第九話 『牙』
次の日、オスビンは山に入り薪を作っていた。山を進む足取りは重く、ため息を何度もついての作業であったが
ガッ! ガッ! ガッ!
と、木を打つ斧は力強い。それは、仕事の熱心さの所以ではなく
――くそっ!!
――許せねっ!
――問屋も! 領主も! くそ野郎どもが!!
(仕方ないねぇ……。あんたは悪くないもの。頑張ろう? きっとなんとかなるわ!)
――すまね、ハイジア……
ガッ! ガッ! ガッ!
(パパ! どうしたの? 元気ないの? アタシ肩もみしてあげるね!)
――すまね、ゾフィ
ガッ! ガッ! ガッ!
(ごめんねぇ。あたしがこんなだから、苦労を掛けるねぇ……ごめんねぇ)
――母ちゃんは悪くねべ!
ガッ! ガッ! ガッ!
――全部、全部……アイツらが悪いんだべ!
ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! ガッ!
怒りと憎しみをぶつける様に斧を振るうオスビンは、遠めに見れば一生懸命に働く<<木こり>>のそれであっただろうが、斧の刃を入れる位置がバラバラで、遅々として伐採は進んでいなかった
「くそっ!」
オスビンは、腕の良い熟練の<<木こり>>であるのだから、寸分たがわぬ場所を打つことができたはずである
――こんな気分じゃ仕事になんねべ
斧で無茶苦茶に打たれ、痛々しくもささくれ立った木を見つめ、オスビンは大きくため息をついた。
山小屋に戻り、弁当を開くと、オスビンの心はさらに沈み、薄闇に囚われていく
(節約しなくちゃだから、お弁当、少し寂しくなるわよ?)
申し訳なさそうにそう言った、妻の顔が頭に浮かぶ。どんなに一生懸命働いても、理不尽な力で頭を押さえつけられ、地を這うように生きるしかないのだろうか? オスビンは、絶望にも似た感情で、暗くうつむくことしかできないでいた
(大きな声では言えないが……これは劇薬だ!)
2週間ほど前に出会った男の声が頭に聞こえる
――……
(刺した相手の体の中に、直接毒を流し込むことが出来るってわけだ)
――んだども、そんなことワシには……
(劇薬の投与と同じ要領で、血清を打てばいいんだよ。時間内であれば、まず助かるよ) ――そうだべ、殺すわけでねべ。ちっと脅すだけだべ
オスビンは作業場に隠したそれを……イクマと名乗った男から買った商品を取り出して懐に仕舞う
――ワシは悪くねべ。悪いのはアイツらだべ
明日に卸す予定だった薪を束ねて背負子に括り付ける
――ワシには家族がいるべ。守るべき家族がいるべ
背負子を背負い、ゆっくりと山小屋を出る
――なにも大金をせしめようってわけでねべ!
歩きなれた街道を、少し小走り気味に町へと歩いていく
――買取の価格を、元に戻してもらうだけだべ、なんも悪いことなんてね!
理不尽さに慣れていたはずのオスビン。怒りと憎しみに包まれながらも、ただ地に伏して、それでも一歩一歩前に進もうと足掻く善良な男。分不相応な牙を懐に仕舞い、彼は初めて理不尽な悪に立ち向かおうとしていた。