⑧
アリサを綺麗と称するならメイメイは可愛いに分類される。
丸一日を着物の選定に費やしたメイメイの出で立ちは、馬子にも衣装ということわざが相応しい。藍色をベースにした生地の着物は一見地味ではあるが、メイメイの小柄な体型には丁度良いかもしれない。あまりに艶やかな一張羅を着ても、メイメイでは逆に衣装に存在を食われてしまい、不釣合いになってしまう。
着物姿もさることながら、一番、俺が驚いたのは髪形だ。
頑なとして瞳を前髪で隠し続けていたメイメイが、花柄模様の髪留めで前髪を分けていた。
素顔をあらわにしたメイメイは素直に可愛いと思う。
くりくりとした丸い瞳。少し太めの眉目。一文字に引き縛られた唇。
美少女と名乗っても僭称にはならない容姿の持ち主だ。
「半日ぶりの言語のだんなは相変わらずエロい顔をしていますね」
ただ、可愛さ余ってなんとやらなので、思慕の念が渦巻くことは決してないだろう。
まあ、それはある意味、俺にとっても安心できることだ。
アリサの家は格式があると豪語していただけあり、町中でも屈指の豪奢な造りである。門構えは俺の身長より遥かに高く、一歩敷地内に踏み込めば広大な庭が広がっていた。ただ広いだけではなく、生垣に植えられた花は素人の俺から見ても綺麗な彩色を放ち、軒先にある池には錦鯉が水面から何度も飛び跳ねている。敷地もさることながら、屋内も広い。しかし、それ以上に目を引いたのはあちらこちらと行き交う多くの人々。行き交人々はアリサと目がすれ違うたびに平伏するような勢いで頭を垂れていく。そこで人々の正体を侍女だと察し、本当にアリサは格式ある家柄の人間なのだと、遅まきながら実感が沸いてきた。
それと同時に疑問も生じた。
なぜ当主たるハコの住まいは小さいのだろう、と。明日にでも本人に訊ねてみよう。
俺とメイメイに割り当てられた部屋は別々で完全なる一室。畳が六枚で六畳ほどのスペース。部屋の中央に布団が一式置いてある以外はなにもなく、六畳よりも広く思える。
メイメイは襖を隔てた隣の一室を与えられている。メイメイとは別に同じ部屋でも良いと居候をする身としてアリサに提案をしたのだが、「男女が同じ部屋で一夜を共にするのは…………」と言葉を区切り、顔を真っ赤にされたら、こちらとしてはもうなにも言えない。メイメイとは鬼ヶ島に来てから毎日同室で夜を共にしているのだが、今のところアリサが想像しているようなけしからん事態は起こっていない。発情期の猫でもあるまいし、分別は弁えている。性格を度外視して容姿だけでメイメイを評するならば、非常に可愛い。しかし、本当にただそれだけだ。可愛いとは思うが、メイメイを見ていてけしからん妄想は一切沸いてこない。たとえメイメイの全裸を見たところで、俺は鼻で笑ってその場からそっと離れる自信がある。
豪奢な家に相応しい豪勢な料理を堪能し、いまは人も獣も町も寝静まった時間帯。
ふと、目が覚めた。不穏な気配を感じたとか、殺気を読み取ったとか、そういった超常的な間隔が働いたわけではなく、極々単純に尿意もよおした。
厠に向かおうと障子を開けると、浴衣姿のメイメイが縁側に鎮座していた。ちょんまげのように長い前髪を一本にまとめたおでこがむき出しの髪型は、どこかまぬけに見える。
そこから始まったいつもの他愛のない話。
俺は縁側に腰を下ろし、メイメイの隣を陣取った。眼前のつくばいが一定のリズムでかたんことんと音を立てている様は、どこからしら風流を感じる。
メイメイは俺を一瞥した後、空を見上げた。
「言葉の最初に『夜の』って入れると、なんだかエロく聞こえませんか?」
最初の一言がそれだった。心底くだらないと思いながらも、どこか安心するやり取り。
