15.自責
困惑の色を濃くした王子の瞳をまっすぐに見返して、私は続ける。
「だから、お母さんの居場所を教えてください」
彼のお母さんが笛を吹いて王様の呪いが解けるのなら、それが一番だ。
そうすれば王子も傷付かずに済むし、アルさんの呪いも解けるはず。
何も敵地に乗り込むわけじゃない。ただ王子のお母さんの元へ行き、ここに連れてくるだけだ。
離れている場所ならばもう少しだけビアンカを頼ることになってしまうけれど、事情を話せばきっと彼女なら行ってくれるはずだ。
「勿論アルさんと王様の命最優先で、私がいつまでも戻らないときには王妃様に笛を」
「アホかてめぇは!」
ラグの怒声が部屋に響く。
「余計なことをするなと言ってるんだ!」
「ラグは黙ってて! 私は今王子と話をしてるの」
私は王子から視線を逸らさずに言い返す。
ラグから文句が出ることは予想していたし、それでも今はこれしか思いつかなかった。
動揺を隠せずにいる王子に、私は表情を和らげ言う。
「正直、私はここに居てもすることが無いですし、教えてもらえたらすぐにでも」
「なんでわからねぇんだ」
低く掠れた声が重なった。
「ただ大人しくしてろってのが、何で出来ねぇんだ!」
再びの怒声に、ぐっと奥歯を噛みしめる。
“余計なことをするな”
“大人しくしていろ”
今までに何度も聞いたセリフだ。
でも今はどちらも聞きたくなくて。
「無くなったら、困るもんね」
気が付けば、そんな言葉が口を衝いていた。
「今のところは必要なモノだから……」
言いながら王子の手の中にある笛に視線を落とす。
最初から、初めて出逢ったときから、彼にとって私はこの笛と同じ存在で。
だから彼にとっては今更なことなんだろうけれど。――でも、言わずにはいられなかった。
私は勢い良く振り向き、強く彼を睨み上げた。
「ラグにとっては道具でも、私は自分がしたいと思ったことをしたいの! だから黙ってて!」
「お前を道具と思ったことなんて一度もねぇ!!」
一際大きく響いたその声に、私は目を見開く。
私を真っ直ぐに見下ろす彼の青い瞳が、なぜか酷く傷ついているように見えた。
「いちいち離れていこうとしやがって、道具だったらこんなに……っ」
そこで急に彼は我に返ったように瞳を大きくした。その中には同じように驚いた顔の私が映っていて――。
「こんなに、なんだ?」
妙に冷静なセリーンの問いかけに、ぱっとその視線は外された。
「う、うるせぇ! とにかく、お前は何もせずここにいればいいんだ。わかったな!」
そっぽを向いてしまった彼の耳が赤くなっているのを見て、今の彼の言葉が本心だとわかる。
(道具じゃない?)
と、セリーンが短く息を吐いた。
「カノンが動けないというなら、私が行っても良いが」
ハっとして彼女を見る。
「寧ろ、この国を知る私の方が適任だろう」
「セリーン」
「無駄だ」
私の言葉に被るようにツェリウス王子が低く言った。
「母さんを連れて来ても城の中に入れるわけがない」
それは先ほどラグも言っていたことだ。
「で、でも、私たちだってこうして入れたわけですし、変装とかして」
「それに、母さんが今どこにいるのか僕にもわからない」
「え?」
王子はゆっくりと窓の外に視線を移した。
「母さんは旅の踊り子だ。僕も小さな頃は母さん達と国中を転々としていた」
「旅の?」
「あぁ。だから、母さんを見つけるのはほぼ不可能だ」
セリーンと共に落胆の息を吐く。
それでは確かにどうしようもない。
「ありがとう」
「え?」
ふいに聞こえたお礼の言葉に顔を上げると、王子がこちらを見て微笑んでいた。
「流石はドナの友人だな。まさか母さんを連れてくるなんて言い出すとは思わなかった」
――王子?
無理に笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
「色々とすまなかった。いい加減駄々をこねるのはやめにしよう。この笛はこれから王妃に渡しに行く」
「! ……いいんですか?」
「あぁ」
王子はしっかりと頷いてくれた。
これで王様も、そしてアルさんも治るのだ。
それなのに、なんだか素直に喜べない。
(本当に、これでいいの……?)
