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7 光明

「しかし、ただ一局ではつまらぬのう。おまえが覚えもしないうちに終わってしまう」


 クツナはぼやくように言うと、囲炉裏のふちに伏せてあった、欠けた湯呑をとった。


「せっかくの博打だ。じっくり楽しんでからがいい。といって、だらだらと何局もやるのでは、味が薄まるし、いかがしたものか」


 しゅうしゅうと息を漏らすように笑う。


「おい、おまえ。よく見れば、女のように綺麗な顔をしておるではないか。酌をしろ。わしが一杯飲んでいる間、その顔に免じて、覚えるまで修練をさせてやろう。おまえはしょせん、どうあがいてもわしには勝てぬが、道理もわからぬまま負けたのでは、わしがつまらぬ。せいぜい、負け方が分かるくらいまでは、コツを身につけるがよい」


 は、と低く応え、弥吉は懐に入れていた手ぬぐいを出して、沸き上がらぬ程度に火を弱めていた囲炉裏の上の鍋から、大きな徳利をとった。


「どうぞ。沼の主様は、こうした遊びにお詳しいのですね」


 言いながら、姉の手つきを真似て、できるだけ雅びやかに見えるよう徳利を傾ける。女のようだと言われて腹は立つが、そこはぐっとこらえた。使えるものはなんでも使って、知れるだけのことを知らねばならぬ。


 男は上機嫌に、湯呑を差し出して、弥吉の注ぐ酒を受けた。


「このあたりでは、椀貸のクツナと言えば知れた博徒よ」


「主様はクツナ様とおっしゃるのですか」


「なに、ただの通り名だ。真名をみだりに言うほど、わしとて、阿呆ではないわ」


「では、わたくしはクツナ様とお呼びしてようございましょうね? 真名を呼ぶほど不遜ではござりませぬが、お呼びのしようがなくては不便にございます」


「よかろう」


 男は喉を鳴らすように笑った。


 通り名で呼びかけることにしたのは、弥吉にとって、ダメでもともとの一つの作戦だった。


 そんなことは、姫様に対しては到底できないと思っていた。姫様は、心ばえも高貴であったし、教えてくれたのが通り名であっても、親し気にその名で呼びかけることなど、弥吉には考えも及ばなかった。


 しかし、この男は力が強いだけだ。尊敬に値する心ばえもないし、酒と博打に溺れる様子は、弥吉が内心で軽蔑している村や街の一部の男たちと何も変わらなかった。


 こういう連中の考えることは決まっている。


 いかに、自分を、実際の力以上に強く見せるか。

 いかに、男らしさを認めさせるか。


 弥吉は、悔しさはいったん棚に上げて、女のようだと言われた容姿を最大限に活用して、酒場や妓楼の女たちのように、なれなれしくほめそやして男の自尊心をくすぐり、油断を誘うことができないかと思ったのである。


 しおらしく酌をしながら、弥吉はさりげなく、男をつま先から頭のてっぺんまで検分した。


 偉丈夫(いじょうふ)である。弥吉が今までに見たどんな人間よりも背が高く、肩幅も広い。筋骨が隆々とした体躯は、その腕の先ですら、弥吉の太ももよりも太いだろう。日に焼けたものか、肌の色も浅黒い。髪はぼさぼさと伸びたのを、無造作に首の後ろで結ってあった。袴が簡素ながら決して粗末なものではない、実用的なものであることは先に気がついたとおりであるが、着古した単衣の長着もまた、藍染めの濃い、質の良い木綿ものであった。こちらも、細かい三角形が無数に並んだ、小紋の鱗柄である。


 不気味なのは、その目だった。どこかぬめぬめと感情を伺わせにくい、平板な印象の目である。ときおり、囲炉裏で火の粉がぱちりとはぜると、並の人間なら黒か濃い茶色に見えるはずの瞳が、どこか闇夜のほおずきを思わせる、暗く赤い色に見えた。その常人離れした色合いが、一層、気味の悪さを助長していた。


(姫様の目とは大違いだ)


 あちらもまた、並の人間とは違う紫がかった色合いの瞳をしていたが、その深い色は吸い込まれそうなほど美しかった。こちらは、目をそむけたくなるような、よどんだ恐ろしさを放っている。