夜の密談。と言えばどことなくエロく聞こえるような気がする。そういう発想が浮かぶ自体が、メイメイの電波に犯されているなによりの証拠だろう。
他愛も無い会話から始まった互いの近況報告。
そこで俺が体験した密のある一日を語っている仮定で、己の心力者としての能力を説明した途端、メイメイは食い付いた。
「言霊使いは例外なくエロいです」
「否定はしない。俺はどちらかといえばエロい方だからな」
「む、それはわたしの貞操危険フラグ。言語のだんなに一言、脱げ、って言われたらか弱いわたしは従うしかないです」
「メイメイの全裸見たっておもしろくないだろ」
「じゃあ、おもしろいようにお腹に顔を書いておきます」
「なんだ? 脱げって言ってほしいのか?」
「今の発言は確実にセクハラですよ。自重してください」
「メイメイだけには言われたくない言葉だよな。自重って」
「空気の読めない人間がいるからこそ、空気の読める人間は輝けるんです」
「それっぽいこと言ったつもりなのかもしれないけど、意味わからないからな」
「むー。これだから言霊使いは」
言霊使い。
「なあ、メイメイ。そもそも言霊使いってのはなんだ?」
「……む?」
「わるいが、俺は心力者に関して一般人に毛が生えたような知識しかない」
「そうですよね。だって言語のだんな、《アブソリュート》も知らないぐらいトーシロですもんね」
「鬼ヶ島と同じぐらい心力者の存在も機密事項だからな。知っている方が異常なんだよ」
「それは遠まわしにわたしが異常だと指摘しているんですね?」
「心力者の特異性を無視して、メイメイは異常を喫していると思う」
「べつにわたしは人の道から外れることが、かっこいいと思っている厨二病ではありません。なのでわたしは、女子でもないのに胸元が広い服を着ている男子よりは、メガネを掛けたスーツ姿の男性が好きな、どこにでもいる普通の女子です」
「それは普通なのか?」
「日本の女子の一割はわたしに賛同してくれると思います」
「少数派だな」
「逆に問いますけど、言語のだんなの好きな女性のタイプは、如何ほどでござるか」
「なにキャラだよ、それ」
「島の人たちに合わせたキャラでござる。にんにん」
「確実に怒られるな」
「いいから応えるでござる」
「簡単に言えば、可愛いより綺麗な人」
「そこは嘘でもいいから、言語のだんな必殺のすまし顔で『メイメイだな』って言うのが流れ的にふさわしいと思います」
「二つ突っ込むぞ。俺がいつすまし顔している」
「大体、いつもしてますよね?」
「してねえ。その次、空気の読めないメイメイに流れ的にとか言われたくない」
「ふ……。素直にわたしと答えられないあたり、言語のだんなは意外とシャイボーイですね」
「だから、なんで俺がメイメイのことを好みだと前提で話す」
「え? やですねー。言語のだんなはいつもわたしに卑猥な目で見てるじゃないですか?」
「本気でそう思っているなら、一度殴っておこうか」
「そういった愛情表現なら、わたしは受け入れようと思うの」
「気持ち悪いから、いい加減にやめてくれ」
「ふ」
「…………」
ちょっとムカついたので、頭にチョップを叩き付けた。わりと強めに。
「むー。痛いじゃないですか。だが、それがいい」
「そろそろ、話の道筋を元に戻したいんだけど」
「なんでしたっけ? あれでしたっけ。単語の前に『夜の』を入れるとエロくなる話」
「……で、夜のメイメイはエロいのか?」
「セクハラ発言、じちょー」
「会話がループ状態だな」
俺は、やれやれと、おでこに手を当てて、天を仰いだ。メイメイとのくだらないやり取りは決して嫌いではないが、話が一向に進まないのは悩みの種だ。
空を見上げると、深遠の闇の中で光を放ち続けている満月があった。環境汚染とは無縁な鬼ヶ島の夜は、満月も一際強い光を放っている。
