8.王の病
「知らねーって、お前な」
アルさんの声にわずかに怒気がこもる。
ラグは誰を見るでもなく続ける。
「言ってんだろ。オレの目的はこの呪いを解くこと、それだけだ。この旅も、そいつと居るのも、全部その目的あってのことだ」
いつもと変わらない不機嫌な口調。
――そう。彼は最初からそう言っていた。出逢った時からずっと。
だから今更、何もおかしいことはない。
最初からわかっていたことだ。……なのに。
(なんで私、こんなにショック受けてるんだろう)
膝の上で小さく震えている両手に気付いてぎゅっと握る。
「じゃあなにか? ここで呪いが解けちまったら、カノンちゃんはもう用無しってことか?」
「そうなるな」
「お前なぁっ!」
「アルさん!」
名を呼ぶと、立ち上がりかけていた彼はびっくりした顔でこちらを見た。
私は笑顔で言う。――引きつってしまわないよう、平静を装って。
「わかっているんで、大丈夫です」
「カノンちゃん?」
気遣うようなアルさんの声。
「ラグの言う通り、呪いが解ければ私と居る理由は無いですし、そりゃ居てくれたら何かと心強いですけど、そこまではお願いできないっていうか」
「いや、でもよ、」
「逆だったらどうするんだ?」
「え?」
窓際にいるセリーンが、冷え冷えとした視線をラグに送っていた。
ラグが睨むようにそちらを見る。
「もし貴様の求める情報は手に入らず、カノンが元の世界に帰る方法が見つかったらどうするのかと訊いている」
(あ……)
そうか。王子は私の求めるものが見つかるかもしれないと言っていた。
もしそれが本当に元の世界へ帰る方法なのだとしたら……。
私はゆっくりとラグを見る。
「……そいつの好きにすればいい」
ラグの口から出たのはそんな素っ気ない言葉だった。
セリーンが短く息を吐く。
「さっきは“オレから離れるな”と言っておいて今度は“好きにすればいい”か。どうしようもないな」
「え、お前そんなこと言ってたの?」
アルさんが驚いたようにラグを見る。直後、大きな舌打ち。
「ごちゃごちゃうるせーんだよ! とにかく、オレがここに来た目的はこの胸糞悪ぃ呪いを解くためだ。それを忘れんな!」
広い室内に響いた怒声に私は思わず肩を竦める。
重苦しい沈黙の後、アルさんが額を押えながら溜め息交じりに言った。
「お前、なんだってそんなに……」
と、アルさんが扉の方に視線をやる。
そのときパタパタという足音が近づいてきて、勢いよく扉が開かれた。
「デイヴィス!」
「デュックス殿下?」
呼ばれたアルさんがソファから立ち上がる。
息を荒らげ部屋に入ってきたのはデュックス王子だった。
その只ならぬ様子に嫌な予感が走る。
今にも泣きそうな顔で、王子は叫んだ。
「今すぐに来て! 父さまが、父さまが……!!」
彼のお父さん――この国の王様に何かあったのだ。
アルさんがすぐに王子の元へ駆け寄り、私もついて行こうと立ち上がり、そこで踏み留まる。
(行って、どうするの?)
王子の様子から、おそらくは病に伏せっているという王様の容体が急変したのだろう。
私たちはその王様を助ける医者という名目で此処に居る。
なのに、王様が一体どんな症状なのか、なんの病なのか何も知らない。訊きもしなかった。
王様は今、生死の境にいるかもしれないのに。
――ここに来て、足が竦んだ。
「みんなも来てくれ!」
アルさんが振り向きざまに言って、王子と共に部屋を出ていく。
「ここは行くしかないだろうな」
セリーンも重い溜息をつきながら開いたままの扉に向かう。
そうだ。助手とはいえここで動かなければ逆に怪しまれてしまう。
足にぐっと力を入れて、私もセリーンに続いた。でも。
「ラグ?」
彼はまだソファに座ったままだ。
少し気まずいながらも呼びかけると、彼はこちらを見もせずにぽつりと言った。
「……オレは行かない方がいい」
「なんで」
「カノン、行くぞ」
セリーンに呼ばれ、私は仕方なく彼を残し部屋を出た。
丁度アルさんが廊下の向こうの大きな金色の扉の中に入っていくのが見えた。
あそこが王様の寝室のようだ。
「お二人とも、こちらです」
扉の前に立っていたクラヴィスさんが私たちを呼ぶ。その隣にはデュックス王子の従者であるフィグラリースさん。
そして廊下には更に数人、おそらくはお医者さんなのだろう男の人たちが青ざめた顔で立ち尽くしていた。ひょっとして、皆部屋から出されてしまったのだろうか。
クラヴィスさんは走ってきた私たちをすぐに中に入れてくれた。
王の寝室は昼間だというのに薄暗かった。扉が閉まってしまうとまるで夜中のようだ。
扉のすぐ横に控えていた使用人らしき女性が私たちに頭を下げてくれていることに気付き、私も慌てて頭を下げる。
中は控えの間の倍ほどの広さがあり、でも庭園が一望出来る大きな窓があるだろう壁には暗幕のようなカーテンが掛けられていた。だからこんなにも暗いのだ。
壁に取り付けられた燭台の小さな炎がこの部屋の唯一の灯りとなっているようだった。
そんな中聞こえてきた苦しげな呻き声にぎくりとする。
部屋の中心ほどに置かれた天蓋付きのベッド。そこに皆集まっていた。
(あそこに王様が……)
「父さま、父さま! しっかりしてください。新しいお医者さまですよ!」
ベッドの枕元で必死に叫ぶデュックス王子の背中があった。その後ろにアルさんが立っている。
その向かいには俯き表情の見えないツェリウス王子と、椅子に腰かけた髪の長い女性の姿。
(あれが、王妃様?)
