12.デュックス王子
「すっかり冷めちゃったね」
手つかずの料理を見て溜め息をつく。
折角の豪華な料理もこれでは台無しだ。作ってくれた人たちに申し訳ない。
忙しそうな厨房の様子を思い出して、もう一度溜め息が漏れる。
「あっちに持っていってもられば良かったね。……あ、でも普通の人は入れないんだっけ」
「放っておけ。子供じゃないんだ、腹が減れば戻ってくるだろう」
セリーンが冷たく言う。
「そう、だよね」
返事をしながらも、なんだか落ち着かない。
(もしかして、私がさっきあんなこと言ったから、戻って来られないとか……)
でもああして飛びだしてきてしまった手前、自ら持っていくことも出来ない。
と、そんなときにドアがノックされドキリとする。
瞬間ラグかと思ったが、彼ならノックなんてしないだろう。
「はい」
「デイヴィスはいるか?」
扉を開けたのは、デュックス王子様だった。
その後ろにはフィグラリースさんの姿も見えて慌ててソファから立ち上がる。
「あ、先生ならツェリウス殿下のお部屋に」
「兄さまの?」
「はい。……あの、王様に何か?」
つい先ほどデュックス王子がこの部屋に飛び込んできたときのことを思い出し、もしかしてと思ったのだ。
でも王子はふるふると首を振った。
「父さまはあのまま眠っている。礼をと思って来たのだが……」
それを聞いてほっとする。
「お前たちにも感謝している。父さまを助けてくれて本当にありがとう」
堂々とした笑顔で言われ驚く。
その態度からは小さくとも王子様としての風格がしっかりと感じられた。
「い、いえ、私は何も」
「そうだ! お前も一緒に来てくれ」
「え?」
急に男の子の顔に戻った王子が私の元に駆け寄ってきた。
「先ほどの花をな、もっとたくさん摘んで来ようと思うんだ。父さまが起きた時にびっくりするくらい!」
王様の枕元に飾られた黄色の花を思い出し、笑顔で答える。
「それはきっと王様喜びますね」
「だろ? それに、花を持っていくと母さまも喜ぶんだ」
嬉しそうに続けた王子を見て、先ほどの王妃様の様子が蘇る。
きっと彼はお母さんにも元気になって欲しいのだろう。
胸の辺りがぽっと温かくなる。
「わかりました。お手伝いします!」
「よし! じゃあ行くぞ」
王子について扉まで行く途中、冷たくなった料理が目に入った。
「あ、あの、その前にデイヴィス先生のところに行くんですよね?」
「え? あぁ、そうだな」
「じゃあ――」
コンコン。
「はーい」
扉をノックすると、間延びした声が返ってきた。
「あれ、カノンちゃん。と、デュックス殿下。どうしました?」
扉を開け出てきたアルさんは王子の姿を見るなり真剣な顔つきで尋ねた。
私と同じように、王様に何かあったのかと考えたのだろう。
「父さまはあのままぐっすり眠っている。デイヴィスのお蔭だ。本当にありがとう」
王子が言うとアルさんも明らかにほっとした様子でいつもの笑顔を見せた。
「いえ、お役に立ててこちらも嬉しいです。また後ほど伺おうと……ってそれは?」
アルさんの視線がワゴンに乗った料理に留まった。
「あのこれ……ラグの分なんです」
部屋の奥にこちらを見つめるツェリウス王子の姿を見つけ、慌てて名前の部分を抑えて言う。そういえば偽名を考えておけと言われていたのだった。
「あいつの?」
「はい。まだ戻ってなくて……。あ、私これからデュックス殿下と庭園に行くのでデイヴィス先生に持って行ってもらえたらと思って」
笑顔が引きつるのを自覚しながらお願いすると、アルさんは小さくため息を吐いた。
