33.王女の願い
それからお城に戻った私たちはすぐに支度をしもう一度王子たちのいる謁見の間へ戻っていた。
「本当にもう行ってしまうのか? せめて明日に」
「いや、急ぎたい」
ラグの有無を言わさない口調に王子は諦めたのかそうかと溜息交じりに答え、クラヴィスさんに視線を向けた。
「クラヴィス、あれを」
「はっ」
クラヴィスさんがラグへ何か書類を手渡した。
「船長への書状だ。すでに伝令は出したが、ヴァロール港に着いたらこれを渡してくれ」
「わかった」
「それと港までは馬車を使うといい。城門を出たところに用意してある」
「ありがとうございます」
私は頭を下げてお礼を言う。何から何まで本当に有り難い。
馬車に船、どちらもこの世界に来てから初めての乗り物だ。
(馬には乗ったことあるけど……もう馬は遠慮したいかな)
あのときの乗り心地を思い出しかけ慌てて振り払っているときだ。
「ずっと、気になっていたんだが」
ラグが王子にそう声を掛けた。
「なんだ?」
「……最初に会った時、なんでオレの呪いに気付いたんだ」
(あっ)
そうだ。パケム島でなぜ王子は初対面のラグの呪いにすぐに気が付けたのか、知りたかったのだ。
すると王子は少し声を抑えて答えてくれた。
「獣の姿になると嗅覚も獣並になるんだが、特に呪いの類に敏感になるみたいでな。お前のそれはすぐにわかった」
それを聞いて驚く。
(耳だけじゃなくて、鼻も利くようになるんだ。それで……)
ラグも納得したようだった。
「早く、解けるといいな」
王子に言われ、ラグは少し瞳を大きくしてから目を伏せるように頷いた。
「あぁ」
王子はそんなラグを見て満足げに微笑み、そしてその場にいる皆に視線を向けた。
「皆には本当に世話になった。目的を果たしたら是非またこの城に立ち寄ってくれ。歓迎するぞ」
と、その視線が私に移りどきりとする。
「カノンは、果たせなかったらになるか」
「!」
悪戯っぽく笑った王子に、私は曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。
……一体、王子はどこまで本気なのだろう。
「カノンさんの目的とは?」
「え」
クラヴィスさんに訊かれてぎくりとする。結局彼に銀のセイレーンのことは隠したままだ。
彼になら、とも思うが、今更な気もして口を開けたまま迷っていると、
「遠い故郷に帰ることだよな?」
そう王子が代わりに答えてくれた。
「そうだったのですか」
「あ、はい。そうなんです」
……間違ってはいない。
ツェリウス王子のなんだか面白がるような視線を横目に私は苦笑する。
まだ何か訊きたそうなクラヴィスさんを遮るようにして王子が続けた。
「無理だったらここに戻ってくればいい。僕もそれまでには国王となりドナをこの城に迎えていよう」
「殿下にはその前にやらねばならないことが山ほどありますからね」
クラヴィスさんの視線がやっと私から外れてほっとする。
「わかっている。まずは術士をこの城へ迎えることを皆に納得してもらわねばな」
「それが一番大変だと思いますよ。術士代表として俺も出来うる限り力にはなりますが」
そう苦笑しながら答えたのは私の後ろにいたアルさんだ。
「そうだな。しかしこの国を守るためだ。どんなに時間がかかっても納得してもらう」
「またそんなカッコいいこと言ってぇ、一番はドナちゃんを守るためなんでしょう?」
アルさんがにやにや顔で言うと王子はふっと笑った。
「好きな女性ひとり守れないようでは、国など到底守れないだろうからな」
よっ殿下カッコいい! などと囃し立てているアルさんの声を聞きながら私はなんだか顏が熱くなるのを感じた。
