第十二話 『芽吹く悪』
生真は街道を山小屋に向かって走るオスビンを、スマートフォン越しに見つめている
――コイツ、いっつも走っているなぁ
クスリと笑う生真には、殺人を犯したオスビンに対しても、被害者である、名も知らぬ卸商にも、なんら感情を動かされている様子はなかった。
いや、もしかもすると、彼の心の奥底では、様々な感情が渦巻いているのかもしれないが
――沙恵を見つけるまで、オレはこのゲームで勝ち続ける
という意思が、それらの感情を押さえ込んでいるのだ。
懐の中で、ジャラジャラと硬貨が擦れる音が鳴っている
――ワシは人を殺してしまった……
オスビンは罪悪感と後悔の交じる感情の中に混乱していた。<<人を殺した>>という事実は、ただ愚直に、善良に生きてきた彼にとって、実感の湧かない出来事であったのであるが、懐で硬貨が鳴らす<<音>>が、彼をその現実に否応無しに触れさせてくる
――これじゃ、まるで強盗だべ……!
事実、オスビンはこの時、すでに、強盗でしかありえなかった。<<まるで>>という表現が、彼がこの現実を素直に受け止めていないこと、さらには、この<<殺人>>に、ある種のいい訳をしていることを示していた。
――これは、ほんとならワシが得るはずだった金だべ!
オスビンは心の中で何度もそう思う。それは決して事実では無いのであるが、自分で自分に言い聞かせているうちに、それが彼の中で事実として構成されていく
――ワシの金を奪ったアイツが悪いんだべ。死んで当然だべ
山小屋に辿り着き、劇薬や血清を隠しながら、オスビンはそう結論づけた。罪に対して罪によって対抗することは、それもまた罪でしかありえないということ、つまりは<<悪>>であるということを、オスビンは、善良であるがゆえに悟ることは無かった。
しかし、確実に、<<悪>>の種は彼の心に落ち、根を張り出し始めたのだ。
「お帰りなさい」
オスビンが家に帰ると、妻のハイジアが、いつものように迎えてくれた
「パパ! 今日は早かったねー!」
いつもより早く帰宅したオスビンの太ももあたりに、娘のゾフィが抱きついてきた。
<<いつも通り>>の家族たちに、オスビンは高揚する心に顔を綻ばせて応対する
――今日はお前らにすんごい知らせがあるんだべ!
オスビンの懐には、金貨を10枚、銀貨を100枚ほど忍ばせてあった。それは彼の収入のおよそ3ヶ月分である。卸商から奪った金の、およそ半分にあたり、残りの半分は、山小屋の土中に埋めてきていた。
「これを見てみい」
夕餉の食卓を囲みながら、オスビンは硬貨が入った革袋を「ドン」とテーブルの上に置いた。
「なあに? それ」
妻のハイジアが、見慣れぬ革袋に、不思議そうに首を傾げる
「わぁ! もしかしてお土産!?」
娘のゾフィが、はしゃいで、喜色を満面に浮かべる。母が臥せっていてこの場に居ないことを、オスビンは残念に思った。
オスビンは革袋の底を指で摘み、袋を逆さまに持ち上げる。中に納めれらていた金銀の硬貨が、砂山が崩れるように、テーブルに広がり流れ出た。
「ど、どうしたのこれ!?」
ハイジアは驚愕に目を剥いている
「うわぁーーー綺麗ね!」
ゾフィは見たことがない金貨を、輝きに目を奪われている
「ハハハ! すごいだろう? 森に落っこちていてなぁ。まるで天からの恵みのようだべ?」
オスビンは、笑いながらそう言った。
「そう来たか!」
生真はオスビン一家の夕餉をモニタリングしながら、失笑とともに呟いた
――天に唾を吐いたお前が、天の恵みとのたまうか
無論そのきっかけを与えたのは、生真自身に他ならないのであるが、それを殺人に用いたのはオスビン意思であり、彼の罪だ……と、生真はそう思い込むことにしていた。
――殺人を<<誤魔化した>>時点で、お前は既に悪だ!
生真はそのようにオスビンを断じた。家族に対して<<人を殺して奪った金>>と事実を伝えなかったことが、如何にその行いを心の中で正当化しようとも、オスビン自身も、それを【悪】だと理解していることを明かしているのだ。
モニタの向こうで、オスビンの妻のハイジアが顔を青くしているのが見える。さて、以前のオスビンと同じく、愚直に善良な妻は、今何を思っているのであろうか? 喜色満面に<<拾った>>という金を喧伝する夫に、何をみるのであろうか?
――ここからが不幸の始まりだ……!
生真は、スマートフォンに映る異世界を食い入るように見つめた。