3 取引
「はい。存じておりました」
それだけ言って、弥吉は深く頭を下げた。厳しい叱責を覚悟したが、少女は何も言わなかった。恐る恐る顔をあげた弥吉を見て、彼女はふと悲しそうな顔を見せた。
「おぬしは背のわりに身体も細い。ろくに食べておらんのであろう。だが、かごのシノブシダは半分しか入っておらん。山盛りに採っていないところを見れば、売りさばく目的の盗みではないな。事の次第を申せ」
促されて、弥吉はぽつりぽつりと事情を説明した。
村の金貸しの息子で、今は、医師の杏庵先生の元で通いの丁稚奉公をし、修行していること。
身体の弱い姉が病に臥し、先月から具合がかなり悪くなって、熱がずっと続いていること。
毎朝毎晩、シノブシダを煎じた薬湯を飲んで、ようやく、うとうとと眠れる程度の病状をかろうじて保っていること。
ふだんは弥吉の村の入会地でシノブシダを集めているのに、三日前、村の警備をすり抜けて泥棒が入り、入会地の本草が根こそぎ持ち去られてしまったこと。
シノブシダの薬湯を飲めなくなった途端に、姉の熱が高くなり、うなされているのを見かねて、禁じられているのを承知で、村境の先にある、禁じられた椀貸沼の崖に生えているシノブシダを採りにきてしまったこと。
隠れ里の民には詫びと礼に、お神酒を最後に供えて帰るつもりだったこと。
「そのお神酒はいかにして手に入れたのじゃ」
「杏庵先生は、丁稚奉公といえども住み込みではなく通いの身分のわたくしには、食事と炭の用立てにするようお給金を出してくださいます。いつもは、持って帰ったその晩に父に渡さねばならぬのですが、今月は、暦のあやで、一日早く給金をいただけたのです。それを見ていたら、つい、この金でお神酒を買って椀貸の主様にお許しを願い、シノブシダを分けていただければ、と出来心がわきました。全部遣うわけでなく一部なのだから、自分のためではなく姉のためなのだから、と」
弥吉はいったん言葉を切った。恥ずかしさに、身がよじれそうな心地がする。一度強く下唇をかんでから、続けた。
「それでも、いくら、お神酒でお返しするつもりだったとて、黙ってこの崖の先のものをいただけば、それは盗みだということをわかっていなかったわけではございません。すべて、浅はかな考えでしたことです。申し訳のしようもございません」
「おぬしの師匠のところには、シノブシダはもうなかったのか。給金を返上して譲ってもらうこともできたであろう」
「入会地のシノブシダを根こそぎ持って行かれては、先生のところにも、もう、余分の在庫はございません。行商の薬売りは先月通ったばかりで、すぐには買い付けもままなりませぬ。先生は、その薬売りの立ち寄り先に先回りして文を出し、戻ってくれるよう頼みましたが、薬売りが文を見て、先生が注文した量のシノブシダを調達し、村に戻るまでには半月は掛かるでしょう。わたくしは、姉の命はそれでは間に合わぬやもしれぬ、と思ったのでございます」
「うむ」
少女は重々しく相づちをうって、腕を組んだ。
「姉御は、おぬしにとって、大事な人なのだな」
「はい。姉と申しましても、血のつながりはないのでございますが。姉は父の連れ子でした。わたくしは、母と先夫の子なのでございます。夫に先立たれ、残された家で、女手一つでわたくしを育てていた母のもとに、今の父が姉を連れてやってきたのです。母は最初は優しかった父にすっかり気を許して、婿に迎えました。ところが、母が病に臥した時には、父はもう、母にはすっかり興味を失くして、商売のほうに夢中になっておりました。村の近くに新しい街道が通ったことで、金貸し業が急に栄えたのだとか。わたくしの母が病みついたときに、まだほんの子どもであったわたくしの面倒を見、生さぬ仲である母の看病をしてくれたのは、姉でございました。母を、実の母のようにいたわって、最期まで看取ってくださったのでございます」
その後も、父は金を増やすのにかかりきりで、弥吉は全く顧みられることがなかった。その弥吉に、姉のまつは、母代わりになって身の回りの世話をしてくれた。姉が最低限の読み書きそろばんと家事を教えてくれたおかげで、弥吉は丁稚としてなんとか使えるようになり、おととしから、杏庵先生の見習い弟子として奉公させてもらえるようになったのだ。
「ですが、姉も生まれつき、身体が弱いのでございます。わたくしの母の看取りで無理をしたのか、姉は母が亡くなってから次第に具合が悪くなり、もう二年近くも寝たり起きたりの暮らしをしております。わたくしが母の世話をもっとできていれば、姉に無理をかけることもなかったのですが」
