⑤
心。魂。精神。
表現に差異はあっても、それらは本質的には同等の概念だ。森羅万象いかなる人間であろうと、《心》を持っている。聖人君子であろうが、悪鬼羅刹であろうが、人間であれば必ず心を秘めている。土地柄、信仰は無関係に地球上全ての人間は《心》という概念を認知している。
しかし、心はどこにも存在しない。
人体を隅々まで探しても心は見つからない。その痕跡すら見つからない。にも拘らず、心は存在するモノだと誰もが認知している。なぜ、見えもしない存在を信じていられるのか? なぜ、証明されていない存在を信じていられるのか?
答えは簡単だ。不可視な存在であろうが、確かに「ある」からだ。
肉体が存在する物質界とは乖離されたもう一つの世界――精神世界に心は存在している。物質界で一つの生命が誕生した刹那、精神世界にある那由他の心と肉体が結び付いて、初めて「命」が完成される。この一連の工程は無意識状態で始まり、無意識状態の内に完遂される。そうして誕生した命に自我が芽生える頃には心の存在は感じられなくなり、漠然と「ある」ものだとという程度の認識になってしまう。
だが、極めて稀に《心》の存在を意識的に自覚できる変り種が生まれてくる。それらは心の深層部分に手が届き、精神世界のみに存在している摩訶不思議な力を物質世界に顕在化させることができる。身体能力の飛躍的向上。無から有の創造。物理法則を無視した超常現象でさえ引き起こせる。まさに人間ならざる力。神の力と言っても過言ではない。
Soul Psychology。Telekinesis。Psychokinesis。国によって様々な名称はあるが、日本では《心》の《力》を引き出せる《者》――総称して《心力者》と名づけられていた。
ある日ふってわいたように人間の手に余る強大な力を持てば、当然のように選民思想に囚われる。神の代行者やら、人類に裁きを与える執行者やらを僭称する輩も珍しくはない。選ばれた人間だと甚だしい勘違いを犯した人間は、ほぼ例外なく「組織」を立ち上げる。言ってしまえば宗教だ。曲がりなりにも特殊な力を秘めた心力者を筆頭とする宗教だ。大仰な布教活動をせずとも自然と崇拝者は集まる。それがより強い選民思想を生み出し、勢力拡大を続けていれば、いずれは同族……心力者を筆頭とした組織と邂逅してしまう。出会ってしまったが最後、おろかな心力者はお互いの尊厳を賭けて、争いに身を投じる。そうした愚者の末路は自滅だ。
争いの火種を少しでも減らそうと、心力者の存在は隠匿され世界的に緘口令が敷かれている。もし心力者の存在を知る者がむやみやたらと言い触らせば即座に拘束され、残りの人生を無為に過ごすか、人生が途切れるか、どちらかであろう。
また、万が一国同士による戦争が勃発した際にも《心力者》の徴兵は禁じられている。国の心力者を集結して戦えば、核戦争よりも恐ろしい結末が待っているのは明確だ。下手をしたら国が丸ごと消滅してしまう。戦争において核以上に行使してはならない兵器。それが心力者だ。
心力者の管理統制が確立している日本では心力者の抗争は稀有だ。心力者が属する組織が立ち上がれば問答無用に解体され、更生施設という名の牢屋にご案内だからだ。
とはいえ、日本に心力者絡みの組織が皆無ではない。心のロジックを研究・実験を行う組織や心力者で編成された対特殊部隊などの国で定められた組織は多少存在している。ただし、国が非公認の組織は、皆無といっていいかもしれないが、例外もある。
たとえば、俺。
過去に心力者絡みの依頼を幾度となく受理し、報酬を受け取っている。これが国に露呈すれば、俺は明日から更生施設送りになっているに違いない。
そして、メイメイ。
おそらくだが、メイメイも国から公認されていない組織の一員だろう。一体どの程度の力を持っているのか想像も付かない。鬼ヶ島上陸の際に見せた垂直跳びから判断するに、身体能力だけなら俺よりも数段上の心力者だ。
そして、まだ見ぬ心力者――通称《鬼》。
かつて鬼と称されるまで日本中に脅威を撒き散らした傍若無人の心力者。しかし、それも太古の話であり、現在は伝承として残っているに過ぎない。
今は亡き存在を探せというのだから、メイメイにも困ったものだ。
