7.セリーン
男は一瞬怯みかけたが、自分に向けられたいくつもの視線に気付いたようだ。
「見てんじゃねぇ!」
八つ当たりとしか言いようが無いセリフを吐いてから、目の前の彼女に視線を戻す。
「いい気になってんじゃねーぞこらぁ! その綺麗な肌に傷つけられてーか!?」
あろうことかその男は腰から剣を引き抜いて彼女にその切っ先を向けた。
(ちょっ……!)
思わず声を上げそうになる。
遠巻きに見ていた町の人々からも非難めいたざわめきが起こった。
だが剣を向けられた当の彼女は眉一つ動かさない。
その鋭い視線に、やはり男の方が迫力負けしているように見えた。――と、
「やめておけ。お前が敵う相手じゃねぇぞ」
彼女の後ろからのっそりと現れたのは昨夜の店主だ。
しかし額にびっしりと脂汗を浮かばせた男はその顏を真っ赤にして叫んだ。
「こっ、このまま引き下がれるかあぁ!!」
そのまま剣を振りかざし彼女に向かっていく。
上がる悲鳴。
だが勝負はあっさりと決まる。――男の鼻面スレスレに彼女の剣先があった。
男は顔面蒼白、微動だに出来ずにいる。
すぐ真横で見ていた私でさえ彼女がいつ剣を抜いたのかわからなかった。
「だから言っただろ。この姉ちゃんは歴戦の1stだ。3rdになりたてのお前が敵うわけねぇだろーが」
呆れたように言う店主の前で、男は武器を落としヘナヘナと力なく座り込んでしまった。
結局男は彼女に傷一つどころか触れも出来なかったのだ。
ぱちぱち……と、どこからともなく上がる拍手。
「いいぞーネェちゃん!」
「かっこいい~!!」
静かだった朝の町が俄かに盛り上がりを見せた。
そんな中男は小さくなりながらそそくさと立ち去っていく。
私も一緒になって拍手をしていると、剣を収めた彼女と目が合ってしまった。
思わずドキリとする。
すると彼女は少しだけ口の端を上げすぐに踵を返した。
店主の脇を抜け店内に戻っていく彼女を見送りながら、
(今、笑ってくれたんだよね)
なんだか嬉しくなった私はそのままの勢いでラグに言う。
「ラグ! 今の女の人に決定だね!!」
「あ? あぁ……他にいなかったらな。ったく、余計な時間食っちまったな」
ラグは面白くなさそうに言って、改めて店の扉を押した。
「おう、昨日の」
私達を見てすぐに店主が声をかけてきた。
店内の椅子には昨日と同じように数人の男達が腰を下ろしていた。
皆、私達の前を行く赤毛の彼女に注目している。ある者は好奇の目、ある者は畏怖の目で。
「運が良かったな。彼女が1stだ。実力は……まぁ今見たとおりだ」
と、椅子に座ろうとしていた彼女が気づいたようにこちらを振り向き、その視線が私、ラグの順に移動する。
だが、ラグはその視線をついとかわして店主に言った。
「他に1stは?」
その言葉に私は慌てる。
まさか本人を目の前にして本当に訊くとは思わなかった。
店主も怪訝そうに眉を寄せる。
「なんだ、不満なのか? 彼女はあの魔導大戦の最中生き残ったほどだぞ」
聴いた瞬間、ラグの肩がぴくりと動いた気がした。
(魔導大戦……?)
