14.複雑な思い
廊下を必死に走る私をすれ違った人たちが皆ぎょっとした顔で見てくる。
でも止まれなかった。
早くしないと、あのままアルさんが目を覚まさない気がして怖かった。
中央階段を下りて中庭の見える回廊に出た。書庫はもうすぐだ。
(えっと、確かここを右だよね!)
そう胸中で確認して回廊を曲がり、
ドン!
「!?」
誰かと思い切りぶつかってしまった。
「――す、すいません!」
数歩下がって顔を上げぎくりとする。
そこにいたのは円筒形の帽子を被った、あの宰相プラーヌスだった。
(なんでよりによって……!)
彼も驚いた様子で私を見下ろしている。
「貴女は、確かデイヴィス先生の。そんなに急いでどうされましたか?」
「い、いえ。ちょっと先生に頼まれて、書庫まで」
そちらの方向を指差し、相当引きつっているだろう笑顔で答える。
……アルさんが倒れたことは言わないほうが良いだろう。
「そうでしたか」
それでも温厚そうな笑みが返ってきてほっとする。
早くこの場を去りたかったが、彼が再び口を開いた。
「それにしてもデイヴィス先生は素晴らしいですな。早速急変した陛下を救ってくださったと聞きましたぞ」
「は、はい。お役に立てて良かったです」
今はその先生が大変な状況なのだけれど……そう思いつつなんとかそれだけ答える。
救った方法を聞かれはしないかと気が気ではなかった。
「先生がいてくださって本当に良かった。わたくしめが用意した医師はどれも全く役に立ちませんでしたからな」
苦笑しながら言うプラーヌス。
こちらを立ててくれているのかもしれないが、そんな言い方をされて先ほど帰って行ったお医者さんたちがなんだか可哀想に思えた。
私が曖昧に笑っていると、彼は笑顔で続けた。
「これもツェリウス殿下が先生方をお連れくださったお蔭」
そこで王子の名が出てどきりとする。
「本来でしたら先生方もお招きして殿下帰還の宴を開きたいところなのですが、陛下がまだあの状態ですからな……。誠に申し訳ない」
「いえ、そんな!」
いきなり謝罪されて慌てる。
……しかしそんな状況、考えただけでも胃がおかしくなりそうだ。
「デイヴィス先生にもそうお伝え願えますかな」
「はい、伝えます。そ、それでは、すみません、失礼します!」
私は頭を下げ、逃げるようにして彼の横をすり抜けた。
――終始穏やかな笑みを浮かべていたが、やはり何とも言えない威圧感のある人だ。
(王子暗殺のことを知っているからかもしれないけど……)
なんだかいつまでも見られている気がして、後ろを振り返れなかった。
そのままもう一度回廊を曲がり、書庫の入口、そしてその前に立つクラヴィスさんの姿が見えた。
「カノンさん。どうしました?」
一人駆けてきた私を不思議そうに見るクラヴィスさん。
その顔を見て、少しほっとする。
「クラヴィスさん! あの、ラグまだ中ですよね」
「はい。あれから出てきていませんよ?」
「あの、実は……」
小声で事情を話すと、彼は目を見開いた。
「それは本当ですか。どうぞ中へ」
そう言って彼はすぐに扉を開けてくれた。
私は再び塔の中に入り、螺旋階段の中心まで進んで天を見上げる。
背後で扉が閉まるのを確認して、私はお腹にいっぱいの息を吸った。そして。
「ラグーー!!」
その声は塔の中に大きく反響した。
螺旋階段を上っている時間が勿体なくてこうしたけれど、彼はすぐにあの書庫から出てきてくれるだろうか。
緊張を覚えながら吸い込まれそうな螺旋の中心を見上げていると、少し間をあけて人影がこちらに身を乗り出すのがわかった。
――出てきてくれた!