「全くあいつは……。殿下、もう一度書庫までいいですか?」
部屋の中を振り返り言うアルさん。
「あぁ。構わないが」
すぐにツェリウス王子の声が返ってきてほっとする。
「すみません、お願いします」
「いやいや、こっちこそごめんな。気ぃ使わせちゃって」
「全くだ」
私の後ろからイラついた声。セリーンだ。
「ついでに夕飯はどうするつもりなのかと訊いておけ。どうせこのまま戻らないつもりなのだろうからな」
「ん、そうだな。訊いとく」
苦笑しながら答えたアルさんにセリーンは呆れたように鼻を鳴らした。
と、ちらちらと部屋の中を気にしていたデュックス王子がここで声を上げた。
「兄さま! 兄さまも一緒にどうですか? 庭園で花を摘むんですが」
頬を紅潮させ言ったデュックス王子に、しかしツェリウス王子はゆっくりと首を横に振る。
「僕は他にやることがある。そこの者たちと行っておいで」
「わかりました……」
一気にシュンとなってしまったデュックス王子が可哀想で、私は笑顔で声を掛けた。
「行きましょう、デュックス殿下!」
途中、すれ違う人皆がデュックス王子に頭を下げていく。
王子とフィグラリースさんは当然のことながら慣れている様子でその前を堂々と通り過ぎていくけれど、その後ろを歩く私はどうにも落ち着かなくて終始俯きながら進んだ。
ふと隣を見上げるとセリーンも王子たちと同じく堂々と前を向いて歩いていて、改めて彼女をカッコいいと思った。
そして再び煌びやかな玄関ホールに戻ってきた私たち。
扉の前で王子がくるりとこちらを振り返った。
「フィーはここまでだ。ついて来なくていいからな」
「え!? またですか?」
デュックス王子のつれない一言にほとほと困ったような声を上げるフィグラリースさん。
そのやり取りを見ていてふとツェリウス王子とクラヴィスさんのいつもの会話と重なる。
先ほども似ていると思ったけれど。
(ひょっとして、お兄さんの真似をしてるのかな)
「僕はもうすぐ8歳なんだから庭園くらいお前無しで平気だって言っているだろう! わかったな!」
しぶしぶという顔でフィグラリースさんは王子の前に出て扉を開けていく。
「ですが十分に気をつけてくださいね。殿下はそそっかしいのですから」
「うるさいぞ! 平気だと言っているだろう!」
強く言って宮殿を出ていく王子。
ついさっき見事に転倒したところを見てしまった私はなんだか気まずい思いで扉を支えるフィグラリースさんの前を横切った。と、
「殿下をお願いします」
小さく聞こえたその声に私は慌てて返事をし、セリーンもしっかりと頷いていた。
お昼過ぎの庭園は流石に暑かった。
時折吹きあがる噴水が強い陽の光にキラキラと輝いている。
その水音と庭園の緑が涼しげではあったが、今は宮殿の影がとても有難かった。
そんな中王子は足取り軽く日差しの下に立ち、私たちを振り返った。
「さっきはあっちだったからな。今度はこっちを探すぞ!」
先ほど彼がいた場所とは逆方面をびしっと指差す王子。
「ついて来い!」
「あ、殿下!」
走り出しかけた王子を慌てて引き止める。
お願いしますと言われたのに怪我をさせてしまったら大変だ。何しろ彼は王子様なのだから。
私は彼に駆け寄り笑顔で言う。
「ゆっくり行きましょう。あ、手を繋ぎましょうか」
そうすれば安心と手を差し出すと、王子はびっくりした様子でその手を見た。
その顏を見てすぐにしまったと思う。
(王子様に向かって馴れ馴れしくし過ぎ……!)
