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抜粋

※これまでのあらすじ


 大した想像力を持たず普通に毎日を送っていた男子高校生の佐部隆介さべりゅうすけは、友達のいないクラスメイトの土井が不登校になったことを大して気にしていなかった。

 しかしある日、いつも難しい顔をして他人と馴れ合わないクラスメイト、今神いまがみが佐部に話しかける。

「人間にとって最も大切なのは想像力なんだ。土井の苦しみを想像してみろよ」

 その言葉に影響され徐々に想像力を持ち始めた佐部は、土井の孤独を理解し、自分の無関心を反省する。そして同時に、未だに学校に来ていない土井のことを話題にもしないクラスメイトや先生たちがひどく冷たい人間に思え、孤独の殻に閉じこもるようになる。


 そんな佐部を救ったのが、演劇部の顧問である木坂先生だった。

「みんなも本当は、土井さんのことを心配しているけど口に出していないだけかもしれないよ。それに、みんな君のことを心配してるじゃないか。人の気持ちも考えてみようよ」

 土井の気持ちばかり想像し他の人の気持ちを想像していなかった佐部は、その言葉で自分の愚かさに気がつき、見事に復活する。


 しばらく平穏な日々を送る佐部だったが、今度は木坂先生が病気で倒れて意識不明になってしまう。

 お見舞いに病院に行くと、入院病棟のベンチで、久保という患者に話しかけられる。

「ぼくはずっと病院から出られないから、この窓の外の景色を見ていると思うんです。外はどれだけ楽しいんだろうって。ぼくが病気で生まれたのは、『選ばれた』とでも思えばいいんですかね」

 その瞬間、佐部は数日前に観た、演劇部の校内公演のことを思い出す。それは、「演劇で世界を変えたいと思っているんだ」と言った木坂先生が脚本を担当したものだった。

「人生ってランダムなんだな」

 劇中のセリフの意味が突然分かった佐部は、この世のありとあらゆる“不幸なランダム”に思いを馳せるようになり、心が壊れていく。

 そんなある日、世界史の授業でベトナム戦争のビデオを観ることになった。悲惨な映像が終わったあと、純粋無垢なクラスメイト、愛田優希が涙を流しながら先生に問う。

「世界を、変えることはできますか?」


 その日の帰り、佐部は久しぶりに今神の家を訪れた。

「世界なんてさ、変わらないよね」

 ぼくが訊くと、今神は「当たり前だろ」とそっけなく答えた。テーブルを挟んで向かい合っているのに、やっぱり目の焦点が合っていない。相変わらず不気味なやつだなと思いながら、ぼくは「だよね」と言った。「でも、この前、木坂先生も似たようなことを言ってたんだ」

「どんな風に?」

「『ぼくは、演劇で世界を変えたいと思っている』って。あのときはただの表現かと思ったんだけどさ、愛田のあれを聞いちゃうと、もしかしたら本気だったんじゃないかって思わないでもないんだよね」

 フン、と今神は鼻を鳴らした。

「木坂先生が本気なのかどうかは知らないが、いずれにしろ無理だな。どんな方法でも世界は変えられないし、まして演劇ではもっと無理だ」

「まぁ、ぼくもそう思うけど……。今神は何でそう思うの?」

「日本を代表する映画監督の、こんな逸話がある」今神は言いながら、少しだけ目を細めた。「ある暴力映画に対してのインタビューで、『あなたの暴力的な映画が世の中に悪影響を与えているとは思わないのですか?』と訊かれた時、その監督はこう答えたそうだ。『世の中には愛の映画が溢れているけど、世界は平和になったかい? もし映画にそんな影響力があるなら、世界中から戦争なんて無くなって愛に溢れている筈だろ?』とね」

 なるほど、確かにその通りだ。

「物語が何かを変えると思っている人は割といる。特に創作者側には、自分の物語で世界が良くなると信じている人が少なくないんだ。だが、そんなのはただの希望的観測だよ。学校の勉強と同じさ。『そう思いたいだけ』なんだ。たとえば、ハリーポッターがあるだろ」

 今神の口からぼくにも馴染みのある作品のタイトルが出て、少し嬉しくなる。本も映画も全作見ているほど、ぼくはその作品が大好きだった。 

「ハリーポッターでは一貫して、愛や正義の強さについて書かれているよな。他にも、差別や権力の暴走やメディアの腐敗といった人間社会の業を痛烈に批判することもしているだろ。そういったテーマが盛り込まれてあったのは、作者のJ.K.ローリングが、現実世界の平和を願っていたからなんだ」

 え、と驚く。ただ売るためだけに書いてたんじゃないの?

