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後編

 俺は暫くぼうっとしていた。


 

 餓死、か…


 

 それならあの奈落の底にでも落ちた方がマシだな。


 

 奈落……空間……?


 

 もしや…


 

 まだ確信が無かったが、俺は最初にやってきた場所まで戻る事にした。

 もはやそれしか可能性が無い気がしたからだ。

 

 俺は一心不乱にこれまで進んできた道を、そっくりそのまま戻った。

 部屋の構造は少しずつ変化していたが、地図があるので迷う事は無かった。

 

 そしてようやく最初にやってきた場所まで戻ってきた。

 もうこの迷宮に入って8時間は経過している。あまり長く続くと体がもたなくなる。

 

 しかしこれでハッキリする。俺の推測が正しければ…

 

 俺は最初に入ってきたドアを開けた。

 そこには床がない。落ちたら終わりの空間。

 

 俺はその空間に向かって、決死の覚悟で飛び込んだ。

  

 すると、俺の体が下には落ちず前方の壁に向かって飛んでいった。

 

「やった!」


 最初にドアを開けた時、吸い込まれたように感じたのは、重力場が変わるせいだったのだ。

 俺は地図を見て疑問を感じていた。「酉」という字の上と左にだけ重力場があるなんておかしいと。

 それなら右と下にも重力がかかる場所があるはずだと思った。

 

 つまりこれは酉という字では無く漢字の部首の酉偏、つまり右側にまだ何かあるという事だ。

 俺の予感は的中した。が、上から落ちている事に変わりはないので、半ば叩きつけられるように壁に着地した。

 

「いってぇ~、高さを考えてなかった!」


 飛び込む前は壁だった部分が今は地面になっている。そこにまたドアがあったので入り込む。

 

 よし、ここからは俺が地図を埋めてやろう。何としてもここから出てやる。

 

 それからはスムーズだった。地形がかなり単純だったせいもあるが、何よりこの迷宮が乱雑なものではなく、何か意図があって成り立っているのだと分かり始めていたからだ。

 

 少しずつ地図を書いていって完成。このエリアは「九」という文字だ。

 酉偏に九だからもう一つしか無い。「酔」だ!

 

 ここは「酔」という漢字で構成された迷宮だったのだ。

 

 俺は笑いが込み上げてきた。

 「酔」という漢字の迷宮なんて、誰かがふざけて作っているとしか思えない。そいつに会うまで進んでやろうじゃないか。

 

 意気揚々と「九」から「十」に向かう。また重力場が変化し、「酔」という字の右にかかっていた重力が「十」の部分では下に変わるはずだ。

 

 案の定その通りだった。

 「前に落ちる」という体験は2回目だが、不思議なものだ。

 

 「十」の字の上側に着地し、部屋の外側に付いていたドアに入る。

 行きたい所は決まっていたが、念の為そこは最後に残しておく事にした。

 息絶えたあの男の為に地図を完成させてやりたかったからだ。

 

 最後に残しておいたのは「酔」という字で筆が一番最後に到達する部分、つまり一番下だ。

 ここに何かがある。そういう予感がしていた。

 

 残す所はあと一つ、真下だけだ。

 下に降りるドアは無く、長い螺旋状の階段になっていた。このまま出口に繋がっていればいいのだが…

 

 緊張感を漂わせたまま、一段一段降りてゆく。

 

 しかし当ては外れ、何やら暑苦しい部屋にやってきた。

 真紅の絨毯の廊下を進むと、左右の棚には金色に輝く豪華な燭台が整然と並べられて、暗い部屋をほんのりと明るく照らしていた。

 

 廊下の奥はそのまま広い部屋に繋がっているようだ。あそこに迷宮の主がいるのだろうか。

 

 その時、大きな声がした。

 

「豊子!!」


 男の声である。

 隠れて様子を見ると、男と首輪をぶら下げたみすぼらしい女がいる。

 その鎖は天井に繋がっていた。

 

 そしてその後ろには豪華な和風の衣装を来た女が立っていた。

 この女が迷宮の主だろうか。

  

 男の方をよく見ると、最初にすれ違った細身の男だった。

 あいつもここまで辿り着いていたのか!

 

 迷宮の主と思われる女が話しだす。

 

「死別した奥さんよ。特別に会う事を許してあげるわ」

「おお…豊子!俺だ!分かるか!」


 男は大きな声を出して、妻に抱きついた。

 その瞬間、迷宮の主が扇子で顔を覆った。

 

「あらあら…妬けちゃうわね、でも足元をよくごらんなさい」


 そう言って女は扇子をたたみ、男の足元を指した。

 すると男の足元にあったはずの床が消えていた。 

 

「うああああ!」

 

 男は妻に抱きついたまま空中にぶら下がった。女は首輪をしたまま天井に宙吊りになった。

 

「あっはっは!みっともないったらありゃしない!女にしがみつくなんてさ!」


 迷宮の主の罵倒も男には聞こえず、必死に妻にしがみついていた。

 

「そんなにしがみついちゃってまあ、よく見なさい、ホラ、あなたがしがみついているもの」


 そう言って迷宮の主が扇子で指す。男がしがみついていたのは妻ではなく、顔も分からぬただの屍だった。

 屍と顔を合わせた男が驚愕して大声をあげる。

 

「ぎゃああああああ!!!」


 男は手を放して奈落の底に落ちていった。

 

