休みしらずとたわし虫
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
どうも、歳を食ってくると虫とかをじかに掴みたくなくなってこないか?
昔はセミとかバッタとか、余裕でふん捕まえていた記憶があるんだが、今はとんとない。個人的に分析するとだな、あの手の中でジタバタする感覚を、気持ち悪いと感じるようになったせいだと思う。
そりゃね、いきなり自分の図体よりでかい何かにつままれたり、握り込まれたりした日には、俺たち人間だって手足をバタバタさせてもがくだろ? もう、迫りくる身の危険に対する、本能みたいな感じでさ。
ま、現実にそんな事態にそうそう陥らないのも、俺たちが虫に接するような感覚で、神様やそれに準ずるほどの大きい存在が、人間に接してくれているおかげかもしれないぜ?
「掴んだら暴れる、気持ち悪いモノなんか、触りたくな〜い」ってな。おかげで目に見えるような神の手がない代わり、悪魔や怪物の手もありゃしない。あるのは人間、動物、この世界というわけだ。
だからこそ、目に見えている何かしらには必ず意味があり、何かの原因となっている。
俺が体験した昔話、少し聞いてみないか?
発端は、俺が小学生の時にさかのぼる。
この1月下旬から2月上旬にかけては、インフルエンザが猛威を振るっていた。
俺のところの学級閉鎖の基準は、40人1クラスの場合だと、およそ3分の1の14人が、月曜日か火曜日の時点で休みだと、学級閉鎖が成立する。
先生方にとっちゃいい迷惑だ。授業の日数が減っちまうせいで、カリキュラムの進み具合を調整しなきゃなんねえ。ハイスピード授業になったり、放課後も残って勉強させられたり……閉鎖が終わった後で、明らかなしわ寄せが、先生と生徒の両方を襲う。
それでも生徒にとっては、学校に行かないことが、嬉しくてたまらないことが多い。さすがにインフルにかかっちまう本人は、症状が出る間はだいぶきついものの、熱が下がっちまうと、やはり暇だ。
菌が残っているから外に出ちゃいけないと、謹慎する羽目になる。その際に、ここぞとばかりに本なり、ビデオなり、積んであるものを消化した記憶が残っているぜ。
俺は自分の所属したクラスが、毎年、学級閉鎖になっていた。おかげで年に臨時休業が数日間、増えるような感じだったんだが、6年生になってから、少しこの事情が妙なことに気がついた。
インフルエンザは形を変える特性上、過去にかかった人でもまたかかる可能性が高い。当然、年をはさんで何回もかかる人が若干名いたんだが、それをのぞくと、毎年、今まで休んだことのない人が休んでいる。
どれだけの人が、一日も休まずに6年間、通えているのだろうか。
なんとなく気になった俺は、休んだことがない人がいないか、クラスのみんなに聞きまわってみる。
するとふたりだけ、それに該当する子がいたんだ。どちらも女の子だった。
そのうちのひとり。俺の左斜め前、最前列に座っている女の子「へえ」と、感慨深そうにつぶやいたな。
「やっぱり皆勤賞って、表彰されたりするのかな?」
尋ねてくる彼女に対し、俺はこくんとうなずいた。過去、経験者である親からの受け売りだったが、卒業式の時に賞状と記念品を受け取ることができるとのこと。
それを聞いて、彼女は「ふーん」と鼻を鳴らした。
「記念品とかはどうでもいいけど、『ひとりだけ』みんなの前に出て表彰される、なんてめったにないことだと思わない? 狙おっかなあ」
ありがと、と告げて席へ戻っていく彼女。
ひとりだけ。その言葉を強調することに、俺は不穏な空気を感じていたよ。
それから数日の間。俺は彼女と、もうひとりの皆勤賞の子を、なんとなく気に掛けるようになっていた。
思わせぶりなことをいう彼女が、何もしでかさないわけがない。そう思っていたんだが、彼女自身はもう一人の子と話すどころか、近寄ることもしなかった。
もとより、接している姿はあまり見られなかった組み合わせだ。ここにきて、急速に接近したら、怪しく思われるかもしれない。
話をした俺はもちろん、裏でつながっている女子同士の、派閥なりパワーバランスなりに、警戒されると面倒だろうしな。
で、動きが見られたのは、2月に入ってからの話だ。
国語の授業。俺の学校ではこの時期に、小説文を読むことになっている。日付に適当な数字を足したり引いたりして、その出席番号の人から丸読み。上下左右に読む人が移っていったっけなあ。
その時は、もうひとりの皆勤賞の子が、三番手に読み上げる順番だった。席から立たなくちゃいけないんで、目立つ。
かぎかっこの中は読み終わるまで、中の丸をカウントしないルール。ちょうど長台詞に当たって、少し皆勤賞の子による、ひとり舞台が続く箇所でもあった。
例の彼女の目線が、その子へ動く。俺も続こうとするが、見やったのはわずか2秒弱。
彼女はすぐに向き直り、開いた教科書に視線を落としてしまう。俺はというと、そのまま皆勤賞の子を見つめたまま。
