5.歌声の正体
あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。窓がないので外の様子が全くわからない。
ブゥがまだラグのポケットから出てこないのを見ると夜にはなっていないのかもしれない。それとも警戒して出てこないだけだろうか。
部屋の臭いはさほど気にならなくなっていたが、そろそろ何か口に入れないとお腹が鳴ってしまいそうだ。
(なんて、私相当図太くなったなぁ)
こんな状況下でもそこまで不安を感じていないのはやっぱりふたりがそばにいるお蔭だろう。
「アジトまで、あとどのくらいかかるんだろうね」
「さあな」
ついついぼやいてしまうとすぐさま多分に怒気を含んだ声が返ってきた。
無論ラグだ。ちなみに彼は未だに小さな姿のまま。
あれから何度か元の姿に戻っているのだが、少年の姿のほうが何かと都合が良いだろうとセリーンに言われ、戻る度ぶつぶつ文句を口にしながらも小さな風を起こしたりして再び小さくなっている。
だから先ほどからずっと不機嫌マックス状態なのだ。
セリーンはというと、そんなラグを前に実に幸せそうだ。流石にいつものように飛びついたりはしないが、手が自由だったらどうだったかわからない。
なんにしても先ほどまでの張り詰めた雰囲気がなくなりいつもの彼女らしくなって私はとてもほっとしていた。自分の行動がラグの役に立つかもしれないと気付いて彼女もほっとしたのかもしれない。
「奴らの拠点だ。そこまで距離はないと思うが、流石に腹が減ってきたな」
「お前、アジトに着いたらどうするつもりなんだ」
そんなセリーンにラグがぞんざいに訊ねた。
「長に会うつもりだ」
「おさ?」
私が繰り返すとセリーンは頷いた。
「奴がそう呼んでいた。先代の頭だそうだ」
(先代の……)
頭にしてはやけに若いとは思ったけれど、もしかしたら代替わりしたばかりなのかもしれない。
おそらくは同い年くらいのグリスノートと名乗った海賊の顔を思い出す。
――海に落ちないように気を付けてくださいね。
昨夜会ったときはとても優しそうに見えたのに……。
「でもさ、よくセリーンの頼みを聞いてくれたよね。案外いい人達なのかな」
だったらいいなぁという期待を込めて言うとラグに鼻で笑われてしまった。
「賊にいいも悪いもあるかよ」
そんなラグに微笑んでからセリーンは続ける。
「そうだな、言葉で私がエクロッグ出身者であるとわかったからか……。まぁ、あのとき私とあの男が加勢に入ったのは想定外だったろうからな」
――あの男とは言わずもがな大きなラグのことだろう。
「そっか、傭兵はひとりもいないはずだったんだもんね」
「あぁ。その時点で奴らにとっては失敗だったのかもしれないな」
そういえばあのグリスノートも「失敗」と口にしていた。
だとしたらやっぱりラグの元の姿を見られたらまずいだろう。その場にいなかった私にはラグたちが応戦したときの様子はわからないけれど、あのときの男だとわかったら仕返しされかねない。
「例の絵についても、長に聞いてみるつもりだ」
セリーンがラグに優しく言うと、ラグは大きな溜息を吐いた。
「そう簡単に会えりゃいいけどな」
そんなときだった。
――!?
