③
気まずい瞬間。
ドラえもんが開発されるほど技術が進歩したとしても、人と人との間に否応なしに訪れるなんとも言えない「気まずい瞬間」は拭えないだろう。道端ですれ違い様に見知らぬ女性におじぎをされて、反射的に頭を下げたら、それは俺に向けてのおじぎではなく、後ろ人に対しての挨拶だった、なんてのは人生で経験した最大限の気まずい瞬間だ。そういった苦い経験を積み重ねて人は「気まずい瞬間」を予測・回避する手段を取得していくのだ。
しかし、人と交流を続けていれば、いずれはその瞬間が訪れる。例えれば交通事故のようなものだ。こちらが青信号を横断しようとも、向こうはお構いなしにアクセル全開で突っ込んでくる。まさに不運としか言いようがない。
本当に不運だ。
鎖で繋がれた自分の左腕を眺めた。手首を覆う手枷から三メートルほどの鎖が、藁が敷き詰められた地面を伝って鉄の壁面へ伸びている。察するに、ここは牢屋ではなく家畜などの動物を飼う小屋なのだろう。
それにしても、生まれてこの方、鎖で拘束される日がくると夢にも思っていなかった。
「本当にすまない……ゲンゴ、メイメイ」
泣きそうな声音の主は、アリサだ。
アリサは俺の隣で蹲り、先ほどから何度も懺悔の言葉を繰り返していた。
これが気まずいことこの上ない。
「だから、気にするなって。約束通り、メシは食わせて貰ったしな。いや、本当に美味しかった。この島の郷土料理は嗜好の違いを超えた美味しさだ。何の魚か知らないが、あれも美味しかった。俺は料理には結構うるさい方だが…………いやー、美味しかった。メイメイも満足して寝ちゃってるしな。これで文句なんて言ったらバチがあたる」
言葉に嘘偽りはない。料理は美食家さえ唸る美味しさであった。メイメイも時折「まいうです」と呟きながら、料理を掻き込んでいた。そのメイメイはというと、俺と同じく片腕を鎖で繋がれているが、そんなのはお構いなしに快眠中である。地面に敷き詰められた藁が丁度良い感触で、布団の役割を果たしているのも眠気を誘った要因だろうが、それにしても恐るべき胆力だ。肝が据わっているのか、単なるバカなのか。ここはバカに一票を投じておこう。
「……初対面の相手に弓矢を向けられて、なおかつ監禁されても、ゲンゴは私を責めないのだな…………外の人間はこういった状況に慣れているのか?」
「弓矢を向けられるのも鎖で繋がれるのも、人生で初体験だ」
「……すまない。本当に……すまない」
懺悔の言葉も聞き飽きた。
全ては二時間前、アリサ案内の元、村に到着してからだ。
最初に驚いたのは村の広さ。森を切り拓いた大地に民家が一定感覚に連なっている様は、街と称しても問題のない立派な街並だ。民家は木造作りの平屋で、舗装はされてはいないものの丁寧に整えられた地表。現代の街並ではなく一昔前――時代劇でよく見る江戸時代の街並であった。闊歩する人々の頭はちょんまげ、ではないが、アリサと同様に袴のような服を着ている。それだけで時代劇のワンシーンに紛れ込んでしまったと錯覚してしまうが、さらに人々の中には帯刀している者までもいる。江戸時代マニアであれば、ここはパラダイスであろう。
悠長に観察できたのは、そのくらいまでだ。
まず、周囲の人々に奇異な視線を向けられた。
その次に剥き出しの刀を構えた複数の男に囲まれた。男たちは皆が同じ白と黒で縫製された装束に身を包んでいた。アリサ曰く、白と黒の装束は治安維持に務める者が纏う装束らしい。
そんな男たちに囲まれ、俺とメイメイ以上に動揺したのはアリサだ。
気圧されながらもアリサは男たちと向き合い、俺とメイメイが無害だと熱弁してくれた。そんなアリサの努力もむなしく、男の一言で口を閉ざさる終えなくなった。
『今朝方、二十名の同士が失踪した…………そこに現われた外の人間。語らずとしても我々の申したいことは理解できるな? アリサ殿』