弥吉はふたたび、唇をかんだ。このことを、誰かに言葉にして話したのは初めてだった。村のものはみな、弥吉の家の事情を知っているから、あえて説明することもない。村の外のものに、こんな家中の話をする理由も機会もない。
見習い奉公と言えば、普通は無給の住み込みが当たり前だ。朝一番から、夜寝るまで、師匠につかえ、身の回りの雑事も全て引き受けながら、その仕事を見て学ぶのだ。一人前になるまでは働いても給金が出ない代わり、衣食住の掛かりは師匠や親方が持つ形が普通である。特に、医者ともなれば、夜中に急に呼ばれて往診に行くことも多い。夜ごとに実家に帰っていたのでは、仕事をすべて覚えることはできない。
だが、杏庵先生は通いの奉公を許してくれた。その理由は、まつの存在が大きかった。弥吉が奉公を始めるころには寝たり起きたりの生活になっていたまつの世話を、父は、仕事にかまけておろそかにするであろうことは火を見るよりも明らかだったからだ。それどころか、自分が遅くに帰ってくれば、酔いに任せてあれこれまつに言いつけるような人間だったから、まつを一人家に残して先生の家に住みこむことはできぬ相談だった。
弥吉は夜明け前に起き出して、家族三人の家事をし、まつの薬の世話をしてから杏庵先生のもとに向かう。一日奉公して、日の暮れる少し前に帰宅し、また、家のことをするのが日課になっていた。夜は、囲炉裏の端で、シノブシダの煎じ薬を弱火で煮だしながら、借りてきた書物で勉強をする。
杏庵先生は、まつの世話を誰かに頼めれば、住み込みで修行する方が良い、と常々言っていたのだが、近所のものであれ、続けて毎日の世話を頼むのであれば謝礼がいる。みな、働かなければ食べていけないのだ。だが、弥吉の家では、とても、まつの世話を人に頼めるような余裕はなかった。
義父の三太郎は気まぐれな人間だった。金がないわけではないのに、子どもたちの様子を顧みないどころか、生活の費えまで、なおざりにしかよこさない。本人は、出かけた宿場町で客の接待をかねて食事をすませてしまい、儲けた金は次の金貸しの種にしてしまうのだ。杏庵先生の厚意で、本草の卸値そのままでまつの月々の薬をどうにか調達した後は、まつと弥吉は食べるものも少なく、杏庵先生がわずかながらに弥吉にくれる手当を当てにするしかない日々が続くことすら、稀ではなかったのだ。
お神酒は、そんなわずかばかりの貴重な給金の中から、衝動的に買ってしまったものだった。月の後半、どうやって食べていこう、と考えると、今でも弥吉の胃の腑のあたりはきりきりと痛んだ。
「ふむ。それで、シノブシダをな。相分かった。私がなんとかしよう」
少女は大きくうなずいた。
「な、なんとか、とおっしゃいますと」
「私と取引をすればよい。そのお神酒はしまっておけ。私は、好物のいちごをとりにきたのじゃ。だが、このひざでは、かがんでいちごをとるのは辛い」
彼女は、弥吉と衝突したあたりの地面を指さした。小ぶりなざるがひとつ、転がっていた。
「その沼の横に回り込んだ先を少し行くと、森の空き地がある。そこは、私の行ってはならぬ土地、弥吉の村の入会地なのじゃ。行けばわかる。よう、村のものがいちごを摘みに来る。あのざるにいっぱい、空き地のへびいちごを摘んできておくれ。ざるいっぱいのへびいちごと、かご半分のシノブシダと、交換じゃ」
入会地、というのは、この近辺の習わしで、村全体の共有財産として利用している土地のことだった。例えば、薪を拾ったり、山菜やキノコや木の実を集める森。家の屋根をふいたり、畑の霜よけに敷いたりする茅や菅を刈り取る草地。村全体を潤す小川の水源の池。
村全員の暮らしに欠かせず、誰か一人の都合で取引したり、田畑に変えてしまっては困る土地を、村長が取りまとめて、みんなで管理し、利用しているのだ。他の村の入会地には立ち入らない、というのは、近隣の村同士の付き合いでも重要な取り決めのひとつだった。
(やはり、このお方は隠れ里の姫様なのだ)
弥吉の村の入会地に入ってはならない、というのは、隠れ里の側でも、決まりになっているということなのだろう。
古老の語る伝説は、村の近くを新しい街道が通り、にぎやかな街の様子を伝え聞く機会が増えるにつれ、大昔のおとぎ話だろう、と、真に受けない子どもたちも増えていた。だが、本当だったのだ。
この娘には、弥吉に、従わなければならないと思わせるような不思議な威厳がある。
これこそが、守り神様である隠れ里の民の証拠でなくて、なんだろうか。
弥吉はひざをついて頭を下げた。
「温情、かたじけのうござります。すぐに集めてまいります」