微かに聞こえてきた“声”に私たちは一斉に反応した。
「今、」
セリーンを見れば真剣な瞳とぶつかった。
「ああ、今度は私にも聞こえた」
そう頷いてもらえて確信を持つ。間違いない。
「今度は?」
彼にも聞こえたのだろう、眉をひそめたラグに私は言う。
「昨日の夜もね、聞こえたの。今の歌うような声」
「歌……ん?」
ラグが自分のポケットを見下ろした。ブゥが起きたみたいだ。
ぴょこっとそこから顔を出したブゥは警戒するように辺りを見回した。
「もう少し入ってろ」
ラグに言われてブゥは再び体をひっこめた。
ブゥが起きたということは夜になったということ。
「幽霊船……?」
ぽつりと口に出してしまってからぞわりと鳥肌が立った。その直後だ。
「誰か来る」
セリーンがそう声を潜め緊張が走る。
確かにこちらに近づいてくる足音が聞こえてきて、それは扉の前でぴたりと止まった。
ガタンという何か外れるような音の後でギギギと軋む音を立て扉が開いていく。
現われたのはグリスノートだった。
ちゃんと生身の人間で少しだけ肩を下ろす。ひょっとしてアジトに着いたのだろうか。
昼間見た時と同じ、その肩には可愛らしい白い小鳥が留まっていて。
(――あれ? そういえば昨夜も)
「出ろ」
「……?」
「あんただよ、あんた」
視線がぶつかって顎で指され思わず呆けた反応を返してしまった。
手が自由だったら確認のために自分を指差していただろう。
「え?」
「おい、この子は関係ない!」
セリーンが焦るように立ち上がり声を荒げた。
そんな彼女を睨みつけグリスノートは抑揚のない声で言う。
「言っただろ。この船で俺の命令は絶対だ。なんなら今すぐに3人まとめて海に落としたっていいんだぜ」
その台詞にぞっとする。
案外いい人なのかな、なんて期待が一気に消し飛んだ。
「こいつになんの用だ」
唸るように訊いたのはラグだ。
「ん? 相手してもらうんだよ。なーんてお子様にはわからねぇか」
そうラグに向かって鼻で笑うのを見ながら、さーっと血の気が引いていくのを感じた。
(相手って……)
「ふざけんな!」
ラグが怒鳴りながら私の前に出てくれる。
「誰が行かせるかよ」
(ラグ……)
だが今の小さな姿で海賊が怯むわけがない。寧ろそんなラグの態度を面白がるようにグリスノートは笑い出した。
「なんだなんだ、いっちょまえにナイト気取りか? お姉ちゃんは渡さねぇって?」
「姉ちゃんじゃねぇ!」
「じゃあなんなんだよ。ま、いいや。ほら来いよ。大人しくしてりゃ悪いようにはしねぇから」
そうして軽く手招きされてもその場から動けるはずがなかった。
「カノン、行く必要ないからな」
「う、うん」
セリーンがすぐ傍に寄り添ってくれて私は小さく頷く。
でも、このままでは3人とも海に落とされてしまう。ラグも今の状態では術を使えないし、セリーンにも武器が無い。
(私の歌しか……)
と、セリーンがグリスノートを睨み上げた。
「それよりつい先ほど妙な声が聞こえたが?」
「あ?」
「歌うような声だ。噂の幽霊船ではないか?」
彼の興味を逸らすためだとすぐにわかった。
「歌うような声……?」
訝しげに眉を寄せた彼を見て私は畳みかけるように後を続ける。
「確かに聞こえました! 実は昨日の夜も同じ綺麗な歌声を聞いて、それで外に」
「てめぇら、歌声を知ってんのか?」
「え?」
唐突に問われて言葉に詰まる。
その顔は、先ほどまでの人を小馬鹿にしたようなものではなく真剣そのものだ。
「歌声を一度でも聞いたことがあるのかって訊いてんだ」
鬼気迫る形相で一歩こちらに近付いてきたグリスノートにぎくりとする。
「だ、だから、昨日の夜とついさっき」
「そうじゃねぇ。人の歌う声をだ」
彼が何を言いたいのかさっぱりわからない。
「だったらなんだってんだ」
ラグが低く問い返すと、グリスノートはすぐさまそちらを見下ろした。
「どこで聞いた」
「だから今この場でだが?」
次いでセリーンが答えると、グリスノートは堪りかねたように叫んだ。
「あぁ~~くっそ、じれってぇな! グレイス!」
そして肩に留まっている白い小鳥の方に顔を向けた。
「おまえの美しい歌声を聴かせてくれ」
歌声!?
グレイスと呼ばれた白い小鳥はバサリと翼を広げるとその小さな嘴を大きく開いた。
――!
辺りに響き渡ったその甲高い鳴き声は、間違いなく昨夜、そしてつい先程耳にした歌声だった。