そばがうまい。
こうしてまったりとざるそばを堪能している瞬間も、世界のどこかでは心力者同士が血で血を洗うような激しい抗争が繰り広げられているのかもしれない。そう考えると同じ心力者である俺は非常に幸せ者だ。
ずるずると音を立てざるそばをすすりながらも、俺は店内の談笑に聞き耳を立てる。話題は島に突如やってきた謎の風来坊の男女二人組み――つまり、俺とメイメイの話だ。
「お前は例の風来坊のこと、知っているか?」
「例のって……ああ、あの外から来た奴らか。噂でしか聞いていないんだが……お前はなにか知っているのか? やはり、例の失踪事件の犯人なのか?」
「いいや。失踪事件との関連性はないらしい。なにせ当主様がそうお触れをお出しになったのだからな。まったく、我が当主様は一体なにをお考えなのか」
「馬鹿……。あまり当主様の陰口を叩くな……」
「……わるい。ただ、たいした背後関係も調べずに自由にするのは軽率ではないかと……客観的に考えてもそう思う。たとえ失踪事件の関連性が皆無であったとしても、まったく別件の事件を引き起こそうと企てている可能性だってあるわけだろ? そういった要素も含めて、当主様には判断をしてほしかったんだ。いかなる時も民全員が承服する判断をなさる当主様にしては独善的だと思わざるおえない」
「おそらく、私たちには理解できない深慮が当主様にはあったのだろう」
「だとしても、どこぞの馬の骨かわからない奴らに手形まで預けたんだぞ」
「……それは、まことか?」
「ああ。ここから山道方面に小さな宿泊所があるだろ? あそこの亭主と個人的な知り合いでな……なんでも三日前に珍妙な格好をした男女二人が手形を持ってやってきたらしい」
「それで、なにか揉め事はあったのか?」
「そのような話はないな。普通に宿泊所として利用しただけだとさ」
「……それで、その後の動向は?」
「わからん。そこの宿泊所には一泊したきりで戻ってきていないんだとさ」
「ふむ……一体、なにが目的なのやら」
「そもそもどうやって島に上陸したのだろうか?」
「どこかに我らでも知らない上陸地点があるのかもしれん…………。それにしても、謎だらけだな。物見遊山というわけではあるまい」
「案外そうかもしれんぞ。なにせ外の人間だ。我々の常識があちらにとっては非常識かも知れんし、その逆もしかり。なにを考えているか想像が付かない。目的もなしに興味本位で来た可能性もあるだろう」
「……そうだな。実際、ここ三日間は街を仲睦ましく徘徊しているとの目撃証言は多数ある」
「それはそれは羨ましい限りだ」
「まったくだ。もしかしたら恋仲を島中に見せ付けにきたのかもな」
深刻な雰囲気から一転して、ははは、と男たちの笑い声が店内に響き渡った。
傍目からでは俺とメイメイは恋人同士に見えるらしい。良い迷惑だ。
メイメイとの関係性を丁重に説明したい気持ちを抑えて、俺は座敷から立ち上がった。店主に小銭数枚を手渡し、未だ談笑が響き渡る店を後にする。
日差しが眩しい。深呼吸を一回。
徹頭徹尾、店内にいた人間が俺を「外の人間」だと疑ってもないようだ。「服装」を合わせただけでこうも上手く欺けるとは、思惑通りといえば思惑通りなのだが、少し拍子抜けだ。
上は白地、下は黒地。上下を白黒にした「袴」を着飾り、加えて足元もスニーカーではなく、素足にわらじだ。
自分の適応ぶりに笑いがこみ上げてきた。すれ違う人々も昨日までとは打って変わって、奇異な視線を向けたりはしてこない。まあ、こうも周囲に溶け込めている理由は服装以外にも、今まで行動を共にしてきた相方ことメイメイがいないのも気付かれない理由の一端であろう。
そのメイメイはといえば、今頃は仕立て屋で女将さんにあれやこれやと身体のサイズを測られたり、着せ替え人形の如く色々な着物をとっかえひっかえしていることだろう。外の人間である俺らにも隔てなく接してくれる女将さんで、快く俺の服を仕立てあげてくれた。ただ、メイメイに一目惚れしたらしく「島一番の美人に仕立てあげるから! 楽しみにしててね」と意気込み、半ば無理やり拉致られてしまった。
