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無力


 迷宮へと入っていく将臣を見かけた探索者は、きっといつもの様な目で彼を見ていたに違いない。自信満々で自尊心に溢れている様に見えるか、もしくはいつも通り平常心を保っている様に見えた事だろう。

 しかし、事実は違う。

 将臣は内心、震えていた。

 手足の震え、精神を圧迫する恐怖、それは命のストックが無くなったという事実から来ている。 

 この世界は、夢であり、ゲームの様なものだ。

 それは画面の向こう側にある世界であり、自分では無い自分が冒険する場所であり、第三者として楽しむ場所である。

 決して、現実世界の自分が存在する場所ではない。

 将臣は迷宮へと入り、第一階層へと辿り着く。いつもと同じ光景の筈なのに、第一階層は妙に薄暗く感じた。

 迷宮は一週間に一度、その内部をランダムに変える。出現するモンスター等は変わらないのだが、その地形が大きく変化するのだ。

 その時間帯は一度変化してから丁度一週間後の午後十二時。その時間帯は基本、探索者は立ち入り禁止となる。将臣が第五階層のボスを狩った日が丁度、迷宮の内部が変化した日だ。

 そして今日で二日目、未だ内部の構造は把握しきれていない。それが将臣の恐怖心に拍車を掛けていた。

 せめて五日目、六日目ならば逃走経路も把握出来たというのに。

 将臣は、もし自分が戦えなくなっていた場合を危惧していた。魔術は使える、モンスターを殺す事も既に慣れた事。

 例えこの世界が夢だとしても、将臣はこの世界で一年程を過ごした。そして、その中で数え切れないモンスターを屠って来た。

 故に、将臣が最も恐れていたのは、『命のストック』(アドバンテージ)を失った自分がこれまでと同じく、冷静に戦闘に臨めるかどうか。その一点に尽きた。

 第一階層のモンスターは、一般的な成人男性が死ぬ気で挑めば勝てる程度の戦闘力しか持たない。

 魔術師である将臣であるならば、苦戦はおろか時間を掛ける事すら論外。ウォーミングアップの相手としてすら不足。

 いつもより鈍い足取りで、将臣は第一階層を進む。

 そして、二度目の曲がり角で、遭遇した。

死骸グール……」

 二足歩行の、黒い何か。爛れた皮膚に潰れた顔面。言い換えるならば『ゾンビ』と呼んでも良い。

 第一階層に出現するモンスターであり、小鬼にすら劣る弱小モンスター。死骸グールは一般的に、迷宮内部で果てた探索者の慣れ果てと言われているが、真実は定かでは無い。一説では迷宮の死骸はすべての地上に存在する亡骸を集めたモノでは無いかと言われている。

