優二と隆道
新年度初日、新しいクラス分けを見て絶望的な気分に陥っていた。
一年生の頃に、僕を使い走りにして虐めていた、梶山、沼田、古川の三人と、また同じクラスになってしまったのだ。
クラス分けが貼り出された掲示板の前で、たっぷり五分以上は放心していたはずだ。
また一年間、あんな嫌な思いが続くのかと思うと、学校を辞めたくなった。
教室に足を運ぶと、案の定三人が寄って来る。
「よぉ丸、また同じクラスだな」
「良かったなぁ、また一年よろしく頼むよ」
「おい、こら……何とか言えよ」
「ど、どうも……」
古川に頭を平手打ちされたが、ヘラヘラと笑ってみせるしかなかった。
タイマンでも敵わないし、まして三対一では敵うはずがない。
ヘラヘラと笑って、機嫌を損ねないようにするしかない。
新年度の初日は、始業式とロングホームルームを、入学式に備えて体育館に椅子を運べば終わりだ。
椅子を運び終えた後、急いで学校を出て、逃げるようにして家に帰った。
丸々半日も、奴らのおもちゃにされるなんて真っ平御免だ。
新年度二日目、学校に行く前から胃が痛くて、朝食もやっとの思いで食べた。
正直、学校に行きたくなかったけど、教育熱心な両親がズル休みを許してくれるはずがない。
教室に行けば三人から、何で逃げるように帰ったのか責められるはずだ。
学校ではやらないが校外に連れ出され、腹を殴られたり、金を脅し取られるだろう。
始業のチャイムぎりぎりで教室に入ると、梶山達がガンを飛ばしてきた。
「てめぇ、今日は勝手に帰るんじゃねぇぞ……」
入学式のために体育館に移動した時も、古川から念を押された。
入学式と部活動の紹介が行われている間、どうやって三人から逃げ出そうか、そればかりを考えていたが、良いアイデアは浮かばなかった。
今日逃げられたとしても、また週明けからは学校があるのだ。
体育館から教室に戻った時は、胃が痛くて吐きそうだった。
また同じだ。またクラスのみんなは見て見ぬ振りを続け、また一年間、僕一人が嫌な思いをさせられるのだと思っていた。
「おぅ、丸……いくぞ」
「昨日逃げたんだ、今日は分かってるよな」
「おい、喋れよ。手前の口は飾りか……」
「ど、どうも……」
もう何て答えて良いのかも分からなかった。
三人に教室から連れ出されそうになった時、突然肩を叩かれた。
「なぁ、行きたくなければ、断わっても良いんだぞ」
「えっ……?」
僕の肩に手を置いて、ニカっと笑って見せたのは、確かお寺の息子だと自己紹介していた編入生だ。
「手前には関係ないんだから、すっこんでろ!」
沼田が喚き散らしたが、編入生は動じるどころか前に出て、僕を背後に庇ってくれた。
「いいや、クラスメイトとして見逃せないな」
「んだと、お前も痛い目に遭いたいのか?」
「俺はドMの変態じゃないから、痛い思いはしたくないぞ。ただし、友達を守るためならば、我慢するしかないだろうな」
「へぇ、覚悟は出来てるってか?」
「お前達は、どうなんだ? 俺は一方的に殴られてるつもりはないからな」
梶山達三人も体格は良い方だが、編入生は格が違う感じだ。
「お前ら、何やってるんだ? 用の無い者は、さっさと帰れよ」
通り掛かった先生に注意され、梶山達三人は舌打ちしながら教室を出て行った。
正直、今日は助かったけど、明日からのことを考えると、また胃が痛くなってくる。
そんな僕に編入生は、もう一度ニカっと笑って話し掛けてきた。
「丸山でいいんだよな? 俺は引っ越してきたばかりで友達がいなくて困ってるんだ。友達になってくれよ」
「えっ、ぼ、僕と……?」
「大丈夫だぞ。金貸せとか、鞄持てとか、ジュース買って来いなんて言わない。お釈迦様に誓っても良いぞ。あぁ、でも授業のノートとかは見せてくれ。坊主は朝が早いから、退屈な授業とかは寝ちまうからさ」
駄目だ、我慢なんか出来るはずがない。
涙がボロボロ零れ落ちた。
「うぅぅ……ありがとう、ありがとう……」
「礼なんか要らないぞ。俺達は、もう友達だからな」
その日の帰り道、長倉君に去年一年間の出来事を話した。
恥かしい話だけど、途中で何度も何度も泣いてしまった。
長倉君は、本当に辛抱強く僕の話を聞いてくれて、翌日からは登下校も一緒にしようと言ってくれた。
「あの手の連中はしつこいが、こっちが根負けしなけりゃ大丈夫だ。それとも、俺なんかと毎日面を合わせるのは嫌か?」
「とんでもない……よろしくお願いします」
「おいおい、友達なんだ、そんな堅苦しい言い方は無しにしよう。頼むの一言でいいぞ」
「うん……た、頼むね」
「おう、任された! それと俺のことは、隆道って呼んでくれ」
「分かった、じゃあ僕も、優二で」