それからざるそばを食したり、街をさまよったりと時間を潰して子一時間。再び仕立て屋の前を通りかかると「あーじゃない、こーじゃない」と女将さんの声が聞こえてきた。メイメイの「こっちもいいです、あっちもいいです」とも聞こえてくる。女の買い物が時間が掛かるのは全世界共通なのかもしれない。
仕方ない。今日は俺一人で行動しよう。
黄色い声が響き渡る仕立て屋を後にし、俺は本日の探索を始めた。
鬼ヶ島上陸から五日目。
丸々三日、街中を中心に鬼の捜索を続けたが、なに一つ進展していない。それでもあえて成果を上げるならば、街の見取りを頭に叩き込めて、何件か料理が美味しい店を見付けられたぐらいだ。そして本日五日目。単独で街中を徘徊した結果、案の定、新しい発見はなかった。
単独なことも考慮し本日の調査を切り上げ、俺は当主様が構えている神社へと赴いた。
今日のハコは緋色の袴に白地の白衣。どことなく巫女装束を連想させる出で立ちであった。
「それで、今日はゲンゴさんお一人なわけですか」
「まあな」
定例となってきた当主様へ調査報告。熱い緑茶と色とりどりの茶菓子も定例となってきた。
当主様もとい矢吹ハコが、俺とメイメイの鬼ヶ島滞在の「条件」として出したのが、日々の定例報告――毎日欠かさずに神社に訪れて、調査成果を報告するという趣向だった。というのは建前で実際は他愛もない世間話を繰り広げているだけだ。
六畳一間の空間。囲炉裏に炊かれたやかんがひゅーひゅーと音を鳴らしている。
「どうして女ってのは買い物に時間が掛かるんだろうな?」
「それを女の私に言われても困ります」
「女ってのはいつもそうだ。一つの物を選ぶのに何時間も掛かる。意見を聞いといて、それをまるで取り入れない。何時間掛かろうが、俺の意見が無視されるのはまだ構わない。問題なのは何時間も掛けた挙句に、なにも買わないことだ。それなら最初から一人で行けっての。いや……一人で行かないのは理由はわかっている。買い物の代金を俺に払わせるためだ」
「はあ……。ゲンゴさんは過去に辛い経験をなされたんですね」
一回りほど年下の少女から哀れんだ目で見られて、ちょっとした自己険悪。
「すまない。取り乱した」
「いえいえ。ゲンゴさん昔のお話、もっと聞きたいぐらいです。その……恋愛のお話も興味ありますし……」
「あいにく話して楽しいような恋愛はしてない。ロクなもんじゃない」
「そうなのですか? 少なくても今のゲンゴさんはすごく楽しそうに見えますけど?」
「どういう意味だ?」
「え? ゲンゴさんとメイメ――ん!」
不吉な台詞を言おうとしたハコの口を片手で塞いだ。
「わかった。皆まで言うな……。俺とメイメイはそんな関係じゃない」
俺は有無を言わさない低い声音を出した。どうやらハコは俺とメイメイを男と女の関係だと勘違いしているようだ。そば屋の件といい島の住人は耄碌しているのではなかろうか。
「……ふふ。わかりました。そういうことにしておきましょう」
時折、ハコは含みのある言い方をする。無邪気な笑顔と対照的な小悪魔的な笑顔。清楚な容姿とあいまって女としての魅力が形成されている。これはそう遠くない未来、色々な意味で男を手玉に取るに違いない。
「ハコは将来大物になるな……ってもう大物か」
「ふふ。私なんて取るに足らない小娘ですよ?」
「……ふ。そういうことにしといてやる」
「あ、マネしましたね」
ハコの真似をして小悪魔的な笑顔を取り繕うとしたが、寸で思いとどまる。自分の顔のことは自分が一番知っている。普通に笑っていても近所の小学生に怖いと泣かれるのだ。俺は緩んだ表情を引き締めて咳払いをした。
「とまあ、前置きはここまでにして、調査報告でも始めるか」
「そうですね。今日の成果はいかほどでした?」
「聞いて驚くな。まず服を新調した。島の基本的な様式に乗っ取った平均的な衣類で服装をまとめることにより、自然と周囲に溶け込めるようになった。衣服の恩恵はすばらしいぞ。街の住人から訝しげな視線を浴びせられることもなくなって、円滑に調査を行えるようになったんだ」
「それで、肝心の調査結果はいかがでした?」
「強いてあげるなら、そばが旨かった」
こちらの不景気な顔を見れば、調査に進展が無いことなど聞くまでもない。にも拘らず、ハコはにこやかな笑みを顔中に湛えて、悪意0パーセントの心を抉る発言をしてくるのだ。
