2.海賊(前)
その夜。ずっと横になっていたせいかなかなか寝付けず、私は何度もベッドの上で寝返りを打ちながら昼間聞いた幽霊船の話を思い出していた。
(歌声かぁ……エルネストさんも昔はこのレヴールにも歌が溢れてたって言ってたし、だとしたらやっぱりその頃の幽霊……?)
私は小さく頭を振りながらもう一度寝返りを打った。
(でも、そのエルネストさんだって、もしかしたら……)
セリーンが昔見たというエルネストさんの絵。もしそれが本当に彼を描いたものだとしたら、もうこの世に存在しない人かもしれないのだ。
幽霊とは少し違う。でも、すこし正解。……確か、初めて会ったとき彼はそう言っていた。
(やっぱり、エルネストさんは……)
「眠れないのか?」
「!」
掛けられた声にびっくりしてそちらを見れば、セリーンが心配そうに私を見ていた。
「また気分が悪くなったか?」
「あ、ううん、違うの。ちょっと考え事してて……ごめん、起こしちゃった?」
「いや、私も考え事をしていた」
その答えにほっとする。
――ちなみにラグとブゥはすぐ隣の船室にいる。
ブゥは流石に周りが海では外出は叶わず、部屋の中をつまらなそうにふわふわ飛んでいると昼間ラグが言っていた。
「昼間の幽霊船のことか?」
「うん。あとエルネストさんのこと」
「あの男か。……エクロッグで何か手掛かりが掴めるといいがな」
私は頷く。
「セリーンはどんな考え事?」
訊くと彼女は優しく微笑んだ。
「昔のことだ。エクロッグへ戻るのは久しぶりだからな」
(あ……)
――そうだ。今こうして向かっているエクロッグはセリーンの故郷。今は存在しない国。そこで彼女は家族を失ったと話していた。
「セリーンは昔、どんな子だったの?」
気が付けばそんな質問をしていた。
「私か?」
「うん、昔から強かった?」
するとセリーンは苦笑しながら首を横に振った。
「いや、普通の娘だったな。どちらかと言えば大人しい方だった。外で遊ぶよりも家の中にいる方が好きだったしな」
「へぇ!」
意外なセリーンの子供時代を知って私は思わずそう声を上げていた。
こういうとき、ついアルさんがもしこの場に居たらと思ってしまう。きっと目を輝かせて聞いていたに違いない。
「その頃から花が好きだった?」
アルさんが別れ際に贈った赤い花を、彼女が押し花のようにして大事にとってあることを私は知っている。
「あぁ。母が好きでな。その影響で覚えたな」
「あ、私のおばあちゃんも花が好きでね、私の名前に花の意味の字を入れてくれたの」
「そうだったのか。カノンという名にはそんな意味があるのだな」
「うん! あー、でも私は花の種類にはあんまり詳しくないかも……」
そんな、取り留めの無い話をしているときだった。
ずっと繰り返し耳に入ってくる波音と船体の軋む音に混じってその“音”を聞いた気がして私は咄嗟に窓の方を見やった。
「どうした?」
私の突然の動きにセリーンの声に緊張が走る。
「今、変な音……ううん、声が聞こえた気がして」
私は起き上がりながらじっと窓の向こうを見つめたが真っ暗で何も見えない。
今聞こえるのは波音と、船体の軋む音と、自分の心臓の音だけだ。でも確かにさっき……。
「声?」
セリーンの問いに私は頷く。
とても高い声だった。まるで……。
「女の人の、歌声みたいな」
声に出したら急にぞっと寒気がして私は慌ててセリーンの方を見た。
「で、でも、聞き間違えかもしれないし」
セリーンが愛剣を手にベッドから下りる。
「セリーン?」
「念のためだ。外を見てこよう」
「なら私も行く!」
この状況でひとりで待っているなんて逆に怖い。
慌ててベッドから下りセリーンと一緒に船室を出た。
廊下の窓に視線をやるもやはり外は真っ暗。月も出ていないみたいだ。
隣のラグの部屋の前を通り過ぎながら声を掛けようか少し迷ったが、聞き間違えだったら悪いのでそのままセリーンについていく。
昼間とは違い人気の無い食堂を通ってドキドキしながら甲板に出る階段を上って行く。
セリーンが扉を開けると途端に湿った海風が乱暴に頬を撫ぜた。
やはり空に月は無いようで星だけがちらちらとまたたいていた。
昼間あんなに太陽を反射し輝いていた海も今はただ闇が広がるばかりで寒くもないのにぶるりと震えが走る。
甲板に出てそんな空との境界がわかり辛い海を見渡してみるが他に船のような影は見えない。それに耳に入ってくるのは船に当たる波音と船体の軋む音だけで歌声なんて聞こえなかった。
「ごめんね、やっぱり気のせいだったみたい」
そう謝ったときだ。セリーンがぱっと船尾の方に視線を移した。
「誰か来る」
「え!?」
ぎくりとしてそちらに意識を向けると確かに足音が近づいてくる。
セリーンが剣の柄を握るのを見て私はその後ろに隠れた。
(まさか幽霊? で、でも、幽霊だったらきっと足音はしないだろうし、じゃあ――)
「うえっ!?」
私たちの前に現れ素っ頓狂な声を上げたのは、乗組員の帽子を被った男の人だった。
なんだぁ、と大きく胸を撫で下ろしているとセリーンも剣から手を離した。
「ど、どうされたんですか。こんな夜中に」
彼は驚いたせいでずれてしまったらしい帽子を慌てて被り直しながら私たちに訊いた。
暗いせいではっきりとはわからないが、声の感じからして若そうだ。私とそう変わらないかもしれない。
「夜風に当たりたくなってな。そちらは見回りか?」
「はい。今夜の当番なもので」
「大変ですね。お疲れ様です」
私が言うとその人はにこやかに笑った。
「ありがとうございます。海に落ちないように気を付けてくださいね」
彼は一礼してから私たちの横をすり抜け軽い足取りで階段を下りて行った。
――あれ?