ドナに今の台詞を聞かせてあげたい。きっとものすごく真っ赤になって、こっぱずかしいことを言うなと怒鳴ることだろう。
「そのためにもデイヴィス。お前を頼りにしている。ここに残ると決めてくれて本当に心強い」
先ほどアルさんがそう決めたことを告げると、王子はとても驚きそしてとても喜んだ。
「皆には悪いが、」
そう言いながら王子の視線がセリーンに向けられて、それに気が付いた彼女は鼻で笑うように言った。
「煩いのが居なくなってこちらは清々とする」
「酷いっ! 予想はしてたけど!!」
手で顔を覆ったアルさんを見て苦笑しながら、そういえばこんなやりとりももう見れないのだと思うとまた寂しさが込み上げた。
王子はそれを見て楽しそうに笑い、それからもう一度私たち全員を見回した。
「本当にお前たちと出会えて良かった。お蔭で視野が広がった気がする」
「視野が、ですか」
「あぁ。術士のこともそうだが、今朝休みをとりながら考えていたんだ。僕はずっとこの呪いが疎ましかった。伝説の王女もな」
胸元から笛を取り出し、それを優しげな瞳で見つめながら話した。
「だが、少し考えを変えてみた」
「考えを?」
アルさんの問いに王子は頷き続けた。
「……王女は、僕たち子孫にただ愛し合って欲しかっただけかもしれないとな」
「え?」
私は思わず声を上げていた。
「自分たちが幸せになれなかった分、愛した者とずっと離れず共にいられるよう、そんな思いを込めたまじないを掛けたのかもしれないと」
驚いた。
そんな考え方もあるのかという驚きと、ツェリウス王子自身がそれを考えたのだということに。
皆も私と同じように唖然とした顏をしていて、それに気付いた王子が照れたように咳払いした。
「まぁ、はた迷惑なことに変わりはないがな。そう、思えるようになった」
そして王子は笛をまた大事そうに胸元に仕舞った。
私はなんだか胸が熱くなってきて、大きく頷いた。
「私も、そう思います!」
王女の呪いと考えるよりも、王女の願いのこもった“まじない”と考えたほうがずっといい。
すると王子はとても満足げに笑ってくれた。
「おっ、セリーンじゃねぇか! どうした。陛下に何か用か?」
王の間へ足を運ぶとそれまで硬い表情で扉の前に立っていたドゥルスさんの顔が一気に緩んだ。
「いや、お前にだ。私たちはもうこの城を去ることになったのでな。挨拶に来た」
「は!? 去るって、まさか今からか!?」
「あぁ」
ドゥルスさんに挨拶に来たのは私とセリーンだけ。ラグも誘ったのだが初対面で格好悪いところを見せてしまったせいか嫌そうな顏で断られてしまった。
アルさんはまだ何かドゥルスさんに思うところがあるのか、セリーンが他の男と仲良く話しているところなんて見たくない! と言ってやはりついては来なかった。
「待て待て。今夜の夜会にも出ないつもりか! うちの奴お前たちのためにっていつも以上に腕を振るってるぞ!?」
「それはとても有り難いが……急ぎの旅でな」
セリーンが苦笑しながら言うとドゥルスさんは大きく動かしていた腕を力無く下ろした。
「そうか……。てっきりもうしばらく居るもんだと」
「すまんな。私も一度くらい昔のようにお前と手合わせしてみたかった」
「おいやめろや、泣けてくるじゃねぇか!」
言いながらドゥルスさんはもう目の周りを真っ赤にしていた。
「相変わらず涙もろいな。奥方にもよろしく伝えてくれ。忙しいところを邪魔しては悪いからな」
「あぁ、わかった」
ずずっと鼻を啜りながらドゥルスさんが頷く。
「あとクストスやリトゥース、それにフォルゲンにもな」
フォルゲンさんの名が出た途端、ドゥルスさんの顔が引きつった。
それを見てセリーンは口の端を上げる。
「いい医者じゃないか。初孫、楽しみだな」