「調査を始めて三日目。ゲンゴさん……いい加減にあきめたらいかがですか?」
「もう三日調査しても手掛かりがなしなら、あきらめるさ」
「ゲンゴさんもこりない方ですね。既に三日間も調査を進めて、成果なし。鬼の影すら見付けられてないんですよ? ゲンゴさんがどこから情報を仕入れてきたか私は皆目検討も付きませんが、鬼ヶ島の隅々を洗いざらい探索したとしても鬼は潜んでいません。私としてはゲンゴさんと……今日はいらっしゃいませんがメイメイとも楽しくも充実した日々を過ごせることは非常に嬉しいですけど……」
「成果がないわけじゃないさ」
「……え。だって、ゲンゴさん調査成果はなしだって」
「成果がないのが成果だ」
聡明なハコも俺の説明には疑問符を浮かべるばかりだ。
この三日間、街中を中心に鬼に関する情報を模索し続けている。宿泊所の亭主、飲食店の亭主、道行く人々、年代も性別も異なった人に「とある質問」を繰り返し訊ねていた。
一つ目は鬼ヶ島の名前の由来。これに関しては先日、ハコから聞いた伝承の通り「鬼と呼ばれた人間が最期に散った島だから。鬼がいかに畏怖の対象だったか忘れないため」と人々から聞く内容はおおむね一致している。
二つ目は伝承に出てくる鬼の容貌。これについては証言者によって意見が食い違っていた。鬼と称するに相応しいほどおどおどしい面構えの筋肉隆々の男やら、優雅な美男子、ミステリアスな美少女まで、十人十色の答えがあった。こういった結果から伝承では鬼の相貌は明確に伝えられていないことが推測できる。
そして、三つ目――鬼に引導を渡した存在。これは聞き込み調査中に偶然手に入れた情報だ。大地を揺るがすほどの力を振るう鬼とは対照的に、陰陽といわれる力で鬼と対抗し引導を渡したと伝えられている。そして、その者は鬼を滅した功績を多くの人から崇め奉られ、鬼ヶ島全土の自治権を全て譲り受けたという。
「鬼と畏怖されるまでの超絶な力を持った奴に引導を渡した人物でもあり、鬼ヶ島初代当主――矢吹重昂。どう考えたってハコのご先祖様だろ?」
「そうですよ?」
ハコは否定することも、驚いた素振りも見せず、さも当然のように答えた。知られたらなにかが露呈してしまうことを恐れて、ハコが「矢吹重昂」の情報を秘匿しているのも可能性の一旦として考えていたが、リアクションから判断するにどうやら見当違いらしい。街のそこらに流布されている程度の情報なので、秘匿された情報だとは最初から期待はしていない。
「ふふ、それがゲンゴさんのおっしゃる成果ですか?」
「成果が出るかどうかはいまからだ」
初代当主矢吹重昂はわざわざ「鬼ヶ島」と命名し、鬼の恐怖を後世まで残そうとした。しかし、周到に伝承を仕立てあげても、当主として代々先導してきたとしても、時間が経てば忘れてしまうものだ。喜び、怒り、哀しみ、怒り、罪、恐怖、戒め……時間という呪いは記憶を風化させ、全てを忘却の彼方へ運び去ってしまう。本当に矢吹重昂が鬼の恐怖を後世に残そうとしたならば、伝承以外になにかしらを放り込んでいるはずだ。
鬼直々に引導を渡した一族の末裔であり、現当主でもある矢吹ハコ。
たとえば、一族にしか伝えてられていない鬼の秘密、などだ。普通に生活を営んでいる人では絶対に知りえない情報を、ハコは胸のうちに秘めているかもしれないが、全ては憶測の域に過ぎない。シラを切られたらそれまでだ。直接的に鬼の情報を訊ねたところで、適当にあしらわれるのがオチだろう。だからといって鬼と関連性のなさそうに婉曲な言い回しをすれば、うやむやにはぐらかされてしまう。
一瞬でねじ伏せることができそうな眼前の少女がやけに大きく見える。
この三日間で俺はハコを子供だと思うことをやめた。確かにハコは子供だ。頻繁に見せる無邪気な笑顔と子供っぽい発言は年相応少女に間違いない。だが、子供とは思えない聡明さと的確な語彙力を持ち、泰然自若とした佇まいをしていることも確かだ。なにより無邪気さの中に見え隠れする老獪な笑みには背筋に戦慄が走るほどだ。島の当主というのは名ばかりではない。油断してかかると俺のほうが食われてしまう。
なら、どうするべきか。
いや――たった一つだけ。ハコを確実に出し抜ける対話法がある。
