輩とはお友達になれない……?」
衝撃の事実に震えていると、ルシアがのんびりとふかふかのロールパンを取りながら言った。
「いーよー。あたしは友達でも」
アーシェはパンを持っていない方のルシアの手を握りしめた。
「ルシア先輩……! ありがとうございます。生まれてはじめてのお友達です。よろしくお願いいたします」
「そーなの? おめでとー」
感動の瞬間に、耳慣れた声がふってきた。
「友人か。素晴らしい。よかったな、アーシェ」
「兄さま?!」
アーシェがぐるりと振り返ると、キースがトレイを持って立っていた。
「え、どうして? 時間が」
「まだ早いが、急いで来た。おまえに会いたかったのでな」
「へー。やさしー」
「俺はキースだ。アーシェをよろしく頼む」
「はーい。ルシアでーす。よろしく、お兄さん」
二人が握手する。
「同席させてもらっても?」
「どうぞどうぞー」
ちょっと、とマリーベルがアーシェに耳打ちする。
「わたしも紹介しなさいよ! 友達でしょ」
「え、いいのですか?」
「いいに決まってるでしょ。早く!」
そうか、よかったのか。先輩兼友人はやはりアリなのだ。安心である。
「兄さま。こちらのマリーベルさんもお友達になってくださいました。とても親切で素晴らしい先輩なの」
「そうか。よい友ができて心強いな」
「よ、よろしくお願いします」
かしこまったマリーベルの差し出した手を握りかえしてから、キースはアーシェの向かいの席に座った。友人がふたり隣にいて、従兄も見てくれている。なんという素晴らしい日だろうか。
キースも男子寮でうまくやっているようだ。アーシェは薬をもらった話をし、これからも朝食はできるだけこの時間で、と約束をした。
その日の昼には、遅れていた同室の最後の一人がやってきた。銀色の三つ編みをふたつ背に垂らした、おとなしそうな子だった。
「私も新入生なの。よろしくね」
すっかり友人づくりに自信を持ったアーシェは、三人目のお友達(予定)を歓迎した。
「さ。じゃあ今年の四人が揃ったところで、恒例の、自己紹介~」
ルシアが生き生きと仕切りはじめた。二段ベッド二つ、ベッドの間にローテーブルが一つ。奥に勉強机が四つ。入り口近くにロッカー四つ。寮の部屋にあるのはだいたいこのくらいのものだ。手洗いやシャワー、給湯室などは階ごとにあり、アーシェたちの部屋は二階である。
二段ベッドの下の段に二人ずつ座って、ローテーブルにお茶とお菓子を並べて、小さなパーティが始まった。
「まずは上級生のあたしから。四回生になるルシアでーす。十六歳になったとこ。ここに来たのは、親が魔術師だったから。両方。別に偉いさんじゃなくって、町の魔術師ね。魔術具とか管理してんの。国に帰ったら親と一緒に仕事する予定でーす。ヨロシクね」
ルシアはいわゆる魔術師の家系のようだ。ファルネーゼではやはりそういう学生が一番多いらしい。
薄くいれた紅茶色の髪に、そばかすの散った頬。たれ目気味でいつも笑顔を浮かべているように見え、愛嬌がある。鼻にかかった声も聴きなれると彼女のイメージにぴったりで、いるだけでほっとさせられる先輩だ。
「二回生、マリーベルよ。もうじき十七。入学動機は……うちの国が併合されたから。これから、支配に抵抗するにしても服従するにしても力が必要だと思ったから。卒業したら国に帰ろうと思ってるけど、親は帰ってくるなって。ここにいた方が安全だと思ってるみたい。どうするかはまだ決まってない。……卒業する頃、状況がどうなってるかわからないし」
そうだったのか。アーシェは愕然として向かいに座っているマリーベルを見た。最近併合されたというと、バチクだろうか。ファルネーゼでは家柄も身分も関係なく、国同士の軋轢も見ぬものとするのがルールだ。だからマリーベルもはっきりとは言わなかったのだろうが。
「次、新入りちゃん~」
うながされて、アーシェと同じように暗い表情になっていた三つ編みの子が、はじかれたように顔をあげた。
「あ、あ、ティアナ、です。その、あの、救護師になりたくて……! よろしくお願いしますっ」
ティアナの声はたいへん小さく、聞き取るのが難しかった。
「救護師かー。けっこう難しいよ、あたしもいくつか授業とってるけどねー。がんばってね。いくつ? 十五くらい?」
「あっ。十三です」
「おー、最年少」
「え、でも」
ティアナはアーシェを見て言った。
「私、もうすぐ十五歳です」
「え!」
「わかるわ。わたしもはじめはびっくりしたもの。この子、色々大変みたいだから、救護師志望なら面倒見てあげてよ」
マリーベルが隣のティアナをつつく。
「えっ。えっ。はい、つとめさせていただきます!」
「おー、やる気がたかーい」
急に声が大きくなったティアナに、ルシアが拍手した。
「はい、じゃーアーシェ」
「こほん。アーシェです。悪夢にうなされやすく、先輩方にはすでにご迷惑をかけてしまいました。でも先生によいお薬をいただきましたので、ティアナさんには静かに眠っていただけるかと……。それから、小さい頃から男性が苦手で。近寄ることができなくて」
「それ、お兄さんは? 気になってたんだけど」
「あ、はい。キース兄さまには、子どもの頃は平気で触れられましたけど、大きくなってからは……」
「アーシェさんにはお兄様がいらっしゃるのですね」
「あ、いえいえ。弟がひとり。兄というのは、従兄で、一緒にファルネーゼへ来たんです」
「明日の朝食できっと会えるわよ。とても素敵な方だから期待しなさい」
マリーベルの言葉に、アーシェは驚いた。
「え、素敵でしたか?」
いつの間にかキースがそんなに高く評価されていたとは。
「素敵じゃないの、キースさん。背が高くて、キリッとしていて!」
(背が、高い……? それ、そんなに大事かしら?)
アーシェは首を傾げた。わからない。キースのいいところはそんな部分ではないのだが。
「やさしーよねー」
アーシェの隣でルシアが言った。
(それです!)
「あの……私は、私も、殿方は苦手なので……」
「そうなの?! ティアナさん、新入生同士、仲良くやっていきましょうね!」
「あはは、同盟だ。ほらほら、みんな食べよー」
ルシアがクッキーをそれぞれの手の上に配りはじめた。
「昨日焼いたんだー。そろそろ揃うと思って。あたった」
いつの間に。生まれて初めての友人が焼いた素朴なバタークッキーを、アーシェは噛みしめていただいた。