と、王子はこちらに背を向け不自然なくらいの明るさで言った。
「まぁ出来ることなら、お前たちにも母さんの踊りを見せたかったけれどな。楽器の音に合わせて踊る母さんは本当に綺麗なんだ」
――楽器。
胸の奥が微かに疼いた気がした。
「お前たちは知らないと思うが、ウエウエティルという楽器の音がまた良くってな」
「ウエウエティル!?」
思わず大きな声が出ていた。
王子が驚いたようにこちらを振り向く。
「知っているのか?」
私は口を魚のようにぱくぱくとしてから、自分を落ち着かせるように深呼吸ひとつして言った。
「もしかしたらお母さん、すぐそこに来てるかもしれません!」
「どういうことだ」
王子の顔から笑みが消えた。
「朝、街に下りた時にいたんです。踊り子の綺麗な女の人と、ウエウエティルを叩く男の人と、あともう一人マラカスを持った男の人!」
身振り手振りを交えながら話す私の横でセリーンが続ける。
「確かにいたが、しかしこの国で旅の踊り子はさほど珍しくないんじゃないか?」
「そ、そうなんですか?」
急に自信が無くなって王子を見る。しかし彼は再び窓の外を食い入るように見ていた。
「母さんだ」
「え?」
「間違いない。だってウエウエティルは仲間のフーガラが作った楽器なんだ」
私はセリーンと顔を見合わせた。
フーガラとはウエウエティルを相棒と話していたあの陽気な男の人だろうか。そして、
“今日は何度かここで踊るからね、その時にはちゃんと見ておくれよ”
そう言ってウインクしてくれたあの妖艶な美女が、彼の――。
「母さんが、街にいる」
小さく言ったかと思うと王子は扉へと足を向けた。
「王子!?」
しまった!
何年も会っていないお母さんが近くにいると聞いて、彼が落ち着いていられるわけがない。
私は慌てて追いかけどうにか扉の前に立ちはだかることが出来た。
「退いてくれ」
「だ、ダメです。王子が街に降りたりしたら大変なことになっちゃいますよ!」
「早くしないと街を出てしまうじゃないか!」
必死の形相の王子をどう説得しようか頭を廻らせていると、彼の背後にセリーンが立った。
「確か、今日は何度かあの場で踊ると言っていなかったか?」
「言ってた! そう言ってましたから王子、そんなに慌てなくて大丈夫です」
「もうすぐ陽が沈む。時間がない、早くそこを退くんだ!」
「私が行こう」
そう言ったのはやはりセリーン。しかし王子はそんな彼女をきっと睨み上げた。
「行ったところでここに連れては来られないと言っているだろう! 母さんと会うには僕が行くしか」
「例の隠し通路は使えないのか?」
セリーンの潜めた声に王子はぴたっと口を止めた。
「そっか! 王子、その通路を使えばこっそりお母さんを連れてくることも出来るんじゃないですか!?」
私も続けて捲し立てると、王子は考え込むようにして視線を落とした。
――当初使うはずだった森の中の小屋。
あそこからならきっと、誰にも気付かれずに宮殿に出入りができるはずだ。そのための隠し通路なのだろうから。
「……母さんは、来てくれるだろうか」
そんな弱気なことを口にした彼に私ははっきりと断言する。
「来てくれるに決まってるじゃないですか! 王子と王様のことが気になってなければ、今こんな近くに来たりしませんよ!」
そうだ。王様が病に伏し、王子が派閥争いで大変な“今”だからこそ、きっとお母さんはすぐそこの街を訪れたのだ。
すると王子は決心したのかぐっと拳を握りもう一度セリーンを見上げた。今度は真摯な眼差しで。
「頼む。母さんを、連れて来て欲しい」
セリーンは優しく、そして力強く頷いた。
「セリーンごめんね、私が言い出したことなのに……」
王子がクラヴィスさんを部屋に入れ事情を話している傍ら、私はそうセリーンに声を掛けた。
彼女は柔らかく微笑むと私の頭に手を置いた。
「言っただろう、私の方が適任だと。それにお前が行くとなると、その男もついていくと言い出しかねない」
視線の先はラグ。
彼はソファに横たわるアルさんの様子をじっと見下ろしている。
ここからその表情は見えないが、やはりアルさんのことが心配なのだろう。
「今王子を守れるのはその男だけだからな」
そう続けた後セリーンはアルさんにも短く視線を送り、再び私に向き直った。