「…………」
出し抜ける方法……それは、一種の「禁じ手」だ。おいそれと乱用していいものではない。
そうなると結局選択肢は一つ、正攻法で戦うしかないのだ。
「ハコ――」
切り出そうとした瞬間、唇が柔らかい感触で包まれた。視線を唇に落とすと、ハコの人差し指と中指が唇に当てられていた。
「皆まで言うな、ですよ」
数分前の俺の行動をマネしたのだろうと想像は容易い。出鼻をくじかれた。
唇から指が離れ、ハコは罰悪そうな表情を浮かべながら言葉を紡いだ。
「ゲンゴさんは、鬼について私の口から直接聞きたいのでしょう? 鬼ヶ島初代当主矢吹重昂の末裔である私――現当主矢吹ハコから? 別段隠す必要もありませんので、説明するのはやぶさかではないのですが、ただお話をする前に一つだけ確かめておきたいことがあります」
「なんだ?」
即答しつつも、主導権を取られたことに俺は胸中で毒づいた。
「ゲンゴさんはなぜ鬼を探しているのですか?」
鬼を探している理由。正確には探しているのは鬼ではなくて《アブソリュート》と呼ばれる特殊な能力を持った心力者だ。《アブソリュート》を見付けてどうするのかといえば、世界を平和にする。と、俺が持ちうる情報は粗末でぼんやりしたもので、聡明なハコを満足させる回答は導き出せない。脳内を活性化させて廃人になるまで知恵を捻出しても、中学生ぐらいを納得させるのが限界だろう。そのぐらい俺はぼんやりしたまま依頼を受けているのだ。まあ、たとえ全ての事情は掌握していたとしても、《心力者》の部位を伏せて説明するのは難しい。
「世界平和のためだ」
思考が一回りして、お茶を濁す回答を選んだ。
「もう……ゲンゴさん。私は真面目に聞いているのですよ」
「嘘は付いていない。まあもっと真面目に答えれば、俺は鬼を探している理由を詳しくは把握していない。何故なら鬼を探しているのは俺じゃなくてメイメイ。俺はメイメイから頼まれて手伝っているだけの第三者的な立場だ。俺なりにメイメイから色々と聞き出してはいるんだが…………なにせ、相手はあのメイメイだ。会話がなかなか成立しない」
おどけた俺の台詞に、ハコも小さな笑いを漏らした。
「ふふ、そうですね。メイメイさんとのお話は非常に楽しいのですが、なかなか進みません」
どうもメイメイは小さな女の子を見たら愛でずにはいられないようで、ハコに対しては下卑た笑いを漏らしながら少々過激なスキンシップを敢行している。最初こそは見ていて微笑ましく思えるレベルであったが、最近は一線を越えることもしばしば。メイメイのおそるべきマイペースぶりは、この三日間でハコも重々理解したはずだ。
「わかりました。では、向かいましょうか」
脈絡もなしに向かうと言われても困るというものだ。
虚を突かれて反応できない俺を尻目に、ハコは玄関口でぞうりに履き替えていた。
「向かうって、どこにだ?」
「鬼と関連する場所に、ですよ」
次の一手を考える前に、これだ。ハコの疑問について納得のいく答えを出していないにも拘らず、鬼の情報を提供するといっている。そこにどのような思惑があるのか。
次々と脳裏に浮かぶ疑念を押し殺し、お茶を口内に流し込んだ。
断る理由はない。こちらとしては願ってもない申し出だ。
「ゲンゴさん。時に武の心得はありますか?」
「少しなら」
慣れないわらじを結びつつ、俺は特に考えず答えた。
「これから向かう場所は人の手が行き届いていない区域になります。いまはまだ陽が出ているので襲われる可能性は低いですが、やっぱり万が一のことを考えたら――」
「ちょっとまて。襲われるって、なににだ?」
「えーっと、やっぱり危険性でいえばオオカミでしょうか? クマも頻繁に出没しますし、サルもあなどれません。野犬も大量に住んでいるので、囲まれないように警戒をしておかないとなりません。いざというときは期待していますよ。ゲンゴさん」
「そうか」
声がうわずらなかったのは奇跡に近い。
曲がりなりにも俺は心力者だ。野犬、オオカミ、サル、クマ。そんな野生の動物など取るに足らない、はずだ。
そう自分に言い聞かせて、砂利道を無邪気に駆けて行くハコを小走りで追いかける。
鬼までの道のりは思った以上に険しそうだ。