11.エルネストとセイレーン
「やっぱりこの町、海賊と何か関係あるのかな」
確かにリディアンちゃんの態度はおかしかった。私でもわかるくらいには。
「何もないってわりに酒の種類はやたら豊富だったしな」
ラグがそう言いながらベッドに腰かけ、セリーンが後を続ける。
「この部屋の主は漁師だと言っていたが、ひょっとしたら海賊かもしれん」
「さっきの、あの海賊船に乗ってたかも?」
「可能性は十分にある」
「じゃあ、やっぱりアジトはこの近くにあるのかな」
「おそらくな」
そう答えながらセリーンは真っ暗な窓の外を見た。
「どうしよっか……。リディアンちゃんは隠そうとしてるんだよね。きっと」
だとしたら、私たちを家に泊めてくれたのは罪悪感からなのだろうか。それとも――。
「明日、町の中を調べてみよう」
「そうだね」
こう暗くては何もわからない。
セリーンは持っていた灯りを窓際の人形の隣に置き、ベッドの方に視線をやって小さく舌打ちをした。
見れば案の定ラグが元の姿に戻っていて。
「この町にいる間はその姿を見せるな」
「ふざけんな。それより」
その鋭い視線がこちらを向いてギクリとする。
「お前はもうちょっと男らしく出来ねぇのかよ」
「うっ」
痛いところを突かれて一瞬言葉に詰まる。
「で、でもリディアンちゃんは男だって思ってくれたみたいだし」
「いや、私は自然で良かったと思うが。それよりも、私はもう一度あの子の“お兄ちゃん”が聞きたい」
うっとりとした表情で言われてラグの顏にさっと赤みが差した。
「あれは、あまりにこいつが男に見えねぇから」
「誰も貴様には言っていない」
冷たく一蹴され、わなわなと身体を震わせるラグを見て私は慌てる。
「あ、明日はもう少し男に見えるように頑張るね!」
するとラグは大きな溜息を吐いてから私の方を見上げた。
「本出せ」
「え?」
「あの海賊の本だ」
「あぁ!」
私はセリーンが持ってくれていた荷物からグリスノートから借りた本を取り出しラグに手渡した。
ラグは今までずっと下ろしていた長い髪を紐で纏めてからその本を膝の上でめくり始めた。
覗き込もうとして、私が前に立つと蝋燭の灯りを遮ってしまうことに気付く。
「隣座っていい?」
一応訊くとラグはちょっと驚いたような顔で私を見上げてから「あぁ」と答えまた視線を落とした。
彼の隣に腰かけ見ると丁度楽譜のページが開かれていた。そして先ほど目に焼き付けた“エルネスト”と書かれているらしい文字を見つけた。
「それ、さっき見た“海”って歌の楽譜?」
「いや。これは違う」
「じゃあ」
ラグはパラパラと本を捲っていき、また別の楽譜を開いて見せた。そこにも同じ“エルネスト”の文字。
「この本の楽譜には全て、あの野郎の名が書かれてるみてぇだな」
それからラグは気付いたように一度その本を閉じ、表紙のタイトルらしき綴りを見て眉を寄せた。
「なんて書いてあるの?」
ラグはその大分掠れてしまっている文字をゆっくりと指でなぞりながら答えてくれた。
「“セイレーンの歌”」
「!?」
私は目を見開く。
「じゃあ、この本に載っている楽譜は全部セイレーンのための歌ってこと?」
思わずそう訊いてしまったが、ラグにもわかるはずがない。案の定、彼は黙ってその眉間の皺を更に深めた。
(エルネストさんとセイレーン……。一体どんな関係があるんだろう)
――僕はずっと銀のセイレーンを呼んでいた。そう、彼は言っていた。
と、ラグが再び楽譜のページを開いた。
「あの野郎が本当にこの歌を作ったんだとしてだ。あいつがもう生きていない可能性が高くなったわけだ」
その言葉にどきりとする。
「なんで……」
「20年やそこらでここまで古くなるかよ」
そう言ってラグは本の最後のページを開いて見せた。
「そら見ろ、この日付。200年以上前のもんだ」
指差された文字は勿論読めなかったけれど、言葉が出なかった。
(200年以上前……)
「私の見た絵のこともあるしな」
セリーンも神妙な顔で私の前に立ち、楽譜を見下ろした。
「まぁ、その方があの姿も理解出来る」
いつもの、あの幽霊のような姿。
やっぱりエルネストさんは、もう……。
知らず膝の上で強く両手を握りしめていた。
「セイレーンの歌か。それをカノンが歌ったら何が起きるのだろうな」
「え?」
見上げるとセリーンは首を傾げ続けた。
「あの男が作った歌だ。何が起きるか興味ないか?」
興味はあるし歌いたい気持ちもあるけれど。