「彼女自身、とても貧しい生まれや辛い境遇で、過酷な人生を生きてきたんだ。その上、小説家としてデビューする前、アムネスティ・インターナショナルという国際人権NGOで働き、命からがら逃れて来た難民の手紙を読むような仕事もしていた。そういう生き方や経験をしてきた彼女は、小説の中で、戦争の悲惨さや愚かさ、そして愛や正義の強さを書くことで、世界を変えようと思っていたんだ」

 いつもの様に、今神は流暢に続ける。

「実際、彼女は単なる小説家ではなかった。慈善団体に何十億と言う多額の寄付を継続的にしているし、ソーシャルメディアで自分の意見を発信することにもかなり精を出している。時には権力者を批判して脅迫状を送られることがあっても、臆することなくな。そうした行動が、彼女の願いが本物であることを証明している」

 そこまでかよ、と思った。どっかの孤児支援団体に寄付したというニュースを一度見たことがあったけど、気まぐれとか、名声欲しさにやっている程度かと思っていた。 

「ハリーポッターは、世界的に空前のヒットを記録した。全世界で四億部売れたんだ。で、どうだ? それで、世界は変わっただろうか?」

 何も言えなかった。そんなの、火を見るより明らかだ。

 今神の目はいつの間にか、悲哀の色を帯びていた。

「作品はとっくに完結したのに、未だに戦争は残っている。差別は蔓延り、国のトップは横暴を奮い、メディアは腐っている。世界で一番ヒットした物語でさえ世界を変えられなかったんだ。さっき言った監督の言葉を俺が知ったのは中学生の時なんだが、ハリーポッターの事を思い出し、残念ながらその通りだと思った。物語に影響力なんか、全く無いのだと」

 ぼくは唇を噛むことしかできなかった。絶望の影が心に落ちる。

 しかし、そこで今神が「だが」と言った。「少しして、俺はその監督の言ったことは極論なのではないかと思い直した。何故か分かるか?」

 首を横に振ると、今神は「やっぱりバカだな」とでも言いたげな顔をした。

「よく考えてみて、俺はこう思ったんだ。『戦争や差別を全て無くすのは不可能でも、少しは世の中が良くなっているのではないか』と。ハリーポッターという物語に触れることで、人を愛そうと思ったり差別をしていた自分を恥じたりした人は大勢いる筈で、それによってきっと争いや差別などが少しでも減っているだろうから、全く影響力が無いというのは言い過ぎだ、と思ったんだ」

 そうか、と納得する。極端に考え過ぎてたな、と思った。

 ところが、今神はすぐにまた、「だが」と言った。「また少しして俺は、やはりその監督の言ったことは結果的に正しかったのだと思い知らされることになった。()()()は何度もあったが、決定的だったのは、『三年B組 金八先生』を観た時だ。佐部は、あのドラマを観たことはあるか?」

「小学生の時に最終回を観ただけだけど、暑苦しい先生だな、くらいの印象しかなかったかな。あんな、ただ生徒想いなだけで直線的な先生のドラマが人気だったなんて、昔は単純な時代だったんだなって思った」

「やはりな。今の世代の子供達にはそういう印象があるだろうと思う。だが、あれは本当は、非常に複雑にできたドラマなんだ。学校で起こる様々な問題をリアルに取り上げ、それに対し教師はどう在るべきか、あらゆる視点から延々と議論がされている。いや、教師だけじゃない、親や受験教育、学校のシステムに至るまで問題点を痛烈に批判し、どう在るべきかを問い続けた上で、一つの解答を見せているんだ。本当に素晴らしいドラマだが、観れば観る程、俺は感動するよりも絶望していった。何故なら、あのドラマで取り上げた問題が、今もあまりにもありふれているからだ」