 確かに、一般人からすれば十分驚異だろうが、探索者から見れば差程脅威にもなり得ない存在、それが将臣の行く手を阻んでいた。

 最早、肉の塊としか表現出来ない顔面が、将臣の方向へと向けられる。

 将臣は、初めて目の前の死骸グールを敵として捉えた。頭上に、魔術弾を一つ生成。それを撃ち出す。

 それは真っ直ぐ死骸の頭部に吸い込まれ、回避行動を取る事も無く、死骸の頭は風船の様に弾けた。黒く粘着質な何かが飛び散り、操り人形のようにがくりと膝を着く。

 この程度の相手なら、問題は無い様だ。

 予想以上に冷静な思考で、将臣はそう感じる。もっとアドバンテージを失った事に対し、冷静さを欠くと思っていたが、出だしは好調。

 地面に横たわった死骸を跨ぎ、そのまま奥へと進む。そして、次々と現れる低級モンスターを魔術弾で狩っていった。

 今までの経験は、確かに将臣の中で生きている。特に苦戦する事も無く、将臣は順にフロアを走破して行った。

 勿論、以前であれば階層を抜かし、今の半分未満の時間で走破出来ただろう。しかし、今は事情が違う。出来るだけ時間を掛けて、そして慎重に足を進める。

 低級モンスターとて侮る事もなく、いつでも退却出来る様後方の通路は常に確保していおく。

 そして、第三階層まで到達した所で、将臣は足を止めた。

「……そろそろ、戻るべきか」

 最低限、自分より圧倒的格下の相手ならば勝てる事が分かった。これならば、全く無力と言う訳では無いだろう。

 次に問題となるのは、ボス級、第十階層で遭遇したガルエンディアの様な自分と同等、若しくはそれ以上の相手だが、これは後々検証しても問題は無い。

 将臣は懐中時計を取り出し、蓋を開く。懐中時計の針は、将臣が宿を出てから三時間以上経過した事を示していた。

 いつもよりは早いが、一度戻るのもアリか。そう考える、しかし二度目を潜る場合、またヒオに泣きつかれてしまうのでは無いかと言う懸念があった。

 第三階層まで走破し、第四階層の前でやめるか……?

 第三階層は、リディアの迷宮に於いては登竜門の様な扱いをされている。曰く、初級探索者が最初に詰まる難関。

 それは、第一、第二階層のモンスターが単体でしか挑んで来ないのに対し、第三階層のモンスター達は群れを成して探索者を襲ってくるからだ。

 対一では勝てても、複数であれば苦戦する様なモンスター。それらが初級探索者の壁となる。

 将臣は考える。この第三階層を突破出来れば、少なくとも『今の』将臣には、中級探索者程度の精神力があるという証明になる。単純な戦闘能力だけならば、第三階層など楽々突破出来て当然。しかし、精神が脆弱では話にならない。

 戦闘で発狂し、戦えませんでは意味が無いのだ。

 第三階層を進み、第四階層の手前で戻ろう。将臣はそう決める。

 ヒオには、早く戻るとは言っていない。遅くはならないとは言ってあるので、流石に夜前までには帰りたい。

 第三階層ならば、通常の将臣であれば一時間も掛からずに走破可能だ。現状であっても、十二分に素早い攻略は可能。

 但し慢心せず、退路は常に確保、そしてアドバンテージの消失を自分に何度も言い聞かせる。

 第二階層の前、下層へと降りる縦穴の淵。

 将臣は第三階層へと踏み込んだ。


  第三階層


 他の階層と比べ、この階層のモンスター遭遇率は高い。

 それは群れを成すモンスター達が集まった為に、質より量で探索者を圧倒する階層となったから。

 将臣が階層へと踏み込んだ瞬間、幾つかの影が将臣の視界を横切った。第一、第二階層で緩んだ精神を引き締め、演唱を開始する。

【魔術矢Ⅰ】

 第一階位の魔術、第二階層程度のモンスターであるならば、容易に討伐が可能な魔術は、第三階層のモンスターにも効果を発揮するのを将臣は過去の経験から知っている。 

 外しさえしなければ、一発で沈む筈。

 将臣はじっと構えたまま動かず、敵が攻めてくるその瞬間を待った。

 そして暗がりの中から、将臣めがけて何かが飛び出す。

追跡者ストーカー

 第三階層に出現するモンスターで、暗がりからの奇襲を得意とするモンスター。

 この隠密型タイプは第一、第二階層には出現しない。真っ向から挑む事しか出来ない知能レベルのモンスターに比べ、第三階層のモンスターは群れる事も、そして裏を読む事も知っている。

