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 男として生きている以上、必ず問われる事柄がある。

 好きな女性のタイプは、だ。

 遠い昔、俺も修学旅行の夜に男同士で語り合ったものだ。臆面もなく赤裸々に語る輩もいれば、断固として黙秘する輩もいる。厳密に言えば、語り合った内容は好きな女性のタイプではなく、好きな女性だったのだが、まあそこはどうでもいい。

 容姿だけを重点にして述べれば、個人的には大人の色香を纏った女性が好みだ。わかりやすくたとえるならば、可愛さを売りにして庇護欲を掻き立てるアイドルよりは、立ち振る舞いに強さを感じさせる女優の方、ということだ。

 ハコと無事に境内まで戻った後、日も暮れそうな時間帯だったこともあり、そのまま下山をして街に辿り着いたところで、まさに俺の好きなポイントを全て押さえた女性が佇んでいた。

 女性は牡丹柄の着物を着崩し、すらりとした蠱惑的な脚線美を覗かせている。女性にしては背がやや高いが、そこもまた個人的には加点対象。腰まで届く亜麻色の髪は全ての女性が羨望するようなきめ細やかな艶を保ち、吊り目気味の顔立ちとの相乗効果で女性の美麗さを引き立てている。俺のストライクゾーンのど真ん中を射抜いてきた。

 赤い夕日を背にした女性と、視線が交錯した。

 そして、一瞬にして視線を逸らされた。

 女性を見る目が下世話な目になっていたのかもしれない。元よりこれからお茶に誘おうとは考えていないので、女性に変な印象を与えたとしても構わないのだが、光の速度で眼を逸らされた事実には、ほんの少しだけ傷ついた。

「待て」

 うな垂れ気味に女性を横切ろうとした瞬間、静止の声を掛かった。

 足を止めて周囲を見渡すが、街の外れはがらんどうとしており、人の姿は見当たらない。となれば、女性が声を掛けた対象はおのずと俺となる。因縁をつけられる、と真っ先に思ってしまったのは冤罪が溢れるコンクリートジャングルで育ってきた故にだろう。

 向き直ると、小心者なら一目散に逃げるような鋭い眼光がこちらを捉えていた。

「なんだ?」

 威圧的な視線に負けないよう半ば睨み返しながら、低い声で返事をした。好みの女性相手とはいえ、対応が甘くなりはしない。

「な、なんだとは、なんだ」

 予想外の反応に、逆に俺が目を丸くしてしまった。

 たった一言の応酬で女性の凛々しい表情は一変し、いまにも泣き出しそうな顔に崩れていったのだ。まさか本当に逆ナンでも試みたのであろうか? それとも俺の動揺を誘うことが目的か?

 周囲の気配を再び探る。メイメイのような気配察知に秀でた心力者であれば一発で見抜けるのだろうが、あいにく俺は平凡極まりない心力者だ。第六感ではなく、目を頼りに周囲を見渡す。背後に広がるのは稲穂が田植えされたばかりの田園。前方は腰ぐらいの石垣で囲まれた街の入り口。どこも開けており、人が隠れられそうなスペースはない。

 確証は持てないが、第三者が潜んではなさそうだ。

 そうすると、なおさら女性の意図がわからなくなった。こちらの常識では推し量れないルールが鬼ヶ島には存在するのだろうか?

 女性は相変わらず、泣きそうな顔でこちらを見ている。

 段々とこちらに非があるように思えてきた。

「あー……。なにかご用ですか?」

 わざとらしく後頭部を掻きながら、俺は女性に一歩近付いた。

「ゲンゴを、待っていた」

 それはそれは嬉しい台詞だ。好みの女性にはにかむような台詞を言われて嬉しくないはずがない。しかし、そんな台詞も辺境の地で見知らぬ女性に言われれば、嬉しさよりも猜疑心が先行して沸いてくる。

