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第十話 『罪悪感』

「よぉ、オスビンさん! 今日は納品の日じゃないんじゃないか?」

「……」

頭によぎった疑問に少し首をひねりながらも、馴染みの卸商が笑顔でオスビンを迎えた。

 ――なして、こんな普通の顔ができるんだべ?

 オスビンは憎しみに染まった薄布越しに卸商を見下ろす。まったく平素通りの卸商の姿に、オスビンはいっそ、彼の本質を見た気がしていた

 ――この旦那にとっては、ワシが苦しむことなんて、どんでもいいことなんだべ

 ――きっと、平気な顔で、ワシのことを殺せるんだべなぁ

 オスビンは、懐に仕舞った薬瓶を服の上から握りしめた


「へえ、ちっと金が入用なもんで……」

「そうかい? そんじゃ見させてもらおうか」

卸商はオスビンから薪の束を受け取り、その価値を鑑定し始める

「相変わらず、オスビンさんの薪は質がいいぜ」

卸商が、束から無作為に2本、3本と薪を抜き取り、その状態を確かめていく

 ――だども、つける値段は銀貨2枚と銅貨5枚なんだべ?

「なんだい? 黙っちまってよぉ。買い取り価格の話は、納得してくれたんだろ?」

 ――納得? そんなことできるわけねべ!

「仕方ねぇだろう? 上の方での決定なんだ……俺だって本意じゃねぇ」

 ――だからってそれは……。 一方だけが損をするなんて、おかしいべ!

卸商は無言を貫くオスビンを不審に思ってか、ちらりとオスビンの表情を上目に伺った。


「早く金さ寄こしてくれ……」

オスビンは冷え切った目で、卸商を見下ろした。


 卸商にはもちろん、オスビンに対して罪悪感があった。彼は決して善良ではなかったが、自らすすんで悪事を働くようなことは稀であった。つまりは、小心者なのだ。


 オスビンの冷たい目は、卸商が抱いていた罪悪感を刺激する。


 まず彼は、オスビンを宥めようと考えたが、オスビンの怒りは当然の権利なような気がして、自分にオスビンの怒りを鎮めることは無理なのだと悟った。

 次に彼は、自分の立場をオスビンに説明しようとした。そうすることで、オスビンの怒りを、自分とは別のところへ、もっと上の者、例えば商会などに向けようと考えた。

 そして、ふと思う


 ――なんでこんな小汚い爺ぃに、俺が気を遣わなくちゃならねんだよ


 罪悪感を消し去る方法はおそらく二通りある。一つは謝罪し、相手の許しを得ることであろう。そしてもう一つは、その対象を上から抑え込んでしまうことだ。相手を対等ではなく、下に思う。いや、実際に下に置く。そうすることで、罪悪感を感じる必要そのものを消去するのである。


 卸商は普段から、山で汗を流し、汚れ、老いさらばえ、自分に商品を買ってほしいと願い出るオスビンを、見下していた。嘲っていた。蔑視していた。

 それゆえ、彼は罪悪感を消す方法として後者を選んだのだ。


「おい、オスビンさんよ。昨日も言ったけどよ、別に他に卸してくれて構わんのだぜ?」

「……」

「俺から売ってくれってお願いしたわけでもなし」

「……」

「買って欲しいなら、それなりの態度ってもんがあるんじゃねぇか?」


 オスビンは思う

 ――なして、こんなことが言えるんだべか?

 ――ワシが一体何をしたっていうんだべか?

 ――コイツはワシらの商品の利ざやで食っているんだべ?

 ――なしてワシがこんな思いをせねばならんのだべ?

 ――なして…なして…どうして?

 

 ひとしきり卸商と目線を交わしていたオスビンは、それを外すように頭を下げた。卸商はそんなオスビンを見て、満足そうに下卑た笑みを浮かべた

「最初からそういう殊勝な態度をとりゃいいんだ」

卸商は、薪の代金を皮袋から取り出そうと、自分の腰に目線を落とした

「ちっと待ってろ。今代金を用意するからよ……」


 オスビンは、刹那に懐から薬瓶を取り出し、片手のままに、その蓋を親指で押し上げる。一度もやったことがなかったはずなのに、滑らかな所作で、もう一方の手に注射器を取り出すと、針先を薬瓶に突っ込み、ブランジャーを押し上げた。

 それはおそらく、脳内で何度も繰り返された動きであったのであろう。


 卸商の肩口、首からつながる滑らかな曲線に、注射器の針が撃ち込まれる。親指で一気にブランジャーが押され、彼の体内に劇薬が流し込まれた

「痛って……!!」

卸商は、何が起こったのかわからず、針の痛みに体を硬直させる。自分の身に起こったことを確認するために目線を上げようとしたとき、彼の脳内は激痛に支配された

「ぐわぁぁぁぁ!!!」

卸商は仰け反り、後ろに体を倒し、足をばたつかせ、のたうち回る。衝撃で腰に下げた皮袋から、幾枚もの硬貨が飛び散った。それは、銅貨であり、銀貨であり、そして金色に光るそれも混じっていた。

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