隣を見ると、メイメイも月を見上げていた。普段と異なり前髪を結び、素顔をさらけ出しているメイメイだが、相変わらずなにを考えているか読み取れない。ハコだって突っつけば感情の揺らぎは覗えたというのに、メイメイの思考は一週間以上経過している今でも、片鱗さえ見えない。ある意味、誰よりもポーカーフェイスなのはメイメイだろう。
「月が綺麗な、良い夜ですね」
「できれば、最初の一言がそれだったら、幾分落ち着いた話ができたんだけど」
「こんな夜は、鬼がいたら変身しそうですね」
「それは狼男だろ」
「それならわたしの隣にいます」
「俺は変身しねえよ。それより言霊使いの話を聞かせろ」
「んー。ぶっちゃけ、わたしもそんなに知らないですよ。言語のだんなの方が使い手なんですから、よっぽど詳しいんじゃないですか?」
「……まあ、ある程度はわかっているけど」
俺の心力者として能力――《言霊》。
鬼の咆哮と同様に対象の心に直接干渉する、精神干渉系に分類される能力。発する言葉に心力を宿し、対象となる心に命令をする。干渉を受けた心は、宿主の肉体に影響を与えるほどの心力を発露し、本人の意思とは無関係に身体が動いてしまう。
「俺の他に、言霊使いを知っているのか?」
「わたしも人伝えに聞いた話なので。ただ」
「ただ?」
「言霊使いはエロいと聞きました」
「もうそれはいい」
「他愛も無い冗句は置いといて、珍しい能力には違いありませんよ? 心を操る心力者には言霊の効果はイマイチ発揮できないかもしれないけど、一般人なら言霊に対抗する術を持ちませんので。使い方次第では、エロいことし放題です」
「一言で言えば、珍しくてエロいんだな」
「その通りです」
エロい云々を除けば、親友に聞いた話と同じだ。心に干渉する能力を持つ心力者は多々いるが、その大半が感情を増幅させる程度の干渉能力だ。俺の《言霊》のように具体的な命令を強制的に実行させるほど強い干渉を持つ能力は稀有な存在らしい。メイメイの進言通り、使い方次第では、エロいこと……ではなく、なんでも出来る。俺が誰かに《死ね》と命じれば、その人は意志とは無関係に死ぬことになるし、《あいつを殺せ》と命じれば必ず実行をする。汎用性が高い能力であることには違いない。
ただ、際限無しに能力を乱用すれば、いずれは裏世界を牛耳る組織に目を付けられてしまう。俺の能力は客観的に見ても厄介だが、無敵ではない。不意打ちなんてされた日には言葉を発する暇もなく、土に還ることになるだろう。
なので、心力者が跋扈する裏世界に精通している親友からは「能力の乱用は厳禁。絶対に」と力強く注意されている。
「言語のだんなの《言霊》で色んな人から鬼の情報を引き出せないんですか?」
「……できる」
「けど、やりたくないって顔ですね」
「メイメイにもばれるくらい、顔に出てたか」
言霊の能力を使えば、対象者の隠し事を暴くことなど造作もないことだ。ただ、それは人の矜持を踏みにじる行為になる。いまさら自分が普通の人間だとは思っていないが、化け物になったつもりもない。せめて会話の駆け引きぐらいは対等な立場で行わなければ、人としての重大なものを失ってしまう。そんな気がしてならない。
ことん、とつくばいの音が響いた。
「わたしは、言語のだんなの気持ち、少しだけわかります」
「……そうか」
変わり者のメイメイだが、同じ心力者という立場から共感を得るものがあったのかもしれない。
「あれですね。普段は神様を信じていないのに、大事な場面でお腹が痛くなったら神様に祈りたくなるアレですよね?」
「お前は一体俺のなにを理解した気でいたんだ?」
見当違いも甚だしい。一瞬でも感慨深くなった自分がバカみたいだ。
俺は手を組んで、思いっきり腕を空に伸ばした。関節部位がパキパキと音を鳴らし後、訪れたのは尿意。そういえば厠に行こうと起きたのだったと、いまさらながら思い出した。
