18.歌と笛
(この曲を吹いて呪いを……)
胸の奥が疼いた。
もう少しで何かに手が届きそうな、そんなもどかしさに胸元を握りしめる。
「なら、ただ単に吹くだけじゃ不完全ってことか?」
ラグの怪訝そうな声。
王子は難しい顔で楽譜を見つめている。
「不完全……じゃあそれで王様は」
「いや、あいつがああなったのは母さんを捨てたからだ」
そこはきっぱりと答える王子。
少し気まずく思いながらも私は訊く。
「王様は、楽譜のことを知っていたんでしょうか?」
「さぁ。あいつとこの呪いについて話したことなんて無いからな」
「そう、ですか……」
何かがわかりそうな気がしたのだけれど。
私はもう一度その楽譜を見下ろし、重ねて訊ねた。
「この書物っていつ頃書かれたものなんですか?」
「記述によると、今から約500年前だ」
「500年前……。ならその笛はもっと前からあるはずですよね。例の王女様の伝説も」
「あぁ。この王国が出来たのが一千年前とも二千年前とも言われているからな。その頃からあった可能性もある」
その古さに改めて驚く。
「おかしくないか?」
掠れた声に視線を向けると、アルさんがソファの背もたれを支えにゆっくりと起き上がろうとしていた。
「大丈夫なんですか?」
「ん。ちょっと身体が慣れてきたみたいだ」
慣れた、とは呪いにということだろうか。
それでも辛そうなのは変わりなくて見ていてハラハラする。
すぐそばにいるラグは手を貸そうともせずにただその様子を見ているだけだ。
なんとか背もたれに体重を預け座る格好になったアルさんはふぅと一息ついた。
「無理はするな」
王子も心配そうだ。
軽く笑みを浮かばせ大丈夫ですと言ったアルさんに、王子は訝しげに眉を寄せつつも訊く。
「……それで、何がおかしいんだ?」
「はい。今の話だと、少なくとも500年の間はずっと、この王家は続いてきたわけですよね」
頷く王子。
「そんなに長い間、王家の血は途絶えなかったんですよ」
「何が言いたい」
イラついたようなラグの声。
「や、今の王様の状態見てるとさ、こんなに長く続いているのがおかしく思えてな」
アルさんはゆっくりと続ける。
「殿下には申し訳ないですけど、これまでに今回のようなことが一度も無かったってのは逆におかしい気がするんですよ」
王子は真剣な表情でそれを聞いている。
「愛する人に笛を吹いてもらえなくなることなんて、他にも色々有りそうなもんじゃないですか。例えば、早くに先立たれてしまうとか」
(確かに……)
心の中で同意する。
「なんで今回に限ってってことか」
「はい。しかもその呪いは一子相伝のようですし、なんか引っかかるなと」
「…………」
考え込むようにして再び書物に視線を落とす王子。
私も再度そこに書かれた楽譜を見つめ、口を開いた。
「この他にもいくつかあるんですよね、楽譜」
「え? あぁ」
顔を上げ頷いた王子に私は言う。
「ひょっとしてその中に、そういう万が一のときに吹く曲もあるんじゃないでしょうか」
これは王家の呪いについて書かれた書物。
ということはそこに書かれた楽譜は皆、呪いに関する何らかの意味があるのではないか。
そしてそんな曲があればこうして長く王家が続いている理由にもなる。――そう思ったのだけれど。
「相手がいないのにどうやって吹いてもらうんだよ」
ラグからすぐにそんな呆れ声が飛んできて、あ、そっか……と肩を落とす。
「や、その可能性はあるかも」
そう続けてくれたのはアルさんだった。
「さっき殿下は、今はもうドナちゃんが吹かなければ身体に変化はないって言ってましたよね。それまでは自分で吹いても変身出来たと」
王子が頷く。
「なら、愛する人がなんらかの理由でいなくなってしまったとき、自分で吹いて呪いを抑える曲もあったりしませんかね」
「そっか……、そうですよ王子!」
私は興奮を覚えながら訊ねる。
「他にはどんな楽譜があるんですか? これは【愛を伝えるもの】でしたよね」
「あ、あぁ」
王子はすぐにページを捲り始めた。
その手が楽譜を見つけて止まる。
「これは、【心を静めるもの】と書いてある」
先ほどの曲より長く、でも音符は大分少ない。
(ヒーリング曲って感じかな)
再びページが捲られる。
「これは【踊りと共に】」
ということは、おそらく舞曲だろう。
「きっと当時はこの曲に合わせて踊っていたんですね」
「かもしれないな。……そして、これは【安息を祈るもの】とある」
(安息を……)
亡くなった人を悼む曲だ。
愛する人が亡くなってしまったときに、この曲を吹いていたのだろうか。
「――そして、最後にこれ」
なぜか声の調子を変え、王子が指さしたその楽譜は今までで一番長く複雑に思えた。
「これは?」
「【死を呼ぶもの】」
「!?」
バっと顔を上げる。
見たらだめだ。咄嗟にそう思った。
(そういえばラグがそんなことを言ってたっけ……)
そんな私に気付いたのだろう、王子はすぐにそのページを閉じてくれた。
「この書物にはこの5つだ」
「あ、ありがとうございます」
まだ胸がドキドキしている。
と、アルさんがうーんと唸った。
「それっぽいのは心を鎮めるってのと、安息を祈るってやつかな」
「ですね」
「でもまぁ、確かめようがないしなぁ……」
「ですよね……」
王様が寝ている今は確認しようがない。
小さな溜め息が重なった、そのとき。
「……他の書物にもその楽譜ってやつが出てくるって言ってたな」
ラグが王子に訊ねた。
(そういえば)
確かに王子は先ほどラグとの会話の中でそう言っていた。
「あぁ。これまでに何度か見たことがある」
「そんなにいくつもあんのか」
驚いた様子のアルさん。
(本当に。そんなにあるのに)
――なのに、王子は今の今まで楽譜を、曲を吹くということを知らなかった。
王様と呪いについて話したことがないと言っていた王子。だからかもしれないけれど。
「それまで探すとなると結構な手間になってくるぞ」
「ですよねぇ」
そんな王子とアルさんのやり取りを聞きながら、私はもう一度楽譜を見つめ頭を整理していた。
――500年前に書かれた楽譜。
その当時には吹かれていたと思われる曲。
なのに、王子は知らなかった。
王様も知らなかった可能性が高い。
なら一体いつから――。
(いつから……?)