 再び女性の顔を直視する。

 すると、一瞬で顔を逸らされた。

 刹那、脳内に欠けていたなにかがカチリと組み合わさった。

「もしかして、アリサか?」

 鬼ヶ島に上陸して初めて出会った原住民、アリサ。

 すぐ視線を逸らす初心な反応はアリサそのものだ。

「……ああ。なんだ。ゲンゴは私が私と気付いていなかったのか」

 女性もといアリサは得心がいったのか、手のひらを逆拳でポンと叩いた。

「まったく……。素っ気ない返事をされたものだから、何事かと思ってしまった」

 本人はごく自然に話しているつもりなのだろうが、アリサは基本的に威圧的な印象を与えがちだ。キリっとした顔立ちは自然体で相手を威圧し、低音域の声も普通に発しただけで威圧しているように感じる。本人はごくごく普通に立ち振る舞っているつもりでも、俺からすれば威圧しているとしか思えないのだ。

 曰く付きの異境の地で見知らぬ美人に威圧的に話しかけられれば、よほど頭のネジが緩い人間でない限りは、警戒して当然だろう。

「わるかったな。いつもと装いが違って、アリサだと気付けなかったんだ」

「ああ。これか」

 アリサは着物の袖をくいくいと引っ張った。

 これまでのアリサといえば、服装は民族衣装的な袴に大弓を背中に携えており、髪型に関しては頭頂部で一本に結い上げているポニーテール。

 それに対して今現在のアリサは牡丹柄の着物に髪は真っ直ぐ下ろしている。もちろん弓は携えていない。

 服装と髪型が異なるだけで女性というものは別人に化けてしまう。

 まあ、今回の場合、鈍感、の一言に尽きる。冷静なつもりではいたが、好みの女性を前にして知り合いだという選択肢を自ら消去してしまっていた。知らず知らずのうちに舞い上がっていたのだろう。

「その……やはり、私にはこのような格好は似合わないだろうか?」

「いいや。綺麗だと思うぞ」

「…………」

 アリサは見る見る内に顔を朱色に染めていく。

 雰囲気を一変させてもアリサは変わらずアリサのようだ。

「バ、バカ……。そう臆面もなく恥ずかしい台詞を言うな……!」

「別に、本当に思ったことを言っただけなんだけどな」

「…………」

 アリサの頭上に白い煙が立ち上っているように見えるのは、きっと目の錯覚だろう。

 これ以上の賛美はアリサをオーバーヒートさせて、褒め殺しではなく物理的に殺すことに繋がってしまうかもしれない。ハコとは違った意味で掌握し切れない性格の持ち主だ。

「それで、アリサは俺になにか用があるんじゃないのか?」

 夢から醒めた如く、アリサは我に返った。

「あ、ああ。それは歩きながら話そう。日も暮れそうだからな」

「だな」

 街中には多少なりとも外灯なるものが設置されているが、大した意味はなさない。大通りに面した箇所に一定間隔に配置された外灯は、夜の帳が下りれば陽炎のようにふわふわと不気味な光を放つだけだ。その微かな光源も裏路地までは届かない。

 明るい内に用は済ます。鬼ヶ島で生活するうえでの鉄則だ。

 土を固めただけの平坦な道も、多様な獣道をくぐり抜けたあとに歩くと、立っているだけで進むムービングウォークさながらの快適さを覚える。

「ふぁー……あ」

 思わず大きなあくびが洩れ出てしまった。

「随分とお疲れのようだな」

 アリサに一発で見抜かれるほど、あくびに疲れがにじみ出てたようだ。

「ちょっと、色々あってな」

 ハコとの戯れ、鬼の爪痕、鬼の咆哮、精神汚染、獣たちとおいかけっこ。

 鬼ヶ島上陸以来、本日がもっとも体力を浪費した日に間違いない。

 アリサに用件を聞いたら今日のところは帰って休もう。いい加減にメイメイの買い物も終わっている頃合だろうし、帰りが遅くなればなにを言われるかわかったものではない。

「それで、アリサ。用件というのは? めかし込んでいるのと関係あるのか?」

 茶化し気味に訊ねると、予想と反してアリサは神妙な面持ちになった。てっきり顔を真っ赤に染めてめかし込んでいる理由を早口でまくし立てると思っていたのだが、とんだ予想はずれだ。

