6 札賭け
男の後を追ってたどり着いたそこは、森のわずかな空き地に建てられた粗末な一間限りの小屋だった。
部屋の中央にある囲炉裏をつついて、男はうずめてあった熾火から火を起こした。自在鉤にかけっぱなしになっていた鍋の水を温め、むき出しの梁からひもでぶら下げてあった大きく重そうな徳利を、無造作につっこむ。燗をつけているのだ。
弥吉はのどがカラカラだった。鍋の中でゆらゆらと沸きかかる湯を見るうち、その、いつ汲まれたものかもわからない白湯でいいから一口飲みたいと思うほどだった。だが、この男にこれ以上ものを乞うのは業腹だった。
黙って生唾を飲み込み、渇きに耐えていると、男は、囲炉裏端の粗末な板敷の床に、薄汚い木綿の巾着袋を一つ、ぽんと投げた。
「上がって、そこに座れ」
自分は部屋の奥、入り口の見える上座に座って、弥吉にその正面を指さす。
「袋を開けて見よ。教えるから、床に広げるのだ」
言われるがままに弥吉は巾着袋を開いた。
中から出てきたのは、使い古された、紙張りの絵札だった。裏面は全て、草いちごの実のような黒ずんだ濃い赤の紙が巻かれている。表面には、札ごとに違う絵柄が描かれた紙が貼り付けてあった。伏せてしまえば、どの札がどれやらわからないが、一枚ずつが異なるということらしい。
絵柄を上に向けて、男は札を三つの群れに分けた。
「これが蛇。こちらが小鳥。こちらが茅だ」
なるほど、絵は全て違うが、様々な姿の蛇が絵が描かれたものが第一群、小鳥の描かれたものが第二群。第三群には尖った葉の草が描かれている。簡素な線で描かれているため、すすきにも蒲にも見えるが、これが茅ということらしい。
「蛇は小鳥に強い。小鳥は茅に強い。茅は蛇に強い。三すくみだ」
じゃんけんのようなものか。
「札にはそれぞれ、一から五まで、数字が書いてある」
「十五枚ということですか」
「そこにもう一枚、これが加わる」
男は、他の札に半分隠れていた一枚の札を引き出し、弥吉に示した。
「龍……」
弥吉は思わず呟いた。激しい雷雨の中、天に向かって駆けのぼる龍の絵が描かれている。絵の隅に書き入れられた数字は七。
「どの札よりも強い、龍神だ」
男は全ての札を裏に返して、板敷の床の上でかき混ぜた。途端に、どの札がどれやらわからなくなる。裏向きのままの札を、男は角をそろえて一山に積み上げた。
「わしとおまえは、この山から、交互に一枚ずつ札を引く」
自分が一枚とって、弥助にも取るよう促す。繰り返して、二人はそれぞれ、手もとに五枚ずつ札を持った。
「残りの六枚は伏せておく。この局では用いぬ、伏せ札だ」
なるほど、と弥吉は内心でうなずいた。伏せ札がなければ、弥吉の持っていない札は男が持っている、男が持っていない札は弥吉が持っている、ということになってしまう。相手の手がまるで透けて見えているようなもので、それでは、賭けが成立しないだろう。伏せ札があるからこそ、自分の持っていない札でも、相手が持っているかいないか、わからない、という状況が生まれるのだ。
「五枚持ったら、勝負開始だ。自分だけに見えるよう手札を持って、好きなものを一枚、伏せて場に出す。この局は数えぬから、試しに、出してみろ」
促されて、弥吉は手もとの一枚を適当に選んで床の上に伏せた。男も、自分の手札から一枚、札を伏せる。
「掛け声で、札を表に返す」
男は息を深く吸いこみ、割れ鐘のように濁った大声をあげた。
「雷!」
男の手が素早く動き、伏せた札を表に返す。大声に気を呑まれかけた弥吉も、一瞬の遅れで、自らが伏せた札を返した。
男の札は、茅の三。
弥吉の札は、蛇の四。
「ここで、三すくみを使うのだ。茅は蛇に強い。この場はわしがとる。三と四で、七点だ」
男は二枚の札をさらうと、表を見せたまま、自分の膝の前に並べた。
「これを五回、繰り返す。手札がなくなったとき、点の多い方の勝ちだ」
「同じ絵柄の札が出たら、いかがなさいますか」
「点の多いものがとる」
「手札がなくなった時、合わせた点の数が同じだったら?」
「取った札のうち、点の多い札を多く持ったものが勝つ。龍神が出て、同点だったら、龍神をとったものが勝ち。龍神が出ていなければ、五点札の数、四点札の数、と比べてゆくのだ」
男の声に満足げな笑いが含まれた。