ウェーブのかかった長い髪が顔に掛かりはっきりとはわからないが、線の細い綺麗な女性だ。
王様の様子はこの位置からでは見えない。
と、アルさんがこちらに気付き、深刻な顔で手招きをした。
ごくりと唾を呑み込んで、私はセリーンと共にベッドに近づいていく。
ベッド脇に置かれた棚の上に、見覚えのある黄色の花が飾られていることに気が付く。先ほどデュックス王子が摘んでいたあの花だ。
そこから視線を下げてベッドに横たわる金髪の男性の姿を目にし、驚愕する。
苦しげに顔を歪め仰向けで寝ている王様は、思っていたよりもずっと歳若かった。30代後半と言ったところだろうか。
でも驚いたのはそんなことじゃない。
王様の顔から首、胸元から腕にかけて……おそらくは全身の肌を埋め尽くすように黒い紋様がびっしりと刻まれていたのだ。
瞬間それらが蠢いているように見えてぞわりと鳥肌が立つ。
更には、たくさんの皴が寄る眉間の、その少し上。そこに見覚えのあるものが存在していた。
(これって)
それは、“ツェリ”に生えていたものと同じ“角”。
思わずツェリウス王子を見ると、その顔は強張り明らかに動揺していた。
私と同じくツェリの姿を知るアルさんとセリーンは、私と視線が合うと重い表情で頷いた。
「急にこんなものが出てきたんだ! さっきまで、こんなもの無かったのに……っ!」
涙をいっぱいに浮かべ私たちにそう訴えるデュックス王子。
「殿下、すみません。来たばかりの私たちに詳しく教えてください」
床に膝をつき王子と目線の高さを合わせたアルさんが優しく、でも真剣に訊く。
「う、うん」
しゃくり上げながらもしっかりと頷いてくれる王子。
ツェリウス王子は話しかけられる雰囲気ではないし、王妃様も王様を見つめたまま口元を両手で覆い、その手が小刻みに震えているのがわかる。
まだ小さいけれど、今一番状況を訊きやすいのはデュックス王子だ。
「急に出てきたというのは、紋様のことですか、それとも」
「このおでこのやつだよ! 紋様は前からなんだ……」
お父さんに視線を移して、辛そうに続ける王子。
「最初に倒れたときはおでこだけで、それからどんどん増えていって……。でもこんなモンスターみたいな角は出たことなかったのに……!」
(――もしかして、デュックス王子はお兄さんがモンスターの姿になれること、知らないの?)
知っていたら動揺していたとしてもそんな言い方はしないはずだ。
確かにツェリウス王子はこのことを知るのはごく一部の者だけだと言っていたけれど……。
そこで気が付く。
(ひょっとして王様もモンスターに変身できるの……?)
そうだ、確かツェリウス王子は金の髪とそしてモンスターに変身してしまうこの呪いが王の証だと言っていた。
だとしたら街中のお医者さんを集めても一向に良くならないという理由もわかる。
これは普通のお医者さんがなんとか出来る病じゃない。
“呪い”が関係しているんだ……!
「そうですか。ありがとうございます」
言ってアルさんがすっと立ち上がる。
パケム島でツェリウス王子から同じ話を聞いた彼もきっと、そのことに気が付いたはずだ。
「デイヴィス! 早く、さっきの力で父さまを治して!」
「……ツェリウス殿下、よろしいんですね?」
アルさんはこちらを全く見ていないツェリウス王子に訊く。
すると王子は瞬間びくりと身体を震わせてからゆっくりと首を回しアルさんを見た。
「効果があるかどうかはわかりませんが、治癒の術をかけてみます」
「あ、あぁ」
どうにか王子は返事をしてくれた。
「治癒の術……?」
その時、か細い声がした。
王妃様が顔を上げてこちらを見ていた。その顔はやはり綺麗だったけれど、可哀想なくらいにやつれてしまっていた。
まるで私たちに気が付いていなかったような、そんな表情の王妃様にデュックス王子が言う。
「母さま! さっき話したデイヴィスです! 僕の傷を一瞬で治してくれた……。だからきっと父さまも治ります!」
「なおる……?」
精神的にもかなり参ってしまっているのだろう。アルさんを見つめるその瞳はどこか虚ろで、とても痛々しかった。
そんな彼女に一礼し、アルさんは言う。
「精一杯やらせていただきます。……デュックス殿下、よろしいですか?」
言われて王子はすぐに場所を譲った。
アルさんは王様の枕元に立ち、その額に手を伸ばす。
息を呑んで見守る私たち。
微かにアルさんの息を吸う音が聞こえて――。
「癒しを此処に……!」
静かな部屋に凛とした声が響いた。
「うぅっ!」
途端、王様は一際大きく呻いて全身を硬直させた。
「父さま! 父さま頑張ってください!」
たまらなくなったのかデュックス王子がアルさんのすぐ横で叫ぶ。
王妃様は見ていられなくなったのだろう、震える両手で顔を覆ってしまった。
アルさんも苦悶の表情を浮かべていた。痛みに耐えるように歯を食いしばり、まるで何か見えない敵と戦っているみたいだ。
(アルさん頑張って……!)