立ち上がろうと瞬間、メイメイに浴衣の袖を引っ張られた。中腰だった俺は、そのまま尻餅を付いた。いまのは少し漏れたかもしれない、そんな衝撃だった。
「メイメイ……話なら明日聞くから、トイレに行かせてくれ」
「…………言語のだんなは、本当に鈍感ですね。女の子が真夜中に引き止めているんですよ? 理由なんて、一つしかないじゃないですか……。察して下さいよ、バカ」
感情が篭っているならまだしも、あからさまな棒読み。きっと超一流の役者が全力で棒読みをしようとしたら、メイメイの言い方になるのだろう。
「せめてその台詞を言うなら、いつもの変なキャラで――」
「冗句を抜きにすると、狙われていますよ。わたしたち」
それも冗談だろ、と思った瞬間、ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
見られている。
素人の俺でも一瞬だけ、おぞましい気配を掠め取れた。
「本当か?」
俺は小声で、そう訊ねた。
「言語のだんなは、わたしがいままでに出会った心力者の中でも、かなりのにぶにぶ君ですね。ふつーは気が付きますよ?」
「だから、俺は心力者の中でも能力が低いほうだと言ってるだろ……。それで? 何人潜んでいるか、わかるか?」
「ひとり。左の端っこの茂みに隠れています」
言われた場所を凝視するほど、さすがに素人ではない。俺は尻餅を付いた姿勢から、ゆっくりと立ち上がり、尻を払う『フリ』をした。そういう動作を行ったら、メイメイから言われた方向に顔が向いてしまうのも第三者から見ても不自然ではないだろう。
広大な敷地は俺の身長よりも高い塀で囲われている。元々が茫漠な坪数を保有しているため、塀による圧迫感はない。ただ、圧迫感が感じられないほど広い敷地となると、人の目が届かない箇所も存在する。有刺鉄線も存在しない塀は高いだけで、乗り越えること事態はさほど難しくはないだろう。
メイメイに言われた一画は、まさに隠れるにはうってつけの場所であった。目測、百メートル。塀より高い木々が整然と並んでおり、その根元には数多の植物が爛々と生い茂っている。その中で人が伏せたら、日中でも気付くのは困難であろう。
尻を払いながら観察すること、約五秒。
俺は再びメイメイの隣に腰を落ち着けた。
「ヤバイぞ。メイメイ。ぜんぜんわからない」
目を細めて見ても、人の姿はなにも見当たらない。真夜中でもあり、茂みに隠れられていることを考慮すれば、気付かなくても当然と言えるが、メイメイはそう思わないだろう。
「トーシロ」
案の定、ぼそっと、呟いてきた。
「どうせ俺は素人だ」
「トーシロの言語のだんなはこれからどうするつもりですか?」
塀際の茂みに人が隠れていることを前提して考えると、いくつか選択肢が思い浮かぶ。
1.気付かないフリをして寝る。
これはダメだ。現時点で相手の意図は読めないが、俺とメイメイを狙っている可能性も否定できない。
2.逃げる。
どこに? ここ以上に安全な場所など、土地勘のない俺には思い浮かばない。
3.アリサに連絡を取る。
妥当と言えば妥当だ。忍び込んだ存在をアリサに知らせ、事後処理を全て託す。問題はこの屋敷のどこにアリサがいるのか、知らないということだ。アリサを探している間に向こうがなにかしらのアクションを取る可能性は多いにあるだろう。
4.白黒はっきりさせる。
実力行使という奴だ。こちらは心力者二人。メイメイの実力は未知数だが、俺ぐらい底辺の心力者だとしても、問題はないだろう。相手が重火器で武装していれば話は別だが、この文明離れした島に銃などの火器が存在するとは思えない。精々火縄銃がいいところだとう。つまりは、負ける要素がない。