そこまで考えて、気付く。
「歌と一緒だ」
「え?」
その呟きはあまりに小さくてすぐ隣にいる王子にも聞こえなかったみたいだ。
私は顔を上げ、もう一度王子に言った。
「歌と一緒なんです! 歌もいつからか不吉とされて、歌われなくなってしまったんです」
先ほどから届きそうで届かなかった何かを、漸く掴めた気がした。
――この世界に来てからずっと疑問に思っていた。
世界を破滅へと導く“銀のセイレーン”の伝説のせいで、不吉とされたという“歌”。
おかげでこの世界で出会った人たちは殆ど皆、歌を歌ったことも聞いたこともないようだった。
しかしセイレーンという歌を使う術士は存在していて、昔はその人たちが歌っていたのだという。
そんなセイレーン達もいつからか歌えなくなり普通の暮らしが出来なくなった。
ドナのおばあちゃん、ノービスさんもその一人。
彼女はドナ達と出会う前、山の中でひとりひっそりと暮らしながら歌っていたという。
そしてそんな彼女に育てられたドナ達だけは歌を知っていた。不吉なものとは思っていなかった。
なら一体いつからこの世界で歌は不吉とされ、歌われなくなってしまったのか。
「ずっと不思議だったんです。なんで歌われなくなってしまったのか……それがいつからなのか」
いつからか吹かれなくなった曲。
いつからか歌われなくなった歌。
――単なる偶然には思えなかった。
「それに私の歌も、ただ“ドーレーミー”と音階を声に出すだけじゃ何も起こらなくて、ちゃんと“歌”になっていないとセイレーンの力は出なかったんです」
フェルクレールトで子供たちに歌を教えたあの時、そのことに気付いたのだ。
「あー確かに共通点は多いな。その笛にも、カノンちゃんの歌にも呪いを解く力があるみたいだし」
「はい!」
私は同意してくれたアルさんに大きく頷く。
ついさっきまでラグに同じ物のように言われて嫌な気持ちになっていたけれど、そこが一番の共通点なのだ。
(この笛の謎が解ければ、歌のこともわかるかもしれない……!)
ぎゅっと拳を握りしめた。
「いつから、か……」
腕を組み唸った王子に私は勢い込んで訊く。
「あの、前の王様のことは何か知りませんか?」
前の王様、王子からするとお祖父さんにあたる人だ。
そうして辿って行けば、何かわかるかもしれないと思ったのだけれど。
「さぁ、先代の王は戦地で果てたと聞いてはいるが。勿論僕は会ったこともない。前王妃も僕がここに連れて来られる前に既に亡くなっていたからな」
「そう、ですか」
知らず力の入っていた肩を落とす。
「歴代の王の死因を調べることは可能だが、例え呪いのせいだったとしても公式には病とされていると思うぞ」
「ですよね……」
現に王様は病で伏せっていることになっている。
――ずっと秘密にされてきた王家の呪い。
やはりもう王子と王様しか知る者はいないのだ。
王子が知らないことは王様に訊くしかないけれど。
(やっぱり王様が起きてくれないと何もわからないってことか……)
と、その時アルさんが言いにくそうに口を開いた。
「でもよ、このままじゃ殿下も王様と同じ道を辿ることになっちまうかもしれねぇってことだよな」
はっとする。
確かに彼の愛するドナも笛を吹いてはいたけれど、ここに書かれたような曲は吹いていない。
ただ吹くだけでは呪いを抑える力が無いのだとしたら、彼女を愛してしまった今、王子の中で呪いは確実に進行していることになる。
しかし王子は全く動じる様子なく言い切った。
「僕は大丈夫だ。近いうちに必ずドナを王妃に迎えるからな」
その自信に改めて驚き、同時にふと思う。
(王様も、王子のお母さんを王妃に迎えるつもりだったのかな)
今朝街で出会ったあの美しい女性。
愛の証しにと彼女に笛を渡した王様。
でも彼女は王妃にはならなかった……。
ふぅと王子が短く息を吐いた。
「なんにしても、母さんにはこの曲を吹いてもらったほうが良さそうだな。母さんが来たら頼むぞ、カノン」
「え?」
「楽譜のことで頼れるのはお前だけなんだからな」
私は目を見開く。
そうだ。彼のお母さんはこれから初めて笛で曲を演奏することになる。
短い曲だけれどどうしたって練習は必要になるし、教える者も必要になる。
それが出来るのは今ここに私しかいないのだ。
私は緊張を覚えながらも、「はい!」 と大きく返事した。