俺らが島に上陸したの昼過ぎの話であって、今朝方起きた事件には関与以前に認知もしていない。そんなことを言ったところで信用してくれるなど毛ほども思っていないので、黙って成り行きを見守った。
その結果がこれだ。狭い小屋に押し込まれ、鎖で繋がれる始末だ。
運がない。
唯一の救いはアリサが大量の料理を持ち込んできてくれたことだ。
「すまない……」
何度も謝られると、さすがに気まずい。
「アリサは俺たちのこと、疑ってないのか? 二十人の同時失踪。そのタイミングでやってきた外の人間。偶然にしてはでき過ぎている。普通なら疑って当然だ」
「……言っただろ。私は眼を見れば、嘘か本当か、わかると。ゲンゴとメイメイは今回の失踪事件に無関係なのは、私からすれば一目瞭然…………ゲンゴは、犯人ではないな?」
「一目瞭然じゃなかったのか?」
「…………ああ。しかし、確信を得るには言葉で、はっきりと否定が欲しい」
「俺じゃない。ちなみにメイメイでもない」
と、思う。メイメイが何らかの形で失踪事件に関与している可能性は否めない。村に着き、男たちに囲まれ、鎖に繋がれるまで、メイメイは「わー」「きゃー」と棒読みで呟いていただけだ。まあ、それは俺が知る限りのメイメイの通常運転か。
「その言葉を聞けて、良かった」
「何度も言ってるが、気に病むな。死ぬわけじゃないし、疑いが晴れるまでは大人しくしてるさ。あー、けど、最低限の水と食料は出してくれよ。出ないと本当に死んじまう」
「……疑いが晴れる、までか」
「意味深な言い方だな」
「……ここに来る前に、警備隊の方に失踪事件の詳細を詰問してきたのだが……今のところ手がかりはないそうだ。自発的失踪なのか、第三者による誘拐事件なのか、それすらも見当が付いていないと聞き及んだ」
「と、なると疑いが晴れるのも見通しが立っていないってこと。いつ、出れることやら」
「そんな悠長に構えている場合ではない。警備隊はおろか、住民全員がゲンゴとメイメイを犯人だと疑っているんだぞ。明日になれば警備隊の奴らが何をしてくるものか……」
「なるほどな……。アリサが気に病んでいる理由が少しわかった」
真相はどうであれ、島民から見れば今回の失踪事件は、俺とメイメイが犯人ではないかと疑われている。明日になっても調査に進展がないようであれば、さらに疑いは強まる。俺らが事件に関与した証拠はないが、逆を言えば関与していない証拠もない。真犯人が見つからなければ、証拠の有無に関わらず犯人だと一方的に断定をされる。
犯人だと決め付けられて行く末は、何か。
考えたくもない。
「俺とメイメイはどうなることやら」
「…………」
「何か答えてくれないと気まずくなるだろ」
アリサは口を開いたが、そこから言葉は発せられない。
「わかった、わかった。何も答えなくていい。明日になればわかることだしな」
話は終わりだと告げるように、俺は仰向けに寝た。朝から驚きの連続で肉体も精神も疲れ果てている。藁の上というのも睡眠環境的には悪くない。むしろ癖になりそうだ。
「ゲンゴ……メイメイ……。お前たちは、私が、守る」
「…………ぐー」
「……ふふ。おやすみ。ゲンゴ」
目を瞑っていてもアリサが立ち去ったことは音でわかった。
守る、か。
アリサが俺とメイメイを庇ってくれるのはありがたいし、感謝もしている。
そして、感謝の念と同じぐらいの疑問もある。
責任感と罪悪感に苛まれ、アリサは俺とメイメイを庇ってくれているのだろうが、それを差し引いてもやや献身的過ぎるのではないか。
アリサを疑っている訳ではない。眼を見て断言できるアリサほどの観察眼は持ち合わせていないが、俺だって様々な人たちと触れ合ってきた。アリサの言った言葉が嘘か本当かぐらいは判断できる。
アリサは本気で言った。
守る、と。
出会ってまもない、俺とメイメイを。