耳慣れない単語にきょとんとしていると、椅子に腰を下ろしながら彼女が不機嫌そうに言った。
「こちらにも選ぶ権利がある」
ラグがそんな彼女を睨むようにして見下ろす。
一気に雲行きの怪しくなった店内にハラハラする。
(ラグのバカー!! 誰だって怒るって! 折角いい人が見つかったと思ったのにぃ……)
彼と一緒にいると昨日からこんなことばかりだ。
絶望的な想いですでに火花を散らす勢いの二人を見守っていると、彼女が腕を組み冷たく続けた。
「男のくせに恋人一人も守れないのか。情けない」
「あ?」
「へ?」
ラグと私の声がハモる。
「私は女子供以外護る気はないと言ったはずだぞ、主人」
「ち、違います! 恋人とかじゃ全然なくって……!」
気付けば彼女に声を掛けてしまっていた。
その瞳がまっすぐに私を捕らえて一気に心拍数が上がる。顔が真っ赤になっているのが自分でわかる。
(でも、ここのままじゃ……)
私はぎゅっと拳を握り、必死な思いで頭を下げた。
「お願いします! 私達をルバートまで護衛してください!」
静まり返った店内に私の声が反響する。
視線が痛くて、どうしようもなく恥ずかしくて顔を上げられないでいると、彼女の小さな溜息が聞こえた。
「わかった。引き受けよう」
「ホントですか!?」
「ただ、私は大の男を護る気はない。お前だけ護衛する。それでいいか?」
言われて私は恐る恐るラグを見上げる。
目が合うとラグは瞬間顔を引きつらせてから諦めたように大きく溜息を吐いた。
「金を払うのはオレなんだが……まぁ、オレも女に護られる気はないしな」
どうにか承諾してくれたらしいラグにホっとする。
「よろしくお願いします! えっと、私、華音と言います」
「私はセリーンだ。ルバートまで全力でカノンを護衛しよう」
そうして、私達は3人でセデの町を出発した。
セデの町を出てどのくらい歩いただろうか。
陽はすでに頭上にあり気温も随分と上がってきていた。
高い木がなくなり、今道の両側にはどこまでも続く草原が広がっている。
日本ではあまり見られないその壮観な光景に思わず走り出したい衝動に駆られたりしたが、それは初めだけ。今はどこまでも続く同じ風景のせいで自分が全く進んでいないような感覚に襲われ半ばうんざりしていた。
こうもつまらないと、つい癖で鼻歌を歌ってしまいそうになる。だがセリーンさんの手前それはできない……。
この道はルバートまで続いているらしい。
人通りは少なく、随分前に行商人らしきおじさんとその後ろについた傭兵の男とすれ違ったが、今の時点で人を見かけたのはその二人だけだった。
平坦な道が続き身体的には昨日に比べると大分楽だったが、その分他のことに気が回り過ぎて精神的に辛かった。
(会話がないよ~)
先頭にラグ、背後にはセリーンさんがいる状況で、私はさっきからずっと妙な使命感にかられていた。
第一印象が最悪なせいもありこの二人はセデを出てから一切喋ろうとしない。
聞こえる音といえば3人分の足音と風に波打つ草の音くらい。
つい先日まで音や声の途切れることのない生活を送っていた私には耐えられなかった。
(何か喋らなくっちゃ……!)
「セリーンさん!」
思い切って後ろを振り返り声を掛けてみる。
「セリーンでいい」
「え? そ、そうですか? ……じゃ、じゃぁ、セリーンは、いつから傭兵をやってるんですか?」
「登録したのは14の時だ」
真顔だがそれでも目を見て答えてくれた彼女に嬉しくなって私は更に続ける。
「14!? すごい、中2の頃から!?」
「ちゅうに? なんだ、それは?」
「あ、や、私の地元の言葉で……小さいって意味で、あははは! じゃあセリーンって子供のころから強かったんですね!」
「いや、その頃は失敗ばかりだったさ。死にかけたことも何度かある」
「はぁ~、大変だったんですね。……そ、そういえば、魔導大戦、でしたっけ? 生き残ったって、そんなにすごい戦いだったんですか?」
その時初めて彼女の顔が変化した。目を大きくし、驚いているみたいだ。
「知らないのか?」
「え? あ、その……」