冗談でもなく、隆道は神様……いやお釈迦様なのかと思ったほどだ。
週末、土曜日も日曜日も、隆道は僕を遊びに誘ってくれた。
東京に引っ越してきたばかりだから、近所を案内してくれと言われたのだ。
谷中の商店街を見て回ったり、上野のアメ横にも足を伸ばした。
隆道は基本的に良い人なのだが、時々おかしなことを始める。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 喝っ!」
九字を切ると言って、陰の気を払い、その場を浄化するらしいのだが、道端で人目も憚らず大声を出すので、一緒にいると結構恥かしい。
週明けの月曜日、一緒に登校する時も、防災公園の深井戸に向かって九字を切り始めた。
僕も見よう見真似でやってみる。
どうせ恥かしいのであれば、いっそ参加した方が楽しそうに思えてきたからだ。
「おぅ、鬼塚と清宮さんだ」
隆道が手を振る先に、二人の同級生がいた。
鬼塚君も確か編入生だったと思うが、金髪なんて派手な容姿なのに妙に印象が薄い。
清宮さんとは一年生の時にも同じクラスだったが、背が高いけど地味な印象しか無かったのだが、今朝はガラリと印象が変わっていた。
「おい、優二。清宮さんはたぶん失恋したんだと思うから、気を使えよ」
「えっ、あっ、そうか……オッケー、分かった」
結論から言えば、隆道の予想は外れていた。
清宮さんが髪形を変えたのは、単にイメージチェンジをしたかったからだそうだ。
実際、長かった髪をバッサリと切って、溌剌とした感じがする。
並んで話をしている隆道も、何だか意識しているような気がした。
それに、僕が虐められていたのに、見ない振りしていたことを謝ってくれた。
隆道の言う通り、自分の落ち度を認めて謝るのは勇気が要る。
清宮さんのイメージは凄く良くなったけど、逆に鬼塚の印象は悪くなった。
まるで、僕が清宮さんに謝罪を強制しているみたいな言い方をされた。
僕がどれだけ苦しんでいたのかも知らないくせに、本当に腹が立った。
梶山達みたいに嫌がらせをする奴らを除けば、僕は基本的に自分から人を嫌いにならないようにしているが、こいつだけは無理、仲良くなれる気がしない。
昼休み、教室で隆道と一緒に弁当を食べたけど、鬼塚と清宮さんの周りはちょっとした騒ぎになっていた。
「何か、すげぇな……鬼塚」
「あんな奴、見た目だけじゃないの?」
「そうなのかなぁ……」
「あんな奴より、隆道の方がいい男だよ」
「マジか? 俺をおだてても何も出ないぞ」
隆道は冗談だと思ったらしいが、僕は大真面目だった。
その後も、隆道は鬼塚の回りに集まった女子を見て、すげぇ、すげぇと言っていた。
でも、その視線の先は、鬼塚ではなく清宮さんに向けられているような気がする。
放課後、清宮さんは鬼塚と連れ立つようにして教室を出て行った。
その様子をジッと見守っていた隆道は、なんだか寂しげに見えてしまった。
帰り道、思い切って隆道に確かめてみた。
「ねぇ、隆道は清宮さんが好きなの?」
「ばっ……な、何言ってんだよ。俺は転入してきたばかりで……」
「ばかりで?」
「いや、止めよう。嘘をつくのは好きじゃない。確かに、清宮さんに惹かれてるけど……駄目そうだよな」
「隆道……」
隆道は身体も大きく、顔もゴツいので、基本初対面の女子には怖がられるらしい。
ところが清宮さんは、初対面に近い隆道とも普通に会話をしてくれたそうだ。
「父親が俺みたいにガタイの良い人らしくて、慣れだとか言ってけど、それでも新鮮っていうか、ぶっちゃけ可愛いよな」
「うん、髪形変わって、かなりイメージ変わった」
一年生の頃の清宮さんは、根暗なイメージしか無かったので、今朝は本当に驚いた。
「あー……あのイメチェンも、鬼塚のためなんだろうな……いや、一目惚れとか俺らしくないんだが……鬼塚も引っ越してきたばっかりなはずだし……はぁ、上手くいかないな」
僕も女の子と付き合ったことなんて無いし、恋愛とか良く分からないけど、鬼塚が選ばれて、隆道が選ばれないのは何か間違っている気がする。
「隆道は、諦めるの?」
「えっ、だって……」
「まだ、あの二人が付き合ってるって決まった訳じゃないよね」
「それは、そうだが……」
「隆道は、清宮さんと付き合いたくないの?」
「それは……付き合う以前に、本気で惚れたことがないから、良く分かんねぇんだよな」
「だったら、自分がどうしたいのかハッキリさせて、それでも清宮さんが好きなら、ちゃんと確かめた方がいいよ」
「そうか……そうだな。ちゃんと考えてみるよ」
ニカっと笑みを浮かべると、いつもの隆道に戻ったみたいだった。