さて、どうするか。
「言語のだんな――」
ぞくり、と全身に冷たいモノが駆け巡る。
「あっちから来ますよ」
目測百メートルの茂みから、黒い影が飛び出した。
こちらには選択権すらなかったようだ。
条件反射で心力を全身に展開した。この状態ならば、ある程度の攻撃を貰ったとしても耐えられる。
この間、五秒も経っていない。
黒い影は既に目と鼻の先まで距離を縮めていた。
いくらなんでも、速すぎる。
獣のように四つん這いで大地を蹴りつける様は、狼にも見えなくはないが、相手は見紛う事なき人間だ。ぼろきれのような衣服を身に纏い、長い髪を狂言さながら振りまきながら、迫り来る黒い影。まるで、死神だな。と状況にそぐわず呑気な考えが脳裏に過ぎった。
黒い影は残り数メートルを残し、飛び上がった。
これ以上ないスピードからの跳躍。その先にいる人物は、俺だ。
そう脳が判断した時には、眼前まで相手の手刀が迫っていた。
普通の人間に全力で殴られたところで、心力を展開した状態であるならば、アザ一つ付かない。だが、現在進行形で迫り来る爪は、常人離れしたスピードから繰り出された必殺の名に相応しい一撃。このまま瞬きをすれば、瞳を開けたころには自分の顔に立派な風穴が開通しているかもしれない。
必殺の一撃を眼前に時の流れがスローモーションになり始めた。迫り来る爪先は、一流の鍛冶屋が研いだかのように鋭利な形状をしており、その根元にある手は血管が膨張して浮き彫りになっている。とても普通の人間の手には見えない。
死を目の前にしても冷静に分析を続けられている自分に少し驚いた。
いや、心のどこかで安心しているのだろう。
俺は、一人じゃないって。
時間が止まったようなスローモーションの世界で、一際速いスピードで動いている存在が視界の隅に映りこんでいる。
迫り来る切っ先よりも速く、鋭く、恐ろしい、動き。
メイメイだ。
表情一つ変えずに、メイメイは無造作に右拳を放った。一目で武の心得の無いとわかる、身体を開いたまま腕だけの力で繰り出した素人同然のパンチ。
しかし、その一撃は過去に出会った数々の心力者の中でも、もっとも鋭く、速い。
切っ先が俺に届くよりも速く、メイメイの拳は真っ直ぐと黒い影の脇腹へと突き刺さった。その刹那――黒い影は漫画の演出さながらに吹き飛んだ。眼前の池を超え、向かいの塀に背中から叩きつけられ、そのままうつ伏せに倒れこんでしまった。
それを呆けて見詰めて、十秒ほど経過し、我に返った。
「なんだ? いまの?」
自分でもなにを指して、なんだと言っているのかわからない。いきなり襲ってきた刺客に対しての疑問。その刺客の人間離れした動きへの疑問。真っ先に俺を狙ってきた疑問。なんなく撃退したメイメイの異常な運動性への疑問。
とりあえずそれら全ての疑問は保留にしよう。自分一人で考えても答えが出ない場合は、全ての疑問を一旦頭の片隅に追いやるべきだ。
「言語のだんな。なにをぼーっとしているんですか?」
「状況に頭が追いついてこないんだよ。一体、なにがなんだか」
「わたしだってわかりません。言語のだんなが想像以上に動きが遅かったので、横から普通に殴っちゃいましたけど、アレですか? 『ちっ。余計なことしやがって。あんぐらい俺一人でもなんとかなったぜ』とかいうアレになりませんか?」
「その台詞が言えるほど、俺は強くない。メイメイには感謝してる」
「えへへー。ほめらーれたー」
強い者が傍にいる。それだけで冷静になれるものだ。
急激に冴え渡ってきた思考は淡々と状況を分析する。
手前の池を越えた向こうの塀の前で倒れている謎の刺客。いまのところ起き上がる気配は見受けられない。
俺は裸足のまま縁側から飛び降りた。
「メイメイ。行くぞ。トーシロの俺を守ってくれ」
