終焉のとき
終焉の時が、近い。
…もう少し時間があると、思ったのだが。
いよいよ指を持ち上げる力すらなくなってしまった。
もう、私は物語を認めることが…できないのだ。
数多くの物語を残してきた私の最後は、実にあっさりと、しかし確実にやってきた。
私の認めた物語のように、命は突然若さを取り戻すことはなかった。
私の認めた物語のように、時間は突然遡ったりしなかった。
私の認めた物語のように、人あらざる者が現れて、現状を変えてくれることはなかった。
私はただ、命を終えるばかりの存在になったのだ。
思考能力も、随分…衰えた。
思い残す事すら、浮かんでこない。
物語になる、物語のかけらが、浮かんでこない。
私の中にある、文字にするべき物語が、文字になることは、もう、ないのだ。
私の中に、物語があることを、確認することは、もう、ないのだ。
…ああ、ずいぶん、体が、おもい。
体にのしかかる重力に、間もなく、私は。
肉体という器が、重力から魂を守っていたとしか思えない。
肉体が衰えて、重力の重さを支えきれずに、魂というものは潰されてしまうのではないか。
命の終わりとは、こうも…圧し掛かるもの、だったのだ。
人として生きてきた長い月日、重力の重さに気が付いた一瞬など、ほとんど無かった。
これほどの圧を、私は今まで…当たり前に受け止め、受け入れ、歩んでいたのだ。
…いきる人間というものの、力強さを、知る。
重い、ずいぶん…重い。
私は瞼さえも開くことができなくなり、ただ残された魂の器の中で、つぶれるのを待っている。
私が、つぶれてしまうまで、あと少し。
私は、私の中にある思考を引っ張り出すことが…できない。
私は、ただ、ふわりふわりと漂う、感情を拾うことにした。
…ああ。
…よかった。
物語を書けて良かった。
私が残した数々の物語は、私の中で消滅せずに世界へと羽ばたいていった。
どこかで、私の物語を目にした、誰かがいる。
私の物語は、私の中でくすぶり続けた…ただの妄想ではなく、誰かのもとに届いた歴とした物語。
例えば、誰かが私の物語を読んで、生きる道筋を逸らす事になったのかもしれない。
例えば、私の物語が、誰かの中で新たな物語として生まれ変わるかもしれない。
…人生の終焉に、誰かの生きる道筋を思う。
私が物語にしなければ広がらなかった世界が…確かに、この世界に、存在した。
…私は、物語を、書いたのだ。
私の書いた物語が、誰かのもとに届いた事実。
私の物語が、誰かの目に留まる、それだけで私は。
…私は、満足、しているのだ。
毎日綴った、拙い私の物語。
毎日小説投稿サイトに発表し続けた、私の、物語。
毎日一作品、必ず更新される、私の、物語を発表する…大切な、場所。
…私の物語は、私がいなくなっても、しばらくは、更新が続く。
…私の中から飛び出した物語は、一日一作品に止まることが無かった。
…私が世界から消えても、毎日新しい作品が、公開されて、ゆくのだ。
…予約投稿分が、尽きるまで。
突如、その筆が止まったならば。
作品公開の更新が止まれば、やがて、私の物語を見に来る誰かは…いなくなるだろう。
私の物語を発表する場所は、新しい物語の増えることのない、かつて綴られた物語を確認するためだけの、場所となるのだ。
…私の物語は、このまましばらく、残るはずだ。
誰かが、ふいに、見つけ出すことだってあるだろう。
誰かが、思いがけず、心を奪われることだって、あるかもしれない。
誰にも、気付かれぬまま、電脳世界の…底に沈むのかもしれない。
…私は、物語を残せたことに、満足している。
…私は、物語を、誰かが、目にしてくれる機会があることに、満足しているのだ。
いま。
終焉を迎えようとする私にしか綴れない物語が、私の中にある。
…それを認める手段は、私には残されていない。
…それを文字にして文章に仕上げる思考力は、私には残されていない。
…致し方ないことだと、理解は、できている。
もうすぐ私はつぶれてしまうのだ。
…無念といえばいいのかもしれない。
けれど。
私は物語を綴れない今だからこそ、私の中に広がる物語のその濃さに満足しているのだ。
文字に残せないからこそ、一言一句忘れることの許されない状況が、濃縮した物語を紡ぎ出している。
終焉の物語は、実に濃厚で納得の行く仕上がりになった。
この物語は、私だけが知る、私だけの物語。
この物語をしっかりと魂に刻み込んで…私はまもなく。
わたしは、まも、なく。
まも、な、く・・・。