「ゲンゴ。最初に言っておくが、私はゲンゴを信じている」

「回りくどい言い回しをしても、俺は察することはできないぞ」

 唯一読み取れたのは、これからアリサから宣言される事柄は、疲弊した俺に鞭を打つような内容だということだ。

 アリサは一息挟み、怯まずに俺の瞳を射抜いてきた。

「今日、一人、女性が行方を眩ました」 

 そうきたか、と胸中で呟いた。

 昨年から一年近く続いてきているという島内の失踪事件。

 上陸してアリサと初めて邂逅したときも、真っ先に失踪事件の容疑者だと疑いを掛けられたのは記憶に新しい。他人の真偽を見抜けるアリサは、俺とメイメイを失踪事件とは無関係だと判断を下した。その後も色々と便宜を図ってもらい、今日まで不自由なく日々を過ごせてきた。

 だが、このタイミングで失踪者。

 アリバイの有無に拘らず、島民たちは風来坊の俺たちを疑ってくるに違いない。

「単なる家出とか、ちょっと帰りが遅いとか、そういうことじゃないのか?」

「……行方を眩ましたのは齢十五の少女だ。名はケイ。私とケイとは面識があるんだ。私は彼女のことをよく知っている。とても真面目な娘だ。口も達者で、武芸にも精通しており、同年代の男にも劣らない腕っ節を持っている。親の言い付けは必ず守る娘でな……。今日も両親の手伝いで買出しに行ったらしいのだが……それっきりだ」

「買出し先の店への確認は?」

「もちろんだ。肉を買いに肉屋に、野菜を買いに町外れの田園…………そこが最期の目撃情報だ。農家の主人が野菜を引き渡したのを最期に、ケイを見た者はいない。不自然なぐらいそれ以上の目撃情報がないんだ」

 それならば真っ先に疑われるのは農家の主人であろう。

 しかし、ここで正論を唱えても意味がない。

「そういえば、俺が上陸した直後も二十人失踪したって言っていたな。あれはどうなったんだ?」

「どうなったもなにも、行方を眩ましたままだ」

「となると、俺らが来てからこれで二十一人目の失踪者になるわけか。こうも矢継ぎ早に失踪されちゃ、疑われて当然だな」

「私は――」

「わかっている。アリサは信じているんだろ?」

「もちろんだ。この失踪事件はゲンゴたちが来る一年以上前から立て続けに起こっている。少し考えれば、ゲンゴたちが事件に無関係なのは明らかだ。にも拘らずだ!」

 アリサは拳を強く握り締め、己の無力さを悔やむように声を荒げた。

「『あいつら』はゲンゴたちを失踪事件の首謀者と断定して事を進めている! まともな証言も証拠もなしに、憶測に憶測を重ねた矛盾だらけの理由で犯人扱いしようとしているんだ!」

「落ち着け、アリサ」

「…………すまない。当事者のゲンゴよりも私の方が慌てているとは、我ながら情けない」

 人通りが少ない道とはいえ、まばらに人の目がある。取り巻く現状について全容は把握できていないが、少なくとも声を荒げて話す内容ではないだろう。

「アリサの言う『あいつら』ってのは、なにを指しているんだ?」

「……ゲンゴが初めてここを訪れた際に囲い込んできた連中だ」

 白と黒の袴で統一された男たちに、刀を突き付けられたのは鮮明に覚えている。

「たしか、警備隊だっけ」

 町の治安維持を主として活動している隊だと記憶している。人と人とのトラブルから野生の獣への対処、州域の警戒まで幅広く島の平和を担っている重要な役所。可能な限り係わり合いを持つな、とアリサには耳にタコができるぐらい聞かされたのも記憶に新しい。