 弥吉の好機はどこにあるのか、そもそも、そんなものがあるのかないのかも、今はまださっぱり見えない。ともかくも、この化け物に調子を合わせて、札賭けをするほかはなさそうだった。


「修練をさせていただけるとか。札を見てもようございますか」


 徳利を置いた弥吉が、札に手を伸ばすと、クツナは鷹揚に手を振って弥吉を促した。


「よく見て、覚えるがいい。覚えても、この賭けは運が多いがな」


 弥吉は札を手に取って、表に返し、裏に返しと、焚火の揺らめく明かりの中で検めた。

 この札はずいぶんと使い古されたものだ。古い紙に現れる、細かい褐色の点のようなものが見える。


 試しに、伏せた札をよく混ぜてから、先ほどクツナに教えられたとおりに配ってみた。

 自分の手もとに来た札を見る。


 蛇の五、小鳥の二、小鳥の四、茅の一、茅の四。

 弥吉の手もとには蛇が一枚しかない。ということは、相手の手札と、伏せ札の中に、蛇が四枚あるということだ。小鳥は注意して出さねばならぬということになる。一方、茅はそれに比べれば有利な札と言えるだろう。勝負が進んで、場に出され、明らかになった札が増えるほど、手札の強い・弱いがくっきりしてくることになる。


 ただの運ではない。むしろ、駆け引きの勝負と言えそうだった。

 だが、伏せ札がある以上、最後はやはり運が物を言う。


 再び、札を山に積みなおそうとして、弥吉は何気なく札をかき混ぜた。その手もとで、ふと裏返って、絵柄が見えた札があった。


 龍神だ。


 堂々とした龍が、まっしぐらに天に向かう図柄には、迫力があった。弥吉は贅沢な調度品には疎いが、こうした札も、好事家ともなれば、名のある職人に作らせることもあるだろう。よほどの絵師が下絵を描いたものかもしれない。これだけ古びても大事につかうのだ、由緒のある品と見えた。


 その札を他の札と揃えて山に積んだ時、弥吉の目に飛び込んできたものがあった。


 今しがた、裏紙を上にして重ねた龍神の札。その暗赤色の角が、わずかに擦り切れて、土台の白い厚紙の生地がちらりとのぞいているのだ。


 弥吉は、ぐっとこらえてなんでもない表情を保ちながら、札を積みなおした。


(龍神は勝負を決める切り札。その龍神が、裏から見てもわかるとしたら)


 これが、弥吉の、かすかに見えた光明なのかも知れなかった。


   ◇


 もう一つ、弥吉に光明があるとすれば、それは酒である。


 一升五合は入ろうかという大きな徳利には、最初、なみなみと酒が入っていた。三太郎が時折家で飲むものよりもよほど酒精が強いらしく、燗をたてた酒は、徳利を傾けるたびに、むせるような野性的な香気を辺りにふりまいた。

 それを、ふちの欠けた湯呑で彼はぐいぐいと飲み進めていった。


 弥吉も心得て、杯が空くとすかさず徳利をかかげて、首をかしげて見せた。おかわりはいかがですか、というわけだ。クツナは上機嫌で、そのたびに湯呑をつきだしてよこした。


 酌のかたわら、弥吉は自ら札を配って、一人二役で修練を積んだ。その間に、クツナは肴もなしに半分以上の酒を飲んで、その首筋のあたりが赤らんできていた。


 赤らんだ首筋に、着物の鱗紋と同じような、三角のかすかなあざが整列しているのが見えて、弥吉はぞくりと肝を冷やした。刺青とは思えない、独特の凹凸を伴った、どす黒いあざだった。


(本当に、これは人ではないのだ。椀貸の主を名乗るこの男は、まことの化け物であったのだ)


 三度ほど、弥吉の修練の局が終わると、クツナは退屈そうに大きく伸びをした。


「もういいだろう。次で本番だ」


 弥吉はどきりとした。勝機はまだ何も見えてきていない。だが、反論して何になろう。ここで無為に札をかき混ぜていたからと言って、これ以上事態が好転するとは思えなかった。


「かしこまりました。わたくしも(はら)をくくります。命の関わる大勝負です。その前に、お手水に行ってもよろしゅうございますか」


「なに」


 クツナは不快そうに口の端を下げたが、弥吉は食い下がった。室内の気は、焚火の煙と酒の匂いが混ざって、すっかり濁っていた。一度、澄んだ外の気を呼吸して、気を引き締めたかったのだ。


