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確定、そして安息


 将臣が宿に戻ったのは、迷宮に向かってから八時間程経過してからだった。

 将臣が宿を出たのが朝の十時頃、そして今は午後六時。

 ぐぅと、腹の虫が鳴る。

 昼飯を抜きにしてしまったと、空腹を感じながら宿の扉を開いた。

「今、帰った」

 将臣がそう言って入室した途端、視界の中で黒い何かが将臣に向かって飛んできた。

 いや、正確に言えば突進して来たと言うべきか。

 頭から突っ込むようにして、将臣に抱きつく影。

 無論、ヒオだ。

 突進してきた勢いを受け止め、ヒオの頭を撫でる。鼻先を擦り付ける様に将臣へと抱きつくヒオは、何とも可愛らしかった。

「すまない、遅くなった」

 ヒオはその言葉に「いいえ」と繰り返した。どうやら、心配を掛けてしまったらしい。

 将臣が視線を奥へと向けると、そこには困った様な顔をしている店主と、頬を膨らませたファルメが居た。

「遅かったなゼオ、それよりその子に飯を食わせてやれ」

 お前が帰ってくるまで、何も食わないと言って聞かなくて、そう言って頬を掻く店主。

 ヒオのお腹が小さく鳴った。

 彼女の頬が赤く染まる。

「丁度良い、私も昼を抜いていたんだ」 

 そう言って笑って、将臣はヒオの手を取った。「一緒に飯を食べよう」その言葉に、ヒオは一もなく頷く。

 二人で席に着いて、店主に注文をした。

 ヒオはまだ粥物だが、その内固形物も食べれるようになるだろう。

 向かい側に座るファルメは、未だふくれっ面のまま。

 注文を取りに来た店主に「何かあったのか」とアイコンタクトを送ると、苦笑いが返ってきた。

 ファルメに視線を送ると、無言で出された飯を食っていた。

 どうやら、今は機嫌が悪いらしい。

 何も茨の道を進む必要は無いと、将臣は声を掛ける事無く視線を外す。

 その外した視線の先に居たのは、ヒオ。

 ニコニコと将臣に笑顔を向け、裾を指で摘んでいる。何とも子どもらしい、無邪気な笑みだ。

 無意識の内に、ヒオの頭に手が伸びていた。くしゃくしゃと、ヒオの頭を撫でる。 

 彼女はそれを、気持ちよさそうに享受していた。

 細くなった目が、とても可愛らしい。

 将臣は思う、彼女には不思議な魅力があると。


 ヒオもまた、思っていた。

 ゼオと名乗るこの青年は、とても優しい人なのだと。

 ヒオの警戒心が全く働かないこの青年は、一見酷く冷徹に見えて、その実、とても暖かい人間だった。

 ヒオの本能が告げる、この人は信頼出来る人だと。

 

 将臣は将臣で、今まで辛い境遇に居た反動から、無償の愛や優しさに飢えていたのかもしれないと、要らぬ邪推をしていたりするのだが。

 それはそれで、二人の関係を良いものにしていた。

「………」

 例えそれが、認められない人間がいたとしても。

  


 将臣は善人では無い。

 確かに、良識ある人間と言える程度の倫理観や道徳は持ち合わせているが、それを偽善と嘲笑うだけの冷静さがあるだけに、将臣は自分を善人と自称しない。

 例え周囲が自分を善人だと口にしようが、自分はそれを認めないだろう。

 

 将臣がヒオを買ったのは、一時の気の迷いだった。

 

 将臣はヒオを買った事を後悔していない。寧ろ、保護出来て良かったと安堵している。

 もしあそこで将臣が何も行動していなければ、彼女は物言わぬ骸となっていたのだから。

 自分は間違っていない。

 例え、奴隷と言う存在を初めて知り、人が人を売ると言う行為にどうしようもない怒りを感じたとして、勢いで買ってしまったとしても。

 しかし、将臣の理性が言うのだ。

 それは、偽善だと。

 確かにそうなのだろうと、将臣は否定しない。

 将臣が嫌う奴隷は、この世界では常識とされている事で。

 たかだか一人救った位で悦に浸れる将臣は、やはり偽善者。ヒオだけじゃない、その他大勢の奴隷は、今この瞬間にも鼓動を止めていると言うのに。

 将臣はその事を思うと、強烈な後悔に襲われる。

 ヒオの無邪気な笑顔を見る度、彼女と似た境遇の人間達が死んでいる事を、まざまざと考えさせられる。

 

 将臣は、善人では無い。


 自分の手の届く範囲の人間を守りたい。

 だが自分は、ヒオと言う少女を自分の手の届く範囲に置いてしまった。

 そして彼女と同じ境遇の人間は、将臣の手の外側に居る。

 更にその数は膨大。

 一人でも救えたのだから、良いじゃないか。

 そう思う自分も居る、だがそう考える自分に嫌気がさす。

 頭で分かっていても、気持ちが許さない。

 

 こんな事で悩んでいたら、また、彼女は私に向かって言うのだろう。

 とても優しい笑顔で、そして、とても儚い顔で。


「貴方、優しいのね」


 なんて。

 



「………」

 雀の鳴き声で、目が覚めた。

 いつもと同じ朝、手のひらに感じるシーツの感触、外の僅かな喧騒、暖かいベッドの温もり。


 いつもと同じだ。


 見える天井も、シーツの感触も。

 将臣は無言で上体を起こし、自分の手のひらを見つめた。

 自分の肉体、間違いない。

 そっとベッドから抜け出し、冷たい床に足を下ろす。

 立ち上がり、周囲を見渡す。

 見慣れた部屋、見知った光景。

 そして、背伸びを一つ。息を吸い込んで、吐き出す。

 朝の空気は冷たく、将臣の思考を急速に覚醒させる。

 そうか。

 驚きは無かった。

 「やっぱりか」と呟いて、将臣は力ない笑みを浮かべた。


 此処は、異世界だった。


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