 こちらが避けていてもあちらから擦り寄ってこられれば対処しようがない。

「町の平和を守る聖職者様が俺らを黒と言っているのか。おもしろい冗談だ」

「まったく……。楽観的なのは構わないが、事態はもう動き始めている」

「というと?」

「警備隊の連中がゲンゴとメイメイを拘束しようと躍起になっている」

「……メイメイか。今頃、拘束されたりしてないだろうな」

 冗談まじりに言ったのはメイメイの安否に関しては毛ほども心配していないからだ。

 メイメイとは付き合いも浅いうえに信頼関係もまともに築けていない。しかし、メイメイの心力者としての実力は俺より数段上の位置にいる。たとえ武装した手練に囲まれたところでなんなく返り討ちにできるだけの実力を秘めているだろう。もっとも返り討ちにしてたら返り討ちにしてたで、別の懸案事項が勃発してしまうが。

「メイメイのことなら心配するな。昼間のうちに保護をしておいた」

「保護?」

「私の家に招いておいたという意味だ。家の敷地にいる限りは安全は保障できる」

「なんだ。アリサの家には精鋭の護衛でもいるのか?」

「……そういえばゲンゴには説明していなかったな。私の家は、ちょっとした格式のある家柄でな。先祖代々矢吹家――当主様を影ながら支える一族なんだ。島の者であれば、我が屋の敷居を無断で跨ごうとする愚か者はいない、はずだ」

「なるほど。ということは俺も、アリサの家にお世話になるということか?」

「そうだ…………いやか?」

「いやというよりは、多大な迷惑を掛けそうで怖い。主にメイメイが」

 時と場所と場合の全ての要素を度外視して生きているのがメイメイだ。由緒ある家格を平然と傷つける恐れ多い所業をメイメイならば平然とやってのけるに違いない。既にメイメイは当主様ことハコには打ち首にされても文句が言えないほど、多大な迷惑を与えた実績がある。

 アリサは俺の冗談とも言えない冗談に苦笑いで返してくれた。その表情から察するにメイメイは既にアリサの家に損害を与えているのかもしれない。

「そういえばメイメイから言伝を預かっていた。あー、こほん。『はやく帰ってこないと言語のだんなのヒミツをばら撒きますよ』だそうだ」

 若干の物まねを織り交ぜて伝えてくるだけの余裕はあるそうだ。

「ばらされて困るヒミツに心当たりがないんだが、まあ、ばらされないうちにメイメイを迎えに行くとしようか」

「そうだな。こちらとしても、警備隊の奴らに見つかる前に我が家に逃げ込みたいところだ」

 総じて、物事はそう上手く運ばないものだ。

 町の外れから町の中心部へ歩を進めていくが、一向に人気は増えない。普段ならば夕暮れの中心部は人が雑多に溢れ、商談から雑談まで様々な人との交流が盛んに行われている。しかし、今日に限っては町全体が眠りに落ちたかの如く一人も姿が見えない。これでは町外れの路地裏の方がまだ人がいる。

 アリサも人の気配がないことにはもちろん気付いているだろうが、言及はしてこない。不穏な空気が漂う中、アリサの歩調だけが早まり、誰もいない町中を早足で闊歩していく。言葉にこそしていないものの、アリサの行動は答えを言っているようなものだ。

「あれ、アリサさん」

 聞きなれない声に、アリサは突然足を止めた。

 大通りに面した脇道からひとりの青年が、進路を塞ぐように姿を現した。

 肩まで届く髪は女性が羨むような艶やかな艶がある。押せば倒れそうな線の細い身体付も相まって、一見女性のようにも思えてくる。青年を男と判断したのは、声音と気障ったらしい言い回しからだ。

