2 『ウィズ』
『セドリア王国』――その首都から離れた人口の少ない田舎町『ドルチア』。
そんな清い川を中心に栄えたその町で、ある雑貨店の店主――ウィズと名乗る灰色の髪の青年は暇そうにカウンターで肘をついていた。
「ふわあ……」
柔らかい日差しが店の中に入ってくる。それがウィズの眠気をさらに後押しした。
まぶたが重かった。今日は特にお客さんの予約はない。だから寝起きに三度寝をかましたウィズであったのだが、まだ足らなかったようだ。
「……店閉めて、魚釣りにでも行こうかなー」
机に突っ伏して、ウィズはそうつぶやいた。
穏やかで静かな時間がのんびりと続く。そうなるかに思えた。
――チリンチリン。
来客ののベルが鳴り、ウィズはゆっくりと頭を上げる。
「こんにちはー」
聞き覚えのある声だった。ウィズは小さく息を吐くと立ち上がる。
「いらっしゃい、ソニア」
店の入り口からカウンターの方へ歩いてくる栗毛色をした短めの髪の少女――ソニアに、ウィズは営業スマイルで迎えた。
「今日も眠そうだねー。元気?」
「お客さんも来ないのにこうやって店番してるぐらいには元気だよ」
ソニアが人懐っこく笑いかけてきたので、ウィズも同じく笑って返答した。
ウィズはソニアとそれなりに長い付き合いになる。
出会ったのはこの『ドルチア』の町に来る前であり、そこから店を開き、今に至るまでかなり世話になった。"世話焼き"という言葉がとてもよく似合う。
そんなソニアは今日も短いスカートをはき、そのスカートの位置と同じぐらいまで長いコートを着ていた。しかしその中は白いシャツにネクタイと、そこはいつもよりちゃんとしている。
「……ここが、例の雑貨店ね」
聞きなれない女性の声がして、ウィズは目を細めた。来店したソニアの後ろには、もう一つの人影があったのだ。
どうやらソニアには同伴者がいたようである。
それは、高貴な簡易ドレス姿で、豊かな胸を強調している容姿に、くせ毛のある長い銀髪の女性だった。腰の左側には二本を剣を刺していることから、彼女はどうやら剣士らしい。
そんな彼女はまるで見定めるかのように、青い瞳で店の中を見渡していた。
ウィズは営業スマイルを張り付けたまま、快く彼女へ告げる。
「いらっしゃいませ。雑貨店『リヴ・ウィザード』へようこそ。僕は店主の――」
「ウィズ、でしょ? 知ってるわ、そんなこと」
(……なんか、トゲがあるなこのひと……)
ソニアが連れてきた女性はフン、と腕を胸の前で組んで見下ろすかのような視線をして言った。高圧的な態度にウィズの営業スマイルが苦笑いに変わっていく。
そんなウィズの心証を察してか、ソニアは彼女の紹介を始めた。
「ウィズ、紹介するよ。彼女は剣聖御三家の一家、『アーク家』の令嬢――フィリア・アーク様」
「……以後お見知りおきを」
「……」
剣聖御三家の一家を担う『アーク家』――それを聞いたウィズは面喰った後、すぐに唇を噛んだ。
(どうしてこんなところに剣聖御三家が来るんだ……!)