 このモンスターに手こずる初級探索者も多いと言う話だ。

 光の届かない暗闇からの奇襲に、だが将臣は動じる事無く対処する。

 宙に浮かべた【魔術矢Ⅰ】を、追跡者ストーカー目掛けて射出した。

 直線的に飛び掛かってきた追跡者は、胸部に【魔術矢Ⅰ】が直撃。空中で衝撃を殺しきれないまま、地面に顔面から墜ちた。

 そのまま、砂埃を上げて転がっていく。

 地面を跳ねる追跡者から顔を上げて、将臣は次の標的を探す為に視線を走らせる。


 まずは一体。


 視界の隅に映る追跡者。

 その数、凡そ三。

 一斉に視界に映ったそれらに、将臣は素早く反応した。

【魔術矢Ⅰ】

 宙に浮かべた魔術矢の数は四。

 一発は予備、それ以外の三本は急激な回転を開始する。

 徐々に回転数を上げる魔術矢は、勢い良く射出された。将臣から見て右の追跡者から順番に撃ち抜き、心臓、頭部、右腕をそれぞれ吹き飛ばす。

 ニ体は即死、右腕を吹き飛ばされた追跡者は、地面を何度か転がった後に跳び起きて、暗がりへと後退した。

 しくじった。

 追撃に魔術矢を撃ち出すが、暗がりに逃げ込んだ追跡者を捉える事は出来ず。次の奇襲に備えて【魔術矢Ⅰ】を三本生成。

 しかし、待てども第二波が仕掛けられる事は無かった。


 逃げたか。


 将臣は息を一つ吐き出し、握っていた拳を解く。

 最初の一体と、後の二体を入れて計三体の討伐。過去の将臣からすればどうと言う事も無い戦果ではあるが、今の将臣からすれば中級探索者程度の戦闘能力はあるという証明になる。

 アドバンテージは精神的余裕を将臣に与えていたが、存外にそれが無くとも戦えるかも知れない。

 将臣は、そう思い始めた。


 それが油断を招いた。


 群れを成して襲い掛かってくる『追跡者ストーカー』三体、四体程度ならば同時に襲われても対処が可能であり、将臣は順調にそれらを討伐していった。

 そして、第三階層も半ばに差し掛かった頃。

 将臣は、第三階層の壁にぶち当たった。

大岩人ロックマン

 全身が硬質な皮膚で覆われた、巨人。

 その皮膚の表面が岩の様に堅牢で、また色が近い事から大岩人と呼ばれている。

 岩の様な皮膚は剣を通さず、矢を弾き、並みの魔術なら掻き消される。事、防御力に於いては第五階層のボウデリックをも凌駕する存在。

 その外見も相成って、初級探索者の壁と呼ばれていた。

 しかし、大岩人のみが初級探索者の壁と呼ばれているのかと言えば、違う。

 正確に言えば、大岩人ロックマン追跡者ストーカーを同時に相手しなければならない時、初級探索者は窮地に陥るのだ。

大岩人単体ではそれ程驚異では無いのだ。

 それは何故か?