 心が暗くなる。もう、言いたいことが分かってしまった。

「教師は生徒の目線に立たないし、親は子供を理解しない。受験教育も学校のシステムも旧態依然としている。これはあんまりじゃないか? 『金八先生』は、三十二年間、ほとんどずっと高視聴率で放送されたドラマなんだぞ。日本中の人が観たのに、あらゆる世代に届けられたのに、日本は驚くほど変わっていない。僅かには変わっている人や部分もあるだろうが、あれだけのクオリティと流行を鑑みれば、あまりにも結果が小さすぎるだろう。だから俺は確信したんだ。あの映画監督の言ったように、物語に影響力は、全くと言ってよいほど無いのだと」

 頷くしかない。もう充分だ。なのに、今神はとどめを刺すように続けた。

「だが創作家は、そういう現実を直視しない。自分の作品が“きっと”世界を変えると思って、作品に打ち込んでいる。だけど、少し顔を上げて現実を見れば、それがいかに幻想であるかなんて簡単に分かるんだ。木坂先生には悪いが、くだらないと言わざるを得ないよ。どんな物語を創っても、世界全体どころか、その一部さえ、変えることはできないんだ」

 部屋がしんとなる。暗澹たる空気が、ぼくたち二人を包んだ。


 ただでさえ限界だったのに、ベトナム戦争のビデオと今神のニヒリズム的な話によって、ぼくの心は輪をかけて荒れた。家では親に反抗し、学校では友達を避けた。

 荒み方の種類としては、土井や勉強のことで悩んでいたときと似ていると思う。つまり、みんなのことが理解できないのだ。そして、そのレベルはあの時の比じゃなかった。

 あのベトナム戦争の動画を見た後の教室で、みんなはいつも通りのくだらない会話をして笑っていた。あんな凄惨なものを見た直後にどうしてそんなにすぐ日常に戻れるのか、ぼくにはさっぱり意味が分からなかった。木坂先生の「みんなも本当は悲しんでるよ」とかいう言葉をあの時はうっかり信じてしまったけど、やっぱりそんな風には思えなくなってきた。どいつもこいつも、想像力がなくて他人の痛みを自分の痛みのように思えないから平気なんだ。土井のことだって、もし誰か本当に気にしているなら何かすればいいじゃないか。やっぱり、誰もあいつのことなんて考えちゃいないんだ。

 それに、期末試験前でほとんど誰もが勉強に熱心になっているにも関わらず、やっぱり勉強する意味もまた分からなくなった。外国では爆弾が飛び交って毎日人が死んでいるのに、温室でくだらない勉強してる場合か? 三浦先生、何が「勉強すれば世界は変えられる」だよ。戦争を無くすことと、こんな無機質な勉強がどう結びつくわけ? ていうか、クラスのみんなもよくのうのうと勉強できるな。この勉強が何の役に立つかってちょっとは疑問に思わないのか? もっと自分の頭で考えろよ。

 怒りはまだまだあった。鈴木先生は「土井の心の準備が整うまで」とか言ってたけど、いつまで待つつもりなんだ? ただ逃げ口上としてそう言っているだけだろ。

 お母さんは頭ごなしにぼくを叱るだけじゃなくて、ちょっとはぼくの気持ちを聞いてみたらどうなんだ? ぼくが親だったら絶対にそうする。

 カッター事件の犯人は誰なんだ? 再発してからまた二件も起きてるけど、とっとと自首をしろよ。そもそも土井が学校に来られなくなったのはお前のせいなんだぞ。絶対に許さない。

 テレビで歯切れの悪い討論ばかりしている政治家は、一体いつ日本を良くするんだ? 街で募金を呼びかける人たちはもう少しマシな宣伝ができないのか? 高藤さんはいつぼくを好きになってセックスしてくれるんだ? 木坂先生はぼくがこんな大変な時にいつまで寝ているつもりなんだ? ぼくの体はどうして思い通りに動いてしまうんだ? 

 今にも胸の辺りが燃えてしまうのではないかと思うほど、ぼくはやり場のない怒りと疑問を一人で抱えていた。四六時中イライラし、怒鳴り散らしたい衝動に駆られたり、かと思えば急に泣き出しそうになったりした。何もかもが分からなかった。

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