「ったく……」
善意に真っ直ぐな人間は苦手だ。
人の上に立つのは難しい。
十年以上前、まだ俺が無垢な小学生の頃、一度だけクラスの代表に選ばれた経験がある。一クラス三十人程度の小さな規模だが、それでも代表は代表。俺の言葉はクラスメイト三十人の言葉となる。面倒なことこの上ない。
たった三十人の代表でもうんざりしてしまうのに、数百、数千人の代表は心労が絶えないに違いない。尊敬に値する人物だ。
「言語のだんな。食べる?」
隣を歩くメイメイは前触れもなく握り飯を差し出してきた。ハンチング帽を目深に被っているので表情は読めない。例え帽子を外しても前髪で読めないし、きっと素顔を出しても読めないことだろう。
「さっき食べたばかりだろ。お腹いっぱいだ」
「難しい顔してたから、てっきりお腹がすいているのかと?」
「大丈夫だ」
「いらないなら、わたしがいただきます。もぐもぐ」
マイペースという言葉はメイメイの為に作られたのかもしれない。
島の代表――当主と呼ばれる人物に召集されたことなど、メイメイにとっては俺と他愛もないやり取りをするぐらいの瑣末な出来事なのだろうな。
メイメイの片手には握り飯。そして逆の手で握られた身の丈ほどある竹箒をぶんぶんと振り回していた。拘束から開放されたばかりだというのに、本当に元気な奴だ。
「まさか、島のトップがお呼びがかかるとはな」
――我らの当主がお呼びだ。
そう言われたのは今朝方だ。帯刀した男が現われた時は、尋問が始まるものばかりだと身構えてしまった。男からされた行為は拘束を外され、握り飯と周辺の見取り図が記載された地図を渡されて終いだ。
本当にそれだけだ。案内役という名の見張りすら付かない。
監視役を付けないのも当主の意思だという。
あまりのあっけなさに何かの手違いとも思った。街に出た瞬間、帯刀した複数の男たちに囲まれる可能性も考慮していたが、杞憂に終わった。せいぜいすれ違う人々から訝しげな視線を向けられた程度だ。
「言語のだんな、きんちょーしてる?」
「多少な」
「だいじょうぶです。言語のだんなならだいじょうぶです。ちなみに根拠のない励ましなのであしからず」
「メイメイと話していれば緊張なんて別次元の感情に思えてくる」
「それは、わたしに告白していると受け取ってもいい?」
「どう受け取ればそうなるんだ。皮肉だ皮肉」
「わたしは豚肉派です」
「俺は牛肉派だ」
「じゃあ、わたしはきのこの山派です」
「悪いが、俺はたけのこの里派だ」
「よろしい。ならば戦争です。ほわちゃー」
進路を塞ぐように正面に回り込んできたメイメイは、竹箒を曲芸さながら回転させている。
俺はそれを無視し、メイメイの眉間にチョップを叩き込んだ。
「あう……」
「ほら、いくぞ。そろそろ石段が見えるはずだ」
「むむ、言語のだんな。わたしの扱いがぞんざいになってきましたね」
聞こえないふりをして、俺は地図に視線を落とした。
渡された地図には街の見取り図以外に周辺の地理が大まかに記載されてある。俺とメイメイが上陸したのは島の南側。北側には島の面積の半分を埋め尽くすほどの山脈がある。地図を見ると、その山脈の途中にレ点が成されていた。
そこに当主と呼ばれる存在が待っている。
「メイメイはどう思う?」
「わたしはクッキーが好きなので、きのこの山派です」
「その話はもういい。今回のお呼ばれの件だ。どう考えたっておかしいだろ。島の住民からすれば俺たちは人攫い疑惑を持った容疑者だ。そんな危ない奴らを見張りも付けないで自由にさせるなんて…………そうか。なるほどな」
「人に話をふっておいて一人で納得するなんて、男として最低ですよ」
「おそらく俺たちを試しているんだ。俺らを自由に泳がせて、姿をくらませれば、人さらいの疑惑は確信へと変わる。後ろめたい行いをしてなければ、大人しく指定した場所に来れるだろうっていうテストだな」