「ぅぐっ、……ま、まぁな。生まれてくる子にゃぁ罪はねぇ」
「ハハ。ドゥルスが祖父さんか。いつかまた会いにくる。それまでは元気でいてくれよドゥルス」
「勿論だ! じじいになっても俺はずっと現役だぞ!!」
そうして楽し気に笑い合う二人を見ながら、確かにアルさんは来なくて正解だったかもとちらっと思ってしまった。
王子たちは城門まで見送ってくれるといい、私たちは共に宮殿を出た。
庭園を歩きながらもう少しこの綺麗な場所に居たかったなと思っていると。
「カノン!」
「え?」
大きな呼び声に私は振り向いた。
宮殿の方から駆けてくるのはデュックス王子だ。私は顔が強張るのを感じた。
王子ははぁはぁと息を切らしながら、私の元まで来て必死な顏で言った。
「出立すると聞いたのだが、嘘、だよな?」
「あ、……その」
先ほどは肖像画のことですっかりうやむやになってしまって結局ちゃんとお返事出来ていない。
ツェリウス王子も思い出した様子であーと小さく声を上げている。
ここはしっかり謝らなければと私は頭を下げた。
「すみません!」
すると王子は開けた口をそのままにがくりと頭を垂れた。
「本当にすみません……折角誘って頂いたのに」
「……本当に、行ってしまうのか?」
「はい」
「デュックス。無理を言うんじゃない。彼らには彼らの目的があるんだ」
そうツェリウス王子が間に入ってくれた。
「兄さま……わかっています。カノン、また会えるか……?」
「えっと……」
はいと答えてしまうのは簡単だ。でも、言えなかった。
するとデュックス王子は急に私の前に片膝をついて、こちらを見上げた。
「また会えたら、その時こそは僕の誘いを受けて欲しい」
そして私の手を取った。
え? そう疑問に思うと同時、ちゅっと手の甲にデュックス王子の唇が押し当てられて目を見開く。
「待っている」
「~~っ」
手が、いや全身が熱くて私が何も言えずに口をパクパクとさせていると、背後からセリーンの「やるな弟」という感心したような声とラグの舌打ちが聞こえた。
王子の言っていた通り、城門を抜けたところに馬車が用意されていた。
大人しそうな2頭の馬の前で御者らしきおじさんが恭しくお辞儀をしている。
(馬というより、ロバ?)
そう、2頭いるその動物は馬よりロバに近い姿をしていた。
あのフィエールの相棒であるアレキサンダーの方がどちらかと言えば馬に近かった気がする。
でもこれならお尻の痛みはあまり気にしなくて良さそうだ。
「みんな、気を付けてな」
そんな声に振り返るとアルさんが王子たちと並んで私たちに微笑んでいた。
デュックス王子はあの後真っ赤な顏ですぐに宮殿へと戻ってしまったため、見送りはツェリウス王子とクラヴィスさん、そしてアルさんの3人だった。
……そう。ここでアルさんともお別れなのだ。
なんだか未だに実感が湧かない。
「ラグ、二人をちゃんと守るんだぞ」
「……」
でもラグは何も答えずさっさと一人馬車へと乗り込んでしまった。
そんな彼に苦笑してからアルさんは軽く咳払いし、私の隣にいるセリーンに熱い眼差しを向けた。
「セリーン。これを」
「!」
差し出された手には一輪の赤い花が握られていて、私は内心きゃーっと歓声を上げながらセリーンを見上げた。
セリーンは花が好きみたいだと伝えたことを覚えていてくれたのだろう。
流石の彼女も驚いた様子だ。
「昨日色々と面倒掛けちまったし、それにこの色、セリーンに似合うと思ってな。受け取ってくれないか?」
「……」
皆が見守る中、セリーンはゆっくりとその花を受け取った。
「花に、罪は無いからな」
そうしてまんざらでもなさそうにその花を見つめた彼女を見て、アルさんはぐっと拳を握り私に向かって片目を瞑ってみせた。
(良かったね、アルさん!)