「わしが思った通りだ。おまえは生まれながらの博徒だ。目端がきき、気で負けておらん。そうでなくては、相手にとってもつまらぬというもの。これはよい拾い物をした」
弥吉の胸に、むかむかとしたものが沸きあがった。
弥吉はまだほんの子どもで、賭場への出入りが許されぬことは、さきほどこの化け物に主張した通りである。だが、歳が満ちたとしても、弥吉は、賭場に向かう自分はおよそ想像ができなかった。
弥吉の隣家に住む初江は、四人もの子どもを抱えて、寝る暇もなく働いている。まだ夜も明けぬうちに家を出ては、歩いて半刻かかる宿場町まで出向いて飯茶屋で給仕と飯盛りをし、夜は藁をなって草鞋を作ったり、菅や茅をとってきて蓑や笠を編んだりしているのだ。一番上のまだ八つのお通が下の子の面倒を見て、母を助けているが、とても手が回らなくて、身体が弱いなりに気を回したまつが、昼間には何度も末の赤子を預かって、むつきを変えたり重湯をやったりしていると聞いていた。
それもこれも、連れ合いの半次が、先祖伝来の田畑を賭場ですって、あっという間に失くしてしまったからだ。それなのに、半次はまだ懲りずに、自分が荷運びで得たわずかな給金も、みな賭場で使い果たしてしまう。田畑を取り戻すのだと大言壮語しているが、もう、半次の言うことをまともに聞く者は周囲に誰もいない。
杏庵先生のところで働いていると、半次と初江のような話は、うんざりするほど繰り返し、聞かされた。博打。酒。女。大概そのどれか一つか二つ。悪くすると、三つ全部。新しい街道が村の近くを通るようになり、宿場町が半刻のところにできて、そうしたもめごとは増えていた。宿場町には、欲を満たす場所が、幾つも新しくできていたからだ。
そういう輩は、妻や子が病を得ても、金を惜しんで、決して進んで杏庵先生のところに連れてこようとはしない。だいたい、近所の者が見かねて、もう手遅れになりかかったのを連れてくるのだ。何とか治るものはまだよいが、手立てがなく、儚くなるものもいる。そんな妻や子の葬式で見るもみじめに泣き散らしては、初七日も済まぬうちにまた賭場に向かう男を、弥吉は何人も見てきた。
博打は病だ。
弥吉の義理の父、三太郎とて、周りにはそう見せぬだけで、同じ病にかかっている。
金貸しにも、二種類の者がいる。金を貸すことで、貸した相手の生業が上手く流れ出し、利益を生み出すそのきっかけを作ること自体を喜び、必要な人間に必要な時期に助けがあるように金を貸す者と、貸した金が増えて戻ってくるかどうかだけを気にかけ、貸した相手がどのような状態にあるかは、己の利益に関わる範疇でしか気にしない者だ。
三太郎は、己の金儲けが上手くいくことしか期待しない。貸す基準は、金が増えるかどうかだけだ。見込みがないと思えば、どれだけ相手が窮状を訴えても決して首を縦には振らない。その、絶大な自信をもった見込みで、貸す、貸さぬを決めるのは、おそらく、三太郎にとっては博打のようなものなのだ。その博打に勝てば自分が大きく強くなったような気がするのだろう、と、弥吉は見ていた。
だから、貸した金が返ってこなかったとき、三太郎は怒りに荒れ狂う。その怒りに任せて、貸した相手から身ぐるみはがして、貸した金と利子にあたる値を巻き上げるのだという。夜逃げや心中をした家も、一つではないらしい。住処の近くでは商いをしないというだけで、宿場のある街や、その付近の村で、三太郎がどれだけ嫌われているかは、人の出入りが多い杏庵先生の養生所で奉公すれば、おのずと弥吉の耳にも入ってきた。
稼ぎがあり、村の入り用は気前よく払うので、弥吉の村で表立って三太郎を悪く言う村人はいない。だが、近隣の村とも付き合いがある古くからの村人は、三太郎を内心では忌み嫌い、そんな人間を家に引き入れた弥吉の母を軽蔑していた。
今では、まつと弥吉の姉弟に親切にしてくれる人間すら、杏庵先生や初江など、ごく限られた人々だけになっていたのだ。
弥吉は三太郎と血のつながりはない。だが、生まれつきの博徒、と、この化け物に言われたことで、強欲で我がことしか顧みぬ、賭場にとりつかれた男たちや、金貸し業に魂を売り渡したような義父と同じ性根の人間なのだ、と、嘲笑われたような気がした。
(この化け物にだけは、けっして屈してなるものか。こんなものは、守り神様でも何でもない。必ず、生きて、シノブシダを持って姉上の元に帰るのだ)
弥吉は腹の底で、固く決意した。