私は再び両手でメガホンを作り、声を張り上げた。
「アルさんが大変なの! お願い、一緒に来て!」
するとすぐにその人影は引っ込み、続いて階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきた。
ほっと安堵して、でもその近づいてくる足音に次第に落ち着かなくなってくる。
先ほどの彼の言葉と自分の怒声とが繰り返し耳の奥に響いて、気が付けば爪の跡が出来るほどに強く拳を握りしめていた。
(……やっぱり、普通に話せる自信、ない)
二人にならなければ良いのだと、クラヴィスさんのいる扉の方に足を向けたときだ。
「あいつがどうしたって?」
「!?」
予想外に早く背後で聞こえたその声に心臓が飛び出るかと思った。
「――あ、あのね」
振り返りながらもやっぱり顔が見れなくて、でもそんな場合じゃないと思い切って顔を上げる。
「アルさんが急に倒れちゃって、額に王家の紋様が……。多分王様を治したのが原因だと思うんだけど、セリーンが笛を吹いても目を開けてくれなくて」
そこまで一気にまくし立てる。
数時間ぶりに見る彼の眉間にはいつも以上に皴が寄っていた。
きっと、ずっと難しい顔で本を読んでいたのだろう。
「……わかった」
その答えに胸を撫で下ろし、私はすぐさま彼から視線を外し扉に向かった。
早く、アルさんの元へ戻らなければ。
「お前、一人でここまで来たのか? セリーンの奴は」
「セリーンはアルさんを看てくれてるよ」
扉に手を掛け答える。
と、すぐ後ろで舌打ちが聞こえた。
「お前は、ここが敵だらけだってわかってんのか」
その、また責めるような言い方にむっとして、扉を見つめたまま言い返す。
「わかってるよ、でも仕方ないでしょ。王子を一人にするわけにいかないし」
「わかってねぇ!」
その怒鳴り声にびくりと全身が強張る。
そんな私に気付いたのか彼はバツが悪そうに息をついて、もう一度小さく繰り返した。
「お前は、なんにもわかってねぇ……」
(ラグ……?)
珍しく弱々しいその声音に振り返ろうとして、手を掛けていた扉が向こうから開いた。
「あの、大丈夫ですか?」
クラヴィスさんが心配そうに顔を覗かせた。
「連れてきたよ!」
王子の部屋の扉を開け放つと中の二人はいくらか表情を和らげた。
私はラグを先に通しクラヴィスさんを振り返る。しかし彼はここで、と中には入らず扉を閉めてしまった。――見張りをしてくれるということだろう。
(誰かに今のアルさんを見られたら大変だもんね)
頬を伝う汗を拭って私はラグの後を追う。
「アルさん、どう?」
「あのままだ。笛も何度か吹いてみたが……」
首を横に振るセリーン。
アルさんは床の上ではなくソファに寝かされていた。二人が移動させたのだろう。
ラグはアルさんの傍らに膝を着き、その額を見て顔を顰めた。
「王の間に駆け付けたとき、王の額には角が生えていた。それをこの男が術で消したんだ」
セリーンがあの場にいなかったラグにそう説明し、私も後を続ける。
「でもその後からアルさん調子悪そうにしてて、気にはなってたんだけど……」
と、ラグは私たちにではなく、王子に視線を向けた。
「持ち出していいもんかわからなかったが」
「え? あぁ、構わない」
王子はラグが懐から取り出した書物を受け取るとすぐに頁を捲り始めた。例の王家の呪いについて書かれた書物のようだ。
先ほど王子はこんな事態はどこにも書かれていなかった、そう言っていたけれど――。
「やっぱり、無理に抑え込もうとしたのがいけなかったのかな」
そうセリーンを見上げたときだ。
パンっ!
唐突に上がったそんな音に驚いて視線を戻す。
ラグが、なぜか手を上げていた。
――え?
その手がアルさんに向かって振り下ろされ、パンっともう一度同じ音が鳴り響いたところで私は大慌てで声を上げた。
「な、何してんの!?」
先ほどまで血色の悪かったアルさんの両頬に、赤い手形がくっきりと残ってしまっている。
「こういう時でもねーと、思いっきり殴れねーからなっ」
平然とした顔でそんな冗談めいたことを言ってラグは更にもう一発、アルさんの頬を引っ叩いた。
余りのことにセリーンも王子も口が開いたままになってしまっている。
「ラグ!」
「こいつが、そう簡単に死ぬわけねーんだよ!」
怒りをぶつけるように、ラグはもう一度手を振り上げた。
さすがに止めようと手を伸ばしたそのとき、にゅっと下から別の手が伸びた。
「!」
ラグの腕がその手にがっしりと掴まれて――。
「……痛ぇっつーの」
「アルさん!」
目は閉じたままだったが、確かに小さく声を発した彼に私は歓声を上げた。
セリーンと王子も大きく息を吐いて、ただラグだけはさも当然という顔でアルさんの手を振り払った。
「ったく、ひっでーなぁ。……お蔭で戻ってこられたけどよ」
「大丈夫なんですか?」
声を掛けると、アルさんは漸く薄目を開けこちらを見上げた。それだけでも酷く億劫そうだ。
「あー、……かっこわりーけど、大丈夫じゃないかも。ちょっと起きれそうにないわ」
それだけ言うとすぐにまた目を閉じてしまった。
気が付いてくれたのは良かったけれど、額の紋様は消えてはない。……まだ安心は出来ないのだ。
と、アルさんはもう一度目を開き、王子に視線を向けた。
「すみません、殿下。しばらくこのまま休ませてもらっていいですか?」
「も、勿論だ。僕のことは気にしなくていい」
それを聞いてアルさんは安堵したのか浅く息を吐きながら目を閉じた。
そのまままた意識を失ってしまうのではと不安になる。
でも彼は目を瞑ったままゆっくりと唇を動かした。
「やー、呪いの力ってすげぇのな。全部呑まれるかと思ったわ」
「呑まれる?」
「呪いの力に呑まれたら終わりってことだ」
私の問いに答えながらラグが立ち上がる。
「終わりって……」
(死ぬってこと?)