焦る。どうやらこの世界での常識だったみたいだ。
その時ラグの舌打ちが聞こえた気がした。
「こいつはド田舎の出身でな、相当な世間知らずなんだ。お前も恥かくだけなんだからもう黙ってろ」
その言い草に少し腹は立ったが、本当に余計なことは言わないほうがいいかもしれない。――と、
「あの戦いは……酷かったな」
セリーンがぽつりと呟くように言った。
「知らないのなら、その方がいい。私は生き残ったと言っても、ただ運が良かっただけだ」
……どちらにしても訊いてはいけなかった事だったのかもしれない。
彼女のその寂しげな声音を聞いて、そう思った。
それから私はラグの言うとおりにただ黙々と歩き続けた。
風景は相変わらず平和そのもので、本当に傭兵を雇う意味があるのかと疑問に思い始めた頃、そいつらは現れた。
ラグの足が止まった。
ぼけっと風景を眺めていた私はそのことに気付けず彼の背中に思い切りぶつかってしまった。
「っとと、ラグ?」
「仕事だ、傭兵さん」
「わかっている」
ラグに言われてセリーンが私を庇うように前に進み出た。
「え?」
二人が喋ったことにも驚いたが、草原の中から突然そいつらが姿を現し更に驚く。
私達の行く先を阻むように立ちはだかったのは総勢5人の男達。
皆長剣やナイフを手にし、私でも“ならず者”だと一発でわかる格好をしていた。
武器屋にいた傭兵の男達と似た雰囲気はあるが、こちらの方が下品に見えるのはその下卑た笑いのせいだろうか。
「男一人に女が二人……運が悪かったな。金目のもん全部置いていけば命は助けてやるぜ」
中心に立つひょろ長い顔をした30代半ばほどの男が偉そうに言う。
……どうやら、所謂「野盗」というやつらしい。
でも私はそうとわかっても別段怖いとは思わなかった。
得体の知れない昨日のようなモンスターの方がよっぽど恐ろしい。
それに、前にいる二人がいれば大丈夫な気がしたのだ。
「断る」
「なんだと!?」
セリーンの一言に男の顔から笑みが消える。
そして彼女の全身を見回した後、今度は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「お前は傭兵か? ふん、よほど自信があるようだな。だが俺たちはそんじょそこらの賊とは違うぜ。なんたって俺様はあのストレッタ出身の魔導術士なんだからな!」
どうだ! と言わんばかりに胸と声を張り上げる男。
途端それまでつまらなそうにしていたラグが視線を上げた。
セリーンの表情もより真剣なものへと変わり、背中の長剣がすらりと引き抜かれる。
それを見た男の取巻きたちが各々の武器を構えた。
(この国って術士は珍しいんじゃなかったの!?)
一気に張り詰めた雰囲気のせいか、それともこれが殺気というものなのか、身体に震えが走る。
「なんだ!? それでもやろうってのか、馬鹿な奴らめ!」
男はバっと両手を空に掲げた。
即座にセリーンが動くが取り巻き達がその前に立ちはだかり剣同士がぶつかる甲高い音が響いた。
その間に男が空に向かって叫ぶ。
「俺様に力を貸しやがれ! ……風を此処に!!」
衝撃に備え体を硬くし目を瞑る。
――だが、5秒が過ぎ、10秒が過ぎても何も起こらない。
(…………?)
恐る恐る目を開けると、皆の目がラグの顔に集中していた。
セリーンも剣を構えたまま眉を顰めラグを見つめている。
一体彼に何が起こったのかと私はその顔を覗いてみた。
すると、彼の頬に紙で切ったような一筋の赤い傷が出来ていた。
(あれ? なんか、もっとすごいのかと思った……)
どうも拍子抜けしたような気分でいると、男は得意げに馬鹿笑いを始めた。
「はーっははは! どうだ俺様の力、驚いたか!?」
周りの男達もそれに習うように一斉に笑い出す。
「これでわかっただろう! さぁ! 金目のもんを置いてさっさと――」
と、男の言葉を遮るように大きな舌打ちが聞こえた。
傷の出来た頬を拭いながらラグがゆっくりと口を開く。
「この程度で……ストレッタの名を口にするんじゃねー!!」
その怒声に男達は明らかに怯んだ素振りを見せた。
