24.笑顔
「ふっふー。や~っと遊べるね、ラグ・エヴァンス。ボクとっても嬉しいよ!」
再び対峙する二人を見て、パケム島での一戦を思い出す。
あの時も夜で、そしてこんな森の中だった。
違うのは、ここには今私たち3人しかいないこと。
アルさんもセリーンも、クラヴィスさんも、ブゥもここにはいない。
(ラグを助けられるのは、私しかいない)
ぎゅっと汗ばんだ手を握りしめる。
背の違いもあって、見た目はラグの方が確実に有利に見えるのに。
「で、どーすんだ」
ラグがルルデュールを睨み据え訊いた。
それに対しルルデュールはもう待ちきれないといった様子で大きく両手を広げた。
「魔導術の勝負だよ! どっちの魔導術の方が強いか。ボクはそれを確かめたいんだ」
「……くっだらねぇ」
しかしラグの吐き捨てるようなその台詞に、ルルデュールの顔がぴくりと引きつった。
それに気付いているのかいないのか、ラグは続ける。
「なら一発勝負でいいな。同時に」
「くだらない?」
ラグの言葉を遮るようにルルデュールは言った。
口元はまだ笑っているのに、その声音は先ほどまでとはまるで違う。
「……キミにとってはくだらないかもしれないけど、ボクにはと~っても重要なことなんだ」
ぞわりと鳥肌が立つ。
――まただ。
また、ルルデュールの顔から表情が消えていた。
その手がゆっくりと上がっていき、ラグを真っ直ぐに指差す。
身構えるラグ。
「ラグ・エヴァンス。本当なら、ボクがキミになるはずだったんだ」
「……?」
先ほども聞いたその言葉。
ラグも眉を寄せ意味を解りかねている様子だ。
と、彼を指差していた手がだらんと下ろされる。
「――そう。本当なら」
その時、ルルデュールの目がカっと見開かれた。
そして鬼のような形相で彼は叫ぶ。
「このボクが! “悪魔の仔”になるはずだったんだ!!」
その声に同調するかのように彼の周りに突風が巻き起こる。
(あのときと同じだ!)
咄嗟に手足に力を入れる。
ざぁっという木々の悲鳴と共に強風が通り抜けていく。
座り込んでいなかったら倒れていたかもしれない。
――ラグは!?
焦り顔を上げると彼は先ほどと同じ場所に平然と立っていた。
ほっと息を吐くも、ルルデュールの怒声は更に続いた。
「ストレッタが生み出した悪魔の仔ラグ・エヴァンス! お前のせいで戦争が終わったんだ! お前がいたからボクが活躍できなかったんだ! お前がいなければ、ボクが悪魔の仔になっていたはずだったのに!!」
そこまで一気に捲し立て、再びルルデュールはにこりと可愛らしく嗤った。
「――だから、どっちが本当の“悪魔の仔”か、ここで決着をつけようよ」
(なにそれ)
知らず、地面に着いた手が震えていた。
それは恐怖からくるものではなくて……。
「なに、それ」
はっきりとした“憤り”に、小さく声が漏れる。
――カノンちゃんには知ってて欲しかったんだ。昔のあいつのこと。
アルさんの声が蘇る。
そしてまた、あの表情の見えない小さなラグがこちらを見上げた気がした。
その頃の彼に会ったことがあるわけじゃない。
話したことがあるわけでもない。――でも。
(ラグは、好きで“悪魔の仔”と呼ばれるようになったわけじゃない)
こんな戦い、無意味だ。
例え勝てたとしても、何にもならない。
ラグがまた、アルさんの言う“本来の彼”から遠ざかるだけだ。
(やめさせなきゃ)
私は足に力を入れ、背後の木を支えに立ち上がる。
「なんでもいい。とっととやるぞ」
低く言って、ラグがその掌をルルデュールに向ける。
「ふっふー、そうだね。じゃぁ、いこっか!」
ルルデュールが再び嗤いながらラグを指差した、そのとき。
ねむれ ねむれ おやすみなさい
「!?」
その歌声に、ラグが焦るようにしてこちらを振り返る。
ルルデュールは初めきょとんとした顏で私を見たけれど、ふっと嘲るような笑みを浮かべ首を傾げた。
「おねぇさーん、なんのつもりぃ?」
「やめろカノン!!」
次いでラグの怒声が聞こえたけれど、私は続ける。
ねむれ ねむれ おやすみなさい
涙のわけは忘れて おやすみなさい
明日になればきっと 笑顔の自分に会えるから
今日あった嫌なことは全て忘れて、今は眠ってしまおう――そういう歌だった。
嫌なことがあった日、眠る前にいつも口ずさんでいた歌。
そうすると、朝目が覚めた時、少し元気になっている気がした。
髪が銀に輝き始める。
そこで初めて、ルルデュールの顏に驚きと焦りの色が浮かんだ。
「銀の……まさかっ」
その小さな体がぐらりと傾く。
ねむれ ねむれ おやすみなさい
痛みのわけは忘れて おやすみなさい
明日になればきっと 新しい自分に会えるから
いつもは自分を励ますための歌だけれど。
でも今はルルデュールに向けて。
ラグのことを忘れて欲しかった。
そして今は深く、眠って欲しかったから。
「――くっ、やめ、ろ!」
足をふらつかせながら、ルルデュールは歌に抗うように両手で顏を押さえる。
しっかりと効いているのだとわかり、私は繰り返し歌い続ける。しかし。
「銀の、セイレーン……!」
ぎくりとする。
細い指の間から、爬虫類を思わせる二つの瞳がこちらを憎々しげに睨んでいた。
それを見た瞬間歌声が震えそうになり、いけないと気持ちを奮い立たせる。
お願い、眠って……!