 青年に対してアリサは露骨に顔をしかめた。

 アリサが嫌悪感を剥き出しにした理由は明白だ。

 青年が身にまとうを服装は白と黒で統一された袴のような衣装。腰の帯に差された大と小の刀が二振り。

 それは今し方話題に上がっていた『警備隊』の服装そのものだ。

「奇遇ですね。こんなところでなにを……おや、そちらのあなたは」

 青年はたった今気付きましたといったふうに大仰に肩を竦めた。

「おやおや、あなたが噂の外からの住人。オキタゲンゴ様ですね」

 笑顔すら胡散臭い。

 芝居染みた物言いと大仰な身のこなし。舞台俳優でも呆れるぐらいのオーバーリアクションだ。

「私はロクと申します。以後、お見知りおきを……オキタゲンゴ様」

 青年――ロクは笑顔のまま手を差し出してきた。

 愛想笑いには愛想笑いを。

 満面の笑みを浮かべて握手を交えようと手を差し伸ばした瞬間――隣から伸びてきた手にかっさらわれた。

「こんな奴と握手を交える必要はない」

 俺の手をかっさらったアリサは親の敵をみるようにロクを睨み付けていた。

「おやおや。相変わらずアリサさんは礼儀というものを知らないようですね」

「建前ばかりを気にした中身のない礼儀など知る必要はない」

「だからあなたはいつまで立っても子供なんですよ」

 声音もとげとげしく嫌悪感をあらわにするアリサに対して、ロクは子供を諭すような穏やかな言い回しをしている。

 ロクの指摘どおり、ここで感情を剥き出しにするアリサは子供と評するに相応しい。

 だが、友としてどちらかを選ぶとすれば、それは間違いなくアリサだ。

「それで、アリサ。いつまで俺の手を握っているんだ?」

「え、あ……」

 俺の一言でアリサが纏っていた敵意は一瞬で霧散し、見る見る内に頬を朱色に染めていった。

「はっはっは。なるほど、アリサさんも積極的になりましたね」

「う、うるさい! ロクは黙っていろ! ゲンゴも状況を考えろ!」

 叫びに近い叱責には敵意も威厳もない。羞恥心を隠すために声を荒げているのだろう。

 アリサに手を払われ、俺はロクを見習って大仰に肩をすくめて見せた。

 さて、ここからは俺の仕事だ。

 ロクと改めて向き直った。

「じゃあ、改めて。沖田言語だ。握手は……アリサに止められるからな。無しの方向でよろしく頼む」

「構いませんよ。アリサさんのご指摘のとおり、建前ばかりの握手をしたところで、アナタとの親睦を深められるとは思いませんからね」

 最初の一手は冗談の応酬。

 ロクの第一印象を述べるならば、気味が悪い。

 社交的な笑顔、落ち着いた声音、物怖じしない立ち振る舞い。

 一見、ハコと同等のタイプとも思えるが、似て非なるタイプだ。

 ハコは笑顔の裏に、なにが隠されているかわからないタイプ。

 対するロクは笑顔の裏に、居丈高な態度が隠されているだろう。

 なぜなら、こちらを卑しむような態度が、言葉の節々にはっきりと表れているからだ。

「実は私、ゲンゴ様にとある用件がありまして、探していたんですよ」

 ロクは笑顔を貼り付けたまま言った。

 用件の中身は考えるまでもなく、先ほどアリサに聞かされた失踪事件に関してだろう。アリサと同行しているところから、俺がある程度の事情に精通していることはロクも察しているはずだ。にも拘らず、この婉曲した言い回し。

 嫌になってくる。

「用件とは……なんだ? 心当たりがまったくないんだが、俺のために祝宴でも開いてくれるのか?」

 俺は眉間に指を添え、考える素振りを見せてから、思いっきりとぼけてみせた。

 ロクは俺の反応を見越していたかのように笑顔のまま応対を続ける。

「残念ながら、そういった事柄ではありません。話すと少し長くなるような内容なのですが……そうですね。ここは我が家で腰を落ち着けてお話をしませんか? 祝宴、とまではいきませんが、客人として十二分におもてなしはするつもりです」