「セリーン、怪我したくなかったら後ろに回れ」
早口でラグは言う。セリーンは怪訝な顔のまま言われたとおり私の傍らに下がった。
「な、なんだテメェ! もっと痛い目に合いてぇのか!?」
男が赤い顔でまたしても両手を振り上げる。同時にラグも右手を上げた。
「もう一度俺様に力を貸しやがれ!」
「すまない、少し力を貸してくれ……」
『風を此処に!!』
二人の声が見事にハモる。
瞬間、ゴォっという風音が聞こえたかと思うと目の前から忽然と男達の姿が消え失せた。
驚いて辺りを見回すと、草原のはるか彼方に点々と人間のようなものが飛んでいるのが見えた……ような気がした。
どうやら、ラグの起こした風によって男達は揃って吹き飛ばされたらしい。
そして私とセリーンの前にぽつりと残ったのは、一人の少年だった。
「傭兵を雇えた場合、オレが術士だってことは秘密にしろよ」
そう自分で言っていたラグ。
それなのにセリーンの前で術を使ってしまった上、少年の姿に変わるところまで見られてしまった。
よほどあの賊の魔導術士に腹が立ったのだろうけれど……。
やはり気まずいのかラグはこちらを振り向こうとしない。
何も言わないセリーンの方を見ると、予想通り彼女は呆けたように小さくなった彼の背中を見つめていた。
「あ、あの……セリーン? あのね、ラグはね」
「カノン!」
制止され私は口を噤む。
「オレが説明するから……」
溜息ひとつして、ラグがゆっくりとこちらを振り返る。
自分の失態への羞恥のためか、その頬は少し赤い。
流石に視線は合わさずにラグは口を開いた。
「見たとおり、オレは術士だ。だが今はこういう厄介な体でな。こうなると、しばらく術が使えない。このままそいつの護衛をしてくれたら助かるが……嫌なら、今すぐ帰ってもらって構わ」
その時、私の横を突風のように何かが通り過ぎていった。
それがセリーンだとわかると同時、
「ぎゃああぁぁ~~!!!」
ラグの叫び声が辺りに響いた。
(へ?)
その光景に私は目を点にした。
セリーンが、ラグの小さな身体を全身で強く抱き締めていた。
しかもそんな彼女の顔はまさに至福といった表情。
先ほどまでのクールでカッコいい彼女とはまるで別人で、私はただただ呆気にとられてしまった。
「可愛い! 可愛すぎるぞっ!!」
「く、苦し……は、離せぇえええ~!!」
ラグの顔は面白いくらいに真っ赤に染まっている。
それはきっと力を入れているせいだけではない。
彼の顔は今、彼女の豊満な胸の間に見事に埋まっている状態だった。
「ぶはっ! ……な、なんなんだアンタは!?」
漸く彼女の腕(胸?)から脱出できたラグは、即様彼女から距離を取って叫んだ。
その顔はまだ真っ赤だ。
「あぁ……」
セリーンはさも残念そうに今まで彼を抱き締めていた腕をがっくりと落とす。
「あぁ、じゃねぇ!! ふざけるな! へ、変態かアンタ!?」
「変態とは失礼な……」
言いながらゆっくり立ち上がるセリーン。
「可愛いものを愛でて何が悪い」
「かわ……っ」
顔を引きつらせて絶句するラグ。
(確かに可愛いけど……)
私も心の中でこっそり同意する。声に出しては絶対に言えないけれど。
なんだか徐々に笑いが込み上げてきて、私は唇を引き締めるのに必死になっていた。
「か、解雇だ解雇!! 即行セデに帰りやがれ!!」
びしっとセデの方角を指さし怒鳴るラグ。
だがセリーンは何食わぬ顔で答える。
「嫌だ」
「な……っ」
「カノン!」
「は、はい?」
急にこちらを振り向いたセリーンに私の声はひっくり返る。
「お前はルバートまで護衛しろと言ったな。そこから海を渡るのか?」
「え、えと、そのつもりです、が……」
なんとなく声を小さくして言う。
「そうか、それは好都合だ。私も丁度、そろそろこの国を出ようと考えていた」
セリーンがふっと唇の端を上げ再びラグに向き直った。
「決めたぞ! ルバートまでとは言わず、どこまでもお前たちについて行ってやろう」
満面の笑みで言うセリーンに、ラグの身体がわなわなと震える。
「ふっ……ふざけんなー!!」
少年の怒声が風に乗りどこまでも響き渡った。