 その理由は、大岩人が『絶対に攻撃を行わない』から

 大岩人の外見は達磨だるまの様な外見をしている。

 のっぺりした顔に短い手足。コイツ単体で現れた時には、パーティー全員でフルボッコにすれば良い。

 どんなに防御力が優れていようと、数の力で一点集中攻撃を行えば、突破は可能。反撃をされる心配も無いし、まさにただの壁でしかない。

 しかし、他のモンスター、特に追跡者とタッグを組みと途端に強敵となる。

 大岩人は確かに攻撃をしないが、他のモンスターを庇うのだ。

 それも、尋常じゃない速度で。

 外見上、どうしても愚鈍に思われがちだが、モンスターを庇う瞬間の大岩人はまさに瞬足、残像が残る速度だ。


 追跡者の防御力は高くない、それは機動性を生かしたヒット&ウェイを戦法としているから。

 故に、例え集団であってもある程度冷静に戦闘が行えて、技量が確かな探索者ならば撃退、討伐は難しくない。

 しかし、追跡者を葬ろうとする度に、堅牢な壁がそれを阻むのであれば、途端に攻略は困難となる。

 幾多もの初級探索者が此処で心折れ、迷宮を去って行った。

 そして己の技量を知らず、命を散らした者も少なくない。

 だが、将臣は違う。

 何故なら将臣には、大岩人の硬い皮膚を貫通する魔術があり、また追跡者を四体、五体同時に相手にする実力もあるから。

魔術杭バンカーⅠ】

 あのガルエンディアの第一装甲ですら貫いた、低魔力消費、抜群の破壊力を誇る近接魔術。

 それを大岩人に叩き込めば、その腹に穴を空ける事が出来る。

 そうすれば後は追跡者を【魔術矢Ⅰ】で処理すれば終わり。その筈だった。


 問題は、将臣の精神にあった。


「はっ、はっ、はっ」

 将臣の額に玉の様な汗が流れる。

 瞳孔は開き、眼球は忙しなく動いていた。

 小刻みに震える将臣は、一目見て正常な状態では無い事が分かる。

 血の気が失せ、真っ青な顔をした将臣の前には、棒立ちのまま佇む大岩人。

 この時、将臣を支配していた感情は単純なものだった。

 恐怖。

 【魔術杭バンカー】を右腕に展開しながらも、将臣は棒立ちのまま、何もしない大岩人に近付けずに居た。


 大岩人ロックマンの硬質な皮膚。それは、ガルエンディアとの戦闘を将臣に思い出させた。

 強烈な一撃、将臣が誇る最高峰の防御魔術【魔術障壁Ⅳ】ですら防げない暴虐の怪物。

 確かに討伐は出来たものの、奴が将臣に残した禍根は少なくない。

 その一つが今、将臣の足を止めていた。


 近接の間合いに、踏み込めない。

 

 いや、正確に言うのであれば、モンスターに近付けなくなった、そう言うべきか。

 ガルエンディアに似た、巨人タイプ。或いは、似た特性を持つモンスター。

 それに対する接近に、将臣の精神は過敏に反応していた。

 近づこうとする度、将臣の脳裏にガルエンディアとの死闘がフラッシュバックする。

 アドバンテージを持っていた時の将臣ならまだしも、今の将臣にとって零距離キルゾーンは生と死の境目さかいめ

 命が一つしか無い場合、それは正しく死へと直結する。

 

 将臣とて、様々な可能性を考えた。

 この世界が夢であるならば、自分が死ねば現実の世界に戻れるのでは無いかと。

 もしそうならば、将臣は死ぬ事を恐れずに零距離キルゾーンへと踏み込む事が出来るだろう。

 それは寧ろ、一種の安堵を将臣に覚えさせる。

 しかし、もし、仮に、将臣の考える死が現実に帰還に繋がらないのであれば。

 将臣は、この世界で終わる。

 ただの夢の中で、僅か一年と数十日を生きた世界で。

 それを思うと、どうしようもなく死ぬ事が恐ろしかった。

 膝が震えて、手足が言う事を聞かない。

 突っ立ったまま動かない将臣に対し、大岩人も何の行動も起こさなかった。

 だが追跡者ストーカーは、攻撃する素振りを見せない将臣に対し果敢に攻めてくる。

 使い捨ての錆びた投げナイフを投擲し、将臣に害を為そうと其処そこら中を走り回る。

 無論、錆びた投げナイフ程度で将臣に傷を付けられる筈が無い。

 飛来するナイフは全て、将臣の展開する【魔術障壁Ⅰ】に防がれる。

 接近戦を仕掛けてく来ないのは、将臣の腕に【魔術杭バンカー】が展開されているからだろう。

「くそっ、動けッ!」

 震える手足が自分のものでは無くなる様な感覚。そんな感覚に将臣の冷静な思考は根刮ぎ奪われた。

 脳裏にフラッシュバックする光景への恐怖、動けない自分に対する怒り、不甲斐なさ、それらは将臣にどうしようも無い悔しさを与えた。

 叫び、自らを鼓舞しても、縫い付けられた様に足は動かない。

 将臣はただ、動けない自分に対し行き場の無い怒りを感じるだけだった。

 

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