その後ろ姿には覚えがあった。
「どうした?」
「あの人、昼間食堂で船酔いしてた人じゃないかな」
カウンターに突っ伏してしまっていたから確実ではないが、新人だと言われていた男の子。
「そうか?」
「若そうだし……でも船酔い治ったみたいだね。良かった」
私のように漸く揺れに慣れたのかもしれない。
「特に問題はなさそうだな。船室に戻るか」
「あ、うん。ホントごめんね」
私はもう一度謝ってからセリーンと共に船室へと戻り、それから間もなくして眠りにつくことが出来た。
異変が起きたのは明け方だった。
ドーンと地響きのような音と共に船がぐらりと揺れ私は飛び起きた。
「じ、地震!?」
しかしすぐにここが海の上だということを思い出す。
なら嵐が来たのだろうか。
慌てて窓の外に視線をやるが夜が明けたばかりの白んだ空と、昨日と変わらない穏やかな海が見えるだけだ。
セリーンが愛剣を手に真剣な顔つきでドアに近づいていくのを見てぎくりとする。慎重にドアを開け外の様子を伺い、彼女は小さな声で言った。
「どうやら海賊が出たらしいな」
「う、嘘!?」
嵐の方がまだ良かったかもしれない……!
耳を澄ませば確かに海音に混じって怒号のようなものが聞こえてきた。
起き掛けに勘弁して欲しい。どきどきと心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。
「下手にこの部屋から出ない方がいいかもしれないな」
「う、うん」
セリーンがドアに鍵を掛けるのを見て、私もいつでも動けるよう急いで髪を結い靴を履いてベッドから立ち上がった。
海賊なんて本や映画の中でしか見たことがないが、大きな剣を振り回し乗組員たちを殺し金品を奪っていく残虐非道な荒くれ者たちというイメージが強い。
「皆、船長さんとか大丈夫かな」
「言ったろう。おそらくは1stが何人か同乗しているはず」
そのときセリーンが再びドアに視線を向けた。直後、ドンっとドアが叩かれて飛び上がりそうになった。だが。
「俺だ、開けろ」
ラグの声にほっと胸を撫で下ろす。
セリーンが鍵を開けるとすぐに不機嫌そうな彼と、一緒にブゥがふよふよと部屋に入ってきた。
「くそ、厄介なことになりやがった」
「貴様が術で追い払えばいいんじゃないか?」
セリーンがいつものように言いながらもう一度鍵を閉めた。
「うるせーよ!」
怒鳴りながら乱暴に椅子に腰かけるラグ。やはり術を使うつもりはないらしい。
「でも、どうするの?」
「どうもしねーよ。行っちまうのを待つしかねぇだろ」
イラついた様子で頬杖をついた彼の頭にブゥが乗るのを見ていつもなら少しは癒されるのに今日は駄目だった。
もう一度窓から外を見るがやはり何も見えない。その姿が見えないのが余計に不安を煽った。
「たちの悪い奴らでないといいがな」
セリーンがぼそっと呟くのを聞いてぞっとする。
「たちの悪い奴らって?」
「金品を奪うだけでなく、船ごと奪っていく奴らだ」
「!? で、でも、この船にはセリーンみたいな強い傭兵が何人か乗ってるんだよね?」
「普通はな。だから大丈夫だと思うが」
と、セリーンの顔に緊張が走った。
バタバタと大勢の足音が近づいてくる。海賊たちのものだろうか。
私は祈るように胸の前で両手を握りしめた。