「かっこいい感じでかっこわるいことを言いますね。けど、オナゴの中にはそういう需要もありますので、あしからず」
いまばかりは、メイメイの意味不明な言動は黙殺する。
忍び足で、だが素早く移動し、俺は刺客が倒れる場所まで歩み寄った。メイメイも俺に追随してきた。
うつ伏せに倒れこむ刺客の前で、俺は片膝を大地に付けた。腰まで届く長い黒髪。藍色の着物。身体のラインだけを見るならば、女性。近くで観察してもわかるのはそれぐらいで、大した情報は得られない。
「起こします?」
と、メイメイ。
「話ができる状態ならそうしたいが、あの状態じゃ会話のキャッチボール以前の問題だ」
「大丈夫です。言語のだんなはわたしと会話のキャッチボールができる人です。もっと自分に自信を持ってください」
「どういう励まし方だ。それ」
「では、どーします?」
「んー」
片膝を付けたまま、俺は鼻頭に手を添えた。
メイメイに話した通り、無策のまま起こすのは得策ではない。
一度、状況を省みて、情報の整理をしよう。
襲われた時の状況を思い出す。なによりも不審なのが刺客の異常な身体能力。特殊な訓練を行ったところで、あそこまで人間離れした動きをすることはできない。普通の人間ならば、絶対に、だ。
ただ、俺は人間離れした身体能力を保持する存在を知っている。
こいつは、俺やメイメイと同じ《心力者》。
そう考えるのが――いや、それ以外の選択肢は考えられない。
「……確かめてみるか」
「なにをですか?」
「こいつが心力者かどうかを、な」
「……?」
婉曲せずに直接的に言ったつもりなのだが、メイメイは首を大きく傾げた。
「言語のだんな? なにをいっているんですか?」
「……?」
今度は俺が首を傾げる番だ。
「メイメイこそ、なにをいっているんだ?」
「言語のだんなは、どうやってこの娘が心力者だと確かめるつもりなんですか? 身体検査したってわからないですよ?」
「……そんなの《視れば》わかることだろ?」
「なにを見るんですか? は! まさか、適当な理由を付けてこの娘の生まれたままの姿を拝もうと…………眠ったままのオナゴを剥いで卑猥な行為に及ぼうと――」
そこまで言われ、俺はメイメイの頭に手刀を叩き込んだ。
「むー」
「茶化すな。《心》を視れば、心力者かどうか、大体わかるだろ?」
「……心?」
俺の答えに、メイメイは驚いたように口を半開きにしている。
なにを驚いているのか訊ねたいところではあるが、まずはやるべきことをやらないと。茶番は計画的に、だ。
「――ACCECE――」
その呪文は、心の深層部分へ誘う文言。
俺は目を閉じ、心の奥底に潜り込む。
肉体が存在する物質界で最も多くの情報を取り込むのは視覚。その視覚に新たな感覚――精神世界の情報をリンクさせる。
ゆっくりと目を開けると、いつもと違った風景が目に映り飛び込んでくる。
物質界の情報と精神世界の情報。その二つが重なり合って見える。
何度やっても、この状態は酔いそうだ。
「…………」
なんだ、これ。
眼前に倒れ込む刺客の心。
なんだ、これ。
擦っても無駄だとわかっていても、目を擦ってしまう。
肉体の中心部で淡い光を放つ心。至って普通だ。ハコのように穴ぼこだらけでもなく、特徴な特徴も無い普遍的な心だ。
しかし、その心の傍にへばり付く黒い影。
なんだ、これ。
ただ光を放つ心と違って、そいつは形を持っていた。
たとえるなら、人間の形。胴と思われる部位から四肢が生えている。頭部と思われる箇所には目の役割を果たしているのか、小さな二つの灯りが爛々と輝いていた。
極め付けに頭部から生えている一本の角。
「メイメイ。嬉しい、知らせだ」
「はい?」
心に寄生している黒い影。
それは、そう呼ぶのに、相応しい。
「鬼が、いたぞ」