その子は抑揚をつけて読むことに定評があるんだが、この歳になってくると、真剣に入れ込んだ音読をする奴は、嘲笑の的になることがほとんどだ。今も付近の席で、何名かの男が忍び笑いを殺している。
感情移入する彼女は、歌を歌う時のように左右へ身体を振りながら読み進めていった。
たいていはその上半身の動きが気になり、ついついそこばかり意識が向いてしまうが、警戒態勢の俺は、頭のてっぺんから足の先まで、ぼんやりと視野に入れている。
彼女が引いたイスの足元あたりで、何かが動いた。はっと目を凝らした時には、もぞもぞと動いたそれが、彼女の上履きに取り付き、あっという間に靴下とのすき間から彼女の足元へ潜り込んでいく。
声を出そうと思ったが、息が出ただけ。見間違いかと思うほどの速さで、確証が持てないうちに、姿を消されてしまった。
ここでヘタに混乱を呼び込んだりすると、俺の株に関わる。やがてあの子は読み終わって腰を下ろすが、違和感を覚えたのだろうか。あの何かが入り込んだ上履きをすぐに脱いで、中身を確かめ出す。
てっきり悲鳴でもあげるかと思ったが、中身をまじまじと見つめた後、上履きを元へ戻してしまった。
でも、俺は見ている。彼女が上履きを持ち上げたわずかな一瞬。視界の影になるよう、すぐさまもう片方の足へ飛びついた、小さい影を。それがまたも目にも留まらない速さで、あの子の足を駆け上がり、スカートの中へ飛び込んでいったのを。
二度目で「あれ」の容姿がかすかに見えた。
たわしだ。ごく小さいサイズで、無数に生えている突起を脚として動いていたんだ。それが、高速移動を支えていたんだ。
あの子は結局、気づくことなく授業を終えてしまう。普段、接することが少なかったし、この頃の女子に、服下の事情を尋ねる勇気は俺にはない。
そして翌日。あの子は休んでしまい、皆勤賞は斜向かいの彼女のみとなった。
俺は人のいないところで一度、彼女を問い詰めてみたが、「何のことやら」としらを切られる。それでも食い下がると、うっとおしそうな目を向けてきて、一言だけ。
「壊すよ」と。
ケンカか、と思ってとっさに身構えるも、右手の人差し指の爪の奥で、ちくりと痛みが走る。見ると、指と爪の間へ安全ピンを刺したかのように、先端からかすかに血がにじんでいた。
とたん、俺は視界がくらむのを感じて、ひざを折っちゃったよ。ちょっと重めの風邪を引いたように、鼻が急激に詰まり、頭が痛くなってくる。
「警告、ってやつ? もう追及してこないで。私はもう、あなたを含めて色々なものの壊し方を知ったから、次からはこんなもんじゃ済まさないよ」
まだ立てない俺を置いて、歩き出す彼女。その服の袖からは、あのたわしの先がのぞいていたよ。
壊し方を知った。その彼女の言葉と、「たわし虫」の姿を見て、俺はぴんと来たよ。
彼女はあの、たわし虫を使って、壊し方を探っていたんだろう。俺たち、全員の。
おそらく彼女はその気になれば、この学年の全員、ヘタをすれば学校中の全員を、欠席させることもできるのでは、と感じたよ。
だが、更に鳥肌が立つ事態に、俺は直面することになる。
小学校を卒業し、中学校にあがった時のことだ。俺は彼女と同じ学校、同じクラスになった。あのたわし虫も、ちらちらと視界の隅に映すようになる。
相変わらずそいつは素早く、すぐさま服の中へ潜り込んでしまう。きっとこの学校全員の「壊し方」を探っているのだろうが、ちょくちょく校内のひと気がないところを、物陰から物陰へ移動する姿も見受けられる。
俺は一抹の不安を覚えたよ。もしも「壊し方」とやらが、人間以外にも適用されたら、と……。
その不安が顕在化したのは、衣替えの時期。それからほどなくプール開きがあるんだが、彼女は水泳を嫌がっている素振りを見せていたよ。どうも肌だけでなく、水着姿を見せるのにも抵抗があるとか。
「休めば?」と提案しようとも思ったが、また「壊されて」はかなわないし、黙っていたよ。
そして6月の中旬。予定されていたプール開きは、行われなかった。
プールのど真ん中に、ぱっくりと大きな亀裂が入っていたんだ。まるで空から巨大な包丁で切れ込まれたかのような深い溝は、プールに水を注いでも、片っ端から飲み干してしまうほどだったらしい。
修復の工事が行われたものの、作業は難航。結局、俺たちが学校にいた三年間。プールは周囲のフェンスを白い布で覆われたまま、一度も開かれずに終わる。
彼女を知る者としては、偶然と片付けるには、抵抗があったがな。結果的に彼女は、自分から休むことなく、プールの授業を休んだんだ。
中学卒業後の彼女は、どうやらそのまま働き始めたらしい。高校へ通う道すがら、彼女を見かける機会も多かったよ。それが、本来は仕事があるであろう、平日の昼間でもね。
どこに勤めているのか、俺は知る機会がなかった。が、今でも彼女は休みたいと思うたびに、相手を壊してもぎとっているんじゃないか、とぼんやり考えてしまうんだ。