一際強く思いを込めて歌う。
するととうとう立っていられなくなったのか、ルルデュールはがくりと膝を着きそのまま地面に倒れこんでしまった。
目を閉じ動かなくなった少年を見つめながら、私は徐々に歌声を小さくしていく。
すぐにでも起き上がってきそうで、なかなか止められなかった。……先ほどこちらを睨んでいた目がしっかりと脳裏に焼き付いている。
恐る恐る口を閉じ、少しの間その横になった体を見ていたが起きる様子は無い。
そこで漸く私はほっと息を吐き、ヘナヘナとその場に座り込んだ。……腰が抜けてしまったかもしれない。
と、こちらに近づいてくる足音に気付きぎくりとする。
そーっと顔を上げると案の定、ラグが今にも怒鳴りそうな顏でこちらを見下ろしていた。
「だ、だって、これしか思いつかなくて」
怒られる前に弁解する。
「ラグのこと忘れればもう追ってくることもないだろうし……ちゃんと効いてるかわかんないけど」
「今度は、お前が狙われるかもしれねーんだぞ」
「そ、それは……」
またあの目を思い出し言葉に詰まる。
すると、ふぅと息を吐きラグが目の前にしゃがみ込んだ。
目線が同じ高さになって思わず肩を竦める。
「ありがとな」
「……へ?」
瞬間、その言葉の意味がわからなかった。
いや、彼の口から出たその言葉の意味がすぐには理解出来なかった。
(今、ありがとうって……言った?)
私が何度も目を瞬いていると、大きな手が伸びてきて頭にぽんと乗った。
「今度ばかりは、助かった」
そうして、彼はふっと唇の端を上げた。
笑ったのだ。
彼が。
あのラグが。
呆れたような笑い方だったけれど、確かに。
――途端、ぶわっとよくわからない感情が溢れ出た。
「なっ!? なんで泣くんだ!?」
「え……」
言われて気が付く。
溢れていたのは、涙だった。
慌てたように私の全身を見回すラグ。
「まさか、さっきあいつに……どこか痛むのか!?」
「ちが、ふっ、……わかんないけど、ラグが……っ、」
ぼろぼろと零れ落ちてくる涙。
なんで急にこんなに涙が出てきたのかわからない。
安堵の涙だったのか、それともラグの笑顔があまりに衝撃的だったからなのか……。
とにかく一度流れ出てしまった涙は拭っても拭ってもなかなか止まりそうになくて。
そのとき、ふわっと人の温もりを感じた。
(――え?)
涙を拭っていた手が止まる。
ぼやけた視界に彼の首元が映っている。ぽんぽんと宥めるように優しく頭を叩かれて。
そこで漸く状況を理解した。
――私は今、ラグの腕の中にいる。
そうとわかった瞬間、全身が沸騰したように熱くなった。
ついさっきもその腕の中に引き寄せられたけれど、違う。
ただ優しく、私を落ち着かせるように触れるその大きな掌に、そしてありえないほどに早鐘を打つ自分の胸に、酷く困惑する。
その音はきっと彼にも伝わってしまっているだろうと気づいて、どうしようもなく恥ずかしくなった。
「――も、もだっ」
「? もだ?」
耳元で繰り返されたその声が余りに近くて、もう、限界だった。
「も、もう大丈夫、だから!」
なんとかそれだけはっきりと言う。
本当に、涙はもうすっかり止まっていた。
首の後ろに回されていた手がゆっくりと離れていき、温もりが消える。
……今がまだ夜明け前で良かった。顏の熱が下がるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
彼が立ち上がるのがわかってほっとした、そのときだった。
「てっめぇ、何を笑っていやがる!!」
いきなりの怒声にびっくりして顔を上げる。
ルルデュールが起きたのかと思ったのだ。
しかし、ラグの視線の先には全く予想外の人物が立って……いや、浮いていた。
「いやぁ、邪魔をしたら悪いかと思ってね」
「エルネストさん!」
物凄く久しぶりな気がする彼が、こちらを見て楽しげに微笑んでいた。
彼の姿を見るのは、タチェット村の宿以来だ。
「やぁ、カノン。もう大丈夫かい?」
「は、はい」
でも見られていたのだとわかって、また顏が熱くなる。
彼はにっこりと笑って、すぐ横で倒れているルルデュールに視線を落とした。
「それにしても、厄介な相手に目を付けられてしまったねぇ」
憐れむような目をした彼にラグが噛み付く。
「誰のせいだと思ってやがる! で? てめぇのいる場所に近づいたのか、どうなんだ!」
そうだ。彼はもっと自分に近づいたらどこにいるか教えてくれると、そう言っていた。
「ふふ、そうだね、少しは近づいたかな?」
「本当ですか!」
「うん、きっともうすぐ会えるよ。そうしたら、君を元の世界に帰してあげるね」
その笑顔にほっと胸があたたかくなる。
きっと、帰れる。
元の世界に――。でも。
私は足に力を入れて立ち上がる。
「あの、クレドヴァロールのお城で楽譜を見つけたんです」
「うん」
優しく頷くエルネストさん。
楽譜を持っているという彼なら、知っているかもしれない。
「もしかして、昔はこの世界も歌で溢れていたんじゃないかって思って」
すると彼はふっと意味ありげに笑った。
「そうだよ。この世界も以前は君の世界と同じように歌と音楽で溢れていた」
――やっぱり!
