13.王家の呪い
「王妃様、喜んでくれて良かったね」
「あぁ」
デュックス王子と共に王の間に花を届けた私とセリーンは、その帰りに廊下で笑い合った。
先ほどは顔を上げてもどこか虚ろな様子だった王妃様が、デュックス王子からたくさんの花を手渡されると柔らかく微笑んでくれたのだ。その笑顔は可憐という言葉がぴったりで見ているこちらもほっとあたたかな気持ちになった。
「王子も嬉しそうだったし。お手伝い出来て良かった」
「あぁ。王も早く目覚めると良いのだがな」
「そうだね……」
王様はデュックス王子と王妃様が枕元で話していても起きる様子はなく、ただ静かに寝息を立てていた。セリーンの言う通り、早く目を覚まして王子と王妃様を安心させて欲しい。
(まさかこのままずっと眠ったままなんてこと……)
浮かんでしまった不吉な考えを慌てて振り払う。
笛の音があれば呪いの力は弱まり、元気になるとわかっているのだ。
大丈夫。きっとツェリウス王子は考え直してくれるはずだ。
控えの間の前まで戻ってきて、私はセリーンを見上げた。
「ツェリウス王子の部屋にもう一度行ってもいい?」
「おや、あんたたちは……」
王子の部屋へと続く廊下を歩いていると、後ろからそんな声がかかった。
え、と振り返るとそこにいたのは厨房で王子と話していたあのエプロン姿の女性だった。
彼女がにっこり笑ってこちらにやってくる。
「確か、殿下が連れてきたお医者さまだね。あんたたちも殿下に用事かい?」
「はい。あ、でも私たちはただの助手で……」
そう答えながらも私の目は彼女の持つトレーに乗ったふたつのグラスに釘づけになっていた。
「あの、もしかしてそれティコラトールですか?」
グラスの中の泡立った黒い液体を見ながら訊くと彼女はあぁと頷いた。
「そうだよ。あ、ひょっとしてあんたたちも飲むんだったかい?」
「あ、いえ、私たちは大丈夫です」
笑顔で両手を振る。
(本当はちょっと飲みたかったけど)
きっとアルさんは大喜びするだろう。やっと念願のティコの飲み物を口に出来るのだ。
と、セリーンが申し訳なさそうに続けた。
「忙しい中すまなかった。それを欲しがったのはうちの医者でな」
「いやいや、構いやしないよ。ツェリウス殿下のあんな我儘を聞くのは久しぶりだったからね。実は少し嬉しかったんだ」
そう言って彼女は笑った。
「よっぽどあんたたちがお気に召したんだろうね」
「だとしたら光栄なのだが」
セリーンが穏やかに答える傍ら、私は王子の我儘が久しぶりと聞いて小さく驚いていた。
(お城の中でもいつも我儘言い放題なのかと思ってた)
そんな失礼なことを考えていると、彼女は私たちの背後――王子の部屋の方を見つめた。
「これまで、寂しい思いをたくさんしてきた方だからね……」
憂いの表情。なんだか母親が子供を案じているかのようだ。
寂しい思い……この人はきっと、これまでに色んな王子を見てきたのだろう。
「でもさっきあんたたちと一緒にいる殿下を見て安心したよ」
こちらに視線を戻した彼女は再びにっこりと笑った。
「それじゃあ、殿下とお医者さまの元へこれをお届けしようかね」
「待ってました俺のティコォーー!」
勢いよく扉が開くと共にそんな歓声と飛び切りの笑顔に迎えられた私たち。
一番前にいた彼女が目を丸くしたのは言うまでもなく、セリーンは心底呆れた顔だ。
「あれ、二人も一緒だったのか」
と、前の彼女がクックッと肩を震わせ笑い出した。
「本当にこれが好きなんだねぇ。お待ちどおさま。さ、飲んでおくれ」
「ありがとうございます! いただきます……!」
目をキラキラさせてアルさんはグラスをふたつ手に取り、部屋の中を振り返った。
「殿下、お待ちかねのティコラトールですよ、ティコラトール! 早速いただきましょう!」
すると机に向かっていたツェリウス王子は顔を上げ言った。
「待っていたのはお前だろう。僕はいいからお前がふたつとも飲んで構わないぞ。飲めるのならな」
「マジですか!? 全然いけますって!」
更に声を上ずらせたアルさんにこちらもつい笑みがこぼれてしまう。
と、王子の視線がこちらを向いた。
「レセル、ご苦労だった」
「いえいえ。こんなに喜んでもらえたら作った甲斐もあったってもんですよ」
レセルと呼ばれた彼女はにこやかに笑う。
(レセルさんって言うんだ)
いい人だな、そう思ったときだ。
「そういえば朝からドゥルスの姿を見ないが」
(!?)
