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Ep.2 悪役令嬢と当て馬王子

 大失態だ。


 黒地に金糸の刺繍が施された礼服姿でこちらを真っ直ぐに見据えているのは、心待ちにしていた婚約者ではなく、彼の腹違いの兄・イグニスだった。


 普通の者なら見られただけで萎縮してしまいそうな鋭利な美貌のイグニスに睨まれながら、カナリアは自身の浅はかさを呪う。




 侍女が“殿下”としか言わなかった時点で思い至らねばならなかった筈である。自分を呼び出した相手が、婚約者リヒトではなく兄イグニスの方であった可能性を。我が国の王子は二人居るのだから。




(イグニス様とは今まで接点もなかったし、私を名指しで呼んだならリヒト様だろうと完全に思い込んでたわ。ついてくる前に確かめておくべきだった……!)




 とは言え、後悔しても今更だ。カナリアは凛と顔を上げてイグニスに向き直った。




「ごきげんようイグニス様、わたくしに一体何のご用でしょうか?」




 公式な場では無いとは言え、相手は王子で自分は公爵家。最低限の礼として、ドレスの裾を持ち膝を折る。


 正直、婚約者以外の男に一方的に呼び出されたあげく鍵までかけられ閉じ込められたなんて醜聞極まりないのでカナリアとしては怒り心頭だが、そこは“完璧な淑女”として長年培ってきたいかにも令嬢らしい優雅な微笑みで覆い隠した。




 完璧な淑女足るもの、顔には常に女神のごとく笑みを称え、足取りは羽のように軽やかに、愛らしい鈴の鳴るような声で話さなければならない。例え相手がどんな者であっても。


 これが、カナリアが破滅回避の為に一番に掲げてきた淑女論であった。正直、嫌いな相手に対して使うには精神的に苦痛を伴う技ではある。




(ほんっっといきなり何の用なの!?話があるならさっさとして!)




 既にお怒り状態なので早くお暇しないと被っている猫が逃げ出してしまいそうだ。いい加減ひくつきそうな頬を気合いで押さえ込みニコニコしているカナリアを、イグニスは頭から爪先までじろじろと見ている。それこそ不躾な程に。


 そして、おもむろにふんと鼻を鳴らした。




「はっ、皆が声を揃えて素晴らしいと誉めそやす弟の婚約者が如何程の女かと呼んでみたが、なんの事はない凡庸な小娘じゃないか」




「……はい?」




 唐突すぎる罵倒に、一瞬頭が真っ白になった。思わず素でリアクションしてあ然となったカナリアの顎を、イグニスの指先が軽く持ち上げる。


 鋭利な紫紺の双眸の中で、カナリアはキッと目尻をつり上げた。


 勝ち気なその態度が癪に触ったのか、イグニスの美麗な顔が歪む。




「ふん、間近で見ると見目はまぁ悪くはないが、可愛げの欠片もない表情だな。何故リヒトが貴方を選んだのか理解しがたい」




「イグニス様がわたくしを好ましく思っていらっしゃらない事は存じておりましたけれど、まさかこうして直々にお言葉を頂く日が来ようとは夢にも思いませんでしたわ。それに、不仲である弟の婚約者がどんな女であろうとイグニス様には関係ないのではなくて?」




 的を得たカナリアの嫌味に一瞬、イグニスが押し黙る。数秒後、苦虫を噛み潰したような声でイグニスは答えた。




「いいや、関係ならある」




「……え?」




 いやいや、お前はリヒトと自分の婚約には無関係じゃないかときょとんとしたカナリアの前で、イグニスはバンッと力強くテーブルを叩いた。




「聞きたいのならば聞かせてやろう。貴方は知らないだろうが、私は視察に向かう船の上で病に伏した彼を治療した町医者である母と現国王の間に産まれた。王妃から産まれたあの弟リヒトと同じ年にな!確かに母の身分は違う。しかし、同じ王を父に持ち、同じ年に産まれた筈なのに、私は王宮に引き取られる以前の生活、王宮入り後に学び始めた学問、音楽、芸術、剣術、武術に馬術、果てには遊戯の類いまで!出会ってから今までただの一度もリヒトに勝ったことがない!!だから、私はあいつが初めて出会ったあの日からずっと大嫌いだ!!」