祈るように胸の前で両手を握る。
効果は徐々に現れてきた。
荒かった王様の呼吸が次第に緩やかになり、あんなに深く刻まれていた眉間の皴が取れ、穏やかな表情になっていく。
そして。
「……ふぅ」
アルさんが息を吐き手を離すと、そこにあった角が無くなっていた。
「やった!」
思わず一番に声を上げてしまい、慌てて口を塞ぐ。
角は消えたが、紋様の方は全く消えていない。
それでも、効果はあったのだ。
王様は今静かな寝息を立て眠っている。
王妃様はそんな王様を見てゆっくりと肩を落としていき、もう一度顔を覆った。
デュックス王子はごしごしと目を擦り涙を拭ってから、お父さんの手をぎゅっと握る。
「父さま、父さま!?」
起こそうと声を掛けるデュックス王子をアルさんがやんわりと止める。
「殿下、今は休ませてさしあげましょう」
「あ、あぁ。そうだな、わかった。でもやっぱりデイヴィスは凄いな! ありがとう!」
小声でお礼を言われアルさんは少し疲れた顔で微笑み、そのままガクンと膝をついてしまった。
「アルさん!?」
「デイヴィス!?」
肩で息をしながらアルさんはこちらを見上げた。
暗がりでもわかるほどに顔色が悪い。
「すみません、ちょっとばかり力を使い過ぎてしまったようで。……大丈夫です」
苦笑しながら言って、彼はベッド脇の棚を支えにゆっくりと立ち上がった。
(全然大丈夫そうじゃないのに……)
術を使った後こんなふうになった彼はこれまで見たことがない。
彼は王様を見下ろしながら言う。
「角は消えましたが、病が治ったわけではありません。――ツェリウス殿下」
「え?」
急に呼ばれたツェリウス王子が驚いた声を上げる。
「やはり、例の書庫を調べさせてもらってよろしいですか? おそらくはそこにこの病を治す方法があるかと」
――そうか。今ここにいる皆の前で話しておけば、例の王族しか入れないという書庫に入りやすい。本当は王様にも聞いて欲しかったけれど……。
その意図を汲んでくれたらしい王子はしっかりと頷いた。
「あぁ。王に代わって僕が許可する」
「ありがとうございます」
アルさんは頭を下げた。
王妃様もデュックス殿下もこちらのやり取りを不思議そうに見ているだけで、止めはしなかった。
「早速案内しよう。デュックス、このまま王を頼む。何かあったら書庫に呼びに来てくれ」
「は、はい!」
デュックス王子はお兄さんに言われてびしっと背筋を伸ばした。
そして、私たちはツェリウス王子について王の寝室を出たのだった。
「殿下! 王の容体は?」
すぐに扉の外に立っていた二人の従者がツェリウス王子に尋ねた。
「今は落ち着いている。この者たちを書庫に案内してくる。デュックスは中で王を看ている」
「書庫って……殿下!」
顔も見ずに早口で言って廊下を進んでいく王子をクラヴィスさんが追いかけてくる。
フィグラリースさんはこちらを気にしながらもデュックス王子のいる王の寝室の前に留まった。
「アルさん、大丈夫ですか?」
私は王子のすぐ後ろを歩くアルさんに小声で訊く。
「え? あぁ、心配かけちゃってごめんね」
「全くだらしのない。医者の貴様が心配されてどうする」
キツく突っ込んだのセリーンだ。
「はっはは……いや、でも、あれはヤバイって」
「ヤバイ?」
アルさんは神妙な顔で頷いてから、ふと私の背後を見た。
「そーいやアイツは?」
「あ、ラグならあのまま控えの間に。なんかオレは行かない方がいいとか言って……」
「あー……確かにアイツは来ないで正解かもな」
「え?」
「とにかく、マジで早く治す方法見つけねぇと、あの王様、惨い死に方しちまうぞ」
その囁くような小さな声にぞっと背筋が冷たくなった。