王子の口から急に出たその名に驚く。
彼にはまだドゥルスさんと会ったことは話していない。ということは――。
「あぁ、申し訳ありません。今日は丁度お休みをいただいていまして、明朝には登城します」
「そうか」
「うちの人も殿下が戻られたと知ったら喜びますよ」
それを聞いて確信する。
(やっぱり! レセルさんがドゥルスさんの奥さんなんだ!)
私はセリーンと目を合わせる。
「それでは私はこれで。失礼します」
「あぁ。ありがとう」
王子に一礼し振り返ったレセルさんにセリーンが話しかける。
「貴女はここの料理長をされているのか?」
「あぁ、この城の厨房は私が取り仕切っているよ」
誇らしげに答えたレセルさんにセリーンは続ける。
「いや、先ほどの料理、味は然ることながら見た目も実に素晴らしかった」
「そうかい?」
「本当にとっても美味しかったです!」
私も続けて言うと、レセルさんは嬉しそうに笑った。
「それは良かった。夕食も腕によりをかけて作るからね、楽しみにしといておくれ」
「はい!」
と、笑顔で背を向けようとしたレセルさんをセリーンは呼び止める。
「ひとつ頼みがあるのだが」
「え?」
「あとで厨房の中を見させてもらっても良いだろうか。実は料理が趣味でな」
(そっか、ここじゃ話しづらいもんね)
レセルさんに協力してもらうには私たちの素性を明かす必要がある。
セリーンは厨房に行きチャンスを見計らって彼女に事情を話すつもりなのだろう。
「あぁ、構わないよ。いつでもおいで」
「本当か! ありがたい。ではまた後ほど」
「はいよ」
そして、レセルさんは廊下を戻って行った。
「いやぁ楽しみだ。城の厨房を見られる機会などそうはないからな」
「え?」
「ん? あぁ、……勿論ドゥルスの話もするつもりだぞ」
付け加えるように小声で言うセリーン。
料理の方は口実かと思ったが、そうでもないみたいだ。
(美食家、だもんね)
しかしこれでレセルさんが味方になってくれたらとても心強い。
「それで、お前たちは?」
王子の不機嫌な声に慌てる。ずっと扉を開けたまま話し込んでしまっていた。
「すみません、あの」
扉をしっかりと閉め、改めて笛の件をお願いしようとした、そのときだ。
「ぅ、ぐっ!?」
不意に上がった苦しげな声にどきりとする。
見るとソファに座ったアルさんが口元を押さえ、そのまま激しく咳き込み始めた。
(え……?)
単にむせたとかそんな咳き込み方じゃない。
彼の前のテーブルにはティコラトールの入ったグラスと、そして空になったもうひとつのグラスが倒れていた。
「まさか、毒か!」
「!?」
後ろから聞こえた切迫した声に青ざめる。
あのティコラトールは、アルさんと、そしてツェリウス王子に用意されたもの。
“暗殺”――そんな単語が脳裏に浮かんだ。
「げほっ、げほっぐ……ぅっ!」
「早く吐き出せ!」
足が震えて動けない私の横をすり抜け、セリーンがアルさんの元へと駆け寄る。
と、そんな緊迫した空気の中大きな溜息が聞こえた。
「全く、大げさだな」
王子が呆れたようにアルさんを見ていた。
「で、でも毒が!」
「毒なんか入っていない。それがティコラトールだ」
王子の冷静な言葉に、アルさんの傍らに寄り添っていたセリーンも顔を上げた。
「どうせ一気に飲み干そうとしたんだろう。そんな飲み方をすれば誰でもそうなる」
「えっと、……どういうことですか?」
今もアルさんは体をふたつに折り苦しそうに咳き込み続けている。
「試しに飲んでみればいい」
王子がテーブルの上を指差し、セリーンは訝しげにまだ残っている方のグラスを手に取った。香りを確認してから口を付けすぐに彼女は顔を顰めた。
「なんだこれは。辛いぞ」
「辛い?」
てっきり甘いホットチョコレートのような飲み物を想像していた私は驚く。
きっとアルさんも同じ想像をしていたに違いない。
と、ようやく彼は顔を上げ、完全に涙目で言った。
「で、殿下、これ、ほんとにティコ、っすか……?」
その声は可哀想なくらい掠れてしまっている。
あぁ、と平然と頷く王子。
「この国でティコと言ったらソレだ。僕は儀式のとき以外飲もうとは思わないが」
……確かに、クラヴィスさんがそんなことを言っていた気がする。
「そんなぁ~、ごほっ」
「紛らわしいっ!」
怒声を上げてセリーンが立ち上がった。
そのまま鬼のような形相でこちらに戻ってくる彼女を見て、あちゃーと思う。
アルさんは今ティコのことしか頭にないのだろう。セリーンが心配して寄り添ってくれたことなど気づいていない様子だ。
(でも、毒じゃなくて良かった~)
――そう、ほっと息をついた矢先のことだった。
「あぁ~マジかぁ~ティコがこんなに辛いなんて……うっ!?」
ソファに力無く横になってしまったアルさんが再び小さく呻き、苦笑する。余程辛かったのだろう。
セリーンもふんと鼻を鳴らしもう彼の方を見ようとはしない。
と、王子が息を吐いて立ち上がった。
「すまなかった。こうでもしないとお前たちを……っておい、どうした!?」
急に、王子の声音が変わった。
――え?