「大丈夫だ。すぐに母君を連れて戻ってくる」
「うん……気を付けてね」
セリーンが頷くと同時、王子とクラヴィスさんの話も終わったようだ。
クラヴィスさんは渋々という顔だったけれど、反対する様子は無かった。
(きっと私たち以上に、王子のお母さんへの想いを知ってるはずだもんね)
と、ツェリウス王子がこちらを振り返った。
「入口まで案内する。すまないがお前も共に来てくれ」
王子の視線を追っていくと、ラグが不意を突かれたように顔を上げた。
「そこもこれが鍵になっている。だから僕が行かないとならないんだ」
王子の手には笛が握られていた。
セリーンの言う通り、アルさんが動けない今王子の護衛はラグしかいない。
ラグもそのことをわかっているのだろう、すぐにこちらに足を向けた。
すれ違いざま、彼は睨むような目つきで私を見下ろした。
「この部屋から一歩も動くなよ」
「う、うん」
私がまだ気まずいながらも頷くと彼はアルさんの方に目を向けた。
「あいつがまた落ちないように、しっかり見張ってろ」
「! うん」
私は頷いて、部屋を出ていく彼らを見送った。
扉が閉まると部屋の中は途端に静かになった。
小さく息を吐いて、私はすぐさまアルさんの元へ駆け寄った。
見下ろしたその顔色はやはり悪く、目も閉じられていて一気に不安になる。
「アルさん!?」
「ん、大丈夫。起きてるよ」
すぐに返ってきた声にほっとする。
でもやっぱりその声音にいつもの元気は無い。
「なんかやたら眩しくてさ、目開けてらんないんだ」
(眩しい?)
窓の外を見るがもう夕闇が近く、空はまだうっすらとオレンジ掛かってはいるものの、眩しいと感じるほどではない。
でもすぐに王様の部屋が真っ暗だったことを思い出す。
「もしかして、それも呪いの……?」
「かもしれないな。ごめん、カーテン閉めてもらっていい?」
「あ、はい!」
私は慌てて大きな窓へ走った。
厚手のカーテンを閉めると、部屋の中はほとんど真っ暗になった。
足元に気を付けながらソファへ戻る。
「どうですか?」
「ありがと。うん、かなり楽だ」
言ってアルさんは薄目を開け、弱々しく笑った。
そんないつもとは別人のような彼を見て、ぎゅっと喉の奥が苦しくなる。
「……ごめんなさい。アルさん」
「ん?」
私は彼の前に座り込む。
「あのまま王子が王妃様に笛を渡していたら、もっと早く治ったかもしれないのに……」
私が王子にお母さんが街にいるかもと言い出さなければ、彼はもっと早くにその苦しみから解放されていたのだ。
私が彼の苦しみを引き延ばしてしまった。
なのにアルさんはゆっくりと首を振った。
「ううん。俺も殿下にはすっきりして欲しいしさ。それに、王妃様が笛を吹いても呪いが解けるとは限らない」
「そう、ですけど……」
「寧ろごめんな、カノンちゃん」
「え?」
なぜ謝られたのかわからなくて目を瞬く。
こちらを見る彼の瞳はとても優しい。
「あいつのこと、許してやってくれな」
あいつとはラグのことだとすぐにわかった。
先ほどの私たちのやりとりを聞いてのことだろう。
「あ、あれは、私もついあんなこと……」
思い返すと、怒り任せになんて場違いなことを言ってしまったのだろう。
穴があったら入りたい気分でいると、そんな私を見てアルさんは微笑んだ。
「あいつ、多分今すっげーいっぱいいっぱいなんだと思うんだ」
「いっぱいいっぱい、ですか?」
「うん」
アルさんは天井を見上げ、頷いた。
「元々素直な奴でさ、今が無理しすぎなんだよ」
「素直……ラグがですか?」
思わず訊き返すと、アルさんはハハと苦笑した。
「今のあいつ見てたら考えらんないよな。でもホント、素直で優しくてさ、とにかく可愛い奴だったんだ」
昔は可愛かったのにと彼が度々口にする言葉。
あれは冗談などではなく、事実だったということだろうか。
呪いで小さくなった彼の姿を思い浮かべてみても、素直で可愛いらしい彼はやはり想像できなかった。
「俺のせいなんだ」
「え?」
ぽつりと小さく呟かれた台詞は、初め聞き間違えかと思った。
でも彼はそのまま続けた。
「俺が、あいつをあんなふうにしちまったんだ」
その顔は悲しみと自責の念に満ちていた。




