35 月夜の廊下
――月明かりが窓から差し込み、暗い廊下のカーペットを薄い白色に染めている。
「……」
フィリアは少し乱れた寝巻きを直しつつ、その廊下を一人静かに歩いていた。
ウィズの部屋を出た後、こうやって一人になると色々羞恥と後悔の念が湧いてくる。
アルトの言葉に対しムキになってしまったり、必要以上に焦ってしまっていたことなど、思い返せば思い返すほど『ああすればよかった』という"もしも"の選択が浮かんできた。
フィリアはそれらの思想を振り払う。今更過去のことについて気にしても意味がない。
そんな考えを巡らせながら歩いていると、もうすぐ自室に差し掛かるところまできた。
しかしフィリアはそこで足を止める。目の前には壁にもたれかかっている人影があった。フィリアを待っていたのだろう。
フィリアはそんな彼に話しかける。
「アルト」
月明かりの届かない壁際に、アルトは腕を組んでもたれかかっていた。
フィリアに声をかけられると、アルトはそのままフィリアの前に姿を現した。月明かりに照らされ、彼の銀髪が優しく輝く。
「何か用?」
「……姉様、貴方はもっと人を疑う心を持った方がいいよ」
ウィズの部屋にいたときには見せなかった鋭い青い瞳がフィリアを捉える。
「別に俺は姉様の洞察眼を信用してないわけじゃないけど……。ウィズの力と穏やかすぎる不気味な物腰は警戒するに越したことはない。なのに一人で彼の部屋に行くなんてのは……」
アルトがウィズの部屋に来た理由。――それは恐らく、フィリアをウィズから引き離すことであったのだろう。アルトはまだウィズをほとんど信用していないようだ。
「大丈夫」
アルトの真剣な眼差しの真意は"注意喚起"ではなく、単純な"心配"であった。真剣な理由も、フィリアが危険な目にあってほしくない、というたった一つの思いからである。
だからこそ、フィリアは『大丈夫』と告げた。そのまま続ける。
「ウィズは……少なくともわたしたちに直接危害を加えたりはしないよ」
「……根拠は?」
「アルトも見ていたでしょ?」
瞳を細めるアルトにフィリアは優しく言う。
「あの応接間で父様が斬撃を放った時――ウィズは魔法で斬撃を迎え撃った。……私はその時でさえ、ウィズから『殺意』も『敵意』も感じなかったわ」
「……」
アルトはフィリアの言葉を聞いて顎を引いた。
そう、フィリアもフィリアで『アーク家』に害を成す存在かどうか、自分なりに確かめていたつもりだ。
確かにウィズの戦闘力は『雑貨店』やら『魔道具店』やら『祝福付与者』としてはありえない程に高い。裏を探るべき人物だ。
しかしフィリアは今までウィズから『敵意』のような感覚を受け取ったことがない。少なくても『フィリアに敵対する心』はないようであった。
屋敷についてからも感覚を研ぎ澄ましていたが、あろうことかアルトやガスタに対してもそれはなかった。それらから察することに、ウィズには『アーク家』以外を対象にした『目的意識』があるとフィリアは踏んでいる。
それ故だろうか。フィリアは続けた。
「……でも、完全に気を許したわけじゃないのよ」
「そう? 俺には結構気を許してるように見えたけど……」
きょとん、といった顔でアルトは不思議そうに言う。こういう表情をするのは幼い頃から全く変わっていないな、とフィリアはふと思った。
「……なんだか、芯がないように見えるの、彼。本心が浮遊しているような、行動と言葉に"我"がないような……。寂しい空っぽの……伽藍堂みたいな」
「……ふむ、なるほどなるほど」
少し憂いた表情で静かに告げるフィリアに、アルトは顎に手を当てる。
そしてすぐ笑顔になると、人差し指を上に差して明るく言った。
「そんな空っぽの彼を私という存在で埋め尽くしたい! ってわけだね」
「そうそ……いや待ってそんなことは一言も言ってない!」
真剣な雰囲気から慕情な話に発展するとは思っていなかった。フィリアはアルトの流れに乗せられそうになって、必死に抵抗する。
別にウィズに対してそういう感情があるわけではない。あるとしてもそれは一時的なものであり、それがさっき刺激されてしまっただけなのだ。
そうやって心の整理をしていたら、ベッドで押し倒されそうになった時のこと――フィリアを押し倒そうになったウィズは、自分の身の潔白を証明するのに必死だっただけで、そういうつもりは毛頭なかったが――が鮮明によぎり、すぐ頬が熱くなった。
傍から見れば、フィリアの表情はホオヅキのように赤く染まっているのだが、当の本人はそれを知る由もない。
アルトはそんな姉君を見て、小さく笑う。
「ははは。まあ俺としてはそこら辺はどうもするつもりはないよ。ただ『アーク家』が続けばそれでいいから」
「いやだから……そういうわけじゃないんだって……」
充分に赤面した表情で否定されても、それが通じるわけがない。
アルトは歩き出すと、どこか楽しそうに手を上げた。
「やっぱり姉様は姉様らしくするのが一番かもね。邪魔な横やりだったかも。……まあでも、俺はまだウィズを信用したわけじゃないし、こっちはこっちで勝手にやってるよ」
そう言いながら、アルトはフィリアの隣を通り過ぎた。そのまま自室へと向かっていくのだろう。
「……」
フィリアは背後に歩くアルトに見向きもせず、両手を顔につけた。
その頬はかなり厚くなっており、まるで発熱した時のようだった。
「そ……そんなに分かりやすいかな……」
フィリアは火照る頬を抑えながら、一人ぽつりと恋煩いに悶えたのだった。