「ふざけ――むぐっ!」

 再び暴走しそうなアリサの口元を押さえつけ、身を引き寄せた。

 アリサが怒鳴る気持ちもわからないでもない。俺の身柄を拘束しようとしている警備隊の一員からの誘いだ。どんなおもてなしをされるかわかったものではない。ふざけるな、とも言いたくもなる。

「せっかくのお誘いはありがたいが、今日は先約がいる。アリサが俺のために祝宴の席を設けてくれているんだ。俺の連れもあっちで首をながーーーくして帰りを待っているからな。用があるなら明日以降にして貰いたい」

「むぐ! むー!」

 アリサは俺の手を払いのけると、俊敏な動きで俺との距離を空けた。

「はぁはぁ……。そうだ。これから我が家で祝宴を催すつもりだ。悪いが、ロク。そういうわけで私たちは急いでいるんだ。いくぞ、ゲンゴ」

 アリサは半ば走るようにロクの横を通り抜け、俺を手招きしてきた。

 一刻も早く、この場から離れたいのだろう。

「そういうことだ。またな」

 ロクは過ぎ行く俺とアリサを止めるどころか声すら掛けようとはせずに笑顔のままだ。

 まあ、止めない理由はわかりきっている。

 先行するアリサの歩みが止まった。

 わずか数メートル先の脇道から十人もの男たちが飛び出し、進路を完全に塞いでしまった。身なりは皆が同一に警備隊を表す白と黒の装束。

 待ち伏せだ。

 薄々と怪しい気配を察知していたが、予想よりも数が多い。

「ゲンゴ様」

 振り返ると、彫像のような不気味な笑みを浮かべたロクの姿があった。

「そちらの道はどうやら通行止めのようです。なので、通行止めが解除されるまでの間、私の家で時間を潰されてはいかかがでしょうか?」

 そこで一段とわざとらしい笑みを作り、言葉を続けた。

「晩餐は腕によりをかけてお作り致します」

「さぞ、旨い料理なんだな。きっと俺は犬のように食べることになりそうだ」

 俺もわざとらしい笑みを浮かべて、言葉を続けた。

「もっとも両腕を拘束されなきゃ、きちんと箸を使って食べるけどな」

 皮肉の応酬にもロクは表情を崩さない。

 進行方向には男たちによって完全に塞がれ、後方にはロク。そのロクの後ろにも、恐らくだが伏兵が潜んでいる。

 さて、どうしたものか、とアリサを横目で見た瞬間、その姿が消失した。

 低い姿勢でアリサは大地を蹴り付けた。突風の如く一瞬でロクとの距離を消失させ、その胸倉を容赦なく掴みあげた。

「……ロク。わかっているだろうな?」

 脅迫さながらの低い声でアリサは言う。

「ゲンゴはハコに――我が島の当主様に正式に迎えられた客人だ。その客人に手を出したとなれば…………お前は当主の下で厳正なる罰を受けることになる」

 締め上げられてもなおロクは笑顔のままだ。

「アリサ。あなたはなにを勘違いなされているのですか? 私はただゲンゴ様にお話を聞くだけですよ? たったそれだけの行いで手を出したとされたら、こちらとしてもたまったものではありません……。もっとも――私たちが与り知らぬところで事故が起きるかもしれませんがね」

「ロク……ッ!」

 締め上げようとアリサが腕に力を込めた。

 止めに入る暇もない。

 ロクは上体を半回転させてアリサの体勢を崩すと、その肘を掴み逆に腕を捻り上げた。そのまま背中を蹴りつけ、アリサは地面にうつ伏せに倒れ込んだ。

「アリサはいつもそうだね」

 ロクは腰に携えた刀を引き抜き、倒れ込んだアリサの首元にそっと押し当てた。

「弱い癖にしゃしゃり出る。アリサが自分の力だと思っているものは全部他人の力。家柄にものを言わせ、当主様のお眼鏡という立場も利用し、私たちを脅す。はっきり言って、私はアリサが嫌いだ。そう、今すぐ死んでほしいぐらいに」