再度アルさんの方を見て、私は悲鳴を上げそうになった。
ソファの上で彼の身体が大きく痙攣していたのだ。
「アルさん!?」
そのまま彼の身体はソファから床へとずり落ち、動かなくなった。
「おい、デイヴィス! しっかりしろ! おい!?」
「やだっ! アルさん、アルさん!?」
そばに駆け寄り何度叫んでも彼は目を開けない。
その顔は青白くて、まるで……。
「!?」
そのとき、彼の身体を揺さぶっていた王子の手がぴたりと止まった。
私もそのわけに気付いて震える手で口を押さえる。
彼の汗ばんだ額に、見覚えのある紋様がうっすらと浮き出ていた。
「王家の、呪い……?」
低く、唸るように王子が呟いた。
「そんな……だって、なんで」
気が動転してうまく言葉が出てこない。
王家の呪いはこの国の王になる人が受け継ぐもののはずで、それがなんでアルさんに……。
かろうじて胸は上下しているものの、表情の消えてしまったその顔からは生気が感じられなくて、ただ恐ろしかった。
「王の治癒をしたせいか」
眉間に深く皴を寄せこちらに歩いてくるセリーンの言葉を聞いてハっとする。
「そういえばアルさん、あの後気分悪そうにしてた……」
治癒の術をかけた直後には倒れかけ、書庫の螺旋階段を上っているときも辛そうに見えた。でもその後はいつも通り元気な様子だったのに。
「ど、どうしよう。――あ、笛!」
王子と目が合う。
彼はすぐに胸元から笛を取り出した。
「だが、これは王家の者にしか……それも愛する者が吹かなければ効果は」
「セリーン!」
思わず振り向き叫んでいた。
彼が――アルさんが愛する相手は、間違いなく彼女だ。
セリーンは瞬間動揺したような目をして、しかしすぐに王子に向け手を差し出した。
「貸してくれ」
その顔は真剣そのものだ。
王子は躊躇う様子なく笛を首から外し、セリーンに手渡した。
「ここを吹けばいいのか?」
「あぁ」
王子が頷くのを見てセリーンは即座に突起を口に含んだ。そして、
ピィーー!
部屋の中に高い笛の音が響き渡った。
(お願い……!)
息を呑み皆でアルさんを見守る。
しかし何の変化も起こらない。
セリーンはもう一度笛を吹いた。
しかし、やはり額の紋様はそのまま。目も開いてはくれない。
「……だめか」
悔しげに王子。
セリーンも息を吐いて笛を持つ手を下ろした。
「そもそもこれは王家の者のみがかかる呪いのはず。他の者がかかるなどあの書物のどこにも書いてなかった」
(書物……)
王子の言葉に私は拳を握る。
「カノン?」
すくと立ち上がった私をセリーンが不思議そうに見た。
「私、ラグを呼んでくる」
彼なら、アルさんと同じ術士の彼なら、何かわかるかもしれない。
それにラグにとってアルさんは先輩であり、兄のような存在のはず。きっと何とかしようとしてくれるはずだ。
今はもうそれしか思いつかなかった。
「なら私も」
言いかけたセリーンに私は首を振る。
「セリーンはアルさんのそばにいてあげて。笛もまだ完全にダメって決まったわけじゃないし」
王子も何も言わないが一人にはなりたくないはずだ。
ラグを呼んでくれば、クラヴィスさんも王子の元へ戻って来られる。
「しかし」
「すぐに戻ってくるから!」
言って私は駆け出した。
――正直、先ほどの書庫での出来事はまだ胸に引っかかっているけれど、そんなことを言っている場合ではない。
王子の部屋を出て、私はあの書庫のある塔へと走った。