 『だからこそ!』とまたバンッとテーブルを叩いてから、イグニスがとりあえず黙って話を聞いていたカナリアを指差す。




「半分は下賎な血の混じった偽の王子だと私を嘲る者達を見返す為にもいつか必ずあいつをうち破るとその為に鍛練を重ねていたのに!その私が何故リヒトはともかくその婚約者にまで負けなきゃならんのだ、納得いかん!ましてやあの憎きリヒトの相手だ。貴方が絵にも描けないような美女ならばまだ我慢も出来たものを、こんな可愛げのない、公爵令嬢の盾を失くせばすぐ凡庸に成り下がりそうな小娘が相手な上に、リヒト自身もお前を好敵手としても認めているだなんて許せるものか!!!私は最近ではリヒトに何で勝負を挑んでも相手すらしてもらえないと言うのに!!」




「……つまり、リヒト様がイグニス様との勝負はお受けしないのに、わたくしとは学問を教えあって理解を深めたり、チェスを嗜んだりする時間を取っていることが大変気に入らないと?」




「その通りだ、理解力だけはあるらしいな」




 ふんっとふんぞり返るイグニスを見上げ、カナリアは更にポカンとした。


 なんだか彼の妙な勢いのせいで色々ややこしくなっているが、詰まるところこれは……。




(要はイグニス様、『自分は構って貰えないのになんでリヒトは私にばかり構うんだ、許さん!』って言いたいのよね?え、つまりイグニス様、憎いだの嫌いだの言っといて実はリヒト様が大好きなんじゃないの?)




 そう、つまりこれは、カナリアへの完全なる嫉妬だ。何てことだ、イグニスがまさか、憎さ余って可愛さ100倍が如くリヒトに兄弟以上の執着心を抱いているとは流石のカナリアも夢にも思わなかった。




(今までリヒト様を慕う“女の子”から嫌がらせされたり釣り合わないのなんの言われたことはたっくさんあったけど、まさか未来の義兄からまでこんなこと言われるとは思わなかったわ……!でもとにかく、見た目クールな俺様系イケメン×癒し系弟の組み合わせは美味しい、ありがとう公式!!)




 カナリアの中の人は、ちょっぴり腐女子であった。相手が男と言うこともあってイマイチ恋敵と対峙している感じがしないせいもあり、少しだけ頬が緩んでしまう。


 そんなカナリアを見て、イグニスは更に怒りを増した。


 


「この状態でよく笑えたものだな、馬鹿にしているのか!?とにかく、お前がリヒトの隣に並び立つだけ価値があるなど俺は認めない!!!今すぐにでも破棄させたいくらいだ!」




「ーっ!」




 その瞬間、婚約者のリヒトの前ですらこの数年間びくともしなかったカナリアの“淑女”の仮面がピシリと音を立てて、ひび割れた。




 ツカツカとイグニスに歩みより、閉じた扇をその頬に向かい力一杯振り下ろす。スパーンッと景気が良い音が響いて、イグニスの陶器のような頬に痛々しい赤い筋が刻まれた。




「なっ、なにを……っ」




 頬をおさえることすらせず目を見開いているイグニスの鼻先に、カナリアはびしっと扇の先端を突きつける。




「さっきから黙って聞いててやれば好き放題言ってくれるじゃない、ふざけんじゃないわよ!“婚約破棄”だなんて、あんたが簡単に口にしないで!!」




 自分が婚約破棄それを回避するために、どれだけの努力をしてきたと思っているんだ。それでも私が気に入らないと言うのなら……。




「私は、リヒト様に釣り合うため本気の努力をして今のわたくしを作り上げました。ですから、私が彼の隣に立つことに、誰にも文句なんて言わせない!どうしても私をリヒト様から引き離したければ、勝負で私を倒すしかないわよ!」




 バッと扇を開いて、唖然としたイグニスを見すえたカナリアが高らかに言う。




「文句があるならかかってらっしゃい、返り討ちにしてやりますわ!!」




 そう、改めてもう一度言おう。彼女、カナリア・バーナードは、極度の負けず嫌いなのである。

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