「白黒はっきりさせてやるってことですか?」
「大人しく向かったところで、灰色になるのがいいところだろ」
元より逃げるつもりはない。正々堂々、正面から当主とやらの顔を拝んでやる。
地図によれば、街の北口から出て眼前にある山を、なぞるように北に進めば、山頂に続く石段があるはずなのだが、一向に見つからない。
まあ、それも一興か。
天候は良好。有象無象の植物が生い茂る獣道とは違って、本日は足に優しい拓けた道だ。山脈に萌える木々からは虫の鳴き声が耳朶を打ち、右手にある川辺からは心地よい夏の風が吹いてくる。散歩コースとしては最適だ。
「あのー」
欠伸をしようと大口を開けた瞬間、その声が耳に届いた。
俺は欠伸を噛み殺し、声の方向に首を回した。
少女だ。小柄なメイメイよりも頭一つ分ほど小柄な少女が、一本の木に寄り掛かっていた。街の人々と同様に袴のような格好をしているが、他と比べるとやや丈が短く、膝下からは可愛らしい脚線美を見せ付けている。肩甲骨あたりまで真っ直ぐと伸びる黒髪に、前髪は眉の上のラインできっちりと切り揃えられており、その髪型は子供っぽい印象を強くしている。
「ゲンゴさんとメイメイさんで、よろしいでしょうか?」
少女は一歩前に踏み出し、訊ねてきた。
「いかにも」
メイメイが無駄に偉そうに答える。
「私はハコと申します。当主様よりゲンゴさんとメイメイさんを案内するように承っております」
「うむ。くるしゅうないぞよ」
「初対面の人にそのノリはやめろ」
メイメイに脳天チョップ。
「……むー。いいじゃんいいじゃん。わたしは可愛い子の前でちょっとかっこつけたくなるお年頃なんです」
「こいつのことは気にしないでくれ。空気だと思ってくれて構わない」
「それは生きる為にわたしが必要だという遠まわしの告白ですか。いやん」
メイメイの頭を拳骨でぐりぐり。
「えー、ハコちゃんだっけ?」
横で変な唸り声を上げるメイメイを無視して、俺は言葉を続ける。
「案内して貰えるならありがたい。正直、辿り着ける自信がなかった」
「ふふ。では、こちらへ」
あどけない笑顔を残し、ハコは身を翻した。
「ってちょっと待て」
「どうしました? ゲンゴさん?」
「どうしましたって、そっちは道じゃないだろ?」
ハコが向かおうとした先は急傾斜の山道。目的地が山頂にあるのは承知しているが、せめて石段のある道を歩いていきたい。
「ここは立派な道ですよ?」
「地図によれば山頂に続く石段があるはずなんだが、これは間違いか?」
「いえ、間違いではないですよ。わたしの足元を見てください」
ハコの視線を落とすと、拳サイズほどの石が地面に埋没していた。
嫌な予感がした。
その一歩先に視線をやる。同じく拳サイズの石があった。
その一歩先はやや大きめの石が、その一歩先はやや小さめの石が。
「ありますよ?」
ハコが不安げに言った。
「見解の相違だ」
「なにがですか?」
「なんでもない」
石段とは石で構成された階段というのが俺の知る定義である。しかし、眼前にあるのは石が一定間隔で置かれているだけのものだ。
どうやらここでは常識の概念を改める必要がありそうだ。
「ところで、ゲンゴさん」
「なんだ?」
「その、メイメイさんが……」
「メイメイが?」
「痛がってますよ?」
何を痛がっているんだと、隣のメイメイを見た。
「ぁぅぅぅぅぅ」
己の拳がメイメイの頭をぐりぐりしていた。とうに拳は放したつもりであったが、無意識的に攻撃を続けていたらしい。
まあ、仕方ない。不慮の事後だ。
拳を放すと、メイメイは頬を膨らまし、こちらを見上げてきた。
「よしハコちゃん。当主様のところに案内してくれ」
茶番が起きそうな気配がしたので、俺はハコの手を取り、山道に足を踏み入れた。
道中、メイメイとの茶番劇が繰り広げられたのは言うまでもない。