翌朝、初音の森の防災広場で隆道と一緒に九字を切り終えると、通りを歩いていく鬼塚の姿があった。
「今日は清宮さん一緒じゃないみたいだね」
「そうだな、何かあったのかな? おーい、鬼塚!」
隆道が手を振りながら呼び掛けたのに、鬼塚はチラリと視線を向けたきりで、足を止める素振りすら見せない。
隆道は、小走りで近付いて話し掛けた。
「おはよう、鬼塚。今朝は清宮さんは一緒じゃないのか?」
「見れば分かるだろう」
鬼塚は、挨拶も返さず、足を止めようともしない。
その不遜な態度に、カーッと頭に血が上ってしまい、気が付いたら余計なことを口走っていた。
「ふーん……振られたのか」
隆道が驚いた顔をしていたが、もう言いたいことを言ってやると決めたんだ。
「ふっ……」
鬼塚は、チラリと僕に視線を向け、鼻でせせら笑うと背中を向けて歩きだした。
僕のことなど最初から相手にしていない、見下すような態度に、自分から煽っておきながら頭に血が上ってしまった。
「お前、何だよその笑い……おいっ! まだ僕が話してるのに、無視するな!」
鬼塚は僕など眼中にないとばかりに、怒鳴り声にも耳を貸さず、足を止める気配も無い。
「よせ、優二。今のは、お前の言い方も良くないぞ」
「隆道……でも」
「いいから、俺達も学校に向かおう」
「……分かった」
モヤモヤとした気分を抱えて、隆道と学校に向かう。
十メートルほど前を歩いている鬼塚は、こちらを振り向こうともしない。
後から蹴っ飛ばしてやろうかと思っていたら、不意に鬼塚が立ち止まって振り返った。
だが、視線は僕らではなく、もっと後に向けられていると気付いたと同時に、人影が追い付いて来た。
「おはよう、長倉君、丸山君」
「おぅ、おはよう!」
「お、おはよう……」
だが、清宮さんは足を止めることなく、鬼塚の下へと駆け寄って行き、何やら親密そうに話し始める。
隆道が、苦笑いを浮かべている。
僕には、隆道に掛けてやる言葉が思い浮かばなかった。
前を行く二人の会話からは、「火事」とか、「放課後」「調べる」「昼休み」といった言葉が断片的に聞えて来る。
隆道は、空を見上げて溜め息をついていた。
昼休み、鬼塚と清宮さんが、お弁当をもって教室を出て行くのが見えた。
「隆道、追い掛けよう」
「いや、もういいよ、優二」
「いや、何か変だ、あの二人」
尻込みする隆道を引っ張って、二人の後を尾行すると、靴を履き替えて校舎の外へ出て行った。
何処へ行くのかと思っていたら、人気の少ない校舎裏の花壇で、お弁当を食べ始めた。
「ほら、もう気が済んだろう……やっぱり付き合ってるんだよ」
「いや、そうなのかなぁ……」
二人がお弁当を食べる姿は、僕でさえ一緒に食べたいと思わせるほど幸福そうで、そう思ってしまう自分に腹が立ってしまった。
「俺らも飯食っちまおうぜ」
「うん……」
二人からは少し離れた場所で、隆道とお弁当を広げる。
男二人、無言でもそもそと食べ終え、何となく立ち上がる気力がわかずに座り込んでいたら、嫌な奴らが通るのが見えた。
梶山、沼田、古川の三人組は、辺りをキョロキョロと見回しながら、鬼塚と清宮さんが居る方へと歩いて行くようだ。
たぶん、タバコを吸う場所を探しているのだろう。
「どうする……?」
「何言ってんだよ隆道。何かあったら助けなきゃ」
「でも、清宮さんに後を付けて覗いてたってバレないか?」
「そんなことより、見に行こう……」
梶山達は、予想通りに鬼塚と清宮さんに絡んでいた。
飛び出して行こうとする隆道を引き止める。
「何で止めるんだよ」
「まだだよ。ヒーローはギリギリのタイミングで現れるんだよ」
鬼塚が梶山達にボコられて、清宮さんに毒牙が迫った瞬間こそが隆道の出番だと思った。
ところが、鬼塚はボコられるどころか、梶山達を叩きのめしてしまった。
三対一の状況なのに、まるで臆した様子を見せていない。
清宮さんが、少し頬を赤らめて鬼塚を見ている。
隆道の出番は来なかった。
放課後、またしても鬼塚と清宮さんが連れ立って教室を出て行った。
追い掛けようと言ったけど、隆道は首を縦に振らなかった。
あんなに横柄な奴が選ばれて、どうして隆道のような良い奴が選ばれないのか納得がいかない。
鬼塚さえ居なければ……とか、清宮さんには男を見る目が無いとか……自分でも少しヤバいと感じる思いが、胸の底に溜まっていくような気がした。
「何だろうな……この苦しいというか、切ないというか、これが人を好きになるってことなんだな」
「隆道……モスバ寄って行こう。今日はおごるからさ」
「マジか! 行くか!」
「うん!」
隆道は、僕を地獄みたいな泥沼から救い出してくれた、今度は僕が手を差し伸べる番だ。




