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9 うろこ

(いやだ。死にたくない。姉上のもとに帰りたい!)


 絶望の中で、弥吉は必死に祈った。懐の中で、姫様がくれた守り袋がほんのり温かくなった。


(姫様が助けてくれて、姉上のことも気遣ってくださったのに、自分がこんなところで死ぬなんて……!)


 そのすべてが、クツナにとっては、最上の楽しみと見えた。

 じらすようにゆったりと、掛け声を掛ける。


「……雷」


 弥吉はたまらず目を開けて、見た。クツナが表に返した札は、案の定だった。


 茅の五。


 龍神を除けば、小鳥が出尽くしてしまった今の時点で、最強の札だ。

 あの時点で、勝ちを確信できるただ一枚の札。


 参りました、と、言うのすら辛い。黙ったまま目を伏せて、弥吉はのろのろと己の手札を開いた。


 愉悦にゆがんだ高笑いを覚悟していた弥吉の耳に、クツナが息を呑む音が届いた。


(……え?)


 違和感に、一瞬遅れて己の手の横に開かれている札に視線をやり、弥吉もまた息を呑んだ。


 生き生きと、圧倒的な迫力をたたえて、天に上る龍。その様を言祝ぐように、幾筋もの稲妻がその隣を貫いている。絵師・葛城南天が渾身の、龍神の絵であった。


 次の瞬間、クツナは吠えた。


「ありえん! おまえの札が龍神などと! ありえん!」


 この機を逃してはならない、と弥吉の直感は告げていた。


「これでわたくしに十二点、加算でございます! わたくしが勝ちです! シノブシダとともに返していただける約定、ご寛大な心配りに感謝いたします!」


 一息に言うと、弥吉は、草履も履かずに、シダのはいったかごをひっつかんで、小屋から転げ出るように駆けだした。背後で、ぱりんと、玻璃のかけらが砕けるような音と、クツナの忌々しそうな雄叫びが聞こえた。


「この札! いかさまではないか! これは、霊力のうろこ。お前、人間の分際で、わしをたばかったな……!」


 弥吉の懐で、守り袋が温石(おんじゃく)のようにぽかぽかと熱を発している。


(姫様が、うろこを使え、とおっしゃったのは、このことであったのだ)


 弥吉は必死で駆けながら考えた。弥吉が必死で祈ったことで、姫様のくれたお守りが、弥吉の札を勝ちの切り札に化けさせてくれたのだ。


「ぐおおおおお!」


 聞いたこともない、太い咆哮が響く。


 ちらりと振り返って、弥吉は身の毛のよだつような気がした。

 大きな、赤黒いうわばみが、弥吉を追ってものすごい勢いで向かってくるのだ。

 らんらんと光るその闇夜のほおずきのような赤い目を見れば、そのうわばみがクツナであることは火を見るより明らかだった。


(振り返るんじゃなかった)


 すくみそうになる足をしかりつけながら、しゃにむに走る。

 小屋のある空き地を抜ける直前、酒臭い息が、すぐ後ろまで迫ってきた。もう無理だ、と思いかけたとき、姫様の言葉を思い出した。


『うろこは三枚ある。困ったときに使うのじゃ』


 姫様は確かにそう言った。


 先ほど、龍神の札を出したときに、一枚使ったことになるのだろう。


 懐に手を突っ込むと、守り袋のひもが緩んでいた。中の、貝殻のようなものに指先がふれる。無我夢中で弥吉はそれを一枚引っ張り出した。

 背後に向かって、肩越しに放り投げる。


「どうか、お助けください!」


 そのとたん、小屋の裏手の崖の方角、つい先ほど、弥吉が水をすくって飲んだ小さな石清水の流れのあるあたりから、ごうごうと、すさまじい音がした。雷が幾つも落ちるような、耳を聾するほどの響きをあげて、大きな岩や土砂とともに、膨大な水量の濁流が流れ下ってくる。


 涼やかな清水の流れとはまったく違う、暴れ龍のような鉄砲水だ。


 雨もない夜に突如現れ、大蛇と弥吉の間を割くように押し寄せる異様な流れから、弥吉は慌ててとびすさった。巻き込まれれば、ひとたまりもなく押し流されてしまう。大蛇もその瞬間は足が止まったようだった。