改めてぞっと背筋が冷たくなる。
一体どんな感覚なのだろう。想像するのさえも恐ろしかった。
「お前は、いつもこんなのと戦ってんのか」
薄く開いた瞳が、ラグを見上げていた。
そうだ、ラグもその身に呪いを受けている。その隠れた額には今のアルさんと同じように呪いの紋様がある。
彼も呪いを受けて死にそうになった、そう言っていた。
もしその苦しみが今もずっと続いているとしたら――。
「オレとお前のとは違う」
ラグはそう素っ気なく答えると王子に視線を向けた。
「少なくともお前のは、原因も今すぐに解く方法もわかっているんだからな」
ぎくりと王子の顔色が変わる。
「で、でもセリーンが笛を吹いても解けなかったよ?」
「やはり王の呪いを解くのが先決ということか」
私の問いに答えるように続けたのはセリーン。
彼女は手の中の笛を見下ろし、それを王子へと差し出した。
「そろそろ、覚悟を決める頃合いではないか?」
(セリーン?)
「な、なんのことだ」
動揺した様子の王子をまっすぐに見つめ、彼女は子供を宥めるような優しく落ち着いた声音で言った。
「これを王妃が吹き、王の呪いが解けたとしても、王の母君への愛が嘘になるわけじゃない」
王子の瞳が大きく見開かれる。
「王はもう十分に罰を受けているのではないか?」
「うるさい!!」
王子の絶叫に似た声が部屋の中に響く。
拳がぎりぎりと握られ、その顔は今にも泣きだしそうに見えた。
(あぁ、そうか……)
セリーンの言葉と今の王子の反応で、王子が頑なに王妃様に笛を渡すことを拒んでいる理由がわかった気がした。
王子は多分、王様が心底憎いわけじゃない。
王妃様が笛を吹いて呪いが解けてしまったら、王様の愛する人はもう彼のお母さんではないことになってしまう。
(王子はきっと、それを知るのが怖いんだ)
彼は奪うようにしてセリーンの手から笛を取り、こちらに背を向けた。
「僕は絶対にあいつを許さない。母さんはずっと待っていたんだ。あいつが迎えに来るのを。なのに、あいつは」
「ならなんで、一思いに殺さないんだ?」
ラグの発した恐ろしい言葉にびくりと王子の肩が震えた。
「その書物には、笛の音によって王を殺す方法も記されていた」
「!?」
――笛の音によって人を、殺す?
(あの笛にそんな力があるなんて……)
オカリナに似た可愛らしい楽器が、急に恐ろしいものに見えた。
「まぁ、笛なんて使わなくても一緒に住んでんだ。いくらでもその機会はあったはずだけどな」
「ラグ!」
王子の身体が小刻みに震えているのを見て止めに入る。だが彼は構わずに続けた。
「絶対に許さないと言いながら、結局迷ってんだろ」
「うるさいと言っている!」
もう一度王子は叫んだ。
ラグの短い嘆息のあと、室内はしんと静まり返った。
――どうすれば良いのだろう。どうするのが一番良いのだろう。
思った以上に王子は複雑な思いを抱えているようだ。
けれど、このままではアルさんも王様と一緒に呪いに呑まれてしまう。
アルさんはやはり苦しそうに浅い呼吸を繰り返していて――。
私はぎゅっと自分の胸元を掴んで、顔を上げた。
「ツェリウス王子、お母さんはどこにいるんですか?」
「え?」
「この国のどこかに住んでいるんですよね?」
「おい、」
ラグのイラついた声を遮り、私は言った。
「私が、お母さんを連れてきます」