「あんたみたいなみすぼらしい男は地獄がお似合いよ」


 そう言って女は大きなソファにどっかりともたれかかった。

 ソファの後ろには階段とその先に白い光が見える。きっとあそこだ。あそこが出口なんだ。

 

 しかし隠れて行く事はできないし、そんな姿を見つけられたら確実に殺されてしまうだろう。


 考えるんだ。何とか取り入る方法を…

 

「これしかない、か…」


 俺は暫く時間を空けた後、迷宮の主の前に出ていった。

 

「うぃいいっく、ヒック」


 俺は特技でもある、「泥酔した男」を装って迷宮の主の前に出ていった。

 女は意外と好反応を示した。

 

「あら、今日はお客がいっぱいね」

「お、美人なおひめさまだなぁ。おしゃくさせてくだせえ」


 よし、このまま甘えて脱出させてもらおう。

 

「こっちにいらっしゃい」


 誘われるままに迷宮の主の傍のソファに寝転がって甘える。

 

「あなたもこの酔虎殿に迷いこんだの?」

「すうぃこでんんんん?」

「そうよ、飲兵衛さんを地獄に突き落とす場所なの」

「のんべぇえええ?」

「そうよ、あなたみたいな人のことよ」

「たすけて、おひめさまぁあ」

「どうしよっかなー」

 

 女は扇子を仰ぎながら、まじまじと俺の体を見る。

 

「あなた、結構いい体してるわね」

「そうですかぁ?」

「あたしこういう体は好みよ」

「どうぞ好きなようにしてくださあい」


 女は俺の体を触ってきた。

 よし、このまま言いなりになっていれば、出してもらえそうだぞ。

 

 しかし女は俺の上着のポケットからサッと一枚の紙を抜き取った。

 

「あら、すごい、この迷宮の謎を明かした人間がいるなんて…」

「そうでしょーーー」

「そんな人間がこんな酔っぱらいなわけ……ないわよねぇ!!!」


 女は怒声と共に、凶悪な虎の姿に変身した。


「この嘘つきが!食い殺してやるわ!」

「ひいいいいいいいい!」


 俺は咄嗟の判断で大きな虎から離れ、距離を取った。

 これがこいつの正体か!

 

「私は地獄七人衆の一人、虎王!貴様のような輩は地獄に送るまでも無い。ここで喰い殺してくれる!」

 

 だめだ!もう戦うしかない!

 腹を決めて虎王に立ち向かう。

 

 しばしの静寂の後、虎王はいきなり俺の喉元目掛けて食いかかってきた。

 

 俺はズボンのポケットから焼き鳥を取り出し、虎王に向けて振った。

 すると、焼き鳥の具だけが虎王の前に落ちた。

 

 王と言っても虎である事に変わりはない。虎王は目の前の焼き鳥に食らいついた。

 

「ウオオオォ!これは何という味付け!人間の世界ではこんな味付けが存在するのか!濃厚なソースがまったりと絡み合って芳醇な香りと優雅な味わいの両方を実現したまさに究極のキングオブ焼き鳥!」


 何というグルメ。これでは虎王というより味王だ。

 

 しかしチャンスだ!

 俺は隙を突いて虎王の体にしがみついた。

 そして焼き鳥の串を虎王の耳の穴に思い切り刺した。

 

ザクッ

 

「ガアアアアアアアァァァァ!!」


 人間の雄叫びと虎の咆哮が混じったような声を上げて、虎王がよろめく。

 三半規管を損傷したのか、酔っ払ったようにフラフラと歩き回った後、虎王は自分が開けた床に向かって落ちていった。

 

「ウオオオオ!!!!」


 穴を覗き見ると、燃え盛る炎と灰色の土地だけが存在する、地獄とでも呼べそうなおぞましい光景がチラと見えた。

 

「オオオオオオオオオォォォ…………」


 咆哮はどんどん小さくなっていった。

 

「…勝ったぞ!」

 

 俺は焼き鳥の串を高く掲げた。

 

 しかし暑い。こんな所は早く出よう。

 俺はソファの後ろにある階段を登って白い光の中に駆けていった。

 

 眩い光が俺を包む。

 

 

 ――目が覚めたのは病院の一室だった。

 

 

「お父さん!」


 娘が抱きつく。横には妻もいた。

 

「俺はどうしたんだ…」


 夢だったのか?あんなリアルな体験が夢なはずはない。そう思っていたのだが…


「覚えてないの?あなた、酔っ払ってトイレのドアを開けたまま、倒れていたのよ」

「お医者さんがね、死んじゃうかもしれないって、だから私…」


 娘は泣きそうな顔でしがみついた。

 俺の生死を賭けた戦いは、現実でも生きるか死ぬかの戦いだったのか。

 

「酔虎殿という所に行ってたんだ」

「え?何それ(笑)」


 娘が笑い出す。


「ホントだよ、聞いてくれ俺の酔虎伝!」

「それを言うなら武勇伝でしょ(笑)」

「お父さんったら、まだ酔っ払ってるのね」

「違うって!」


 必死に主張するが、二人は笑い飛ばすだけで、とうとう信じてもらえなかった。

 

 もういいや、夢だよ夢。夢でいいよ。

 

 しかしふと俺がズボンのポケットに手を入れると、そこには黒ずんだ焼き鳥の串があった。

 

「夢じゃねーじゃねーか!」

 

 

 

 

 

 おわり

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