私が答えるよりも早くラグが本をぱたりと閉じてしまった。
「やめとけよ、こんなところで。何が起こるかわかったもんじゃねぇ」
「う、うん」
……正直、少し怖かった。
ふいに思い出したのはソレムニス宮殿で見たあの笛の楽譜だ。その中に恐ろしいタイトルの曲があった。
(確か“死を呼ぶもの”)
ぞくりと鳥肌が立った、そのときだ。
「あ~、くそっ!」
急にラグがそう毒づきながら立ち上がってびっくりする。
「あいつが笑ってる気がしてムカついてきた」
ブゥがその頭からふわりと飛び立って今度は私の帽子の上に乗ったのがわかった。それに少し癒されて。
(確かに、エルネストさんが今の私たちを見ていたらきっとくすくす笑っていそう)
彼が本当に幽霊だとしても、あの優しい笑顔を怖いとは思わない。最初からそうだった。――ただ少し、寂しく思った。
ラグは本を手にしたまま窓際に移動し、灯りの下にどっかり腰を下ろしてまた本を捲り始めた。
「まだ読むの?」
訊くとラグは視線を落としたまま答えた。
「あぁ。お前はもう寝ろ」
(あ……)
ベッドを譲ってくれたのだと気付いて、私はつい先ほど自分が考えたことを恥じた。
「ありがとう、ベッド」
「……」
案の定返事はなかったけれど私は小さく微笑んでセリーンを見上げた。
「セリーン、一緒に寝よう?」
「リディアンが見たら驚くだろうな」
そう悪戯っぽく笑ったセリーンに私は「確かに」 と言って笑った。
眼鏡と帽子を外し纏めていた髪を下ろして横になる。
数日振りの揺れないベッドはやっぱり心地よくて、すぐにでも夢の中に入れそうだ。
ラグはブゥを頭に乗せたまま真剣な眼差しで本を読んでいて、その横顔をじっと見ていたらなぜだかふいに声を掛けたくなった。
「ねぇ、ラグ」
「あ?」
視線は落としたまま、それでも短く返事が返って来て私はそのまま続ける。
「ずっと気になってたんだけど。ラグって、その呪いどうやってエルネストさんから掛けられたの?」
本から離れた視線が私を見つめた。
「エルネストさんと直接会ったわけじゃないんでしょ?」
――これまでずっと彼の逆鱗に触れてしまいそうで訊けなかったけれど、今なら大丈夫な気がしたのだ。
彼の今も隠されている額にはエルネストさんと同じ紋様が刻まれている。彼はエルネストさんに付けられた印だと言っていたけれど。
「そういえば聞いたことがなかったな」
セリーンも興味深そうに私の横で身体を起こした。
ラグはやっぱり良い顔はしなかったけれど、ふぅと小さくとため息をついてからまた本に視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「いつものあの姿で現れた奴に、ある場所へ行けと言われて……奴の言うとおりにしたら、この呪いを受けていた」
驚くほどに穏やかな声だった。
そしてラグがエルネストさんの言う通りに動いたということにも驚いた。
(でも、そっか、その時にはまさか呪いをかけられるなんて思ってなかったわけだもんね)
エルネストさんのあの綺麗な笑顔を信用して、彼の指示通りに動いたとしてもおかしくはない。――でも。
「そんで、それを解きたかったら銀のセイレーンを連れて会いに来いとよ」
そこで彼は口を噤んだ。
ある場所ってどんなところだったの?
どんなことを言われたの?
なんで、言われた通りにしたの……?
訊きたいことはまだたくさんあったけれど。
「そうだったんだ」
私は満足だった。今は、ここまで教えてくれたことがとても嬉しかった。
「ありがとう」
「は?」
思わずお礼の言葉を口にするとラグは怪訝そうな目でこちらを見た。
「思い出したくないこと、話してくれて」
「い、いや」
彼は一瞬その瞳を大きくして、またすぐに本に戻ってしまった。
彼が頭を動かす度にその上に乗っているブゥが落ちないようにうまくバランスをとっているのを見て小さく笑ってしまう。
「それがきっかけであの子が誕生したわけか」
背後でセリーンが感慨深そうに言うのを聞いて、ラグがまたこちらを向いた。今度ははっきりと怒りに顔を引きつらせて。
「さっさと寝ろ!」
「言われなくとも」
そしてセリーンは再び横になり、私は苦笑しながらふたりにおやすみを言って目を閉じた。
――その後、私はすぐに深い眠りに落ちたけれど、そう長くは休んでいられなかった。
私を夢の中から引き摺り出したのは、リディアンちゃんの甲高い叫び声だった。




