第二話 『行商人イクマ』
男は暗い路地から、ひたすらに大通りの往来を眺めていた。深く被ったフードが男の顔を隠していたが、その服装がそもそも、この世界の常識から外れているのであるから、行き交う人々は、路地に座る男に奇異の目を向けてくる。
――ひどく善良そうで、ひどく貧しそうな奴がいい……
男から見れば、この世界の人間は皆一様に貧しく思えた。ときたま特権階級と思しき、異様に華美な様相の人種をみとめることがあったが、割合でいえば、極僅かに過ぎない。馬車などの交通手段もあるようであったが、それは一般人が気楽に利用できる類のものではないらしい。
――それに人間以外もいる
通りを歩く人間に混じって<<それ以外>>が目に付いた。それは獣人であったり、もはや人間との共通点は<<二足歩行>>しかないような、ある種の化物のようなモノもいた。力なき<<それ以外>>は人間に侍るように腰を曲げてコソコソと歩き、力強き<<それ以外>>は、手枷足枷を嵌められて、不自由そうに人間に付き従っている。
――奴隷…だな
男は、不愉快そうに顔をしかめた。
「どうしたい? あんちゃん」
一人の中年の男が、路地に座りこむ男に目を止めて話しかけてくる。
――ふむ、コイツは何度か見た顔だな……
その中年の男の身なりは貧しい。木製の粗末な背負子に、大量の薪を載せている。よくもまぁバランスが取れるものだ、と男は感心して彼を見上げた。
「昼過ぎからずーーーっと座り込んでるべ? 体……悪いんか?」
心配そうなその男の顔には、深く厚い皺が刻まれている。日に焼けた、といえば聞こえは良いが、太陽に焦げた肌の上に、土汚れが重ねられていて、ひどく汚かった
「いや、体は悪くない……」
「ほうかい? そんじゃ、こんなとこさ座り込んで、何しとるんけ?」
その男は、心配そうな顔から、怪訝そうな面相になって問いかけてくる
――表情が素直な奴だな。まぁ、コイツでいいか
――この世界に心は痛めない……そう決めたんだから
「行商だ。オレはイクマという」
「行商ねぇ。そしたら、商品はどこさ? そんなんじゃ客も来ないべさ」
「オレの扱う商品は特殊なんだよ。おいそれと売れるものじゃない」
「そしたら、どうやって行商するんだべか?」
「オレが売りたいと思ったやつに声を掛けて売る……それだけだ」
「はーん。そりゃまた変わった行商だべ」
納得したような台詞とは裏腹に、その男の表情は未だ固い。イクマと名乗ったのに対して、名乗りを返さないことからも、その警戒心は明白であった。
「ハハ! 変わっているか? そりゃそうだよな」」
イクマは、深く被ったフードを脱ぎ去り、人好きのする笑顔をその男に向けた
――まずは懐に入り込む。それからだ
「別に怪しい者じゃないんだよ。金持ちの道楽みたいなもんさ」
「金持ちぃ? あんちゃんがか?」
冗談だと思ったのであろう。その男は少し警戒を解いたように引きつった笑いを浮かべ、乏しい明かりの下に晒された、イクマの顔を観察した
「ふむ……。 随分と綺麗な顔をしとるのぉ」
現代日本に暮らすイクマの顔は相応に綺麗であった。<<こちらの世界>>でいえば、特権階級のそれに近いと判断されるだろうことを、イクマは当然に予想していた
「だろ? だから、行商っつっても、金持ちの放蕩息子の道楽なんだよね」
イクマは、自分の頬をペチペチと手のひらで叩きながら、笑った。
「そ、それは、すまんことです。ワシみたいな者が声かけちまって……」
男は恐縮した様子で、ペコペコと頭を下げてきた。貧富の差が明確なこの世界では、その隔たりが、つまりは身分の差であったのだ
「いや、いいよ。偉いのは親父で、オレはただのバカ息子さ」
「あんや、つっても、そういうわけには……」
イクマは立ち上がると、頭を下げ続ける男の肩を抱くと、耳元で囁いた
「気にすんなって。オレはね? 最初に声を掛けてくれた人を客にするって決めてるんだ。どうだい? ちょっとオレの商品を見てみないかい?」
「いんやいや、ワシには貴方様の商品を買う金なんてありませんですよ」
「ハッハッハ! 金など言い値でいいのさ! いったろ? これは道楽だってさ」