「緊張のあまり、もらしでもしたら、クツナさまに申し訳がございませぬ。ここはどうかひとつ、ご寛恕のほどを」


「ふむ。仕方あるまい。急ぐのだぞ」


 弥吉は素早く小屋を出た。

 もう、真夜中近いだろうか。すこし傾いた十二夜の月明かりに、辺りは淡く照らされていた。よく晴れていて、星が頭上に輝いていた。


(これで見納めかもしれぬなあ)


 ふと、気弱になった。


 そんな思いを振り払うように、辺りを見回した。辛うじて、物の場所がわかる。小屋の裏手の崖のようになった方角から、かすかに水の音が聞こえた。

 急に喉の渇きが強くなって、弥吉はそちらに歩み寄った。近寄ると、水音は大きくなり、澄んだ水の匂いもした。山の清水が小さな流れを作っていたのだ。


 手を結んで、滴り落ちる水を受ける。口に含むと、清い水はひんやりと甘く弥吉の口内を潤した。生き返るような心地だった。


「弥吉」


 ふいに名を呼ばれて、弥吉ははっとし、次の瞬間、むせこんだ。驚いた拍子に、水を肺腑のほうに吸い込んでしまったのだ。

 そんな弥吉の様子に、鈴を転がすような笑い声が起こる。


 男の声ではない。小さな女の子の声だ。

 聞き覚えがあった。


「気をつけて帰れと申したのに。すっかりつかまっておるではないか。じいやが弥吉を構っていたおかげで、私は出かけていたのを悟られずに済んだがな」


「姫様!」


 声は生い茂ったシダの陰から聞こえた。そこに隠れて、様子を見ていたのだろうか。


「クツナさまが、姫様のじいやなのですか」


「なんだ、あやつ、相変わらずだらしのないやつだのう。もう、通り名まで弥吉に知られておるではないか。教えねばならぬ特段の義理も事情もあったようには見えぬが」


 姫様は呆れたように舌を鳴らした。


「ご自分でおっしゃったのです」


「そうであろうよ。あやつはそこまでのやつ。力こそ強いが、うかつなのじゃ。ほんに、けしからん。さて、弥吉のおかげで、私は鎖で打たれずとも済んだが、じいやの粗忽は、とがめねばなるまいの。ここは、ひとつ、弥吉に加勢をしてあやつに灸をすえてやろう」


 姫様の、幼い声に似合わぬ人の悪い笑い声が聞こえた。


「あやつは、怒らせればかならず、真の姿を表す。そのときに、十分に間合いを取って、あやつの真名(まな)()るのじゃ。真名は魂を縛る言葉。真名を呼んで、下がれ、と申せば、やつはおぬしに手を出せぬ。やつの真名は、椀貸(わんかせ)辰平太(しんぺいた)。よく、覚えておくのじゃぞ」


(あの化け物の、真名だって?)


 そんなものを下々の人間に過ぎない弥吉が知ったと相手に悟られたら、札賭けの約定などあっという間に吹っ飛んで、あの化け物は怒り狂って弥吉を丸呑みにしてしまうのではないだろうか。


 あまりに恐れ多く、危険な情報に、弥吉が目を白黒させて返事もできずにいると、姫様が小さくため息をつく気配がした。


「じいやの力は強い。今の私では手出しができぬが、弥吉には私の守り袋がある。中の、霊力のうろこは三枚。上手く使うのじゃ。かならず村に帰れよ。機をとらえるのじゃ。弥吉には、大事な姉御が待っておるのであろう」


 弥吉はとっさに、姫様からいただいた守り袋を、懐の上から押さえた。


(霊力のうろこ……?)


 それは確かに固く、どこか温かい手ごたえを返してくれたが、そんな言葉を聞くのも初めてである。上手く使う、といわれても、弥吉にはさっぱり見当がつかなかった。


 だが、弥吉が何か問うより一瞬早く、かさっと小さな音がして、姫様の気配は消えた。


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ヘッダ
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フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] 霊力のうろこ、これ、「姫様の」うろこなのでしょうか? 使い方が分からぬままのようですが、弥吉を守ってくれるのかな?
[一言] 盛り上がってきましたね。 あと三回。
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