そう頷いた矢先だ。再び彼はセリーンに熱い視線を向けた。
「セリーン。抱きしめてもいいか?」
「調子に乗るなよ」
「ですよねー!」
凄まじい形相で睨まれ、バっと天を仰いだアルさんを見て苦笑する。
(も~、折角いい雰囲気だったのに)
だが、アルさんは諦めなかった。
今度はいつもの彼らしいへらりとした笑みを浮かべ、右手を差し出した。
「せめて、握手だけでも……ダメか?」
「……」
するとセリーンは呆れたようにもう一度息を吐き、花を左手に持ち替えた。
無言で差し出された右手を見てアルさんは瞳を大きくし、それから飛びつくようにその手を両手でがっしりと掴んだ。
「俺、これっきりなんて思ってないからな。君は俺の運命の人だから、絶対にまた会いに行く。だから一旦、さよならだ」
(アルさん……?)
そんな普通の女の子ならどきっとしてしまいそうな台詞に、しかしセリーンが照れるわけもなく。
「ふん、わけのわからないことを。もう離せ」
アルさんの手をぞんざいに払うと彼女も馬車へと乗り込んだ。
でもアルさんはとても満足げな顔をしていて、私も自然と笑みがこぼれた。
と、そんな私にアルさんが小声で言う。
「カノンちゃん、あいつのことよろしくな」
「はい、わかっています。……また、会えますよね」
私が言うとアルさんは満面の笑みで頷いてくれた。
一旦、さよなら。――それなら、そんなに寂しくはない。
私も皆にぺこりと頭を下げて馬車へと乗り込んだ。
中は向かい合わせの4人席となっていて、私はセリーンの隣に座った。
御者のおじさんが扉を閉めてくれて私は窓から顔を覗かせる。
すると爽やか笑顔のクラヴィスさんと目が合った。
「本当にお世話になりました。皆さんとの旅、とても楽しかったですよ」
「私もです」
「お蔭で殿下も、これほどまでに、見違えるほどに成長いたしました」
「おい、失礼が過ぎるぞお前」
「え? どこがですか。こんなにお褒めしているというのに」
「お前……今の自分の立場をわかっているか? デイヴィスが残ってくれたんだ。お前護衛を外されるかもしれないんだぞ?」
「え、そんなの聞いていませんよ。アルディートさんやっぱり残るのやめにしません?」
「ええぇ?」
そんな3人のやりとりを見てつい笑ってしまう。
すると王子もふっと笑ってこちらを見た。
「皆、元気でな。いつかまた会おう」
その自信にあふれた表情を見て、私は言う。
「ドナを、私の友達をよろしくお願いします」
「!」
その瞳が大きくなって、それからツェリウス王子は「あぁ」と力強く頷いてくれた。
御者が手綱を取り、ゆっくりと馬車が動きだす。
私は窓から身を乗り出してアルさんたちが見えなくなるまでずっと手を振っていた。彼らもその間ずっと手を振り返してくれていた。
その姿が完全に見えなくなって、私は息を吐きながら席に着く。
「少し、寂しくなっちゃうね」
言うと、窓枠に肘を着き外を眺めていたラグが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「あいつはお人好しが過ぎるんだ。いつもいつも……」
そんなラグを見て、お? と思う。
(もしかして、本当に寂しがってる……?)
と、そのとき隣から急にフフフという小さな含み笑いが聞こえてきて驚く。
「セリーン?」
彼女はアルさんからもらった赤い花をくるくると指で回しながら言った。
「いやスマン。これで少しはあの子に会える機会も増えるかと思うと、ついな」
「増えねぇよ!」
速攻で怒鳴り声が上がって私は苦笑する。
――そうだ。少しの間、元のこの3人と、今はお休み中のブゥとの旅に戻るのだ。
埃っぽい風が窓から入って来て、私はもう一度宮殿のある方を見上げる。
するとあの高い塔が緑の合間から見えてきて、私はその白く美しい姿を目に焼き付けた。
きっとあと何年かすれば、友人もこうしてあの塔を見上げるのだろう。
そのとき彼女の心が、不安よりも期待と喜びに溢れていますように。そう願いながら、私は馬車の心地良い揺れと聞こえてくるパッカパッカという小気味よいリズムに身を任せた。
第五部 了