ウィズは心の中で毒づく。
――剣聖御三家。それは『アーク家』、『クロス家』、そしてアレフが産まれた『ブレイブ家』の三家を指し示す称号である。"剣聖"と呼ばれるほどに、その三家の血を引く者は突出して剣の才に恵まれており、数ある場面で自国のために奔走し、危機を救う活躍を見せた。
最も、アレフ・ブレイブは例外であったが。
一応、ウィズとフィリアの顔合わせが済んだところで、ソニアが口を開いた。
「それでね、ウィズ。急なことで悪いんだけど、今日は大事な用で来たの」
「……まあ、あの剣聖御三家の方がいらっしゃってるみたいだしね。そりゃ、もう、穏やかじゃないよね」
心の中の動揺が外に出ないよう、ウィズはこらえながら答えた。ちらりとフィリアを見ると、彼女はどこか不機嫌そうにそっぽを向いている。
今回の件はこの不機嫌そうなフィリア・アークが関わる用事であるというのに、当の本人であるフィリア本人はとてもじゃないが乗り気には見えない。これは少し大変そうだ。
気を取り直して、ウィズはソニアへ問うた。
「で、その穏やかじゃない用件っていうのは?」
「ああ、それなんだけどね」
ソニアの視線が隣のフィリアに移る。彼女はため息をつくと、腰に差している二本の剣の内、一本を抜いてウィズの前のカウンターに置いた。
「これと同等以上の剣を買いに来たのだけれど」
「これは……」
そう言いながらフィリアがカウンターの上に置いた剣。――それは刃の真ん中辺りから先端にかけて、ヒビ割れており、すでに使い物にならない剣であった。
しかしウィズは感嘆する。何故なら、そんな半壊状態の剣であるというのにも関わらず、とても美しかったからだ。
息を呑むほどの迫力に、半壊していようとも輝きを失わない刀身。
ウィズの店『リヴ・ウィザード』は雑貨店であるが、元々は魔道具店として開いていた経緯がある。
魔道具店というのは、武器や防具に『祝福付与』という魔法をかけて特殊能力を付け、それを販売するという店だ。
そのため、ウィズは武器や防具の仕入れを行っていたこともあり、素人以上にそういうものの目利きはできる。その目利きの能力が、今この場で発揮されていた。
「素晴らしい剣ですね……。フィリアさん、貴方はこれをどこで――」
ウィズが冷や汗をかきながら目を上げると、目の前を拳が通り過ぎた。
ドン! とカウンターを叩いたのはフィリアの拳だった。
フィリアはウィズを睨んでいた。訳も分からず、ウィズは目をぱちくりする。穏やかな雰囲気が急に冷たく静まった。
フィリアは冷たい目でウィズに言う。
「貴方の個人的な意見は聞いてない。これ以上の剣はあるの? ないの? 早くはっきりなさい」
「えっと……」
フィリアの黒い剣幕を前にして、ウィズは助けを求めてソニアへ視線を反らした。
しかしソニアはウィズの視線に気づいたところで、困ったように小さく笑う。そして『ごめん、言う通りに従って』と言いたげに目を細めると、お願いするように両手を合わせた。
(……まあいいけどさ)
ソニアからの救援は見込めない。
ウィズは歯を噛み締めながら、目の前で睨んでくるフィリアへと視線を戻した。
「す、すみません……。このレベルの剣となると、この店では……」
「そう」
ウィズが遠慮気味にそう告げると、フィリアは短くため息をついた。そして長い銀髪を揺らしながら、ウィズに背を向けた。
「ソニア、帰りましょう」
「えっ、ふぃ、フィリア様!? そんな、お待ちを! 武器の品ぞろえはともかく、ウィズの祝福付与の腕前は目を見張るものが――」
背を向けたフィリアに、ソニアは慌てて駆け寄った。
フィリアは厄介そうに顔を少し歪ませながら振り返ると、駆け寄ってきたソニアに人差し指を刺しだす。
「これ以上の剣を提供できない程度の貧弱な者が、まともな祝福付与をこなせるとでも? 逆に剣が腐りそうだわ。こんなカビ臭い店、もう用は無い」
「ふぃ、フィリア様……!」
フィリアはそう言って、もう一度ウィズへと視線を移す。そしてウィズをジロりと睨んだ。
それからそのままスタスタと店から出て行ってしまった。
静かな店内にウィズとソニアだけが残される。
フィリアが去っていった沈黙の中、ソニアがウィズへと軽く頭を下げた。
「ごめんね、ウィズ。あの方は剣聖御三家の『アーク家』、そこらの貴族なんかよりも全然階級が上なんだ……。だから、ボクらみたいな庶民なんて、彼女にとってすれば半分奴隷みたいな扱いなの」
「あー、うん。まあ、そんな気はしてたよ。でもさ、ソニア、ちょっとぐらい助け船を出してくれても良かったんじゃないかな?」
「いやいやいや! 無理無理無理! ボクの首が飛んじゃうよ! と、ボクはフィリア様を追わなきゃ! じゃあねウィズ! この埋め合わせはまたあとで!」
フィリアの後を追うかたちで、ソニアも慌てて店を出て行った。カランカランと入口の鈴がなり、店内はウィズだけが取り残された。
「……」
ポツンと取り残されたウィズは椅子に座って、カウンターに肘をついた。灰色の髪が静かに揺れる。
そしてポツリと、ウィズの口から言葉が溢れた。
「なんだァ……あの女……」
その声は先ほどまでの中性的な声とは打って変わって、聞いた人を震え上がらせるような、深淵なる奥底から這い出る低い声であった。
「ソニアがわざわざ連れてきたんだ……訳アリだろうが……」
カウンターに肘ついた腕で前髪をかき揺らす。その指のすき間からちらりと覗くウィズの瞳は、先ほどのフィリアとは比べ物ににならないほど、鋭く洗練されていたのだった。