異世界
俺は竜になってしまっていた。
その事実を知ってしまったあの夜から時間が経ち、暗闇と濃霧によって鬱蒼としていた森が、少しずつ明るくなってきている。
俺はその数時間、少女の膝に(無理やり)乗せられながら、物思いにふけっていた。
考えることは山のようにあった。自分の今の身体の事、この少女の事。しかし、俺の最も混乱させたのはそれではない。
俺は、おそらく《前世》と言うに等しい人間だったころの記憶が欠如していた。
消えた記憶のほとんどは、身近なことだった。
具体的には、自分を含む親戚や知人の名前、顔。その他、歳や容姿についてもあまり詳しい事は覚えていなかった。
そのほかにもあるのかもしれないが、何せ《忘れていること》すら忘れているので、思い出しようがないのだ。
俺は、一度考えるのを止め上を覗く。
木に寄り掛かかって休む少女のあどけない寝顔、いくら見てもあの時のと同人物だとはとても思えなかった。
しかし、俺は武道に精通している訳ではないが、それでもはっきりと分かる。この人はとてつもなく強い。
俺の今の身体は竜だ。俺の読んでいたファンタジー小説は数多くあるが、ほとんどの物語は竜は最強の象徴として書かれている。
今の俺も例外ではなく、おそらく今の小竜の身体でも、大岩の粉砕ぐらいなら余裕でできる自信があった。
それなのに、だ。何度脱走を図っても、俺の細い両腕を優しく握る少女の両手がそれを許してくれない。
見るからにか弱そうなその手には、それだけの力が秘められているのだ。
それに、気迫というのかプレッシャーというのか。彼女からはそんな、強いオーラが感じられた。
もちろん俺も適当にそんなことを思っている訳ではない。ただ、これもこの身体のせいなのか、俺は気配のようなものを感じる、第六感に似た何かが使えるようになっていた。
再び、自分の両手を見る。小さな手だ、とても自分のものとは思えないほど、小さな手。
この身体には、一体どれほどの力が眠っているのだろうか。
心の中でそう呟くのと、少女が目を覚ますのは、ほぼ同時だった。
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時刻はお昼過ぎ、ざっと正午といったところか。少女は、俺を抱えながら道なき道を歩いていた。
彼女はどこを目指しているのだろうか。そもそも彼女自体何者なのかさえ分かっていない俺だったが、何が起こるか分からないこの世界に、一人放り出されるのも怖い。
気は進まないが、とりあえず今は、彼女と行動を共にすることに決めた。
朝から今まで進んできて、改めて確認させられたことがあった。
二階建てアパートぐらいなら余裕で跳び越えられる跳躍力をもつ大型のウサギ。
ファンタジー小説などでよくある『トレント』によく似た、動く木。
進む途中で襲ってきたツノのある大きな熊。そしてそれを一瞬にして真っ二つにした、摩訶不思議な少女の《魔法》
今の俺の身体が身体なのでおおかた予想はついていたが、やはりここは《異世界》だったようだ。
異世界転生、そのフレーズを聞いて心躍るのは俺だけだろうか。
小説やアニメで見るそれは、俺にとっての一つの《夢》のようなものだった・・・はずだ。
それが今、自分の身に起こっているのだとしたら、これほど嬉しいことはない。
(この命、大切にしよう。)
俺はそのまま、その嬉しさを噛み締めながら少女の腕の中で揺られるのだった。