「す、すみませ」
「母さま以外の女性と手を繋ぐのは初めてだが、構わないぞ」
王子ははにかむように笑って私の引っ込めかけた手を取ってくれた。
「行こう!」
「は、はい!」
誰にも見られていないといいなと思いつつも、彼の楽しげな横顔にこちらも嬉しくなる。
(やっぱりデュックス殿下は癒しだなぁ~)
それこそ王子様に向かって失礼なことを考えながら、私は彼と一緒に庭園の中を進んだ。
「お前、名はなんというんだ?」
「あ、私、華音っていいます」
そういえば自己紹介がまだだったことに気が付く。
(私の名前は別に隠す必要ないもんね)
「カノンか。カノンもデイヴィスと同じパケム島出身なのか?」
「えっと、違います。私はもっと遠くの田舎の出で……」
「カノンもデイヴィスのような術が使えるのか?」
「い、いえ、私は使えないです。単なる助手でして」
「そうなのか。――あ、あったぞ! あの花だ」
繋いでいない方の手で花壇を指差し王子は足を速めた。
手を引かれながら、なんだか良心が痛んだ。
(名前以外は全部嘘だもんね……)
私たちは身分を偽ってここに居る。
お兄さんが連れてきた医師一行ということでデュックス王子も絶対的な信頼を置いてくれているのだろうけれど。そんな純粋な彼に嘘を吐いていることが心苦しかった。
「お、こっちのほうがたくさん咲いているな。よし、カノン摘むぞ!」
「はい!」
王子は私から手を離し、黄色の花が咲き乱れる花壇の前に腰を下ろした。
私もその隣に座って訊く。
「この花はなんていう名前なんですか?」
「さぁ、知らない」
早速花を摘みながら王子は首を振る。
「母さまか庭師なら知っているんだろうけどな」
「アウルムの花だ」
背後からの答えに私たちは振り返る。
「この地方でこの時期にしか咲かない花だな」
「セリーン、花に詳しいの?」
少し意外な気がして訊く。
「詳しいというほどではないが、花は好きだからな」
言ってセリーンも私の横に腰を下ろし、アウルムの花に優しく触れた。
その姿はまるでどこかの国の王女様のように綺麗で、思わず少しの間見惚れてしまった。
「ん、どうした?」
「う、ううん!」
気恥ずかしくて慌てて目を逸らし私もアウルムの花を摘み始める。
(そっかぁ。セリーン、花好きなんだ。あとでアルさんに教えてあげよ)
と、少しして宮殿入口の方が俄かに騒がしくなった。
「なんだ?」
両手にいっぱいの花を持って王子が立ち上がる。
「あれは……お医者さま達だ。帰るのか?」
え? と思い私も立ち上がる。
見ると確かに大きな鞄を持った人たちが列を成して城門に向かって進んでいる。
しかしその中にフォルゲンさんたち夫婦の姿は見つけられなかった。
「そういえば、ツェリウス殿下が他の医師たちに帰って良いと言ったのだったな」
王子がセリーンを見上げる。
「兄さまが?」
「あぁ」
「そうか。お前たちがいればもう安心だものな。兄さまが帰ってきてくれて本当に良かった!」
嬉しそうに言ってデュックス王子は再び腰を下ろした。
そんな彼に微笑み言う。
「殿下は本当にツェリウス殿下がお好きなんですね」
すると王子は目をキラキラさせてこちらを見上げた。
「あぁ! 兄さまは格好良いし博識だからな。カノンもそう思うだろう?」
「そ、そうですね」
きっとデュックス王子の知らないツェリウス王子をたくさん見てしまっている私はどうにか笑みを崩さずに答える。
すると王子は満足げに笑って再びお兄さんの髪と同じ色の花を摘み始めた。
そして彼は続ける。
「兄さまがいつか王になったら僕がしっかりとそれを支えるんだ!」
私はセリーンと顔を見合わせた。
――彼は、大人たちの間で派閥が出来ていることを知っているのだろうか。
お祖父さんが自分を王にするためにお兄さんを殺そうとしたことを知ったら、彼は……。
私はその隣に腰を下ろして言う。
「お二人が力を合わせたら、きっと素晴らしい国になりますね」
「あぁ!」
デュックス王子は飛び切りの笑顔を返してくれた。
――ツェリウス王子は知っているのだろうか。
弟であるデュックス王子がこんなにも自分を思ってくれていることを。
パケム島で、この国が……この城が嫌いだと言っていたツェリウス王子。
(伝えなきゃ)
きっと、もっともっと王子は強くなれる気がした。