予想は確信へと変わり、そのまま私は勢い込んで訊く。
「なんで、なんで歌は不吉とされてしまったんですか!」
「銀のセイレーンが現れたから」
「え……」
「世界を破滅させるという銀のセイレーンが、この世界に現れたからだよ」
それは幾度となく聞かされていた話。
――でも、エルネストさんの言い方にどこか違和感を覚えた。
そして、そのエメラルドグリーンの瞳が微かに憂いを帯びる。
「彼女が現れたことで、この世界は変わってしまったんだ」
(彼女……?)
それはドナのおばあちゃんが会ったという銀のセイレーンだろうか。それとも……。
彼が目を細め、私を見た。
「君も随分、セイレーンらしくなってきたね」
「え?」
「人の心を動かせるのは、術士の中でもセイレーンだけだ」
その言葉と真剣な眼差しにどきりと緊張が走る。
「でも一歩間違えば、人を壊すことも出来てしまう」
私は目を見開く。
――人を壊す……?
動揺する私に彼はにっこりと笑った。
「君なら大丈夫。彼もいることだしね」
その瞳がラグに移る。
「君も、色々とその呪いのことを調べているようだけれど、見つかったかい?」
「うるせぇ!」
憤慨するラグを面白がるようにクスクスと笑うエルネストさん。
「こんなところに立ち止まっているよりも、早く僕の元においで。見つけてくれるのを待っているよ」
そう言い残し、彼はいつものように音もなく消えてしまった。
……言われた言葉が胸につかえて、なんだか気持ち悪い。
「あいつの目的は、なんなんだろうな」
「え?」
エルネストさんが今までいた場所を睨みながら、ラグが唸るように言った。
「お前には助けて欲しい、そう言ったんだよな」
「うん」
僕の本体を助けて欲しい。確かに彼はそう言っていた。
「そもそもあいつはなんで幽閉なんてされてんだ」
「さ、さぁ」
自分のことに必死で、エルネストさんの目的なんて考えたことがなかった。
いつまでたっても彼の謎は解けないままだ。きっと彼の元へたどり着くまで、その答えが明らかになることはないのだろう。
と、ラグが溜息を吐きながらルルデュールに視線を向けた。
緊張が走る。パケム島で止めを刺さなかったから、こうして彼はまた私たちの前に現れたのだ。
「仲間は来なかったな」
「そ、そうだね」
「歌が効いてりゃ、忘れてるんだよな?」
「うん、多分……」
「……なら、このまま転がしときゃいいな」
面倒そうなその声を聞いてほっとしていると、ラグがこちらを振り向いた。
視線が合って瞬時に先ほどのことが――その温もりが蘇る。
「戻るか」
「う、うん」
いつもと変わらないその低いトーンに私は視線を外すように深く頷いた。
(な、なんか、顏が見れない!)
だがそのとき視界にラグの足が入って、疑問に思うよりも早くひょいと身体を持ち上げられた。
「!?」
見上げればすぐそこにラグの横顔があって心臓が飛び上がる。
「跳ぶぞ。掴まってろ」
そして優しい声音が続く。
「すまない、少し力を貸してくれ。――風を此処に……!」
全身が風に包まれる。
瞬間、ルルデュールが起こした風の中を思い出しぎゅっとラグの服を掴む。
「大丈夫だ」
小さくそんな声が聞こえたかと思うと、私とラグは夜明け前のまだ暗い空へ飛び上った。
強い風の中ではあるけれど、息苦しくはない。
――そうだ。いつも、ラグの風の中は優しかった。
私は安心して身を任せる。
ふと見下ろせば、木々の合間にルルデュールの体が小さく見えた。
仲間は来なかった。ということは今回のことは本当にルルデュールが個人的にしたことなのだろうか。
どうか次に目を覚ました時には、ラグのこと、そして私のこともキレイさっぱり忘れていますように。――そう、願わずにはいられなかった。