 今のすきに、出来るだけ、離れなくては。小屋から離れる方角、森の中へと弥吉は走った。


 いちごの藪がある空き地にさえたどり着ければ、あとの道はわかるのに。来た道から考えて、おそらくこちらだろう、という方角に、当てずっぽうに突き進んだ。


「ほれ、言わんことではない。すぐに元の姿に戻りおって、ほんに、じいやはだらしない」


 ふいに、楽し気な姫様の声が聞こえた。


「こっちじゃ、弥吉」


 目の前の獣道を、小さなヤマカガシが這っている。茜と薄緑に、鎖のような黒い網目状の(ぶち)が入ったその模様は、いつか杏庵先生に教えられた毒蛇そのものの姿だった。穏やかだが、奥の牙に猛毒を持つ。決して手を出してはならない、神様のおつかいの蛇だ。

 だが、それは、並みのヤマカガシというにはあまりに速かった。弥吉が必死で駆けて、どうにか引き離されない程度の速さだ。弥吉の走る数歩先を行く、不思議なその蛇は、ホタルのようにほんのり光る身体でよけるべき木の根や石を照らし出していた。


(椀貸の主、隠れ里の民は、蛇神様の化身であったのだ。クツナさまも姫様も、蛇神様の一族なのだ)


 この小さなヤマカガシは、姫様のお手先に違いない。


「待て! 目を掛けてやった恩を、あだで返しおって。お前は許さぬ。決して許さぬ!」


 怒りに任せて咆哮する大蛇は、ばきばきと藪を踏みつぶすように追ってくる。


「弥吉。覚えておるな。間合いをとって、やつの真名を()るのじゃ」


 姫様の声がどこからともなく聞こえたと思うと、ヤマカガシが姿を消した。次の瞬間、弥吉は、見覚えのあるいちごの藪の空き地に出ていた。


(間合いをとるって言ったって)


 足を止めたら、あっという間に丸呑みにされかねない。弥吉は必死で空き地を駆け抜けた。


 うろこを肩越しに投げるという、先ほどと同じ手が、再び通用するのかどうかもわからなかった。


 村までの道のりが分かったのはいいが、このままでは、大蛇を村に引き入れることになってしまう。だが、死に物狂いで駆け続ける弥吉の耳には、はあはあとあえぐ自分の呼吸の音ばかりが耳について、まるで、物が考えられなかった。転ばんばかりに掛けていくと、ようよう森を抜けた。と、行くさきに、村の別の入会地が見えてきた。森の外側に広がる、日当たりの良い開けた草地。背の高い、すっと細い葉が生い茂っている。


 茅刈場だ。隣家の初江が内職の蓑笠づくりに使うための茅を刈るのを手伝って、弥吉も最近何度もここに来ていた。


(茅だ)


 弥吉の脳裏に、落雷のように、ひらめくものがあった。

 これで命が助かるかもしれない。


 弥吉は迷わず、生い茂る茅の中に突っ込んだ。途端に手足を取られ、駆けるというより歩く速さになってしまう。だが、弥吉は確信していた。


(蛇は茅に弱い、といったのは、クツナさま自身だ。クツナさまがまこと、蛇神様の一族なのであれば、この茅の藪には入れないはず)


 クツナだった大蛇は、茅の藪を前にしてたじろいだ。

 そこでとぐろを巻く。


 弥吉は息をつめて、茅の陰からその様子を伺った。


(思った通りだ)


「こざかしい小童め! ずっとそこに隠れているわけにはゆかぬぞ。出てきた瞬間に、丸呑みにしてくれる!」


 悔しそうに歯ぎしりしながら、クツナであった大蛇は藪の周囲をうろうろと行きつ戻りつした。だがやはり、藪の中には立ち入ることが出来ぬようだった。


(今だ)


 弥吉は勇気を奮い立たせ、腹に力を入れると、あらん限りの大音声で叫んだ。


「クツナさま、いえ、椀貸の辰平太様! わたくしは賭けに勝ちました。賭けに勝ったら、シノブシダもわたくしも見逃してくださると、そう、はっきりとおっしゃったのは辰平太様。どうぞそのまま、お帰りくださいませ! 椀貸の主、隠れ里の住人が、己の言葉をたがえることは許されません。そもそも、わたくしのシダは、盗んだものではないのですから!」


 高らかに響く声に、叫んだ弥吉自身が呆然としていた。己の身のうちに、こんな声があったなんて。いつもは気弱な自分が、ケンカでも出したことのないほどの大声だった。


「なにぃ! この小童、なぜ、わしの名を……!」


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フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] これでクツナは引いてくれるでしょうか。
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