「……奇遇だな。私もロクが大嫌いだ。全てを嘘で塗り固めて、自分を自分だという事実すら忘れてしまっているお前がな……」

 そこで初めてロクの表情から笑みが消えた。その顔には喜びでも怒りでも哀しみでも楽しみでもない。笑顔の下の表情は、感情が一切覗えない能面。

 いや、一つだけ渦巻いている感情が見えた。

 憎しみだ。

 直感的にヤバいと感じた。

 憎しみに囚われた人間はなにを仕出かすかわからない。

 こうなったら仕方あるまい。

 心力者としての能力を行使するのが、一番穏便に済むだろう。

 俺は目を閉じ、イメージをする。水面に石を投じるイメージ。落ちた石は水面に小さな波紋を立て、ゆっくりと沈んでいく。やがて石は光が届かない地点へと到達する。音も光も届かない暗闇でも石は沈み続け――永遠とも思える闇に一筋の光が差し込んだ。

 そこが、心の深層だ。

「――ACCESS――」

 目をゆっくりと開き、俺は言葉を紡いだ。


「《アリサから離れろ》」


 俺がそう《言葉》を発しただけでロクは反発しあう磁石のように、後ろに跳び下がった。

 ロクの表情はもはや能面ではない。たしかな驚愕が顔全体に刻まれていた。自らの足で跳び下がったロク本人が一番、不可解に思っているに違いない。

 倒れ込むアリサの前で、しゃがみ込んだ。

「立てるか?」

「……ああ」

 ロクほどではないが、アリサも一連の流れに違和感を感じているのだろう。

 着物に付いた土埃を払いながら、アリサは立ち上がった。

「それじゃあ、行くか」

 未だ驚愕で呆然としているロクを尻目に、進路を塞ぐ男たちに一言、語りかけた。

「《道を塞ぐな》」

 紡ぐ言葉は一言。男たちは俺と反発しあうように、道を開けた。

 男たちの頭上に大量の疑問符が浮かんでいる。道を開けた本人たちが、道を開けたか理解できていないのだから仕方あるまい。

「どうした、アリサ。さっさと行くぞ」

 都合良く物事が進みすぎると、逆に警戒心が生まれるものだ。

 アリサは訝しげな視線は、ロクを捉え、開けた道を捉え、そして俺を捉えた。

 アリサと視線が交錯する。

 釈然としない様子ではあるが、アリサは一人頷き、小走りで近付いてきた。

「待ちなさい」

 そう静かに、よく通る声音を発したのはロクだ。

 頭の中は未だに混乱しているはずだが、一歩、また一歩と進む足踏みには力強い意志さえ感じる。常人離れした忍耐力。敵ながら見上げたものだ。

「ゲンゴ様……あなたを見逃すわけには――」

「悪いな、ロク。今から楽しい祝宴が待っているんだ。だから――」

 一息、入れて、


「《ついてくるなよ》」


 ぴたりと、ロクの歩みが止まった。

 ロクは疑念が確信に変わったといった感じだ。頭を左右に振り、漏れ出した嘆息はこちらまで聞こえるほど大きかった。

 ロクを含めた警備隊は付いてこない。

 しばらくは黙考していたアリサだが、人が行き交う道に出たところでようやく口を開いた。

「さきほどのは、ゲンゴの仕業か?」

「さあ? なんのことだ?」

 アリサは嘘を見抜ける。なので本気でシラを切ろうとはせず、ロクさながらわざとらしくとぼけて見せた。

「……わかった。追求はしないでおこう」

 瞳を見るまでもなかっただろう。

 アリサは感情的になりやすいが、バカではない。俺のわざとらしい演技から、立ち入らないでほしいという場の空気を察してくれたのだ。

 アリサと無言で歩く中、俺はこんなことを思った。

 メイメイにもアリサの百分の一でも空気を読める力があればな、と。



 案の定その夜、探索に置いてけぼりされご立腹のメイメイと珍問答を繰り広げたのは、また別のお話。

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