第十三話 『免罪符』
「あなた……。拾ったって、どういうこと?」
ハイジアは、蒼顔でオスビンに問いかけた。
この世界の下級平民が金貨を所持することは稀である。その金貨が10枚、さらには大量の銀貨を目の前にして、ハイジアは喜びよりも、恐れを感じていた
「だから拾ったんだべ。木の根っこさ落ちてたんさ」
あっけらかんと明るく笑うオスビンを見れば「それが真実なんだろう」と、誰しも思ったのかもしれないが、長年、彼に寄り添ってきたハイジはには、夫の見せるその笑顔に違和感を感じた
――それに……
ハイジアがみとめた小さな疑念は、彼女の心の中で繁殖していく
――こんな大金を持ち歩く人、ましてや落として放置する人がいるだろうか?
――夫は、拾ったものを自分のものにするような、利己的な人間だっただろうか?
「ねぇあなた? そのお金……どうするの?」
「あん? 落ちとったんだから、貰っちまっても構わねえべさ」
「そんな大金恐いわ……。ちゃんと役所に届けましょう?」
「バカ言うでね! 役所に届けたって、どうせ役人の懐を暖めるだけだべ!」
「そんなことわからないじゃない? それに……それでもいいじゃない?」
ハイジアは、そう夫を諌める。彼女の人生の中で、これだけの大金が自宅内に存在したことなど無いのである。落とした人は困っているんじゃないだろうか? 落とした人が訴え出たりしないだろうか?
――今のままで十分に幸せなのよ?
多くの下級平民がそうであるように、ハイジアは、愚直に善良で、【今】に満足している小心者であったのだ。
「薪の価格が下がったことは話したべ? これから生活はきっと、しんどくなるべ……」
オスビンが声を小さく反論する
「大丈夫よ。きっと、なんとかなるわ」
ハイジアが声を明るくそれを否定する
「だども! 母ちゃんはどうする!? お医者先生に診せねぇと死んじまうべ!!」
オスビンが語気を強めて主張する
「そんなこと……今までそんなこと、言わなかったじゃない?」
ハイジアの反論は徐々に声を弱くしていく
「んだけど、この金があれば、母ちゃんの病気を治せるかも知んねぇだろが!!!」
オスビンはこの金を、母のために奪ったのではない。ただ憎しみと、正当化の果てに、殺し、奪ったに過ぎない。しかし、彼に根付いた善良な思考が、新たなる正当性を獲得した。すなわち<<母の病気を治すため>>である。
ハイジアは、これ以上反論することができなかった。拾った金を自分のものにすることは、すなわち【罪】であり、彼女に根付いた善良な思考は、その行為を否定した。しかし<<母の病気を治す>>という行為は、それを上回るほどの【善】であると、そう思ったからだ。
「ねぇ、ゾフィ? お婆ちゃんに長生きして欲しい?」
ハイジアが、娘のゾフィにそう問いかける
「うん! アタシ……お婆ちゃんだーいすき!」
ハイジアはニッコリと笑い、オスビンと見つめあい、頷きあった。
「なんだそれ……」
生真は自宅のベッドに寝転び、スマートフォン越しに、オスビン一家の夕餉を覗き見なが、思わずツッコミを入れずにはいられなかった
「『長生きしてほしくない』なんて、孫が言うわけないだろうに……」
ハイジアもまた、娘がそう答えるなど、きっと分かりきっていたのだ。だが、その確認作業が、愚直に善良な者たちにとっては、ひどく大事なのだろう、と生真は考える
「つまり、義母と娘を【免罪符】にしたってことか。なんとも、浅ましいことだな」
そう呟きながら「オレもまた、そうやって生きてきたのではないか?」と、生真は自問する。
――オレもまた<<沙英を助ける>>ことを免罪符にしているにすぎないんだ
そう自答して、生真は口の中で、小さく舌を鳴らした。