これはこれで
きのう、河川敷に花見に出掛けた。
一昨日の雨で、並木道は桜花が散り敷いていた。
雨の日の前日が、一番の見頃だったわけだ。
実際その日、体はあいていたのだが、どうにも出掛ける気にならなかった。
今日行かないと桜が散ってしまう、そんなせきたてられる気持ちになるのが面倒だった。
わざわざ散った桜を見に行ったのは、貧乏くじを引いたのだろうか。
けれども気持ちは晴ればれとしていた。
それをひとことで言い表すなら「これはこれで」。
桜の見頃を開花の具合でのみ判断するなら、たしかに私は貧乏くじを引いた。
最良の機会を逸しがちのは、花の見頃だけではない。
当たりはずれだけで考えれば、残念な結果の連続である。
だからこそ、はずれの機会も「これはこれで」と思いなすようになったのだろう。
人はこれを「負け犬の遠吠え」と呼ぶかもしれない。
以前は、何としてでも当たりくじを引こうと躍起になっていた。
ただもともとくじ運が悪く、フットワークも利かない行動力である。
今年の花見のように、少し時季はずれの、ほどほどに美点を見出すようになった。
雨後の葉桜の並木道、人の少ない好日。
それがきのう、私の落ち着く居場所だった。